父親が肺がんの末期ガンなんです 父親は今56歳で、母親は46歳、兄は24歳、私は17歳の高校3年生の息子です。 末期ガンですが今は通院で、寝たきりなどの状態ではありません。 ですが余命はそれほど長くはない言われたそうなのです。 今は処方された薬を飲んで肺がんなどの専門的治療法の病院にも通院し父親は頑張っています。 父親の末期ガンを知ってから母親も元気が無くなり自分も一緒にあの世にいきたいと言っています。 私は受験がありますが進路もどうすればいいのか分からなくなってしまいました。 自分も一緒にいけたらと思ってしまうことも多々あります。 父親や母親とどう接すればいいのかも分かりません。 どうすればいいのでしょうか?
我が家の檀家のお寺は(お墓は別の所)大阪府内にあります。しかしお盆、お彼岸などお坊さんの忙しい時に同じ大阪府内に同じ宗教のお寺があるのにいつも滋賀県や和歌山県など遠くからお坊さんが来てくれます。どうしてこんなに遠くのお寺から来てくれるのでしょうか? どうしてうちの決まったお寺のお坊さんは来ないのでしょうか? 遠くから来てくれるお坊さんにも自分のお寺の檀家さんがあるのでそちらで忙しいと思うのですが・・。 どうしてですか? それに時によって一人で来たり二人で来たり、家に来るまでわからないので(最低二人分用意しておいて)お坊さんが来てから人数分お茶やお菓子を用意します。 どうして毎回来るお坊さんの人数が違うのでしょうか? うちの実家に来るお坊さんはいつも一人なのに。 こんなときお布施はその時に来たお坊さんに入るんですよね。 うちに来たお坊さんがうちの決まったお寺さんに渡すんですか? 高速で遠くから来たお坊さんには御車代は少し多くした方がいいのでしょうか?
初めて質問させていただきます。 御坊様に相談していい内容なのかとも躊躇しましたが、他に相談できる相手もいないため、筆を取らせていただきました。 ご無礼となってしまいましたら申し訳ありません。 私は家庭の事情もあり、小さい頃から宗教に関心がありました。 去年成人し、改めて自分の信じる道について考えることが殊更多くなり、仏教や神道に関連した本を読んだり、ネットで調べているうちに私はどちらの道を信じればいいんだろう、と結局悩むことになってしまいました。 どのような視点で、基準で自分の信じる道を選択したらよいのでしょうか。
この間から、お墓や納骨のことで何度も質問させていただいております。次々と申し訳ありません。 亡くなって7ヶ月、私と母の二人暮らしでした。四十九日を過ぎた頃、亡くなった母の遺品といっていいのかも分かりませんが、二人兄弟の兄に遺品分けをするといったところ、要らないと。姪たちは洋服等を持ち帰りました。特に高価な物や資産も無いためそのままにしていましたが、生前は誰かが訪問して家に上がることもなく、夜に突然病院に運び、私が付き添っていたので母の部屋も布団を畳んだだけで、何の整理もしていなかったのですが、母の他界後、何かと人の出入りが多くなり、(私が鬱になったことから、医師に早く片付けろと言われたこともあり)仏壇も母の部屋にあるため、ある程度大きな物は整理をし、業者に頼み処分しました。 長らく二人暮らしだったので、家中に細々した母の物があり、大切にしていたものを残し、少しづつ処分しているのですが、飲み薬や目薬等、病気であったため常に使っていた薬品があります。 あの世で苦痛があっては可愛そうと思い、納棺時に入れようとした時、葬儀業者さんが入れないようにと。亡くなってもう苦痛はないからと言われました。 今日ももう捨てようと思いましたが、どうしても捨てられず、またいつも保管していた所へ、いつでもつかえるようにと戻しました。 いつまでも置いていると、母はいつまでも苦痛から解き放たれないのでしょうか?亡くなると仏様となり、すべての苦痛から解かれるのですか?早く捨てないといつまでも苦しませることになりますか? 病院から葬儀社へ運び、顔に掛けた布をめくると、病院で鼻からチューブを抜いて時間が経っていなかったためか、血液が流れており、拭いてやったのですが、亡くなってもなお苦しむのかと思い、目薬を入れ、唇が荒れ、いつもリップクリームを塗っていたのでリップも塗ってあげました。 長文になってしまい申し訳ありません。
