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検索結果: 2142件

退職理由について

現在退職を考えています。 理由は、勤務シフトに暮らしがついていかず体調不良が続いていることと、休憩中の受動喫煙が辛いということなのですが、甘いでしょうか? 職場は、勉強出来る環境ですし、業務内容やスタッフに不満はありません。 2交代制のシフトなのですが、遅・早・遅・早となるのについていかないのです。 始発で出勤して終電で帰宅するような激務の人もいるんだぞ!と言われればその通りです。 帰宅が遅くても朝がゆっくり出来たらいいじゃないか!と言われても当然なのですが、帰宅が遅くて夕ご飯が食べられないのが何よりのストレスなのです。 休日にたくさん作って冷凍するなどの努力はしていますが、足りません。 元々同年代の人に比べて食事の必要量が多く、いわゆる痩せの大食いです。すぐに底をつきてしまいます。 コンビニの弁当やカップ麺など便利なものもあるだろうといわれるかもしれませんが、 そんな粗末なものを毎日食べても食事の多幸感が無く涙が出ます。 手作りの健康的な食生活を送っていて、たまにジャンクフードを食べるからそれが美味しく感じるのです。食費は浪費するのに、食事内容が不幸であるなんて、不幸以外の何物でもないと最近は感じます。 好きな仕事をしているのに、仕事のために自分の暮らしを犠牲にしている被害妄想が激しくなってきました。 栄養状態が悪いので貧血になり、休憩室の受動喫煙も頭痛に拍車をかけます。喫煙者は上の人ばかりなので誰にも言えませんし、鼻をタオルで覆うなどのあからさまなことは嫌味になるので出来ません。 けれど、お昼休みにまで外で食事をしていてはお金がもちません。 今のところ、貧血と頭痛・吐き気・舌の痺れ・疲労くらいの症状なのですが、病院でもらった薬を飲んでいても改善していません。痛みは強くなっています。 これ以上長く続けたら本当に体を壊すと思っています。 社会人として体を壊すまで働かないと、甘えによる退職になるのでしょうか。 症状を文字で羅列しても、「そんなんみんな一緒や。みんなしんどいねん」と言いたくなるようなものでしかありません。 今は、同じ業種のほかの会社から「うちに来たらいい」と言ってくれてるところがあるので、 いろいろと考え込んでしまい、結果そちらに転職したい気持ちが強くなりました。 でも、自分の退職理由がただの逃げな気がして、何とも表現しがたい苦い思いです。

有り難し有り難し 159
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越三摩耶戒罪(おつさんまやざい)が気になります

密教をご存知のお坊様に、質問をさせてください。 3つ質問があります。 「越三摩耶戒罪(おつさんまやざい)」が非常に気になっております。 密教には、在家の人間がやってはいけないことがあると聞きました。 在家の人間が、阿闍梨の許可なく、勝手に真言を唱えたり、伝授なしに梵字を書いたり手印を結んだりするのはいけないと聞きました。 これを破ると越三摩耶戒罪、越法罪という宗教上の罪になる。 何の功徳も、ご利益もなく、徒労に終わる。 「大叫喚地獄に落ちる」とか「無間地獄に堕ちて出ることができなくなる」という恐ろしげな記述もありました。 1つ目の質問です。 何人かの先輩の信徒(在家)から色々と聞いて、自分なりに考えをまとめました。 ・真言なら唱えても良いし、功徳もご利益もある。 ・手印を結んだり、梵字を書くのはやめたほうが良い。 ・阿字観はお坊さんの指導のもとやること。独学は駄目。 ・本格的な祈祷の真似事をやるのは絶対に駄目。 ・「地獄に堕ちる」は、師僧の指導に従わない・修行のルールを守らない修行僧を戒める方便。でも原則として守らなければならない。 これでよろしいのでしょうか?  2つ目の質問なのですが。 私は信仰を持つ前から、仏教に強い興味がありました。 多くの本を集めて読んでいたのですが、愚かな素人の悲しさ、当時は越三摩耶戒罪のことは知らず、手印や梵字の書き方の本、さらに儀軌や口訣書を含めた専門書もかなりの数、蔵書として所有しております。 また密教美術にも惹かれ、曼荼羅の色紙も購入してしまいました。 しかし阿闍梨の許可なく、曼荼羅を建立したり、儀軌や口訣書などの専門書を読むのも越三摩耶罪に当たると聞きました。 ・小さな仏壇の上に、両界曼荼羅の色紙を額に入れて飾っているのですが、これを気にするのはやはり神経質すぎるでしょうか? ・密教の専門書を読むことを気にするのも、神経質すぎるでしょうか? 3つ目の最後の質問なのですが、先輩の信徒(在家)から、 ・「そもそも貴方は結縁灌頂を受けておらず、正式に三摩耶戒を授かっていないので、越三摩耶罪は成立しない。だから気にする必要はない。しかし灌頂を受けると越三摩耶罪が成立してしまうので、注意しなさい」と聞きました。 この解釈は正しいのでしょうか? 長文かつ生意気な質問で、申し訳ありませんが、ご意見を伺えましたら幸いです。

