初めまして。 私は40になったばかりの主婦です。 義親と同居してもう16年になります。 本当に上手くいきません。義母は自分がいなくなればここの家は幸せになるといいます。 本当にその通りなんです。 本当に我が家の天皇陛下みたいで義母が言うことはみんなが黒と思っていても義母が白と言えばたちまち白に… 義父にはすぐ暴力をふるい、視覚障害で障害者認定を受けているのに毎日毎日ひどい言葉を投げつけています。義父の心情を思うといたたまれません。義父と義母の話をするときは義母が完全にいないときで義父も昔はこんなんではなかったといいます。 私と義母の関係は水と油です。 それでも上手くやらなければいけないと思い、反抗はせず何を言われてもすみませんと謝ってきました。義父が義母を怒らせた時は仲裁に入り、なだめます。 義母の暴言は本当にひどく、私が流産したときは女としての役割が果たせないなら出ていけとか子供が産めないなんて人間として最悪だとか、あんたはダメな嫁だから息子(私の旦那)は出来の良い嫁と結婚させるから今すぐ離婚しろ…書き出したら溢れてしまいます。私たちが仕事の間に夫婦の寝室や私たちの部屋に入ることは日常茶飯事で本当に嫌です。 義母はよく死にたいと連呼します 私は本当に死ねばこの家は幸せになる本当に思います。義母がいなくなればどれだけ幸せになるかと思うと悲しくて悲しくて…どうして同居なんかしてしまったのだろうと後悔の日々です。 私が義母に対する死ねばいいという気持ちを持っていることに罪悪感はあります。 私がやっていることは因果応報で私にもまわってくるのではないかと思うからです。 でも正直義母に死んでほしいです。 義母が死なないなら私が消えてしまいたいです。
らららら社交的で、思った以上に頑張り過ぎてしまうことが多く頼まれて断りきれず始めたラーメン屋さんの仕事、、ボランティアでしてた国税調査 孫の面倒 辞めている会計士の頼まれた仕事ほか多数、本当にするべき事が多すぎて忙しかったと思います。いつも、走り回り誰かのため自分の事は後回しにして、人のために走り回る母でした。亡くなる前の日、私は次の日子供を見てたもらうため実家に泊まっていました。お風呂入ってる最中に脳内出血が起き朝お風呂場で倒れてるところを見つけました。朝父親が叫ぶ声に慌ててお風呂場に行きました。給湯の音が夜中にもなっていたのは知ってました、、でも、、また、夜中にお風呂に入ってるんだなとしか思わず見にも行きませんでした。お風呂に入らなければ、入ったとしても私がすぐに気になって見に行っていれば、どーにかなったのではと、、なぜ見に行かなかったのか、、そんな事ばかり考えてしまい 母の最後があまりにも虚しく。前の日の夜、風邪気味で熱も少しあったため、、早く先に寝てねーっと言ったのが最後、、お休みと目も合わさず、しんどそうに部屋に行きました。あの頃から、もう予兆は見えてたのかもしれません。、でも、何を言っても後のまつりです。母は帰ってきません。時間よ取り戻したいと何度も思いました。父のことも心配です、急だったため、なんの心構えもなく、お風呂場で目に入った光景は、未だに忘れられません。ただ父親と一緒に母の死を分け合えたこと、死を2人で受け入れ救急車を呼び兄夫婦を呼びに行ったり、父親とお風呂場での時間、、あれを父1人ではなく私も一緒に分け合えたことが、なにより良かったとは思います。 母が一番びっくりしてるのではないでしょうか、私は、まだまだやらなければいけない事がいっぱいなのに、死んでられないって、、なんで死んだのって、、1番悔しいのは母ですよね、、孫の面倒をお願いし過ぎてたなと、、母は自分の事はさておき、私や子供達の事を1番に考え本当に助けてくれました。わたしは母に大した事何1つしてあげれてないです。旦那の実家はわたしのいま住んでる所から4時間ほどです。そちらに引越ししようかと言ってる所でした。母に行ってらっしゃといわれてるのか、、こちらで生活しなさいと言われているのか、、私はもう孫の面倒を見れないから、旦那の実家に行きなさいと死をもって教えてくれてるのかと思ったりしてます。
