度々の質問すみません。 親友が亡くなり今月22日に35日法要を行いますが、妻などに「強い気持ち持たなければ親友にあの世に連れて逝かれるぞ!」と言われます。 実際連れて逝かれることもあるのでしょうか? また連れて逝かれないためにはどういう気持ちを持てば良いでしょうか?
二度目の相談です。 先月末、今年入籍予定のパートナーを突然死で亡くしました。 お通夜、お葬式を終え、今は四十九日を待つばかりです。 涙の量は減りましたが、毎日泣いて暮らしており、何もする気が起きません。ただ食べて、寝て、過ごす毎日です。だいぶ楽になりましたが、毎日寂しくて苦しいです。 しかし、彼のご家族には本当に感謝で… ●お葬式では、私も家族として扱ってくれた ●末期の水や夜通しのお線香も参加させてくれた ●戒名に私の名前を一文字入れてくれた ●分骨や形見分けをしてくれた ●その上、「幸せになってね」と声を掛けてくれた 感謝をしていますが、私があまり仏教に詳しくなく…知り合いに、上記を伝えたところ、「(戒名について)彼はあなたの一部を持ってあの世に行くのね」と言われ、ハッとしました。そして、ちゃんと意味を知りたいと思いました。 私の知識不足で大変恥ずかしいのですが、基本的な意味合いはすべて調べました。が、お坊様から見て、それぞれの意味合いやアドバイス?を頂けるとありがたいです。 ちなみに彼の家は日蓮宗です。 死別直後は、化てでも戻ってきて欲しいと思いますが、今は彼が迷わず笑顔で成仏することを 願えるようにはなってきました。 何卒、宜しくお願いします。
私は、自殺者が嫌いです。憎いです。心が弱いから自殺したのだ、自殺しても地獄に行って苦しむだけだ、という具合に。 そして同時に、私はこの考え方が不適切であることも知っています。この考え方は、明らかにその人たちの背景や状況を考慮していないし、観測もできないあの世のことについて、浅い見識で断定しているからです。 しかし、それじゃあ自殺者たちが無条件に救われると考えてしまえば、きっと私は首を吊るでしょう。 おそらく、これらの考え方はどちらも極端なものだと考えられます。 なにか、バランスの良い考え方などはありませんでしょうか?
二回目の相談になります。宜しくお願いします。 前回は、将来の衰えや死について想像してネガティブ思考が突然大爆発を起こしてパニック状態になって思い切り体調を崩していました。 今はこのサイトのお坊さんや色んな方からのアドバイスを受けて気持ちが改善に向かっています。ありがとうございました。 今回は「魂」についての話です。 死や魂についての相談は様々な掲示板で見る事が出来て、その回答に「身内やペット達とも魂は繋がっているので死後また会える」「今は魂が肉体に入っている状態で、肉体が亡くなったら魂は別の世界に行く」というものがあり印象的でした。 「今生きてるのは魂の修行中で、その様子を別世界のもう一人の自分が眺めている」という方も居ました。 「どうせみんなまた会えるんだし、怖がっていないで今を精一杯楽しく生きよう!」という話もあり、自分はこの話が心に響いて気持ちの切り替えが以前よりも大分スムーズに出来るようになりました。 様々な創作物や海外の番組等でも、魂やあの世という考えが見えて(海外作品の場合は日本語訳)、そういうものなんだなぁと考えると少し気が楽になります。 そこでふと思うのですが、私は巷で言われている心霊現象というものを体感した事が無いです。(守護霊が強いので守ってもらっているので感じずに済む、というお話を色んな方から頂きました) 周りの人が「今何かの霊が通った気がした」「存在を感じた」と言っても私は体感した事が無いのでいまいちピンときません。 神社が近くにあるので気軽に挨拶をしたり家の神棚掃除やお供えをしたりというのが昔からの習慣で、だらだらではなく信仰というか真面目に見返りを求めず感謝の念を今でも伝えています。神社などはそういう現象を感じる機会の多そうな場と思いますが、明確な感触というのは特にないです。手水を取って挨拶をしてスッキリ爽やかな気持ちにはなります。 実は私が感じていないだけで周りに存在しているのかなと考えたりもします。周りの人たちからそう教わったりもします。 いわゆる「霊感のある人」は、魂やあの世の存在を感じていたりするのでしょうか? そんなの根拠が無いし存在しない、という考え方も理解できます。 普段、色んな方の霊、魂、あの世に関する考えを聞く機会が無いので、お話を聞きたくて投稿させて頂きました。 宜しくお願いします。
