十代の頃から、お寺さんやキリスト教に興味が有って、色々古典を図書館で借りて読んでいました。 親元を離れるようになってからは、近所のキリスト教会に通う様になり、牧師さんとキリスト教についての勉強を、定期的にするようになりました。 学びも一段落し、キリスト教に入信をしたいと言う旨の紙に署名を致しました。 しかし、クリスチャンになると喫煙が禁じられるそうなのです。私は、大学生の時から、好んで煙草を吸っていたので、喫煙が禁じられるという環境は、とても辛いです。 教会に特に不満はないのですが、引っかかるのは、「聖書とキリストを信じない者は、終末に地獄に行きます。」とのこと。 正直ショックを受けました。 教会に不満は、特にないのですが、それからというもの、聖書の言葉がなかなか身に入りません。 私は、どうすれば良いのでしょうか? 悩みだらけの自分が、嫌になります。
私はどうしようもなく情けない人間です。おそらく今までもそうだったのでしょうが最近特に思います。 簡単に言いますと社会性がない、空気が読めない、常識がない、努力をしない、迷惑をかけてばかりです。 自分ではそんなつもりはないのですが家内や周りの人に迷惑をかけてしまいます。結果的にな部分もありますがそれが多いと思います。そのことに対して言い訳することもありますし素直に反省や謝ることもありますが迷惑をかけてることが多いです。 努力しないといけないな、気をつけなければいけないなと思うのですが結局その時だけで努力等しないクズな自分がいます。わかっているのに直せない自分がいます。 家内にも呆れられますし当然だと思います。 言い訳する自分のことは直していけばいいですが、考えが浅いのかやることが裏目と言うか迷惑をかけることがある、その時は結果そうなることになるとは思ってなかったことはどうしたらいいのだろうと思います。 そんなことが続いてくると自分の判断で決めることが不安になったりまた裏目に出るんじゃないかと思い込んでしまう自分がいます。 この質問と言うか書き込みも何のために書いてるのかわからなくなります。話しを聞いてほしいのか、アドバイスをほしいのか、解決案がほしいのか。 何かコメント頂けたら幸いです。
初めて質問させて頂きます。 2ヶ月前に姉が自殺をしました。 私が目撃して一心不乱に救急車を呼び、心臓マッサージを初めてながら救急隊に電話で指示されながら行いました。 一度は心肺停止しましたが一命を取り留めました。 自殺の原因は、鬱病から来る突発的なものだと病院の先生から説明されました。遺書などありませんでした。 今まで鬱の兆候があったのに何故あの時1人にしたのか、何故すぐ様子を見に行かなかったのか…死ぬかも知れないと言った姉のことをそんなこと出来ないと軽く考えてしまったのか。 姉の現状(借金問題、大事な人を裏切った後悔と罪悪感、子供達からの拒絶と家出)だったら私は同じことをしていたと思います。 その上、鬱病だったのなら尚更です。 最後の姉の気持ちを思うと、やりきれません…。 自殺して2週間後に姉は息を引き取りました。 助けてあげられなかった罪悪感と後悔。 いっそのこと、私も姉の元に行きたいとまで思ってしまう。 でも、私にも最愛の子供達がいます…私が死ねばあの子達は…と考えるとせめて立派に一人前になるまでは…と弱い心に言い聞かせてます。 亡くなってからも夢なのではないかと…突然いつものように帰ってくるんじゃないかと思ってしまって、姉のいた光景をふとした瞬間に思い出しては、遺影を見て…夢じゃないと現実を突きつけられます。 私の家に御先祖様と姉の仏壇があるのですが、御線香を焚いて、数十分置きにまた御線香を焚いてとずっと繰り返し焚きっぱなしみたいな状況ですが、この方法はダメなのでしょうか? 御本尊様に姉の魂をお導きくださいと毎日お祈りしているのですが、自殺者は地獄に行ったり、この世を彷徨ったりすると聞いたことがありますが、姉は四十九日を過ぎた今、どう過ごされているのでしょうか…? 罪滅ぼしとして私は姉に何かしてあげられることはないのでしょうか? 大好きな姉に会いたいです…夢でもいい、声が聞きたいです。どうしたらいいのでしょうか?