先日もこちらでお言葉を頂いた者です。 命は親を選んで来てくれると聞いた事があります。なぜ空に帰したあの子は私を選んだのでしょうか。 主人は子供は2人までと言ってました。理由は自営を始めたばかりと言うこと、自分の年齢、子供達に我慢さすこと無く生活させてやれるには、2人が限界だと以前から話していました。しかし私は3人欲しかった。 3人目を妊娠したその月(まだ妊娠したとは思っていなかった)親に借金をしなければならない程に生活が苦しくなっていました。それから妊娠が分かり、その時の話し合いで、今いる子供を守りたいと思ってしまいました。お腹の子の命を取らなかった。私は3人目を欲しがっていたのに、お腹に宿ってくれたのに、あの子の生きようとした強い思いを潰してしまった。あの子はなぜこんな弱い私を母に選んだのでしょうか。 命より大事な物があるのか。自分が情けないです。先祖はどう思うだろう。高齢で父を産んだ祖母はどう思うだろう。母が死産した私の弟はどう思うだろう。生きたかった命全てに申し訳ないです。 どんな命も、生まれなければ良かったと言う命は無いと思います。なのに、なぜ私は堕ろす決断をしてしまったのだろう。なぜあの苦しい時に妊娠したのだろう。一年前だったら、産む選択しかなかったかもしれない。 何故 が頭から離れません。 弱い私だからでしょうか。 何度も申し訳ありません。 今ある私の命は何の為に生かされているのでしょうか。我が子を苦しめてまでなぜ私は生かされているのでしょうか。 全ての事に意味があると思っていました。 でも、あの子は何故。あの時何故私は。と意味の答えが出ないままです。 申し訳ありません。未熟な私にお言葉を頂ければと思います。宜しくお願いします。
過去の過ちを引きずる毎日が辛いです。 あるきっかけで引きこもりになり、周りに置いていかれる焦りと孤独感から異性に依存することに走りました。 ネットで出会い、体の写真が欲しいと言われれば送り、会ってみたいと言われれば会いました。 体も許しましたが、望まない妊娠だけはいけないと思い、最後までは許しませんでした。 会って私に好意を寄せてくれた人がいたのですが、私はあまり好きではありませんでした。 でも振ってまた孤独になってしまうが嫌で付き合いました。 しかし私が浮気をしてしまい、相手を傷つける結果になりました。 その後に出会った彼氏に傷つけられ、その時はじめて相手の痛みを知ってとても後悔しました。 それからは罪悪感でいっぱいで、それを知らない家族や友達にも申し訳ない気持ちで接するようになりました。 大切に育ててくれたのに、他人も自分も大事にできない子に育ってしまって本当に親不孝者だと思います。 結婚も期待してくれているのに、それも裏切る形になりそうです。 自分を好きになってくれる人がいても、過去を知られるのが怖くて自ら距離を置いてます。 恥ずかしい写真がもしネットにあげられたりしてたらとかも考えてしまいます。 全て自業自得なので助けを求めること自体おかしいけど、苦しいです。 他人を傷つけて、自分を安売りした事に自己嫌悪が止まりません。 自殺を考えることもあります。 これからどう生きていくのが正しいのでしょうか...