今日、休みで色々考えていました。 最近、すごく窮屈さを感じていました。 自分が決めた自分の行動の指針や自己イメージ、自己評価、そんなものに自分をはめ込みすぎているのではないかと思いました。 私はこうゆう人、または、私なんだからこうあるべき、とかそうゆうことです。 自意識過剰という言葉がありますが、私はそうなんではないかと思ったんです。 ただ、これがなくて、なんにも考えずに生きたらだらしない生き方になりそつで嫌です…
私は短気な性格をしています。他人の欠点や失敗がすぐに目につき、それに対して一々苛立ちを覚えてしまいます。 また一方で他人の目を気にしており、自分が嫌味を言われるといつまでも引きずってしまいます。 嫌味は相手を不愉快にさせるというのは分かりきったことなので、自分が苛々してもそれを口に出さず、また嫌味を言われても必要以上に重く捉えないようにし、 「何をしようとその人の自由、不利益を被らない限り私が口出しすることではない、多様な考えの人がいて当たり前」 と、寛容な思考・行動ができるよう努めてきました。 しかしこれは「寛容」というよりはただ「無関心」なだけなのではないか、と思っています。周囲の「この人寛容だなあ」という人を見ていると、そもそも他者に苛立ちを覚えない、他者の全てが面白くて仕方ない、という人であるように感じます。容量が寛いから寛容なのであって、苛ついている時点で私はすでに容量が狭い。 かのマザー・テレサ曰く「愛の反対は無関心」だそうで、やはり集団生活を営むヒトという種族である以上、「他人に無関心である」というのはあまりよろしくないことではないかと思います。 正しい「寛容」とは何であり、またどのように身につければよいのでしょうか。 それとも私はこのまま「寛容」もどきの「無関心」を続けていてよいものなのでしょうか。
今日、公園で知り合いの家族と子供を遊ばせました。 私と旦那は傍観者で遊ぶのを見守っていました。 ママ友達と、その旦那さんは、遊具(すべり台)で一緒にヤッホー!と楽しく遊んでいたり、ヨーイどん!といって、一緒に走ったり、芝生の斜面を一緒にゴロゴロ転がってあげたり、子供と一緒に遊んであげていました。 私もすべり台は2回だけやってみましたが、普通にテンション高くではなく滑っただけ。それだけで、他は、ママ友達家族を見ていて、『すごいなぁー。こうやって遊んであげるのが理想だよなぁ…』と自分たちを情けなく、またダメな親だと思いました。 私も旦那も、恥ずかしがりなとこがあり、真面目な物静かなタイプ。 友達夫婦は、子供と遊ぶのにテンション高めにかかわってあげる元気なタイプです。 私は、自分も旦那も、もっとこの夫婦みたく全力で遊んであげたら理想だけど、声かけや手助けなり、危ないとこはちゃんと見ているだけしかできていませんでした。 一緒に童心にかえって遊ぶのは性格的に恥ずかしいしできませんでした。 旦那に、あとあと、『あの夫婦みたく一緒に全力で遊んであげたらよかった…私たちはダメな親だね』といったら、よそはよそ、うちはうちで比較する意味がないし無駄だと言われました。でも、子供へのかかわり合い方で子供が今後よく成長するかどうか影響ある気がしてこわくて…。 私は、私たち夫婦のダメな面しか見れずに辛いです。
以前から何度も相談させていただきましたものです。 無事に離婚が成立しました。 向こうは親に挨拶に来ることもなく、ただただ私を捨てれて喜んでたのか、相手は公証役場で泣いてました。それがこれまで言ってきたことやって来たことを考えたら、何でお前が泣くねんと言う感じで、あまりにも腹が立ちました。本当に意味のわからない人間です。これまでの経緯から考えると、かわいそうな俺アピールでしかないとおもってしまいます。 かわいそうな自分だとか、よくやった俺とかってすぐに自分に浸る人なので本当に気分が悪かったです。それだけ余裕があって良いですねと思ってしまいました。 そして、良い父親面しようと色々またいってきたので、拒否する心がより一層強くなってしまって今に至ります。すみません。また愚痴ってしまいました。 以前より助言していただいたように、離婚した今となっては考えを改められるよう今年はまた我慢の一年でがんばらないといけないなと思う次第です。 昨年の一年で沢山相談して皆様方に支えていただきまして、多分理想?の離婚とは違いますが、なんとか乗り越えてこれました。皆さんのお言葉を何度も読み返して、この怒りに支配された心を少しずつほぐして子どもとの幸せを考えられるよう進んでいきたいと思います。本当にありがとうございました。
唯識にも色々な学派が有りますが、その中でも龍樹~ツォンカパ論師を系譜とした中観派と矛盾せずに 統合する事が可能な唯識の学派は何でしょうか?