私もそうなのですが hasunohaでは「亡くなった人に会いたい」と言う相談も多数あるようです。 たとえば 忠臣蔵 (ここでは史実はどうかより 歌舞伎に基づいた話をします) 浅野内匠頭が吉良上野介に苛められてた結果、松の廊下で斬りかかって 内匠頭は切腹、浅野家取り潰し、上野介はお咎めなし そして城代家老、大石内蔵助を始めとする遺臣(赤穂義士)たちが吉良上野介を討ち果たし 泉岳寺の墓前に吉良の首を添えて感泣する。江戸の町民は拍手喝采。そして最後は義士達も切腹。 切腹の時に 大石内蔵助は言います「一足先に殿のもとに参る。あちらで皆を待っておるぞ」 これは、霊魂が存在し、内匠頭の霊魂の思いがどこにあるか明確になってこそ成立する話で この前提なければ虚しい話になります。 「ばかみたい。喜んでくれる人もいないのに妄想に凝り固まったあげくに多くのもの(命も家族も)を喪っただけじゃねーか」 ともなりかねません。 松の廊下の事件直後も紆余曲折があり 赤穂城では すぐ上野介を討てと言う者、弟を擁立した浅野家再興の活動を主張する者、幕府に抗議して城で皆で切腹を主張する者、籠城抗戦を主張する者、おとなしく開城して新たな生活を考える者 いろいろ割れました 割れた原因は内匠頭の霊魂と対話できる人が誰もいなかったから。 もし本物の霊能者が存在して 内匠頭の霊と対話できていれば赤穂藩家臣で新たな対立や憎しみを生むことはなかったはず。 たとえば 今でこそフグ料理はある程度確立されており調理には特別な免許が必要で飲食店で死亡事故は聞きませんが 昔の試行錯誤をしていた時代に「おいしいフグ料理を作るぞ」と意欲を燃やして毒にあたって死んだ料理人がいて遺言も何も残さなかったとします。 もしあの世や霊魂があるならばその人は子や弟子に遺志を継いでほしいと思っているのか、危ないからやめろと思っているのか? 親 又は師匠の意向に沿いたいと思っているならば、霊魂やあの世の存在を知りたいと思うことは当然だと思います。 人によって動機はいろいろだと思います 能力もないのに金をだまし取るニセ霊能者・詐欺師だらけなのも分かっているつもりです。 そのため なかなか行動に移せないのですが 自分の生き方を探すために 慎重に、本物の霊能者を探してみたいというのはおかしな発想でしょうか?
お世話になります。よろしくお願いします。 私は現在、派遣の介護士として働いているのですが、仕事が辛いです。 このような時代において、派遣という立場にありながら、安定して仕事にありつけることは大変ありがたいことだとは思っています。 ただ、認知症の強い利用者さんとの関わりの中で、相手が怒り出してしまって暴力をふるわれたり、「ろくでなし」「このバカ女、あの世に送ってやる」等と言われたりすることも多く、精神的に参っています。 (※1人の人ではなく、複数の人たちからかわるがわる暴言があります。) 会話のしかたを工夫したり、こういった症状を(必要な範囲の)向精神薬でコントロールしてもらったりもしていますが、それでもちょっとした言葉の使い方などで利用者さんに憤慨されることがあります。 「相手は認知症があるから」「私は今仕事中なんだから」と頭の中で冷静でいるよう自分に言い聞かせてはいるものの、 利用者さんから受けたこれまでの暴力と暴言が積もり積もって、色々と決壊しそうです。 最近は嫌なことを言われて悲しいというよりも、暴力や暴言に対して苛立ちすら覚えます。 「あの世に送ってやる!」と言ってくる利用者さんに対して、心の中で「自分が行けよ。」とやり返す時もあります。 ストレス解消のために室内でできる運動などしていますが、発散できているストレスの量より、新たに蓄積されるストレスの方が多いように感じています。 どうしたら、安定した気持ちで仕事に取り組むことができるのでしょうか。 あるいは、私自身がこの仕事に向いていないのでしょうか。 文章がうまくまとまらず、ただの愚痴のようになってしまってすみません。 良い立ち回りや考え方を教えていただけたら幸いです。