こんにちは。 うちで14年間一緒に暮らしている猫が、今年に入ってから体調を崩すことが増えてきました。 猫は14歳、人間なら70歳を越えています。 私が社会人になってから、ずっと一緒にいてくれた猫で、悲しいときは慰めてくれたし、嬉しいときは一緒に喜んできた存在です。 私の祖父が67歳で亡くなっているので、そろそろ本当に「覚悟」が必要なのかなと、考えずにはいられません。 猫が生きようとしている限りは、できる限りの治療は受けさせてやりたいし、できるだけ穏やかに最期を迎えさせてやりたいと思ってはいますが、飼い主の私の方がこの先かかる治療費や、猫のいなくなった後の生活など、色々考え、不安で泣かずにはいられません。 どうしたら、猫にこの先「このうちで生きてきてよかった」と思える余生を送らせてあげられるのでしょうか? そして猫も、ちゃんと成仏して仏になることができるのでしょうか…?
前職は年齢的に重圧を感じてしまい退職して、その後は親を介護しながら家事をこなしていました。 親は通所施設を利用してる為に、昼間は殆ど自由な時間になります。 その為に仕事はもうやりたくないと決心した筈なのに(また悩むから)少し働こうと探した結果、職種や勤務形態が希望する会社に採用されました。 職場の人達は嫌な事を言う人も無く、親切に教えていただけます。 しかし私が能力的に中々覚えられず、申し訳ないのと恥ずかしいのとで「私にはもう無理だ!」と逃げ出したい気持ちがまた出てきてしまいました。 今迄も転職経験は数回ありましたが年齢が若かった事もあり、乗り越えられました。 新しい職場では50代後半のオバちゃんが入社して来て、「覚えられるの?」みたいに思われてるようで、私自身が居心地悪さを凄く感じて辞めたいと感じてしまいます。 この年齢で採用された事に感謝して、覚悟をもって業務に臨まなければいけないのに、仕事を探してしまった事に後悔したり、情け無くて仕方ありません。 今迄もこのように、数日で辞めた事が2〜3あります。 職場にご迷惑をお掛けしました。 それを自覚してて、また仕事を探してしまったのです。 みんな自分の仕事で必死で、誰も私になど関心が無い筈だと思い込もうとしても、子供の頃から人と関わるのが苦手で、勝手に気に病んだりして自分を追い込む性格がこの年齢になっても変わりません。 自分で自分を生き辛くしている事は凄く認識しています。 でも変えられません…直りません。 何か良いお言葉がいただきたく投稿させていただきました。
最近夕食がとても辛いです。弟、父、私でテーブルを囲んで食事をするのですが会話が何もありません。弟はテレビを見ながら、父はスマホを見ながら食べてました。その状況が耐えられず2人が食器を片付けるまで待ち、2人が自分の部屋に戻ったあと食べかけのご飯を食べてました。食べてたら高校で友達と昼食を食べて笑って話してたことなど思い出して涙が出ました。寂しい、高校の頃に戻って友達とまた昼食が食べたい気持ちが止まりません。誰かに撫でてもらいたい褒めて欲しい。一人暮らしが出来るまで我慢しようと思うのですがこの寂しい気持ちを抑える方法はありますでしょうか?よろしくお願いします。
身体の痛み、不調がある知り合いがいます。 病気を治してほしいとはいいませんが、その方が自分のやりたいことを十分できるように、お寺での祈願をしたいと思っています。 その方はお坊さんなのですが、他の宗派のお寺で祈願されたり、そもそも自分が祈願の対象となることは、不愉快なものなのでしょうか。
私は子供の頃から片づけや掃除が苦手でした。 でも少しずつ努力をして、人並みの綺麗さを保っています。 (服も40着ほど、食器・コップ類も二人暮らしで40枚程度に減らしました) 断捨離ブームもまた、私のやる気を引き出してくれたと思います。 それでもまだまだ怠けていますが。。 そこでふと疑問に思ったのです。 私の行くお寺はすごくきれいで掃除も行き届いています。 やっぱりお坊さんが私生活で使うお部屋も、物が少なくてきれいなのでしょうか? お坊さんの暮らすお部屋がとっても気になります。 お寺みたいにすっきりしてる? 断捨離なんてくそくらえ、コレクションのガンダムの模型とか洋酒を飾っているお坊さんなんていないの? 掃除が苦手だけれど修行するうちに綺麗好きになったお坊さんのお話も聞いてみたいです。
