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hasunoha 問答検索結果 : 「 死 不安」
検索結果: 1644件
2024/01/11

主人と離婚がしたい

5月に子供を出産し、1/11現在、7ヶ月の赤ちゃんと暮らしています。 主人は優しく穏やかで、赤ちゃんも可愛がってくれます。しかし、そんな主人に対してイライラしてしまい、当たってしまう日々が続いていました。 11月中旬ごろから、離れて暮らすようになり、ちょくちょく帰ってくる中で、話し合い中に3人で死のうと包丁を持ち出され、そこから赤ちゃんと主人を2人きりにできなくなりました。 本気ではなかったのでその時は怖くはなかったのですが、日々考えているうちに怖さが増し、今は家に帰ってきて欲しくないと考えてしまいます。 別の日に家に来た際も、死ぬ時は連絡すると言って自殺を仄めかしてきます。 帰ってきても、赤ちゃんを任せられないので、ワンオペでさらに1人分家事が増えるのも体力的、精神的にキツイというのもあります。 ただ、元々いい人で、そこまで追い詰めたのは自分だと思うし、離婚するほどひどい主人かと聞かれたら、もっとひどい夫の話を聞くと、自分が甘いような気がして踏み切れません。 また、自暴自棄になり、私や赤ちゃん、家族に加害を与えそうで怖くなります。 私はどうすればいいでしょうか。ご意見を頂戴したいです。

有り難し有り難し 9
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2024/02/08

祖父の葬儀での出来事

先日祖父が亡くなり、生前からの祖父の意向もあり、家族のみ参列し、所謂直葬を執り行いました。 無宗教ということと、以前身内の葬儀の際にお坊さんの振る舞いについてとても嫌な思いをしたことがあったようで、それ以来自分が死んだら戒名もお経もいらないから家族だけで見送って欲しいとのことでした。 祖父の希望通りに直葬を執り行ったのですが、せめて火葬場ではお経を1回くらい読んで貰った方がいいのではないか、と親族の一人から声が上がり、じゃあそうしようということで、その際お世話になっていた葬儀屋さんに相談し、お坊さんを手配して下さるとのことで火葬の前に読経していただけることになりました。 お経が始まり、喪主である祖母がまず焼香し、それに続いて参列者が順番に焼香を行っていたのですが、一人ずつではなく三人ずつ焼香を行って欲しかったようで、お坊さんが読経中ですが参列者のいる後ろを振り返り、すごい目付きで睨んできました。 確かに焼香台は三つありましたが、特に何も言われなかったため、喪主に続き一人ずつ焼香を行っていました。 お坊さんの様子に気付いた火葬場の職員の方が、三人ずつどうぞと声をかけてくださったのですが、その間も時折こちらを睨みつけるように見ており、更には肩を竦めため息を吐いていました。 あまりの出来事に唖然としたと同時に頭にカッと血が登り、動悸が激しくなりました。 そのくらいの衝撃を受けました。 そのお坊さんにとっては数ある内の一つかもしれませんが、私たち遺族にとってはそうではありません。 大切な祖父を侮辱されたようでとても腹が立つと同時に悲しくて仕方ありません。 祖母も気付いており悲しがっていました。 こんなことなら祖父の言葉通り、読経してもらうべきでは無かったと後悔しております。 そのお坊さんへのお布施は一万円お渡ししましたが、お金さえ貰えれば後はどうでもいいのでしょうか? 腹の中で何を思ってようが自由ですが、それを表に出さないようたった数分も我慢できないのでしょうか、それが不思議でなりません。 上記したように、以前にもお坊さんのことで嫌な思いをしたことがあり、それに今回のこともあり、もちろんそんな事はないと分かってはいるのですが、こんな人ばかりなのですか? また、この悔しい気持ちの落ち着け方が分かりません。 アドバイスいただきたいです。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 12
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息子のお嫁さんに対して

