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検索結果: 1782件

仏門に入れば戒律を守らなくてもお坊さんとよべるのでしょうか

戦国時代の大河ドラマをみていました。 織田信長が比叡山を焼き討ちにした後、信長の奥さんがお坊さんをたくさん殺すなんてとんでもないと信長を激しく非難します。 しかし、信長は「比叡山の僧は酒をくらい女を抱き、夜盗のような暮らしをしている。あんなものは僧ではない」といいます。 だからと言って殺していいわけではないと思うのですが、確かにお坊さんなのに武器を持って武士を殺し、仏を敬わず酒色におぼれる。 お寺に住んでいるけれど、戒律を守らずに略奪ばかりしている。 とてもお坊さんと呼べるような人たちではありません。 もちろん時代劇ですので、面白いように脚色しているのはわかります。 しかし、現代でもお坊さんなのに悪いことをする人もいるし、権力闘争で世間を賑わす人たちもいます。 一度仏門に入ってしまえば、悪いことをした後でもお坊さんとしていられるのでしょうか。 お坊さんも僕らと同じ人間なので、誘惑に負けたり間違った判断をすることがあると思います。お坊さんが悪いことをするとどうなるのですか?悪いことをして死後地獄におちた場合、お坊さんだと仏様に近い生活をした分だけ罪が軽くなるのでしょうか?

有り難し有り難し 58
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遠方で容易に墓参り出来ない故の代替作として

よろしくお願い致します。 まず、当方は運勢が良くなく、これまで試練・辛酸が10年20年単位で連続しています。 それで、巷の情報で、「~子孫の運勢の多くを先祖が左右している部分が多くある~」という事や、「家系因縁」という言葉も聞いた事があります。 それで、先祖供養・お墓参りは継続的にすべきという事は知っては居ますが、行きたい時にサッと容易には行けないのです。 当方は、千葉県内房地域の在住、両親は両方とも群馬県出身で、伊勢崎市と前橋市です。お墓はそちらに在ります。 自分の運勢を左右している可能性のある先祖が、母方か父方かどちらの先祖か?、どの代の先祖か?、など知る由もなく、又、先祖が生前、どんな生き方だったか、行いが良かったか悪かったか?なども知る由もないですし。 そこで、父方と母方と双方のお墓参りを自宅でする、遠方故の代替策は無いかと探していたところでした。 ●ミニ仏壇を当方の部屋に置き、そこに、両親双方の墓地の過去碑に書かれている人、全員分の過去帳をお寺さんに作って頂き、お経を唱えて頂き、お作りして頂いた過去帳を、位牌に収めてミニ仏壇に祀り、それに向かって毎月月初等に自宅部屋でお参りする・・・という事を考えてみました。 そこで、幾つか注意した方が良さそうか、という点が視えてきまして、 我が家は、 母の寝室に、父の両親の名と戒名(?)と日付が書かれた位牌が在ります。 更に、母の母親の名と戒名(?)と日付が書かれた、位牌ではなく紙に墨?で書かれたものでビニールに包まれたものが在ります(母の父の名はその紙には書かれていません)。 1.故人を祀る場所が一家に2箇所在るのは良くないらしい事 2.位牌は直系のものだけ置くべきで、(当方の場合)母方の位牌を用意したら家庭不和につながるらしき事 3.祀る事、供養する為に、過去帳というのは特に意味が無いらしき事 ※【故に、母の部屋にある父方の祖父母の位牌を当方の部屋に置いて、毎月月初にでもお参りしようかと考えましたが・・・。】 仏壇は、敢えて無理に用意しなくても大丈夫らしき・・・。 先祖の因縁、家系因縁を供養する・・・事に基づいた今件の案ですが。取り敢えずは上記の※【】の部分の様にしようかと思っておりますが。 ご意見頂けますか? カテゴリを、「運命・見えない力」にしようかどちらにするか、迷いましたが。