高校生なのですが最近ふと疑問に思うことがありました。 戦争などで仕方なく、強いられて人を殺してしまう場合は大罪になるのでしょうか? あの世で裁きを受けるのでしょうか? 現在ウクライナ戦争やイスラエル戦争が勃発しています。 多くの善良な市民が徴兵令で戦地に出向いていると思います。 ネットで色々調べると僕と同年代くらいの子まで徴兵されていました。 銃の使い方を教わっていました。 またブラジルやメキシコ、ハイチなど劣悪な環境によって殺人が日常茶飯事、モラルが一切通用しない地域も沢山あります。 実際とあるサイトいわゆる(グロサイト)で人を躊躇なく殺してる動画が大量にあります。 地域が記載されてるので調べるとどれも中南米でした。 そういう地域で生まれ育ち罪の意識がないまま殺人を行う、これも大罪なのでしょうか? こういった自分の意思じゃなく強いられてそれに逆らえず犯す罪、罪の意識、概念が完全になく犯す罪、いずれも大罪なのでしょうか? 回答よろしくお願いします🙇♂️
中学一年です。私は今まで悪いことをたくさんしてしまいました。虫を殺したり、盗みをしたり、人の悪口を言ったり、嘘をついたり、地獄に落とされるようなことをしてきました。盗みや人の悪口は、地獄に落ちる落ちないではなく、人としてやってはいけないことだと自覚したので、もう絶対やらないと決めました。でも嘘をついたり、虫を殺すのはやめられないんです。嘘は見栄をはってし言ってしまうときがあるし、友達を笑わせたいから作り話をしたり、蚊が飛んできたら刺されたくないから殺してしまうし、足元にアリがたくさんいたら気づかず踏んでしまうこともある。 そもそも私はあの世とか、地獄とか、そう言うものを信じていませんでした。目に見えるものしか信じないし、信じられない。でもそれは自分に地獄へ落とされるようなやましいことがあったからなのかもしれません。今まで頑なに信じなかったあの世や死後も亡くなった人に聞いてみないと分からない。でもそんなことできない。今は、あるかもしれないと思っています。 私は死ぬのが怖いです。地獄に行きたくないです。でも嘘をつかないで生きていくなんて無理、虫を殺さないなんてできない。 私は人を笑わせるのが大好きです。面白いことを言ったり、面白い絵を描いたり、友達を笑わせています。決して誰かを馬鹿にして笑わせたりはしません。自分の好感度を上げたい、という気持ちと、この人を喜ばせたいと言う気持ち、両方あります。こんなことでも過去の償いになりますか。 極楽、地獄はどうして存在するのでしょう。悪いことをさせないため?でも地獄に行かないために悪いことをしない、極楽に行くためにいいことをする。それって死後の世界のためにこの世で生きているようなものじゃないですか。 どうか教えてください。
膵臓癌を患っていた母が、1年9ヶ月の闘病の末、今月11日に67歳で亡くなりました。 前日10日には私も母の通院に付き添い、主治医からは「腫瘍マーカーが少し上がってきたものの、まだまだ化学療法の余地がある」と言われた矢先のことでした。 母の状態は常に気になっていたので、仕事の昼休憩時間には、毎日家に一時帰宅し、母の様子を見ていまして、母が亡くなった11日の昼にも帰宅し、いびきをかいて寝ている母に声をかけましたが、眉をひそめる程度の反応があるだけで、起きようとはしませんでした。 そして、私はその反応を、前日の通院による疲れで熟睡しているものと安易に考え、職場に戻ってしまったのです。 仕事を終え、18時に帰宅した際には、母は既に息を引き取り、死後硬直が始まっていました。 実は母は糖尿病も患っていまして、昼にいびきをかいて熟睡していたのは、今思えば低血糖による昏睡だったのです。そして、私が放置したことで、そのまま心停止に至ったのです。 昼に母の様子を確認した際に、異変に気付き救急搬送をしていれば、恐らく母は今もまだ存命であった可能性が高いのに。 私はよりにもよって、自身の不注意で誰よりも大事な、最愛の母を死なせてしまいました。それも、誰にも看取られることもなく。 逝く時の母は、どのような気持ちだったのか。苦しみながら、私の名前を連呼しながら逝ったのではないのか。 今となっては知ることはできませんが、母を淋しく逝かせてしまった自分を、どうしても許すことができません。 亡くなる数日前には、母は「淋しい、ずっと一緒にいたい」と言っていました。 私も同じ気持ちです。今すぐ母の元に駆けつけたい。 どのようにして亡くなったのか、母の口から聞きたい、そして謝りたい。現世で母を守れなかった分、あの世で現世以上に母を支えたい。償いたい。 仏間に安置している母のお骨に、こう語りかければ、母は迎えに来てくれるでしょうか。