私の会社では、お客様の前では自分を演じなさいと教えられます。思いやりのある優しい気持ちで綺麗な仕事を丁寧な言葉遣いを使えと言われます。 それが上手くできていないと、演じきれていない。と言われます。 私は”演じる”と言う言葉に大きな壁を感じています。 演じると言うことは、真の自分を隠していると言う事ですよね?私はそんな人間になりたくありません。演じるのではなくて、芯からそういう優しくて丁寧で綺麗な言葉を使う人間になりたいと思ってます。 私は人として成長したいと思ってこの会社に入社しました。 だけれど、お客様の前でない時もスタッフが何を考えて何を思っているのかわからなくなってしまいました。 みんなピエロのように感じます。他人に無関心で、お客の前ではニコヤカです。 これが大人になると言う事なのでしょうか? これがただしいのでしょうか?
今月3日に三男(19歳)を自死で亡くしました。 遺書も何もなく原因がわかりません。 4月4日から学生寮に帰る息子のために大好きな「もんじゃ焼き」をして家族でいただきました。 三男もお腹いっぱい食べて満足げでしたが、まさかその翌日に帰宅しないなんて思いもしませんでした。 春休みもいつもの長期休みと同じように自宅ですごしていたし、いつもの様に夫の実家に泊まりに行ったり私の実家へ食事にいったり・・・。 普通の生活だと誰もが思っていました。 もともと一本気な性格で19歳なりのガンとした考えをもっていて、なかなか周りの意見に合わせたり出来ない正確ではありました。(プライドも高い部分もあり) しかし、曽祖父を病院へ送り迎えしたり、一人暮らしの義母にも会いに行ったり、家族には毎日お茶をいれてくれるとても優しい息子でした。 それなのに私は息子のことが全然わかっていなかったんだと思います。 ひとり悩んでひとり逝かせてしまってどう謝ればいいのか・・・。 「何故?」と、問えば息子を責めることになります。責められるべきは親なのに。 でも、心の中で「何故?」と思ってしまいます。 手の届かないところで1人いる息子を思うと寂しくてしかたがありません。 もう一度声をききたい、もう一度抱きしめたい。 自宅では誰にも自分の気持は言えません。 夫も長男・次男もすごく私のことを心配しているから。 自分でも気持ちに蓋をしているような気がします。 とりとめのない文章で申し訳ありません。 聞いて貰いたかったのかもしれません。
こんにちは。昨日は私の質問にご回答頂きまして、誠にありがとうございました。非常に勉強になり、今後の参考にしたいと思いました。 立て続けで申し訳ありませんが、輪廻転生について、あと一点だけ質問したいことがございます。この質問で最後にしますので、ご回答頂ければ幸いです。 日本の仏教関係者の中には、和辻哲郎博士など輪廻転生を否定する説を述べられる方もおられます。その一方で、魚川裕司氏は著書「仏教思想のゼロポイント」で和辻哲郎博士の説を批判し「無我輪廻説」こそがお釈迦様の説かれた教えだ、と主張しております。先の質問で、お坊さまがおっしゃっておられた輪廻の本意はこのことなのかな、と思っております。 そこで、さらに疑問が湧いてしまったのですが、チベットやブータンでは、「輪廻転生による生まれ変わり制度」が存続しています。上記の解釈ですと、生まれ変わりを認めることは難しいように感じるのですが、この制度は民衆を導くための方便ということになるのでしょうか。 このような知識欲自体が煩悩なのかもしれませんが、どうしても知りたいと思ったので質問させていただきました。お暇なときで結構ですので、ご回答頂けるお坊さまがいらっしゃれば幸いです。よろしくお願いします。
夫とはひとりっ子同士の結婚でした。苗字は変わりましたが、現在、夫と暮らすアパートに私の先祖代々・両親を祀っている位牌を祀っております。仏壇ではありません。 夫は義父を亡くしており、現在は実家で義母が仏壇を所有しております。 この度、3人での同居が決まりました。義母も私が旧姓の位牌を持っての同居であることは理解してもらっています。 旧姓側の菩提寺様には私が供養できる間は苗字が違っても供養を続けなさいと教えていただきました。 質問は、 1階に夫家系の仏壇、2階に旧姓の仏壇を置くしかないのですが、気持ち的には私の家系を置かせてもらっている、と思っているので失礼に当たらないだろうか。という事。 また、お盆など夫側のお寺さんは自宅で読経などの供養はしていないのですが、旧姓側は毎年住職に来て頂いて読経が有りました。アパートにも来て頂いていました。今後は旧姓側だけ、というわけにもいかず、住職に読経をお断りする事など出来るのでしょうか。 いずれは旧姓側は永代供養になると思うのですが、現状のまま先祖を供養するための方法を教えていただきたいです。 長文読んでいただきありがとうございました。宜しくお願い致します。