有り難し有り難し 11
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お寺を継ぐべきか

初めまして。 わたくしは福岡県内にある、臨済宗のお寺の息子でございます。 私は、京都の大学を中退後、2年間地元で働きました。 京都では、本山内にある禅塾で生活を送り大学に通っておりました。 そこから、2年間働き その後 修行道場へ掛塔しました。 ですが、修行はやはりとてもつらくこの世のものとは思えないくらいでした。 そこから3か月目のことです。 ある日足が動かなくなり、病院へ行きました。 両足を疲労骨折しておりました。 それが一度目の逃げ(失敗)でした。 そしてその後、道場へ戻ったのですが。 何か月か外に出ていたら 周りの雲水との関係に亀裂が入っており それに耐えきれず 逃げ出してしまいました。 それが二度目の逃げ(失敗)です。 そしてその翌年の春 違う修行道場へ掛塔しました。 庭詰めが終わり旦過詰の途中で いきなりとんでもない恐怖心に襲われ 気が付けば倒れておりました。 そしてそのまま、気が付けば実家のお寺にいました。  三度目の失敗です。 そして今、パソコンに向かってこの相談を記入している状態です。 私は、昔から父親(師匠)毎晩毎晩 「お前は早く修行に行ってこの寺をついでもらわんといかん」と 口うるさく言われて育ってきました。 私は当時お坊さんには絶対になりたくないと思ってました。 大学も京都の花園大学(仏教の大学)へ行けといわれっておりましたが、京都の仏教大学ではない普通の大学へ進学 そこで、一人暮らしできるかと思いきや 京都のあるお寺にある学生寮に強制的に入れられました。 そこで、朝5時に起き朝課を行い掃除をして大学へ行き 17時(門限)までに帰宅し、掃除を行いというような 小僧のような生活を送りました。 その生活を2年間送り、嫌気がさし大学自体、独断で中退し 無理やり実家へ帰えりそこで、2年間仕事をしながら お寺のことを手伝いをしながら生活を送っておりました。 その後、修行へ行ったのですが3回も失敗し このような状態です。 正直、私はお坊さんに今はなりたいと考えています。 ですが、今はなりたくありません。 ほんとに今どうしていいか全くわかりません。 お寺のこと、家族のこと、自分のこと 何がしたいかもどうすればいいのかも わかりません。 ほんとに文章能力が全くなく申し訳ございません。

有り難し有り難し 18
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わが子への死の伝え方

こんばんは。お世話になります。 私には2人子どもがいます。今日は上の子(4歳)の子について、ちょっと助言を頂きたく… 一昨日の話なんですが、よく覚えて無いんですが上の子と寝る前に「死ぬこと」について話す流れになり… 私は「みんな最後はおじいちゃんやおばあちゃんになって、お空のお星様になるんだよ。」 「ママも◯◯くんが大人になって、おばあちゃんになったらいつかはお星様になるんだよ。でもママは◯◯くんが大きくなって、もう1人でも大丈夫って思えるまでは頑張って一緒にいるからね」みたいなことを話したような気がします。 すると昨日、寝る前になり急にワンワン泣き出し「ママがお月様になっちゃうの嫌だ~!みんなみんな居なくなるの嫌だ~(>_<)ぼく寂しい!!」と。 よくよく話を聞いたら一昨日の話を覚えていて、私や旦那、下の子や祖母と離れたくないと訴えてきました。 「大丈夫、ママはそんなに簡単にお星様にはならないから。それに今から◯◯くんがだんだん大きくなっていくとママ以外にももっとお友達やお嫁さん、大切な人がたくさん増えていくよ。だから寂しくなんかないよ。◯◯くんがもうママがいなくても平気だな、大丈夫だなって思えるまではずっとそばにいるからね」と話しました。 私的には何気なく話した話題だったのですが、涙をボロボロ流しながら長いこと泣いていたのでショックすぎたのかなと不安になり… ちょうど私が喘息にかかり、ここ2~3日ずっと咳をしてキツそうにしていたのもあるのかな…初めて「大丈夫?」と心配そうに背中をさすってくれました。 結構繊細な性格なので、またこのことを思い出したりするかもしれません。 もう少し大きくなって「死ぬ」ことが理解出来るまで流しておいても大丈夫なものかどうなのか… アドバイスをお願いします。