私は夫の借金とモラハラが原因で離婚をして現在一人親で子供を育てています。元夫は大変しつこく、クレ-マ-体質で離婚するのも本当に大変で精神をすりへらしてようやく離婚できましたが、その後遺症からか、 何かあると、精神的に不安定になり、すぐに外出来なくなってしまいます。できるだけ自分でも何とかしようと色々とカウンセリングを受けたり、病院を受診した結果、機能不全家庭で育った事が原因のアダルトチルドレンであることが私の精神や人生に大きく影響している事が分かりました。確かに、私の両親は祖父母と大変な不仲で私は子供の時から大人の顔色をうかがい、ビクビクと生きており、幸せとか楽しい感情がわからないまま育ってしまいました。でも今更その原因が分かっても、人生を変えられる自信もなく、普通家庭で育った人間に対して、嫉妬と妬みで一杯になってしまいます。自分の心とどう向き合えば良いでしょうか?
今年の5月のある朝、病院に急いで駆けつけると姉の心臓が止まってしまってました。 ショックのあまり皆んな混乱してるなか、叔母に私のせいで姉の心労がたたって死んでしまったと責め立てられました。 姉は大病もなく前日も元気にしてたそうです。 実は亡くなる半年前、父の介護のストレスが溜まり姉にぶつけてしまい生まれて初めて大喧嘩をしてしまいました。 姉に心労や心配かけ過ぎた事を謝り 姉も私達に喧嘩は似合わないね、、、と毎日のようにメールをくれました。 大好きな心の支えだった姉が亡くなって 悲しくて辛くて憔悴しきってる私に、お葬式迄の間何度も辛く当たったりで、私のうつ病が悪化し生きるのが辛くなります。 今から姉の一周忌の事を考えると胸が痛みます。叔母夫婦と関わらない方法がありましたらお教えください。
2019年12月16日放送、NHK「ニュース シブ5時」で、このhasunohaが紹介されていましたね。 代表・堀下剛司様のお顔を、初めて拝見しました。また、転落院様の評が辛口なのは、「中学校指導員」をされているからなのですね。(納得しました) テレビ放送の影響で、さらに質問・相談が増えたようですね。このhasunohaが、より良い方向に活用されることを願ってやみません。 改めて、回答僧の皆様が、回答にあたって心がけていることを、聞かせて下さい。
同居していた祖母が年末に亡くなりました 優しくて器用で大好きでした ですが、祖母の遺産の事で父の姉と妹が喧嘩しています。遺書はあり、遺書に従おうと言っているのが父と妹さんで、それに反対しているのがお姉さんです。 父はメンタルに負担がかかるとお酒に逃げてしまうので母とも喧嘩になります(手は出さないですが) うちは真言宗なんですが49日まではこの世に留まっていると聞きました。49日まで どんな喧嘩があるかと思うと、おばあちゃんが心配して修行どころじゃないんじゃないかと心配です。 私は結婚して県外に嫁いだので そんな心配をしながら実家から今の家へ帰ってきました。 おばあちゃんも心配だし、お母さんも心配です。そしてお酒の事もありついつい蔑ろに扱ってしまうお父さんの事も気がかりです。 そして49日ですが 両親は大変だからいいよと言ってくれていて、おばあちゃんもそう言うと思うんですが やはり参加する方が好ましいでしょうか。 とにかく おばあちゃんがちゃんと仏様になれるよう 応援してあげたい気持ちです。 長くなってしまいましたが、私に出来ることは何があるでしょうか?
