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hasunoha 問答検索結果 : 「お経について」
検索結果: 2994件

「寛容」とは何なのでしょうか

私は短気な性格をしています。他人の欠点や失敗がすぐに目につき、それに対して一々苛立ちを覚えてしまいます。 また一方で他人の目を気にしており、自分が嫌味を言われるといつまでも引きずってしまいます。 嫌味は相手を不愉快にさせるというのは分かりきったことなので、自分が苛々してもそれを口に出さず、また嫌味を言われても必要以上に重く捉えないようにし、 「何をしようとその人の自由、不利益を被らない限り私が口出しすることではない、多様な考えの人がいて当たり前」 と、寛容な思考・行動ができるよう努めてきました。 しかしこれは「寛容」というよりはただ「無関心」なだけなのではないか、と思っています。周囲の「この人寛容だなあ」という人を見ていると、そもそも他者に苛立ちを覚えない、他者の全てが面白くて仕方ない、という人であるように感じます。容量が寛いから寛容なのであって、苛ついている時点で私はすでに容量が狭い。 かのマザー・テレサ曰く「愛の反対は無関心」だそうで、やはり集団生活を営むヒトという種族である以上、「他人に無関心である」というのはあまりよろしくないことではないかと思います。 正しい「寛容」とは何であり、またどのように身につければよいのでしょうか。 それとも私はこのまま「寛容」もどきの「無関心」を続けていてよいものなのでしょうか。

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釈尊の言行

 厚かましく、非宗教説を続けます。  釈尊の言行については、立川武蔵先生の「ブッダをたずねて」の受け売りですから、皆様先刻ご承知と思いますが、信仰について言及したいと思います。  先ず釈尊は、偶像崇拝を禁止したとのことですが、釈尊の死後、舎利を分配して、早速信仰の対象にしました。  仏像も信仰の対象として作成され、祇園精舎での説教で済むところを、巨大な寺院を建築し、仏像を納めて 荘厳さを競いました。  これは中国の仏教を模倣したのでしょう。  釈尊の言行からはまったく不要なものであるはずです。  次に釈尊の死が近づいたときに、近隣の村人たちが釈尊の葬儀の支度を始めているのを見て、弟子にあそこに参加してはならないと戒めたそうです。  元々葬儀には無関係だったようです。  確か応仁の乱で加茂川に死体が放置されていたのを、僧侶が荼毘に付したのが始まりだったようです。  釈尊の言行に従って、これらの行事を無くせば、仏教はただ説教と修行に励むことだけが残ることにはなりませんか?  仏教は信仰とは無縁だと思います。これが非宗教説です。  蛇足ですが、通常寺院の参道に仁王門がありますが、これが参道の入り口ではなく中ほどに建てられいます。  これは参道が、輪廻転生を示したと考えられます。  参道の入り口は娑婆です。参詣者は参道を通って本堂に向かいます。  本堂は娑婆から切り離された死の世界です。  本堂に居続ければ平穏ですが、娑婆に還るときは仁王門で苦しめられます。  「チベットの死者の書」によれば、丁度3週目に怒りの神々に遭遇します。  仁王門が中途にあるのはそれを模したものと考えられます。    従って輪廻転生は仏教にとってそれ程重要なものです。  現在仁王門の像は参道を向いていて外敵を防ぐと言われていますが、参道の中途にあるのも不自然だしその必然性が考えられません。  像は本堂を向くべきだと思います。  さびれたお寺の仁王門がその向きになっているとの記事も見かけました。

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般若心経の「無無明・亦無無明尽・・・」の部分について

こんにちは。 前回質問から、般若心経の「無無明・亦無無明尽・無老死・亦無老死尽」 の部分が、やはり気になってしまってるので質問させて頂きます。 この部分は十二縁起についての言及との事ですが、 十二縁起を乱暴ながら私なりに要約すると 根源的な無知(無明)→生存本能と外界知覚(行・識・名色・六処)→本能と分かち難く生じる煩悩(触・受・愛・取)→本能と煩悩で成り立つ生存(有)→生存する主体として「私」という想念が生じる(生)→「私」はいずれ死ぬ(老死) と、言う事でしょうか。 私の考えでは、この部分について般若心経は 「どんなに達観しても十二縁起の因果関係は断ち切り難い」 (「無」無明尽・「無」老死尽→否定としての「無」) けれども 「物事をありのままに見れば(空相にて照見すれば) 全てが、かけがえのない真実と分かる」 (「無」無明・「無」老死→空相、全体性としての「無」) と「無」と言う言葉が違った使われ方をしているように 思うのですが如何でしょうか? 字面通りに読めば「Aは無いけど、Aは尽き無い」と言う二律背反になり、 これでは意味の全く通らないナンセンス文章です。 この部分、般若心経を読む誰もが最初に「あれ?」と思う所ですが、 腑に落ちる説明をしている本がありません。(偉そうに言える程、 本は読んでないですが) 中には「十二縁起なんて形式にこだわるのは小乗仏教だ。 般若心経は大乗仏教だからそんなものに拘らない」 とバッサリ斬っている書籍もあります。 そんな単純なものでもないと思うのですが・・・ 解釈は色々あるかもしれませんが、お考えをお教え頂ければ幸いです。 何だかマニアックな質問になってしまいすいません。