昨年秋から闘病していた母が 1月に亡くなりました。 ご臨終に間に合い看護師さんから 「お疲れ様」と言われ、 これでやっと母は身体が楽になったという思いと、私も毎日面会に通い心身共に消耗していたので正直安堵の気持ちになりました。 その後葬儀の準備等いろいろ 忙しく悲しむ余裕もなく過ぎたのですが 亡くなって一ヶ月たち落ち着きを取り戻しつつある今、 急に寂しさと悲しさが押し寄せてきています。母がいなくなって話しが出来ない ということがどうしようもなく辛いです。 生きる気力も湧かず 事故にでもあってあっという間にあの世に行けないかなぁとか毎日そんな事ばかり考えています。 よく、時間が経てば悲しみも癒やされると言われますが今の私にはそのような 言葉もしっくりきません。 なんとか頑張らなければと思いますが 一日一日を消化するのでいっぱいいっぱいです。 この先どのように生きて行けば いいのでしょうか。 アドバイスいただければ幸いです。 よろしくお願いいたします。
10年以上前に亡くなった父方の祖母の話です。 若い頃から霊感が強いと言われていた人だったようで、父とその兄弟がまだ幼い頃には家の前の小径に向かって「狐が走り回る足音が煩い」と怒っていたり(祖母以外には見えていない)、電話で親類や知人の失せ物相談にぴしゃりと言い当てたりしていたそうです。 私も色々な事情があってこの祖母に7歳から10歳まで育てられましたが、私自身は虫封じをやってもらった事があります。筆で私の掌に文字を書きながら祖母がブツブツと何やら唱えると、私の指先から見えるか見えないかの細くて白い糸の様なものが何本ものたくりながら出てきました。祖母曰くこれが疳の虫だそうで。 またある時は私を抱っこしながら祖母が部屋の電気を消そうと紐を何度引っ張れど電気は消えず。「えぇい消えろ!」と強く言い放つと紐を引いてもいないのに電気が消えた事がありました。祖母曰く「霊的な何かがいたずらをしていた」そうで。 因みに祖母が写った写真の多くでは、祖母の体の一部が欠けて(後ろの景色は写っている)写っていました。 実の子供を男3人、それから孫を男5人、乳飲み子の時から大人になるまで一人で育て上げた祖母。毎日ひたすら家事をしている姿しか思い出せませんが、今は高野山に眠っています。 私は実の母を7歳の時に亡くしていますが、祖母にはよく「お母さんはずっと側で見守っていてくれてる」と言われていました。 今でも祖母を思い出せば、こうした不思議な力?の事も思い出されます。 いくつか祖母の力?を実体験として私も経験していますが、果たして本当にこの様な力や霊的な存在、姿の見えない狐などなど・・・これらは実在しているのでしょうか。 個人的に僧侶という職業は、本当にあるのならあの世に最も近しい立ち位置にあるように思います。なのでこうした力や霊的な存在の有無、または似たような話がお聞かせ頂ければと思い質問しました。 どうぞよろしくお願いいたします。
私には、生後数時間で亡くなった弟がいます。今年のお盆もお墓参りに行きました。お盆の終わり頃の夜中に耳元でピンポーンとチャイムが聞こえ目が覚めました。チャイムが鳴れば点滅するので実際は鳴っていませんが、何だか弟が向こうに帰るねと、合図を送ってくれたような気がしました。 よく、お盆にはご先祖様があの世から帰ってくると言いますが、お盆の時以外はお墓は不在⁈なのでしょうか。
最近になってからになりますが、 頭痛の回数も落ち着いてきたので ぼちぼち仕事しようかなって思いますが、職安にいくのが怖くて、行けないです。過去に面接して落ちてるので 面接しても落ちることはわかってますが、いった方がいいですか? 仕事やめる前は、デイサービスで仕事してましたが、仕事やめてからは 介護の仕事はしたくないと思ってます 仕事するなら介護以外の仕事したいけど、介護以外経験ないし、 特にやりたいって仕事もなく 使ってくれさえすればいいと思ってます。親にも伯母にもヘルパー持ってるのにもったいないって 資格活かしたらって言われて、イライラするし、ストレスになってます。 履歴書に資格欄にはヘルパー記入しません。以前は特養の清掃員で面接いったら、なんでヘルパー持ってるのに 清掃員で来たのって言われて、イライラしました。何も言えずに終わりました。 特養の洗濯 畳みの仕事でもいいかなって思ったりします 私は行動と何をするにもゆっくりなので スピードを求められる仕事はできないので、ゆっくりの仕事がいいです。 