以前、被災した義理の両親との同居を解消することに悩み相談させていただいた者せす。同居して2年が経過しようとしています。相談させていただいてからも、主人とは何度も離婚の話をしてきました。お互いこのストレスに疲れてしまっていたのです。そんな不仲の私達のことをみて、義理の両親がなぜか私達のことで結婚後過去最悪の喧嘩したそうです。 そして、この家からは出ていき、シングルマザーで2人の子供を育ててい る義理姉のことをサポートしにいくことときめたようです。 そこで、ご教示いただきたいことがあります。 彼らがこちらに来る時に、代々祀ってきた観音様を我が家敷地内に、被災地から持ってきました。観音様と呼んでおりますが、どうやら昔の誰かのお墓らしいのです。主人のひいおじいさまの夢に、出てきて「掘ってくれ」とお告げがあり、掘ったらでてきたそうです。それから、その観音様は震災でなくなってしまった自宅近くの山に祠を建て祀られており、代々引き継がれていたようです。 こちらに持ってくるという話の時、私は「海を眺める場所にあったものだし、観音様はあの場所が好きだろうから動かすべきではない。」と言い、また、正直、新しい住宅地なので周りも若い家族が多いため気味悪がられたりされるのではないか、という気もして反対してました。 今、観音様は庭にあり、ホームセンターで購入した物置小屋を祠のようにして祀り、義理母が毎日お水をあげています。 これから家を出で岩手県に戻るとのことで、私は上で申し上げた理由2点から、あちらに戻して欲しいと思っています。 しかし、主人も含め、こちらに置いておきたい、といっていますが私は、義理の母ほど、その観音様に愛着が持てず管理ができる自信もありません。主人は週1くらいであればお水とご飯を供えそうですが、今までの仏壇へのお供え状況を見ていると私より頻度が少いので怪しいです。 こんな雑な夫婦のもとに観音様を置いておいて良いのでしょうか。 それで観音様は幸せでしょうか。 昔、観音様のお供え等をサボっていた時期に義理父が仕事で指を切断したそうで色々と怖いです。 今後どのようにしたら観音様は幸せですか? ご教示ください。
こんにちは。高一です。 私は最近死ぬのか怖く、たくさんの罪を犯してきたので、地獄が怖くなりました。 たくさんの罪とは。今はしていませんが、過去盗みを何回もしてしまったり、自分が有利になるような嘘を何度も付いたり悪口も何度も言ったり友達のものを隠したり家族からお金を取ったり、自分の飼ってる猫を叩いてしまったり、今あげているもの ~中2、猫の件に関しては最近もしてしまいました… こんな私ですがなんであんなことをしたのだろう、なんで叩いて蹴ったりしてしまったのだろうと後悔し反省しています。 そして中2~現在まで一日一善の精神でいいことをしたり、人に気を使ったり些細なことで、到底罪を償っているとは言えませんがいいことをするようにしました。 こんな私でも地獄に行かない方法はあるのでしょうか。また死の怖さはどのように向き合えばいいのでしょうか。高校1年、もう今年度からは2年生ですが、こんな私は人生を楽しく生きるべきでは無いですか。 こんな私ではありますがどうか力を貸していただきたいです。よろしくお願い致します
学生をしているものです。最近、「しっかりしている」と思われることに少しうんざりしています。 もちろん、自分の仕事がきちんと評価されているのだと思えば有難くもあることなのですが、過剰に評価されたり、しっかり者というイメージが先行し、期待が重いと感じることがままあります。 自分のキャパシティがすでにいっぱいいっぱいであったり、苦手な分野での頼み事をされたりした場合も、「時雨さんはしっかりしてるし大丈夫でしょ?」との反応が多く困ります。 実際は努力やこつこつと積み上げることが苦手で、日々の作業を適当にこなしている面もあり、しっかり者とは程遠いと思うのですが、周りにそう言っても謙遜と受け取られてしまいます。 