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霊魂の存在を否定されるお坊さまへのご質問

 こんにちは。先日は私の拙い質問にご回答頂き、誠にありがとうございました。また、こちらで何度もご質問させて頂いておりますが、その度毎に丁寧なご回答を頂いておりまして、大変感謝しております。本日は、多少突っ込んだ質問になってしまいますが、自分の中でどうしても整理がつかない点があり、それを質問できるような場が他にありませんでしたので、この場を借りて質問させて頂きたいと思います。どうぞよろしくお願いします。  こちらのサイトを拝見しておりますと、「霊は存在しない」と回答しておられるお坊さまが何人かいらっしゃいます。お坊さまの中でも意見が分かれる問題なのだと思いますが、私は霊魂の存在を信じており、また輪廻転生もあるのではないかと考えております。霊魂の存在を否定されるお坊さまは、霊感商法やカルト教団への対応など、現実的な対策の観点から、またお坊さま個人の世界認識から、そのような発言をされているのだと思います。しかし、素人の私から見ると「悟り」や「阿弥陀仏の救い」を前提としてお話をされているお坊さまが、「霊魂」の存在を否定されることが、どうしても理解できないのです。  素人の私から見ると、「悟り」も「阿弥陀仏の救い」も、それが一体何であるのか分かりません。そのため、お坊さまが「悟り」や「阿弥陀仏の救い」をお話されることは、「霊魂」や「輪廻転生」のお話をされることと同じくらい荒唐無稽なもののように感じてしまうのです。唯物論者の方が霊魂の存在を否定されるのは理解できるのですが、お坊さまが否定されることは、私にはどうしても理解できません。霊魂の存在については、「分からない」とおっしゃることが最も妥当なのではないでしょうか。  実際に、現代には様々な宗教がありますが「霊魂」や「輪廻転生」の存在などを説いている宗教も数多くあります。もし、お坊さまが霊魂は存在しないと考えておられるのであれば、それらの宗教についてはどう理解されているのでしょうか。  このような突っ込んだ質問をして、誠に申し訳ありませんが、霊魂を否定されるお坊さまのお考えをどうしても伺いたいと思いました。ご回答頂ければ幸いです。どうぞよろしくお願いします。

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2022/12/16

最愛の祖母との死別

先日私の最愛の祖母が亡くなりました 80代ではあったものの元気でしたので、まさかの急死でした。6年前に癌を患い、親の漢方薬を飲み、治ったと思っていたところ実際には根治しておらず、その間検査をしていなかったがために気づいたときには手遅れでした。なんどか病院に連れて行ったものの、薬をもらうだけで検査をしておりませんでした。私は生まれたころから祖母と同居しており、両親よりも祖母と過ごした時間の方が長く、私の心の支えでありました。私は祖母のことを常に気にかけており、喉を詰めて死んだりしないか、救急車の音が聞こえると祖母が倒れたのではないかと考える程でした。それなのに、癌は根治したものと信じており、検査に連れていかなかった自分が情けなく、後悔の念に苛まれています。また、最後も病院に連れて行くのが遅く、苦しい延命治療を祖母に受けさせてしまいました。最後は会話することもできず管に繋がれたまま亡くなりましました。祖母は若くしてシングルマザーになり、女で一つで子供を育てました。また、祖母が祖父、祖母の姉、母の面倒と葬式の費用、お墓や仏壇も貧しいながらも購入しており、祖母はいつも困っている人に優しく、とても聖人のような人でした。なのに、最後は私たち家族のせいで祖母を苦しめてしまいました。私はご先祖さまが祖母のことを守ってくれると信じていたのに、こんな形で亡くなってしまったことに納得がいきません。神様はいらっしゃらないのでしょうか? 私はうつ病を患い高校中退し、長年浪人しておりましたが、祖母の一件があってからは生きることに希望を見出せず、毎日祖母のことを考え、自責の念に囚われ、死ぬことにのみ希望を抱きながらなんとか生きております。私は臆病なので、自殺を決行することはたぶんしないとは思いますが、毎日心臓が止まってくれないか事故に遭わないかなどと考え、これまで全く飲まなかったお酒毎日飲み、体を悪くして早く死にたいとばかり考えております。私の両親は金銭的に困窮しており、毎日のように喧嘩しており、心のよりどころの祖母を失ってから過呼吸のように毎日泣いております。もう辛いです。神様はいるのですか?