有り難し有り難し 46
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死を受け入れられない。わからない。感じない。

今月、無事に女の子を出産しました。 そして、出産当日。 私は以前から余命宣告されていた 恩師のことが気になり、身近な人に 容態を聞くと、 会ってる方がいい と言われました。 でも、その日に急遽入院が決まりました。 私は先生にお願いして恩師に会いに 行かせてもらうことにしました。 恩師は痩せ細り、寝ていましたが 私が行くと目を開けて、出産するために 入院することを伝えると拳を作って 頑張ってと言いました。私が答えると いつものように微笑みながら 頷いてくれました。 私の顔を焼き付けるかのように じっと顔を見つめました。 そしてその日に出産。 身内の人に伝えてもらうと、 よかったと言ってくれました。 次の日、恩師にボイスメッセージ を送りました。それを聞かせて もらうと電話だと思って はーい!こんにちはと言ったそうです。 その日は痛みで辛そうだったみたいで、 身内の方も驚いたそうです。 私はなんとなく、退院の日を1日早めて 赤ちゃんが帰ってくる準備をしようと思い、 1日早く退院しました。それを身内の方に 報告すると、会えるなら会ってほしいと 言われました。あなたを待ってる気がすると。 私はすぐに向かいました。恩師は寝ていて 声かけしても応じてくれませんでしたが、 帰る間際に、わかりますか!きましたよと 伝えると目を開いて頷いてくれました。 そしてまた寝てしまいました。 その日の夜、恩師は亡くなりました。 出産から3日後でした。自分の人生に 悔いなしと言っていました。私はそれから 元気だった頃から亡くなるまでの恩師の 変わり様が頭から離れず、受け入れられず、 怖ささえ感じています。実は出産の3日前に 祖母も亡くしました。大往生でした。 重なりましたが縁起が悪いとは思いませんし 祖母の死は受け入れています。 恩師の死が受け入れられないというより わからないです。またご飯に行こう、 相談しよう、早く会いたいと思ってしまいます。 写真やラインのやりとりを見返す日々です。 悲しいよりも、最期に会った人は誰?と いう感じです。恩師はどこへ行ったのですか。 私のことを待ってくれていたのですか。 そして私が死ぬまでもう会えないのですか。 本当にわからないのです。今もどこかで 生きていて落ち着いたら生まれてきた子を 見せたいのです。おかしいけど、頭では わかっているけどわからないです。

有り難し有り難し 16
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極楽について

以前テレビで島田紳助さんが以下のように述べていました。(ブログからの抜粋です) 「仏教っていうのはね、自分のための拝む人へのもの。 両手を合わせた瞬間に、自分の心の中が穏やかになる。 そこに極楽が生まれんねん。例えば、あーもうムカつくわ、競馬まけた博打負けたから墓参り行こうって思う人はいないのよ。心が乱れてるから墓参り行こうとは思わない。ある日、ふとあ、長いこと行ってないな。お墓参り行こうか。と思う。その、お墓参り行こうか、と思った時、自分の心が穏やかになる。その瞬間、心に極楽が生まれんねん。だから、お墓参りの行為自体よりも、行こうと思った時の穏やかな心、それが大事なの。仏壇だってね、仏様が中にいるけど、あれは職人さんか誰かが木かなんかを彫ったものだよ。所詮。もしあれがほんとに仏様なんだったら、供えてある花も、仏様の方を向けて供えなくちゃいけない。でも実際はそうなっていないでしょ。向こうからしたら、花の裏、葉っぱの裏しか見えないよ。拝む人に向かって、拝む人の心に向かって供えてあるから。だから仏教っていうのは、心の中、拝む人の心の中に極楽があり、仏があるという教え。」 私はこのような考えに感銘を受けました。実際、極楽というにはこのようなものなのでしょうか?お坊さんたちの意見が聞きたいです。

有り難し有り難し 104
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