はじめまして。22歳の女です。 私は小学生くらいからいじめに合ったり、人から裏切られたり、拒絶されたりしました。 いじめられた時に言われた「ほんとにお前いらないよね」という言葉はトラウマで、一生忘れることはないと思います。 そして、幼少期から父親がDV(言葉の暴力)紛い(今は年を取り丸くなりました)で、常に父親の顔色を伺いながら生活をしてきました。今でもそれは癖になり、治りません。 このことから人を信用できません。信用することが怖いです。 友達や仲いい人はいますが、どうせ裏切られたりするんだろうな、などと思ってしまい、本音で話すことはできません。(成長につれ基本的に愛想は良くなったので、比較的人間関係は穏やかです) どうしたら、人を信用して自分の事を話せるようになりますか…? 今更ですが、人を信用できるようになりたいです。 良ければアドバイスよろしくお願いします。
長い長い闘病の末、愛する夫を亡くしました。 今、病気から解放され大好きな我が家でのんびりしてくれていると思います。 生前食べることのでかなかった好物や嗜好品をお供えし、よく見ていたテレビ番組をつけてみたり、聞こえるかもと話しかけてみたり、、。 彼を思っては涙が溢れます。そばに居て欲しい、近くに感じていたいと思います。 しかし、親族より納骨を迫られ、建て前は四十九日、本音は相続のため、納骨せざるを得ない状況です。 理不尽で、何より彼の気持ちもわたしの気持ちも全く汲まれていないことが悲しくてなりません。 間も無くその日がやってきますが、辛い気持ちは増すばかりです。その日をどんな気持ちで迎えれば良いのか、その後どう思っていけばいいのか全くわかりません。 分骨は良くない気持ちがありますが、埋葬してしまうべきなのか、一緒に居たいと言う気持ちで手許供養して良いのか、正しくはどうなのか。 分骨は良いことではないのでしょうか? 一片手元に置いておいた場合、その部分のお骨がないことで、彼は困りませんか? そして、いつかわたしが亡くなったとき、わたしと実家のお墓へ納骨してもらうことは大丈夫でしょうか? こんな気持ちで納骨日を迎えることは、彼にも申し訳がなく、どうか良いこと・正しいこと、悪いことを教えて下さい。
こんにちは。 先日は質問にご回答ありがとうございました。 いきなりですが、私は今20代前半なのですが、その分人生経験は少ないですが今まで生きて自分の性格がひねくれいるなと思います。 損得で動いてしまう所、自己中な考えを持っていること、考えれば考えるほど自分のいい所、自分が分からなくなってきます。 会社でも年配の人が多く自分が何も出来ないことに毎日痛感してとても苦しいです。 どうしても自分を変えたいです。自分でも気づかない内にこのような性格になってしまいました。 少し話の意図がずれてしまいますが、そのせいか、人に嫌われたり当たられやすいです。 助けてください。
弟が4月に自死、永眠しました。41歳でした。 義妹、娘(当時7カ月)うつ病で処方薬を大量に飲んで朝ベッドで。 夏頃母が夢を見たそうです。 弟と母、私と韓国へ。飛行機で行ったのに降りるときは何故バス。 先に弟が降りるとどんどん先に行ってしまう。 母は”待って○○!”’と叫んで呼び止めたと。 でも弟はどんどん歩いて、なぜか川があり、その川の中も速度落とさず振り向きもせず歩いて行ったそうです。 弟の姿は3歳位の男の子、グリーンとベージュのボーダーのTシャツに紺色のパンツ、重箱位のものを風呂敷にくるんで持っていたそうです。 私が母に”ここは言葉が通じないからお金を渡したらわかるかも”と言ったと。 目が覚めた母は寝たら続きが見れるかもとまた寝たかったみたいです。 カラーの夢も初めてみたいでした。 何か伝えたかったのでしょうか。 宜しくお願い致します