有り難し有り難し 6
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2023/05/17

人と温かな関係を築ける人になりたい

子供の頃から、母に「お母さん以外の人間は、みんなアンタのことをバカにして陰で笑ってるから、信じてはいけないよ」と言われて育ちました。 母は、私の友達を見ると「あの子は美人だから、アンタみたいなブスを引き立て役にしてるんだよ」、私が周りの大人に褒められると「お世辞なのに喜ぶアンタを見て陰でバカだと笑っているんだよ」、また学校でいじめられると「ほら、言ったでしょう。人間はみんなアンタを傷つける敵なんだから」と、事あるごとに言い聞かせてきました。 大人になった今、母の言葉は真実ではないこと、母はそうやって私を独占しコントロールしたかったのだということが、頭では理解できています。 でも気持ちの方はそうは行かず、いつも周りからバカにされて笑われている気分で、やたら攻撃的になってしまいます。 「仮にバカにされて笑われてたとして、それが何なの?」と思うのですが、突発的に激しい怒りに飲み込まれ、あとで自己嫌悪に苛まれます。 誰も心から信用できないし、誰のことも大事にできないし、心から他人に感謝することができません。 仕事で褒められたりクライアントに喜んで貰えても、「お世辞に舞い上がってやる気を出す無能を見て陰で笑ってるんだろう」と感じるので、仕事にやり甲斐ややる気も持てません。 そんな状態でも何とか生きてきましたが、中年に差し掛かった今、そろそろ限界を感じています。 いい加減、母の呪縛から逃れて心の平穏を得たい。人を信じ、大事にし、感謝できる、温かな人間関係を築ける人になりたいです。 仏教には、マインドフルネスやアンガーマネジメントを中心とした認知行動療法を勉強する過程で興味を持ちました。 これからも自分で変わる努力は続けますが、ぜひ仏教の観点からもご助言頂けたらありがたいです。

有り難し有り難し 10
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2023/05/28

悪口を言われたお釈迦様のお話しの意味

周りで、悪口を言われたお釈迦様のお話しを読んだ人達で、この意味をどう取るか?という意見交換?がありまして… 何人かは、「悪口を受け取らない」という意味だと解釈しましたが、 「悪口を受け取らない」は死ぬまで自分を愛する覚悟を持てるまでは、受け取らないというのは難しい という意見もありました。 下記のように言っていました。 悪口を言われる、というのは 少しエネルギーが下がってる時に起きやすい エネルギーが少ないから、エネルギーの強いひとから悪口を送られてくるわけです だから、有難くエネルギーちょうだいしておけば良い 悲しくなっちゃう場合は 悪口を言われていることより より自分の深い部分を褒めまくる。 でも本当に大事なのは 世界中がどんなに私の悪口を言っても 私は絶対に私の味方だ! という覚悟を決めること。  気分で態度を変えず 「私は死ぬまで私を愛する!」 という覚悟を持つ! それが出来るまでは 「悪口を受け取らない」 は難しいと思う! この人の言っている事も、お釈迦様のお話の意味として合っているのでしょうか? お坊さんは、どのように捉えているのかお聞きしたく質問いたしました。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 29
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しつこくてごめんなさい

何度も同じ出来事のことで相談させていただいております。ご回答頂けると嬉しいです。 同居の義父に暴言を吐かれた事が未だにひっかかっており、私がその言葉をどう受け取りどう処理し、今後どう行動していったらいいか悩んでおります。 気持ち的にはどん底からは這い上がってきましたので、ごちゃごちゃだった私の頭の中を整理できるようにはなってきました。 でもやはりあの発言だけはどうしても許すことができず、流すこともできず、謝罪か発言の訂正がされないと前に進めない状態で立ち止まっております。 私が1人で意地を張っていると言われればそれまでなのですが、どうしても納得できません。 なぜ私がモラハラ発言を受けなければならないのか、悔しいし、憎たらしく思えて、私より何年も長く生きている人間なのにまだ謝ることもできないのかと幻滅する一方です。 けれどあちらはほとぼりが冷めたと思っているのか、ちょっとずつ普段通りに接してくるようになっています。 けれど私はそう簡単に普段通りには戻れません。 お墓参りや、大晦日と正月は毎年一緒に過ごす事になっているのですが、今の状態では一緒に行動したくない気持ちと、家族じゃないと思われているならお墓参りも年末年始も一緒に過ごす必要はないでしょという気持ちと、逆に家族じゃないと思われているのに図々しく旦那にくっついて一緒に過ごしたほうが義父を困らせることができるのかもという気持ちとで答えが出ません。 お坊さんは、義父の言葉をどう受け取って処理し、今後家族で一緒に行動しなくてはならない時どのように行動していったら良いと思われますか? お答え頂けると幸いです。よろしくお願い致します。