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執着を手放すには

以前、流産と不妊について相談させていただいた者です。その節は心のこもった回答をありがとうございました。 ご回答やそれ以前の問答を拝見したりして、少しずつ落ち着きを取り戻していますが、なかなかすぐに元気にというわけにはいかず、まだやっぱりもがいています。 ところで、以前TVでストーカーのニュースを見ていたとき、「ストーカーの人が幸せになれるとしたら、それは執着を手放して、他の道を進んだときだよね」と、家族に話しかけて自分でもはっとしたことがありました。私もそうだ、と思ったからです。 たぶん私は子供がほしいと思うあまりそのことに執着しているのではないだろうかと気がつきました。繰り返し流産して、いったん手にしたと思ったものを何度も失ったことで、余計にそれが強くなってしまったのかもしれません。 なんとかこの執着を手放したいと思ってきましたが、なかなか難しいようです。もともとこんな気持ちが背景にあったので、こちらの仏教に関連したサイトにご相談させていただいたのかもしれません。 説明が長くなってしまいましたが、このような執着を手放すための心の持ちようはあるのでしょうか?ご助言をいただければ幸いです。

有り難し有り難し 130
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自殺するか生きるか

カテゴリーをなににするか少し悩みました(カテ違いだったらすみません) 悩みが多くて質問がぐちゃぐちゃかもしれないです… 私は高校3年生で大学に行くために色々やってましたが、無理だなと諦めました。今から就職も無理なので今の高校を卒業してからはフリーターになると思います。 大学に行きたい気持ちはあったのですが、ひたすら無気力で心の奥底では生きたくない気持ちすらあります。そんなので受かる訳がないですし入学しても大学生活を続けられないし就職しても多分同じだったと思います。 正直もう死んでしまおうかと思っていて自殺の準備をしました。あとは決行するだけの状態です。 けど家族に申し訳ないのでフリーターになることを親に話して、フリーターでも生きてみようかなとも思ってます。 フリーターが嫌なわけではなくて、フリーターの生活も続かなかったらと思うと怖いです。 フリーターからの就職も厳しいですしこれからの全てに耐えられる気がしません もし生きるなら親にフリーターになることを打ち明け、これからのことを話し合いたいです。 けど親に対する後ろめたさがあり勇気もありません。 臆病で無気力でやる気も出さない甘えた人間性の自分は生きている価値もないと思うのでさっさと死んでしまいたいです。 質問になっていないですがお坊さんの考えやアドバイスを聞きたいと思ってます。よろしくお願いします。