私は30代後半にして、キャラクターグッズが大好きです。キャラクターものは、子供や若い子の特権で、おばさんが付けているのはおかしいと言われました。そろそろやめたほうが良いでしょうか??持ってるととても幸せなんですが、
巳の日に、友達と弁才天様に 金運の願掛けにお参りに行こうと思って そのお寺に問い合わせして、祈願の作法を質問しましたが、自由で良いですと、言われました お寺の本堂に弘法大師様がいて、その横に弁才天様が、いらっしゃいましたが、 お賽銭とか、必要なのかな? お参りは、神社とちがうだろうし、 わからないことばかりで どうか教えてください
悩みはタイトルの通りで僕は自分で自分のことが信じることができません。 周りの人が歩み寄ってきてくれたり、チャンスが巡ってきても何かあったら逃げるんじゃないか、他人のことを裏切ってしまうのではないかと思って結局いつも自分から距離をとってしまいます。 どうしてそう思うかというと、よくないことですが自分は嘘をついてしまうことがあります。事情はどうであれそういうことをして周りを裏切り傷つける自分をしんじることができません。これに関しては自業自得ですよね。 もうひとつとしては過去の経験があると思います。小学生の頃いじめにあった際、嫌なことがあった時は自分を否定することで過ごしてきました。理不尽や不条理なこともあったけど、それは全部自分が悪いから仕方ないと思うことで納得させていました。その為それが今でも癖になっている気がします。 以前凄く落ち込んだ時期があり精神科で診察をうけた際には病気はないけど、極端に自己肯定感が低いと診断されました。 どうすれば自身を信じ肯定することができるのでしょうか?
何回も質問してすいません。 原因不明の病名で歯の噛み合わせでは?と言われましたので歯医者に通っております。3ヶ月で歯医者を3件変えております。 行くたびに言っていることがまちまちで大変迷っております。 噛み合わせも全く合わなくなってしまっております。 1件目の歯医者は、噛み合わせが深い・2件目は、噛み合わせが深い人はたくさん居る。3件目は、そのことを言ったら首をかしげておりました。 今は、仮歯にして様子を見ている感じです。 どの歯科医に相談してもあいまいな返事で解決にはいたりません。 歯医者を変えるたびにあいまいにされてしまい今後どのようにしたらいいのかわからなくなりました。 アドバイスの方を頂けたら幸いです。
仏教のことについて、著作権法では私的利用の範囲なら 著作者に許可を取らなくても画像を保存するなどが許可されていて、権利者が無断での転載.使用などを禁止している場合でも法律的には問題ないそうです。 ですが、仏教ではこれが偸盗に当てはまる様な気がします 権利者が保存などを明確に許可していない場合(無断での転載や使用を禁止している場合も含む)また、無許可で作者がXなどで公開している作品の画像を保存するのは、私的利用でも偸盗として罪に当てはまるのでしょうか?過去に違反してしまったことがあったので、罪なのかどうかが気になりました
現在も過去も不運な事ばかりおきます。 お祓いは効くのでしょうか?
日蓮宗のお坊さんに質問させて頂きます。 日蓮上人の御命日でお忙しい中、見て頂きありがとうございます。 本日は「回数」について、決まり事なのか作法なのか、もしくは気にしなくてよいものかお聞きしたく思います。 様々な場で「3」が出てくるように思います。 1)方便品第二の十如是を3回唱える 2)第二や第十六、唱題が始まってしばらくすると、3回お鈴を鳴らす また、 3)焼香は3回かと思っていましたが、葬儀会社の人に1回でお願いしますと言われたことがある(たまたま参列者が多かったから?) 4)お線香を2本あげていたら、それならもう1本あげて3本に。(と言われたことがある。) など、です。 その他、信徒であるなら心得ておいたほうが良い回数や数字にまつわることもございましたら、教えてください。 よろしくお願いします。