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昨年の11月24日に愛犬を亡くしました。

様々な事を回想して思う事は いくら考えても真実はわからないんだと。 一生わからないとどこかでわかっている確信のない自信があります。 生前、変な話ですがここ数年アルは人間みたいと周りの人に言われる事が何度もありました。 僕自身そう思う事もあり、むしろ神々しさすら感じていました。 アルは具合が悪くなってから1週間で亡くなりました。 それまで大きな病気もせず、丈夫で我慢強く、本当に我が家の宝物でした。 しかし、それは自分のエゴで、アルにとっては違かったなと気づきました。 亡くなった後、違う対処をしていれば、もっと生きれたんじゃないか、生きたかったんじゃないか、、。と後悔ばかり。 しかし、それがどうであれアルはもう戻って来ません。 アルは全てを受け入れたんだと、 そう選択させてしまった事が申し訳なくて申し訳なくて、、、、。 アルが亡くなって数日後、夜の散歩中に流れ星を見ました。 また幸せに生まれ変わったら会おう!また出会えたらもっと大切にするから!と願う事も出来ました。 アルが亡くなって数日は不思議な事があり、でも全然違和感もありませんでした。 今はアルと過ごした全てが、アルが準備したものだと強く感じます。 アルは色々な事を教えてくれました。 今はそれを胸に生きています。 世の中の見え方が変わり、世間の人の見方までも変わりました。 それでもやはり、アルとまた暮らしたいと強く思い、悲しみや寂しさに押しつぶされそうになります。 行き場のないこの気持ちを供養や成仏という形で先人の方々は整理してきたのかなとも思います。 胸には悲しみと寂しさの静寂があり日々をいつものように過ごしています。 自分であって自分は変わったと実感しています。 それが良いのか悪いのかもわかりません。 今の自分がずっと変わらないのか、変わってしまうのかもわかりません。 ただ命あるものに対して気持ちの変化はあります。 大切に丁寧にと。 有限なものには精一杯。 無限なものには希望を。 損得なしにただ生きているそんな状態です。 支離滅裂な文章で申し訳ありません。

有り難し有り難し 7
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死にたい気持ちが消えません。

自分が何の為に生きてるのかわかりません。 得意なことなんてひとつもない、取り柄のない人間です。 容姿も性格も悪い。 人の目が怖くて、みんなが自分のことを笑っているような嫌っているような気がして人間関係すらまともに築けません。 緊張して人と上手く話せません。家族とすらまともに会話が出来ません。話しかけるのにすごく勇気が必要です。 心療内科に行ってみたら少しは変わるのかな?気持ちが楽になるのかな?と思うこともあるのですが、初めての場所に一人で行くのは不安で怖いです。 私の死にたいは全て自分の甘えからきているものだとわかってはいるのですが、いざ面と向かってそう言われてしまったらどうしよう、立ち直れないな、と逃げてしまいます。 辛い、と思っていいほど頑張ってもないくせに辛い、死にたいと思ってしまう自分が嫌いです。 死にたいと思うくせに、死を想像すると怖くなってしまう自分が嫌いです。 簡単に死にたいと思ってしまう自分が大嫌いです。 楽しいと思うことも、辛いと思うことも申し訳なく感じてしまいます。 現在27歳なのですが未だにアルバイトです。 就活のとき、面接で泣いてしまったり逃げ出してしまったり…自分は社会不適合者なのだなと諦めてしまいました。就職したいという気持ちもあるのですが当時のことを思い出すとまた同じことになるのではないかと踏み出せません。 また、こうやって言い訳をして逃げてしまうのです。こんな自分が本当に大っ嫌いで殺してしまいたいです。 毎日毎日人の目に怯えながら過ごす生活にももう疲れました。 小中高といじめられてきました。 ここまでいじめられるのは私に原因があるのだと思います。 今後、社会に出ることが出来たとして、また同じようにいじめられるかもしれないことが怖いです。 でも存在を認められるのも怖いんです。 本当の自分を知ったら失望されてしまうんじゃないかと感じてしまいます。 優しくされることも、拒絶されることも怖いんです。 もうどうしたらいいのかわかりません。 お酒を飲まないと眠れなくなってしまいました。そんな自分も嫌でまた死にたくなってしまいます。 自分に甘い私は、それでも生きてしまうのだと思います。 もう自分がどうしたらいいのか何をするべきなのかもわかりません、わかっても行動に起こす気力がありません。 明日が来るのが怖いです。

有り難し有り難し 5
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