愛犬の死。完璧主義で自分が許せない。
先日16歳の愛犬が亡くなりました。
私にとって愛犬は、自分の命を犠牲にしてでも守りたい大切な存在です。就職してからなかなか会えなくなったけど、仕事に慣れてから暇さえあれば会いに行きました。
私は完璧主義な人間です。4年前から愛犬に次々と病気が見つかり、その度にやれることをやり尽くしてきました。昨年妊娠したときも、お腹が大きいのに愛犬の注射に病院に通いました。自分でもやり過ぎだと思います。そして、昨年愛犬に脳腫瘍があることがわかり、頻繁に痙攣を起こすようになりました。
子どもが産まれ里帰りをしたので、愛犬と子どものお世話をしました。初めての育児、介護。上手くいかず自分を責めたことで鬱状態になりました。布団から起き上がれなくなり、4ヶ月自宅療養しました。その間は愛犬の介護はできませんでした。母は仕事をしているので日中愛犬は1人です。今痙攣が起きていたら、そればかり考えていました。
私が回復した6月から愛犬が一気に弱り、寝たきりになりました。毎日子どもを連れて介護に行きました。子どもがハイハイ、伝い歩きするようになり、目を離すと転んで怪我をしました。介護したいのに子どもも目が離せない、どちらも大切で守りたいのにどちらも中途半端。苦しみました。
少しずつ慣れ、笑顔が増えてきましたが、全身の痛みから何時間も泣き叫ぶ愛犬を前に途方に暮れ、叫んでしまったこともありました。今日はゆっくり休みたいと思ったこともありました。でも、何があっても毎日介護に通いました。私を大好きでいてくれた愛犬への恩返しだと思って、その時できることをやったつもりです。
亡くなる前日、もう愛犬が長くないと思い、その日はずっと抱っこをして話しかけました。どれだけ私が幸せだったか、ありがとうと声をかけて寝ました。その日の夜中に息を引き取りました。穏やかで優しい顔をしていました。
亡くなってから愛犬の介護を100の力でできなかったと考えています。数字で表すのも変ですが、今まで愛犬に100だったのが、子ども60愛犬40になりました。もっと頑張れたのにと後悔しています。完璧主義が影響しているんだと思います。壮絶な闘病生活を生き抜いた愛犬に、自分は果たして恩返しできたのかと自問自答しています。
この気持ちに、どう折り合いをつけたら良いのでしょう。未熟な私にどうか言葉をください。
有り難し 17
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