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hasunoha 問答検索結果 : 「 お経 」
検索結果: 3053件

自分がどうしようもない人間

私はどうしようもなく情けない人間です。おそらく今までもそうだったのでしょうが最近特に思います。 簡単に言いますと社会性がない、空気が読めない、常識がない、努力をしない、迷惑をかけてばかりです。 自分ではそんなつもりはないのですが家内や周りの人に迷惑をかけてしまいます。結果的にな部分もありますがそれが多いと思います。そのことに対して言い訳することもありますし素直に反省や謝ることもありますが迷惑をかけてることが多いです。 努力しないといけないな、気をつけなければいけないなと思うのですが結局その時だけで努力等しないクズな自分がいます。わかっているのに直せない自分がいます。 家内にも呆れられますし当然だと思います。 言い訳する自分のことは直していけばいいですが、考えが浅いのかやることが裏目と言うか迷惑をかけることがある、その時は結果そうなることになるとは思ってなかったことはどうしたらいいのだろうと思います。 そんなことが続いてくると自分の判断で決めることが不安になったりまた裏目に出るんじゃないかと思い込んでしまう自分がいます。 この質問と言うか書き込みも何のために書いてるのかわからなくなります。話しを聞いてほしいのか、アドバイスをほしいのか、解決案がほしいのか。 何かコメント頂けたら幸いです。

有り難し有り難し 5
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姉が自殺で亡くなりました。

初めて質問させて頂きます。 2ヶ月前に姉が自殺をしました。 私が目撃して一心不乱に救急車を呼び、心臓マッサージを初めてながら救急隊に電話で指示されながら行いました。 一度は心肺停止しましたが一命を取り留めました。 自殺の原因は、鬱病から来る突発的なものだと病院の先生から説明されました。遺書などありませんでした。 今まで鬱の兆候があったのに何故あの時1人にしたのか、何故すぐ様子を見に行かなかったのか…死ぬかも知れないと言った姉のことをそんなこと出来ないと軽く考えてしまったのか。 姉の現状(借金問題、大事な人を裏切った後悔と罪悪感、子供達からの拒絶と家出)だったら私は同じことをしていたと思います。 その上、鬱病だったのなら尚更です。 最後の姉の気持ちを思うと、やりきれません…。 自殺して2週間後に姉は息を引き取りました。 助けてあげられなかった罪悪感と後悔。 いっそのこと、私も姉の元に行きたいとまで思ってしまう。 でも、私にも最愛の子供達がいます…私が死ねばあの子達は…と考えるとせめて立派に一人前になるまでは…と弱い心に言い聞かせてます。 亡くなってからも夢なのではないかと…突然いつものように帰ってくるんじゃないかと思ってしまって、姉のいた光景をふとした瞬間に思い出しては、遺影を見て…夢じゃないと現実を突きつけられます。 私の家に御先祖様と姉の仏壇があるのですが、御線香を焚いて、数十分置きにまた御線香を焚いてとずっと繰り返し焚きっぱなしみたいな状況ですが、この方法はダメなのでしょうか? 御本尊様に姉の魂をお導きくださいと毎日お祈りしているのですが、自殺者は地獄に行ったり、この世を彷徨ったりすると聞いたことがありますが、姉は四十九日を過ぎた今、どう過ごされているのでしょうか…? 罪滅ぼしとして私は姉に何かしてあげられることはないのでしょうか? 大好きな姉に会いたいです…夢でもいい、声が聞きたいです。どうしたらいいのでしょうか?

有り難し有り難し 43
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子どもを安心して手放すには

この春から息子がかなり遠方の大学に進学しました。 進学が決まってから急に恐ろしくなりました。 もし息子がなにかつらいことがあって悩んでしまったら・・・ そのあげくに命を縮めるようなことがあったら・・・ どうして近いところではなくこんな遠くへやってしまったのか・・・ 考えはまとまらないまま半年以上が過ぎました。 私は心を病み心療内科にかかっています。 しかしよくなる気配はありません。 日々息子は無事か、つらい思いをしていないかが気になって仕方ありません。狂ってしまいそうなぐらいです。 20年前に弟を自死でなくしたためか、以前から身の回りの人が死んでしまうのではないかという恐怖がありました。 これまでは理性で抑えていましたが、大切な息子が遠くへ行ってからは強迫観念のように息子のことが気になって気になって、苦しんでいます。 今日も無事に生きているかつらい気持ちになってはいないか・・・。 あのとき近いところを選んでいれば・・・あのとき・・・と、たらればばかり考えて気が狂ってしまいそうです。 大変苦しい毎日を送っています。助けてください。 ずっと子どもを支配しようという気持ちは決してありません。 体に病気を抱えている息子が田舎の不便な不慣れな土地でつらい思いをしないか、生きることがいやにならないかが気になっているのです。 そしてこの選択をしてしまったことを後悔しているのです。 主人は単身赴任で普段は娘と二人きりなので、娘のことも気にかけてあげなければいけないのに、それもできません。 娘のためにもなんとかしなければ・・・と思い相談させていただきました。 どうか助けてください。 お願いします。

有り難し有り難し 16
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感興のことば第26章13の内容について

仏典についての質問です。 正式に仏教の知識を学んだこともありません。 己の体験と仏典を照らし合わせて仏道に勤しんでいます。 浅学でお恥ずかしいのですがお答えいただければ幸いです。 感興のことば第26章 安らぎ(ニルヴァーナ)の13です。 僧侶であればだれでもが親しんでおられる仏典だと思われます。 「13 ①前にはあったが、そのときには無かった。②前には無かったが、そのときにはあった。③前にも無かったし、のちにも無いであろう。また今も存在しない。」の内容をお知らせください。 個人的な一考察ですが、 ①「前にはあったが、そのときには無かった」とは、 A:前には「認識している私」という意識があったが、そのとき(=安らぎ)ではすでに「私」というものは無い。 B:前には「渇愛」があったが、そのとき(=安らぎ)では「渇愛」はない。 ②「前には無かったが、そのときにはあった。」とは、 前には「智慧」は無く「無明」であったが、そのとき(=安らぎ)には「智慧」があった。 ③「前にも無かったし、のちにも無いであろう。また今も存在しない。」とは、 前にも「魂」は無かったし、のちにも「魂」はないであろう。また今も「魂」など存在しない。  という勝手な考察ですが、お坊さんの体験された内容をご伝授いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 17
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