介護職はもうしたくないんです 今さら介護職しても、続かないから いやいや仕事したくないから ゆっくりの仕事って何がありますか? 障害者扱いの人もいろんな人いますし 私みたいに仕事したくても落ちる人もいますし。私ばっかりではないのはわかってますが、 たまに死にたいとか思うこともあるけど あの世にいる弟に怒られるし あの世にいく年ではないから 弟の分まで長生きしないとっておもって まだ死ねないって かわいそうだけど 弟は産まれなくてよかったんです。 彼氏ができたら、弟の事をいった方がいいのかわからないけど、忘れないようにしてます。名前はない弟だけど、 何かアドバイスあればください ささいなことでも構わないので
初めまして 過去、流産を4回しました。 毎年、春秋のお彼岸、お盆は欠かさず墓参りし、お地蔵様に手を合わせ水子供養はしてますが、会いたいんです。 他の質問にもお話してますが、乳がんを患ってからなおさら、死ねば水子に会えるかなぁと涙が流れて来ます。 水子を思うと無条件に涙が流れます。 私は死が来るまで、頑張って生きていきます。 でも、抱くことの出来なかった赤ちゃんを、あの世で抱きたいなぁと願ってしまうのです。 水子は待っててくれるのでしょうか。
いつも多くのお知恵をありがとうございます。 今日は仏教のことで疑問に思う点があり、質問を失礼します。 仏教と一口に言っても、多くの宗派があるのですが、 死後すぐに仏となり極楽へ。 という宗派や、閻魔様の裁きを受ける。とする宗派もあります。 生まれてから死ぬまで、ずっと一つの宗派で、一族皆が同じ宗派であれば良いのでしょうが、 親戚であったり、知人であると宗派はどうしても変わってきてしまいます。 その際考えるのが、 私の死後に行く世界は、 相手の方のいく世界とは異なっており、 あの世で再会することは叶わないのではないか。 一方は四十九日と言わず極楽へ行かれ、一方は裁きを待ち、地獄へといくかもしれない。 などといった具合です。 実際にあった事例としては、法要の時に「今彼女は輪廻のためにあの世で修行をし、乗り越えているところです」というような説法を受けたのですが、別の宗派ではそうではないのだろうな。と、思ったような事です。 実際には死んでみないと分からないことなので、考えても仕様のないことだとは思うのですが。 お坊さまの皆さまは、こういった宗派による教えの違いにから生じる、死後の世界の違い(四十九日の捉え方、三途の川を渡る渡らない)など、どうお考えになられているのだろう。と、質問を失礼しました。
拘置所に勤務する刑務官の話 私は直接聞いたのではなく知人を1人挟んでの又聞きです とても怖い話になります 凶悪事件を起こして死刑執行を待つだけの死刑囚が収監されている棟の話 死刑執行がある日もない日も 刑務官の隊列が廊下を通過する その時に、死刑囚はいつも自分の番が来るんじゃないかと怯えて 「無事に隊列が過ぎ去ってほしい」と祈る気でいる 死刑執行がない日はそのまま隊列は素通り 靴音か遠のくとホッとする そんな毎日を過ごしている 法務大臣が命令書にサインして死刑執行がある場合 現在は自殺予防のために死刑囚に事前に知らせることなく 面会が許されることもなく突然やってくる 隊列がその死刑囚の部屋の前で止まって鍵を開けて 「〇〇だな」と話しかけて そこで死刑囚が自分の番が来たことを悟る 逃れられない運命を悟って、ここで取り乱す人はあまりいないそうです そしてすぐ連れ出されることになる ところが・・・ 中には隊列が廊下に入る前から、あるいは廊下に入って靴音が聞こえてから 「俺だ。俺の番が来た。うわ~」と半狂乱になったり絶叫したりする死刑囚がいるとか 実際叫んでしまう死刑囚は本当にその日に執行する人だけだそうで そんな人が今まで何人もいたそうです その日に執行がない人が勘違いなどで叫ぶことはないそうです この話は又聞きなのですが 本屋で立ち読みした大塚公子著の死刑囚に関する書籍でもそんな記述が実際にあったように思います 事前に刑務官の情報漏洩はありえません これって 何か事件の被害者の幽霊・怨霊が存在して死刑囚に宣告でもして できるだけ長い時間恐怖を味あわせようとしているのではないか? と思えてきます どうお考えでしょうか? あともう一つ 聞きたいのですが 極楽・あの世に行けないで恨みを残している人が 怨霊になるのでしょうか?