先日引きあてたおみくじが、引く前に光って見えました。 すると、今の私にぴったりの内容だ!と直感でも思いましたが、わからないところもありますので、どうしても知りたくて、質問させていただいております。 全文 「このみくじに会う人は、心正しく才智ありといえども、人に知られず世に用いられざりしが時にあいて、心のままに立身出世する形なり。本歌を味いてさとるべし。何事もおのづから成就すれども、急ぐときは却ってわざわいあり」 お忙しいところすみませんが、なにとぞ宜しくお願いいたします。
新盆にあたり準備をしていたのですが、お坊さんへの手配が間に合わず、お願いできませんでした。 この様な場合、お坊さん無しでも良いのでしょうか? お坊さんが来ない場合、家族で何をしたらいいです か? お飾りや提灯、お供え物は用意しています。
今日、長男が生まれました。 今の所、母子共に元気で、目に見える障害等は無いとの事ですが やはり親と言う生き物のサガで、様々の不安は尽きません。 とにかく心身ともに健康に育ってくれるよう、 また万が一の時は私達が強い心を持ち、全力で慈しみ守りぬく事が できるよう、仏様や観音様に祈るばかりです。 私は、仏教は生きている人がより良く生きる為の 知恵でもあると認識してるのですが、 (間違っていたらゴメンナサイ・・ですが) 実際、仏教では生まれた赤ん坊にどのような形で 祝福を授けるのでしょうか? 具体的な言葉(経文、ダラニ等)や祈祷等があるのでしょうか? それとも、祝福なんて概念がもともと仏教のものではなかったり するんですか? 宗派宗旨により様々な形があるのであれば、 色々なご意見をお聞かせ頂きたく存じます。
わたしの家は真言宗大覚寺派の檀家ですが、私は興教大師さまを尊敬していて、朝のおつとめは、高野山真言宗のやり方です。これでもいいのでしようか。
度々お世話になります 仕事中に急死した主人は会社に強いストレスを抱えながら仕事をしてきました。過労死ではないか?、仕事のストレスだったのでは?と言ってくださる同僚の方もいます。急性心臓死という事だったのですが、労災の話は私は全くしていないのに、新しくきた所長さんが、無理な仕事はさせていなかったしね、(だから過労死ではないよ、というような言い方)と言いました。きたばかりの人に無理はさせていない、と何故言われるのかわかりません。私はいつも主人から聞かされてましたので、誰が仕事をしないとか、言うことを聞かないなど、会社の皆さんは、聞いているとは知らず、葬儀には、残念です…と泣いてくださりましたが、もはや、うそにしか見えず、私は、主人は会社に殺されたと思っています。ですが、主人はもういません。恨まず生きて行くにはどうしたら良いですか…
先日、あるお寺を拝観した折、案内して下さった僧侶の方より、記念にと塗香をいただきました。 お堂に入る前に、お清めということで、教えられるまま手のひらにすり込むように使ったのでその使い方はわかるのですが、 塗香をくださった僧侶の方の話では、他にもいろいろな場面で使うのですよ、ということでしたが、僧侶の方が急用で立ち去られたので、それ以上詳しくは伺えませんでした。 大変落ち着くよい香りで、カップ入りの決して少なくない量をいただいたのですが、寺院へのお参りのときだけ使うのであればとても使いきれないですし、勿体ない気もしています。 普段のお墓参りや、自宅で御札を拝むときなどにも使えるのかなと思っていますが、礼拝前の手を清める以外の使い方はあるのでしょうか? インターネットを見ていますと、汗の匂い消しに首筋や胴体につけるとか、あるいは口に含むというのもありましたが、実際のところをお教えいただければ幸いです。
早く元気になって、仕事がしたい! また笑って過ごしたい! そう、願うのだけれど、 毎日首が痛くて、ひきつれて、捻れて、起きているだけでもしんどいです。 痛みにたえること半年、もうさすがに嫌になってきました。なぜこんなに痛いのか、原因不明。 もちろん、手術の後遺症であることは間違いないのですが。。ノイローゼです。 主治医にも相談していますが、薬も効きません。 普通の人は4カ月もすれば治るらしいですが、長い人だと1年2年とかかるそうです。 最近、なんのために生きているのかわからなくなってきてしまいました。 辛いです。助けてください。 この痛みと上手に向き合う方法はあるのでしょうか?
