hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
hasunoha 問答検索結果 : 「 宗派 」
検索結果: 2822件

自分や他人の性に対する認識に疑問

偏った質問かもしれませんが子供の時からずっと疑問に思っている事があります。よろしくお願いします。私は幼少期から恋愛や性に対してトラウマや固定観念のようなものがあるのかもしれません。 私は基本的に愛の無いsexというのが信じられません(愛とはなんぞやという話になってしまうかもしれませんが)世の中には不仲と言いながら夫婦で何歳になってもsexだけはしていて見る気も無いのに子供が出来てしまうとか、経済的に難しいと分かっていながら子供を作ったり、好きでもない相手とsexだけはしてしまうという方が普通という風潮を疑問に感じます。ましてや子供を理由に結婚(デキ婚)、性に対して開放的である方が世の中を知っているというようなメディアの言い回しにも正直理解出来ません。 世の中確かにそんなに純粋には行けないですが、正直昔から話を聞くだけで吐き気がしてしまい、特に命を軽んじるような下ネタなどで盛り上がる大学生の話を横で聞いてしまいトイレに駆け込んで吐いてしまった事もあります。。。理由を言ったら周りは純粋過ぎる!そんなんじゃ生きていけない!結婚なんて出来ないよ!!と笑ってドン引いていました。。。 自分がこの先誰と結婚するのか、しないのかは知りません。でもどうして自分から自分を傷付けるような人生をみんな選ぶのか疑問で仕方ないんです。お互いを大切に出来るなら勿論体を譲っても素晴らしいでしょうが、でもそれだけが深いコミュニケーションなのでしょうか?よく浮気癖のある人を目の当たりにする機会が多かったのですが、結婚や子供を作るという社会的な自分という尊厳を手に入れようと簡単に差し出すほど、実際は見た目にも枯渇して行ってるように見えました。本人達が幸せならそれでいいのでしょうか、問題はそれに付き合わされる子供や周りの気持ちを考えると途方も無いです。 自分自身は人とそんなに比べた事は無いですが性に対しては多分淡白な方で(好意を持たれた相手を突き飛ばす程度には)多分自分がおかしいのかもしれません。 昔、戦中戦後などは"必要要員"として産めよ育てよの体制で子沢山、子供は授かり物の風潮だったのは分かりますが、例えば海外ではむやみなsexや妊娠、出産はDVや子供の精神衛生に関わるとして(既に居る子供の前で性的な話をすると虐待になるなど)疑われたりするそうですが、昨今の日本では真逆の風潮のように感じています。。。

有り難し有り難し 22
回答数回答 2

鬱を繰り返す

(編集部より。規約により一部投稿を変更しています) 私は昔から鬱傾向にありました。体調面では頭痛が続いて、一日中痛く起き上がれずです。今そういう時期です。仕事には行かなくてはならないのに、気持ち沈むと行けずに、結果休み迷惑をかけるの繰り返しです。心療内科には行きました。今定期的に行っている病院は3件目です。自分に合っているかはわかりません。ただ、薬を無しで治したいと思い、沈みそうになった時は、ポジティブな事を考えたり、マイナスな感情が浮かんで来たら、消えろと強く思っていますが、それも限界です。去年の9月29日、前の職場の方との縁があり、ある宗教に入会し、惰弱な自分・鬱に悩まない生活を改善したいと思ってました。ただ、私は元々マイナス思考な性格な為、祈っても祈っても完璧改善はなく、その宗教の人は優しく親切な人が多いのだろうと思ってましたが、メンタル病んでる人には優しくないのでしょうか?ステージ4の癌が治ったとか体験談で語る人いますが、ステージ4の癌が治るなら、鬱も治ってもいいと思います。何か解決策げない問題に直面すると、ご祈念が大切・必死に祈れば叶わない事はない。そう言われます。それなら、私は必死さや精一杯が基準値より低いのでしょうか?全ての人が幸せになれないし救われるは嘘でしょうか?疑う気持ちがあったら、何も変わらないそうです。でもメンタル落ちた時は、何もかも疑ってしまう。それも理解してもらえない。悲しい事です。どうすれば心穏やかに生活できるのでしょうか?仕事も休まず行きたいです。信頼される人で在りたいです。