お世話になります。前にも書かせて頂きました。父が他界して悲しみが癒えない中、夫も子供も自分勝手でなんだか信じられなくなり何の為に子育てして来たのかわからなくなりました。ならこの世の中にいても意味がなくて早く父の側に行きたいです。父がいたら話せました。 亡くなったひとには心配かけさせたらいけないのもわかっています。 何の煩わしくもないあの世にいけるなら早く行きたいです。 生きている事に疲れました。私のわがままかと思いますがよろしくお願いします。
先日は貴重なご意見を頂き有難うございました。 質問をさせていただきます 母が亡くなって一ヶ月が経ちました。少しずつ生活に慣れてきましたが、母がいてくれたらな…もう一度母に会いたい…一緒に暮らしたい…とより強く思うようになりました。それまで楽しく生活していたんだと改めて実感しました。 質問ですが、生まれ変わってもまた同じ両親のもとで暮らすことはできるのでしょうか。 また、いつか寿命がきて私が亡くなったとき、あの世で母にもう一度会うことはできるのでしょうか。
最近家族同然でもあったペットの小動物を私の不注意により亡くしてしまいました。 遺品整理はしているもののネットの動画等でその種類の動物を見ると彼を思い出し切なくなります。 そこで簡素ではありますが自宅の庭に埋葬し墓標を立てたまに好きだったお菓子を備えたりはしてます。 ふと疑問に思ったのですがペットの魂は成仏しあの世へ行ったのでしょうか? それともまだ我が家やお墓の近くにいるのでしょうか?
始めて質問させて頂きます、どうぞ、宜しく お願い申し上げます。 今年、夏に兄が亡くなりました。70歳でした。この、兄には、幼い頃、性的虐待を受け、それが ずっと、トラウマになり、長い間、苦しんで来ました、強迫観念症になっています。合う事も、20年以上有りませんでしたが、死んでも、合うものかと、思っていましたか、亡くなった時亡くなった、後直ぐに、病院、通夜、葬式も、出席しました。その時、葬式に、私の、娘が妊娠後期でしたが、出席したいと、上の子達を連れて、 葬式に、来ました、仮葬場には、行きませんでした。お腹に、鏡は、入れていませんでした。 そして、10月に、明日、出産という、前日の入院で、赤ちゃんが、お腹の中で亡くなっていたのが 分かりました。 兄がまさか、娘の赤ちゃんをあの世に連れ去ったのではないかと、ずっと、考えてしまいます。 そういう事は、あるのでしょうか?あの世に連れ去って、孫が女の子だったのですか、性的虐待をされていないかとか、心中穏やかでないです、 どうか、お答えを、頂きたく、切に、お願い 申し上げます。 又、すぐ上の兄も、今検査前ですが、足の付け根に、グリグリが出来、悪い物では無いかと、 心配な毎日です、 この事も、亡くなった、上の兄が、関係あるの では無いかと思ってしまいます。 本当に、良くない事ばかりで、心が折れます、 どうか、お救い下さいます様に、宜しくお願い申し上げます。