今回、息子のお嫁さんについて御相談させて下さい。 息子は20歳社会人となり1年目、お嫁さんも20歳で 2人は専門学校で知り合い今年になり妊娠が分かり 籍を入れるという流れになりましたが、息子は 働きだしたばかり、お嫁さんは専門学校を卒業して 就職先が内定してましたが、取り消しとなり 2人からは入籍だけして一緒になると話をされましたが 確かに蓄えもないまま授かってしまいその考えにも一理あるとは思ったのですが、私は紙切れ1枚で結婚という形には否定はしませんが、別れると思った時にも 紙切れ1枚で済ませるのかと問い、けじめとしてまた お互いの自覚を持ってもらうのに神社婚だけでも挙げるべきではと提案して色々調べ何とか負担少なく 見つける事は出来たのですが お嫁さんは、専門学校時に奨学金を借り現在 150万程借金があるらしいのですが、それも12年返済で自分で払うと言ってるらしいのですが 自分て払う考えは立派だと思いますが それは、独身ならそれでも良いのかと思うのですが もう1人じゃないでしょと思うのと子供が12歳に なるまで払い続ける事を安易と思いますし 私的には、住む所もままならない状態なのに 考えが浅い(20歳と若く仕方ないかと思うのですが) また、素直に聴く耳を持たなく意地を通してるだけにしか見えません。 何と言うべきか困ってます。 どうしたら良いのかご教示下さい

有り難し有り難し 73
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つまり私は普通じゃない

容姿などの見た目で判断されることにコンプレックスを感じ悲観的になっている人は結構いるみたいだけれど 世の中には見た目で判断出来ない人もたくさんいるのであまり自信を無くさないで欲しいなぁと思う 私は近視だけど見えない訳ではない 見えているので見た目もそれなりに分かる でも人には目判断や耳判断があり 私は後者の方 見た目で人を判断するのが苦手 ほとんど声で人を判別している なので「百聞は一見にしかず」じゃなく 「百見は一聞にしかず」となる 大変失礼ながら せっかくお坊さま方が写真を掲載されているけれど 正直みんな同じに見える 一生懸命みんなの特徴を探して覚えようとしてはいる でも正直みんな同じに見える 大して変わらない みんなお坊さまだ 多分お坊さまだ 少数派かも知れないけれど 多分そういう人もいっぱいいると思うから 必要以上に見た目にコンプレックスを感じなくても大丈夫なんじゃないかなと思っている 磨くならやっぱり中身 私も中身には全然自信は無いけれど なんとかせにゃならん!といつも思っている せっかくいただいたアドバイスは大切にしたいし 出来る範囲内にはなるけれど精一杯努力したい あ"~!!!とか思うこともあるけれど それでもまた私はhasunohaのお坊さまに会いに来る ここでは耳判断は役に立たないし 目判断も出来ない そういう面では不便だけれども いろんな考えのお坊さまがhasunohaには揃っているだろうと信じているから またあきらめもせずめげることなくやって来る 私は不完全な人間です 完璧にはなれません 目指せ普通!です でも普通にもなれないみたいです 『普通って何なのでしょうか?』 それが質問になります みんな持っているものさしは違うはずなのに 親に「もっと普通にして!」と言われてしまいます 『普通って何なのでしょうか?』

有り難し有り難し 90
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なぜ今を生きなければいけないか

いつだったか、SF小説を読んで人間という生き物はとてもちっぽけでくだらない生き物だと感じたことがあります。 その思いは今でも私の根底にあり、私は人間が命を繋いでいく意味、私という人間が今を生きていかなければならない意味が分かりません。 ただ、弱くて不器用で、これから何も成し得ないだろう自分に対するあてつけや逃げの発想だろうとも思います。 いっそのことなにか精神的な病気にでもなってしまえればと何度も考えましたが、身体だけは健康体な私はメンタルにおいても中途半端なところで行ったり来たりを繰り返すだけで、結局何者にもなれないんだと惨めな気持ちになります。 彼氏にも、出来ることなら早めに死んでしまいたい、と言ったことはありますがどうしてそんなこと言うの、と窘められましが私にはそうやってたしなめる彼の気持ちが分かりません。 痛いことは想像するだけで心が苦しくなるので、自殺はすることはないと思います。 痛みもなく死ねるよ、と言われたら喜んで飛びついてしまうかもしれませんが。そんな状況はきっと妄想か漫画の世界だけでしょう。 私には気分の波があり、沈んでいるときは上記のようなことを永遠と繰り返し答えの出ないことで生きる理由を見失い虚無感に涙をながしています。 浮いている時も一時悩みもなくなり浮ついた心になりますが、沈んでいるときの落差からほんとうに今の自分は正しいのか、またすぐ沈んでしまうのではないか、そして改めて自分には何もない、自分は何者でもない、何者にもなれないことを認識してしまい自分は何をやっているのだろうなと物悲しくなります。 どう意識を切り替えていけば、少しは生きることに対して光を見出せるでしょうか。 どう方向を定めていけば、自分に対して前向きに向き合っていけるでしょうか。 長々と申し訳ありません。どうかご回答の程宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 45
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亡くなった主人に会いたくてたまらない