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祖母のお骨についてアドバイスお願いします。

昨年祖母が亡くなりました。 葬儀は密葬で行い、お寺を通さなかったので祖父や曾祖父母が入っているお墓に納骨しておりません。 当方は結婚して実家を出ている為、このお墓に今後入る予定はないのですが実の両親はこのお墓に入りたくないので祖母のお骨も入れていません。 両親がこのお墓に入りたくない理由としては祖父が他界した時(約20年前)このお寺から戒名代もかなりな高額で、その時の住職さんやお寺関係者の態度も傲慢だったのが父には我慢出来なかったそうです。 その後、事あるごとに実家にとって高額なお布施やとうば代を要求するお寺のやり方についていけないのもあり、お寺の方針を受け入れられないのです。 その為両親はお寺に不満が溜まり、祖母と話し合った結果、祖母のお骨は手元に置いておくという約束を生前の祖母としたみたいです。(当方は祖母から実際にこの話を聞いていないので両親が本音で話しているかは不明ですが…) しかしこの決断を受け入れられない叔父や親戚から「祖母をきちんとお墓に入れるべき・お金の問題ではない・祖母が可哀想」と言ってきます。 父は断固として叔父や親戚の意見を受け入れずにいます。 私は嫁に出た立場なので何も言えませんが、故人のお骨で家族や親戚がいざこざ起こすのは祖母が一番悲しむと思います。 私は今後どのようにしたら良いでしょうか? 私は祖母の意思を尊重してあげたいとも思うし、交友があった親戚が祖母をお参りしたい気持ちも分かります。 ただ喪主である父の意思が固すぎるので何を言っても父は受け入れてくれません。 

有り難し有り難し 60
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自己嫌悪とこれから

数年前、自分が痴漢をしてしまったのではないか…という恐れについて質問させていただきます(痴漢に性的欲求や快楽を感じたことはありません)。最低なことに、一人で思考することに疲れてしまいました。 上記の考えを抱くようになったのは2年弱前のことです。友人と会った帰り道、ふと頭の中に湧いてきました。SNSで痴漢防止のツイートを見たからだったと思います。それからというもの、自分が痴漢をしてしまったのでは、という思考が止まりません。 確かに事実であるのは、電車に乗っている際、「もし痴漢したら、捕まるよなぁ。」と思ったことがあったということです。これは事実です。一回でもこのような考えをした人間がまともなはずはないと感じます。 痴漢をしていたとしたら、その罪を覚えていないなんて最低だと思います。被害者の方に一生癒えない傷をつけてしまったのですから。しかしそれと同時に、流石に痴漢をしたら覚えているんじゃないかとも思ってしまいます。 また6年前今回と似たように、「自分は万引きしてしまったのでは…。」という考えを持ったこともあります。きっかけはポスターを見たからだったと思います。当時は痴漢の件と同じく、実際にしたか否かが全く判断できませんでした。しかし今では「いや、自分が万引きなんてするわけない。」と、当時の自分の恐れを否定することができます。 しかし、万引きの件を否定できたからと言って、今回の痴漢の件も否定できるとは限らないですよね。実際に自分の罪を自覚しないまま犯罪に手を染めるケースもあると思いますし。 「自分は痴漢していない」→「では、そもそもこんなこと考えないはず」 「自分は痴漢した」→「では、流石に覚えているはずだし被害者に申し訳なさすぎる。」 という考えを持っているということです。 この考えは日によって大きく違い、例えば一昨日は「自分絶対そんなことしない、こんなこと考えるなんて馬鹿。」と思えました。しかし今日は「やっぱり自分は痴漢したんだろうな、ゴミ野郎だ。生きる価値は無い。」と思います。やったと仮定して生きる方が良いことは理解しています。 はっきりしないことが一番怖いです。公に書き込むことで、どうせこいつは痴漢をしたんだろう、と思われるのを怖いと思う自分が嫌です。自分はどう生きていけば良いのでしょうか。生きて良いのでしょうか。

有り難し有り難し 31
回答数回答 3

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