亡くなったあとはあの世での意識的なものはあるのでしょうか 例えば、「ああ、自分は亡くなってしまったんだ」と思うようになるのでしょうか? よく、亡くなった方は自分が亡くなったことに気づかないとおききしたものでご質問させていただきました。
私の人生は生まれたときから頑張っても報われず、悪いものが全部よってくるような気がします。 どんどん人生が最悪になるのですが何かあるのでしょうか。 因みに夫の一族の墓はとっくの昔に無縁墓地になってしまっていて私の結婚前から誰もみていません。 うちの先祖は本家が墓を管理しています。 体調次第になってしまいますが私の父方の祖父の墓にはこっそり子供とお参りにいきます。 また、数年前に父がなくなりましたが弟は墓に父をいれず遺骨を家におき、財産放棄だけさせて葬式後一方的に縁を切ると言われ連絡もつかず実家にも入れません。 父の実家の墓に父はいないので私が父を拝むことはできません。 こういうのってこれからどんどん不幸を呼んでしまうのでしょうか?
いつも最良の選択をしたい。 出来ん。 正解がわからん。 人の数だけ答えがある。
この春から息子がかなり遠方の大学に進学しました。 進学が決まってから急に恐ろしくなりました。 もし息子がなにかつらいことがあって悩んでしまったら・・・ そのあげくに命を縮めるようなことがあったら・・・ どうして近いところではなくこんな遠くへやってしまったのか・・・ 考えはまとまらないまま半年以上が過ぎました。 私は心を病み心療内科にかかっています。 しかしよくなる気配はありません。 日々息子は無事か、つらい思いをしていないかが気になって仕方ありません。狂ってしまいそうなぐらいです。 20年前に弟を自死でなくしたためか、以前から身の回りの人が死んでしまうのではないかという恐怖がありました。 これまでは理性で抑えていましたが、大切な息子が遠くへ行ってからは強迫観念のように息子のことが気になって気になって、苦しんでいます。 今日も無事に生きているかつらい気持ちになってはいないか・・・。 あのとき近いところを選んでいれば・・・あのとき・・・と、たらればばかり考えて気が狂ってしまいそうです。 大変苦しい毎日を送っています。助けてください。 ずっと子どもを支配しようという気持ちは決してありません。 体に病気を抱えている息子が田舎の不便な不慣れな土地でつらい思いをしないか、生きることがいやにならないかが気になっているのです。 そしてこの選択をしてしまったことを後悔しているのです。 主人は単身赴任で普段は娘と二人きりなので、娘のことも気にかけてあげなければいけないのに、それもできません。 娘のためにもなんとかしなければ・・・と思い相談させていただきました。 どうか助けてください。 お願いします。
初めまして。 父にがんが発見され、入院治療中です。あと2ヶ月はかかります。 まだ始まったばかりなのですが、治療の副作用に耐えられるか、ちゃんと治るのか、治っても元の生活に戻れるのか、再発するんじゃないか、苦しむんじゃないか。 と先の心配ばかりが浮かんでひたすら滅入ってしまう毎日が続いています。一番大変なのは本人だと思うので自分が落ち込んでもいけないのですが。 先回りして不安になっても仕方ないとは思うのですが、ネットで情報を入れるたびに落ち込んでしまいます。(最近はネットを見るのはやめた方が良いと考えています) この不安をどうしたら良いのかアドバイスをいただけますか。
仏典についての質問です。 正式に仏教の知識を学んだこともありません。 己の体験と仏典を照らし合わせて仏道に勤しんでいます。 浅学でお恥ずかしいのですがお答えいただければ幸いです。 感興のことば第26章 安らぎ(ニルヴァーナ)の13です。 僧侶であればだれでもが親しんでおられる仏典だと思われます。 「13 ①前にはあったが、そのときには無かった。②前には無かったが、そのときにはあった。③前にも無かったし、のちにも無いであろう。また今も存在しない。」の内容をお知らせください。 個人的な一考察ですが、 ①「前にはあったが、そのときには無かった」とは、 A:前には「認識している私」という意識があったが、そのとき(=安らぎ)ではすでに「私」というものは無い。 B:前には「渇愛」があったが、そのとき(=安らぎ)では「渇愛」はない。 ②「前には無かったが、そのときにはあった。」とは、 前には「智慧」は無く「無明」であったが、そのとき(=安らぎ)には「智慧」があった。 ③「前にも無かったし、のちにも無いであろう。また今も存在しない。」とは、 前にも「魂」は無かったし、のちにも「魂」はないであろう。また今も「魂」など存在しない。 という勝手な考察ですが、お坊さんの体験された内容をご伝授いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。