それゆえ、このことを周囲に相談することもかないません。 ぜいたくな悩みとは思いつつも、キャパオーバーしてしまうのが怖くもあり、「実はしっかりしていない適当なわたし」を誰かに理解してほしいという気持ちもあり…… つまるところ、等身大の評価を得たいのだと思います。自分の努力や能力以上の評価をしてもらうことは心身ともに苦しいです。 頼られることはうれしいのですが、不当にプラス評価をしてもらうことは、不誠実なことのようで…… 実際、自分で抱えられる以上に頼みや相談を引き受けてしまい、にっちもさっちもいかなくなった思い出も一、二度あります。 わたし自身と周りのイメージの剥離を埋めることは可能でしょうか。 また、それが不可能であれば、ひとり歩きしているしっかり者のイメージとどのように付き合えばよいでしょうか。
心がどうしても苦しいので、ここで吐かせてください。 今年の1月10日に、最愛の母が亡くなりました。 脳内出血でした。 ふたりの私の娘を連れて実家に1月6から8日の2日間お泊りし、8日の朝、近くまで見送ってくれている途中の道で転んだのです。 その日は朝から雨が降っていて、1歳の子どもを抱っこして荷物を沢山持っていたため、5歳になったばかりの長女を母に任せて、前を歩いていました。 転んだことにも気付かず、母から転んだと聞き「でも頭はぶつかってない」と言うので少し安心して、「子どもを任せてごめんね」と言い、普段通りニコニコしながら「またね〜」と別れたのが最後になりました。 その1時間後に救急車で運ばれ、脳内にはかなりの出血があったそうです。 そこから2日間、まるで私達が何となく覚悟が出来る時間を与えてくれたかのように、母と特に仲良かった人達、私の子ども2人と面会した後、息を引き取りました。 本当に愛に溢れた母で、転んだときも 「孫は大丈夫よ!転んでないからね!」と、自分のことより孫のことを心配してくれました。 家に帰ってからも 「血も出てないし、転んで孫もビックリしたでしょ?大丈夫よと伝えてね!」と連絡もくれて。 あのとき私が娘の手をひいていたら、母は転ばなかったのに。 あのとき、母に見送りはしなくていい!と伝えていれば、転ばなかったのに。 そもそも、お泊まりしなければこんな事にはならなかったのに。 あのとき!あのとき!!と、後悔の念が消えません。 1月4日に 母は69歳 初孫の私の娘は5歳のお誕生日を迎えたばかりでした。 小さい子どもが2人いるので、塞ぎ込んで悲しむわけにもいかず、頼りにしたい主人は私の悲しみを全く理解してくれず、辛いと伝えても「部屋の掃除が足りない」など寄り添ってもくれません。 母が私にたくさんの、それはそれは沢山の愛情を与えてくれたように、私もこれから、ふたりの娘には愛情を与えて育てるつもりです。でも、今はとにかく辛くて。 母の死期を早めてしまったのは、私のせいなんだと自分を責めてばかり。 母が私を責めてないことも、責めている私の事を心配しているだろう事も分かっていても、それでも辛いんです。 時が過ぎるのを待つしか無いのでしょうか? 母を亡くして悲しい気持ちと それを理解してくれない主人への怒り?の様な感情です
本当の意味で仏教に出会う人はとても少なく、出会わない方のほうが多いのはなぜですか? 又、仮に出会えたとしても 「魚の子は多けれども、魚となるは少し」という言葉のように、 本当に信心を持って仏教に触れ合うことができる方は極めて少ないのはなぜですか? 仏教が必要でない人たちばかりだということですか?
この愚かな疑念を教義的に論破してくださると助かります 1親鸞聖人は「信巻」等において、菩提心について自力と他力を分判し、如来回向の信心は願作仏心(自利)、度衆生心(利他)の徳をもつ他力の大菩提心であるとあらわされた。 2菩薩の定義:仏の次の位のもの。みずから菩提(ぼだい)を求める一方、衆生(しゅじょう)を導き、仏道を成就させようとする行者(ぎょうじゃ)。菩提薩埵(ぼだいさった)。 信心があるものは自利も利他も菩提心もある よって菩薩である 菩薩であるならば、41願により諸根が具足するはずである よって諸根の具足していないものは極楽へ往生できない
お釈迦様はたしか何人も妻がいたそうですが、複数の女性を愛することは仏教的にどう考えられていますか?仏教の教えでも悪なのですか? 日本では複数の女性を愛することは大悪とみなされていますが