二度目の投稿です、以前、主人が亡くなって26日目ですというタイトルで相談させていただきお二人のお坊さんから、目には見えなくても、あなたが想うとき必ずご主人は優しい眼差しであなたを見守ってくれています四十九日が過ぎても、ずっとそばにいてくれますよと回答いただき涙が溢れ心から嬉しくありがたく思いました、でもまた私の心は揺れています、毎日、時間ごとに分刻みに揺れ動きます、大変失礼な言い方だとわかっているのですが、お坊さんだって生きている人間なのにどうして亡くなった人がそばにいるとわかるのでしょうか?大切な人を亡くしてしまったらそのようにおもわなければ生きていけないから、そういう考え方をするんでしょうか?わからないんです、いくらそばにいてくれると思っても私には見えないし声も聞こえない何も感じない主人と出会って30年以上、今年の6月は結婚28年目でした、今思えば不思議なことに去年の結婚記念日には私が初めて手作りのケーキを作り、その前の年は主人が初めて、いつもありがとうと書いたケーキを買ってきてくれました そして娘がお腹にいる時の日記を読み返していたらなんの記念日でもないのに3月13日パパがママにピンクの花を買ってきてくれましたと書いてあり3月13日は主人の命日です、それと私はブラックなコーヒーが大好きだったのに主人がいなくなってからそれが突然飲めなくなり主人の好きだった甘い缶コーヒーを毎日飲んでいます、出会ってからずっと会えない日もあったけど声を聞かない日はなかったので亡くなってからずっと声が聞こえない手を握れないのがたまらない毎日作っていたお弁当はキッチンに置いたままです、失礼な質問かもしれませんがどうか教えて下さい。

有り難し有り難し 255
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死後の世界観

 初めまして。  私は、横浜で会社員をしている伊藤と申します。先日、テレビでこちらのサイトが紹介されていまして、仏教の教理に関して長年疑問に思っていたことがありましたので、質問させて頂こうと思い書き込みを致しました。  私は、大学生のころから仏教に興味を持っておりまして、仏教に関する本をいくつか読み、修行の真似事もさせて頂いたことがあります。仏教との出会いは、私の人生の中で非常に貴重なものでした。これからも、修行を重ねていきたいと思っています。  ただ、その中で未だに釈然としないことがあります。それは仏教の説く「死後の世界観」がなぜ宗派によってここまで大きく異なるのか、ということです。  仏教では、もともと「輪廻からの解脱」が一番の目的であったと聞いています。それが、現代の仏教では死後の世界観について「極楽浄土で仏弟子となる」といった立場や、「死後のことなど考えず、今を生きる」といった立場など、様々に分かれています。  私は、どうしても理屈っぽいので、このように死後の考え方が異なっていることに疑問を感じてしまいます。例えば、「極楽浄土に行けるなら、今は努力せず楽をしていた方が良いではないか。」と思うこともありますし、「死後の輪廻転生を否定するなら、そもそも修行する必要さえないのではないか」と思うこともあります。  先日、上座部仏教のお坊さんの著書を拝読して、私の考えに近いことが書いてあって共感を覚えました。そのお坊さんは、「死んですぐ極楽浄土に行けるのなら、どうして早く自殺しないのでしょうか。」といったことや、「輪廻転生が無いなら、どうして修行する必要があるのでしょう」といったことを述べておられました。  もし、輪廻転生があるのであれば、私もなるべく善行をしようと努力すると思います。逆に、輪廻転生がないと考えると、やる気を削がれ厭世的な気分になってしまいます。  人間がこのような気分になることを見越して、お釈迦様は死後の輪廻を説かれたのかもしれません。しかし、今の私にはそれ抜きで前向きに生きる心構えを持つこともまた難しいです。また、死後の輪廻を否定するならば、自殺を否定することもまた難しくなるのではないでしょうか。  こういった点を、お坊さんはどう考えているのか、どうしても気になったので質問させて頂きました。失礼なことを伺ってしまい申し訳ありません。

有り難し有り難し 78
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