2024/04/30慚愧について
前回お優しい言葉をかけて頂いたお坊さん方には大変申し訳ないです
僕はまたしても我欲(悪を行おうとした)の為に阿弥陀様やお釈迦様、仏法を謗る様なことを考えてしまいました
また、YouTubeにて阿弥陀様の本願に関する法話を視聴したのですが、集中できず何度も残り時間を確認し、だらけた体制で聴いて寝かけたり、最悪の態度でした
これらの行為は深く悔いて、慚愧の心を以ってしか救われないと知ったのですが
余りの罪の重さに、僕は全ての罪を慚愧しきれるのか
口だけしかできないんじゃないか
慚愧の心も阿弥陀様の大悲もすぐ忘れてしまうのではないか
一瞬だけ罪悪感に焦って謝罪をしておきながら
少し経ったら全く気にしていないかの様な、呑気な態度で暮らしていたり
聴聞を聴かせて頂こうにも、先人方が説かれた聴聞の心構えも守れず、更なる謗法を犯してしまうかも
そもそもhasunohaで頂いた意見を無碍にしてしまうかもで心配です
元々我が身可愛さで浄土真宗を調べた身で、知識も半端で心から極楽に往生したいとも思えていません
また、罪を心の内に隠すことは最悪の行為とされている様で
既に消去した一万超えの違法ダウンロード、(もっと多いかも)のアップロード、中傷行為、中傷行為後、謝罪や罰則を家族から意見を貰っていたことを隠していること、友達についた嘘、親に対して五逆罪になる様なことを思ったこと、全て本人に謝罪をするべきなのでしょうか
毎回要領を得ない駄文で、申し訳ないです
有り難し 2
回答 1