有り難し有り難し 50
回答数回答 2

実年齢より若く見える

私は、結婚前からお寺巡りを趣味にし、法話会や特別拝観などを楽しみにしている年齢の割に合わない趣味をしていました。 京都、奈良は年一回、普段でも休みの日は鎌倉等に出かけていました。 私は、見た目を若く見られる傾向がいまでもあるか、年齢のわりに幼い所を見過ごされるのかはわかりませんが、お寺に行って拝観料、拝山料を収める時や写経して納経帳をお願いする時に(拝観時間や常識のある時間にに行ってます)お坊さんやお寺の人に私からすれば面倒くさそうな顔をされたり、あんたに何がわかるの?的な顔をされたりされた事がたたあります。 仏教に興味があり、座禅会に行ってたお寺でまだまだわからない事もありあってお坊さんにもっと知りたいのでオススメの書籍はありますか?と相談したら、煙たがられ座禅会を辞めた事もあります。 写経して行っても、あんたが本当に書いたの?と疑われたり、写経会で一番に書き上げたらビックリした表情されたりと、時々不愉快になる事がありました。 お寺は誰が行ってもいいんですよね? 得に忙しい時期に行ったわけでも、法要等のある日に行ったわけでもありません。 なのに煙たがられました。若いから行ったら行けないんですか?年寄りなら歳相応でいいのでしょうか? 受け入れてくれる所には何度も足を運び、法話会にも毎月行ってました。 そりゃあ、来る人の中では若いので多額のお布施はできませんが、見た目で判断されても嫌です。(ハデハデしい今どきファションでお参りに行った事もありません。)  カバンから数珠やお線香を出してお参りしている時でも、檀家さんでもないから?か嫌な顔されたり、イヤイヤ納経帳を書いているように見られます。 ハッキリ言って一度くらいそのような態度をとった人に理由を聞いてみれば良かったと本当に思います。

有り難し有り難し 51
回答数回答 5

三回忌に行けないことを許してもらえません。

もうすぐ、夫の父の三回忌なのですが、どうしても行けません。 いえ、行きたくないのです。 夫の母と妹が法事を計画しているのですが、家族全員での出席を求めてきます。 夫は病気で介護施設にお世話になっていて、外を歩くことも難しく、食事も飲み込む力が弱くなってきているので、軟らかくした物を用意してもらっている状態です。 一周忌の時は、どうしても法要に行きたいという夫の気持ちを尊重して、介護タクシーを頼み、やっとの思いで行きました。 介護タクシーにも費用がかかったので、会食もありましたが、御仏前に1万円包みました。 家族揃って出席できて良かったなとも思いました。(昨年は夫も普通の食事を食べることができたので。) しかし、後から妹に、御仏前として包んだお金が少ないと言われとても傷ついたのです。 5万円が相場だと言われました。 この時、夫の母と妹が私たちの生活の大変さをわかってくれる人ではないと理解しました。 長い間闘病していて、介護費用もかかっていて、それを私が支えているうちの経済状況が大変なこと、 夫の体の状態も大変で介護専門の人に同席してもらわなければ出席は無理なこと、 それでも一周忌にみんなで出席したのは、夫と亡くなったお義父さんとお義母の気持ちを大切にしたからだということ、 今後はお付き合いの仕方を考えたいとのことを伝えました。 ですが今年また三回忌に全員で出席してほしいと言われています。 私は上記の理由でもう行きたくないのです。 夫は行きたいと言うかもしれませんが、体の状態もあって難しいと思っています。 子供たちには、私と義家族の間であったお金の話は伝えたくありません。 義妹はお断りしても、大切な三回忌のことをどう考えているのですか? と、責めてきます。 義母と義妹で好きなように法要はやればいいとおもいます。 ただ、体の状態や、心の状態、その他もろもろあって欠席ということを認めてもらうにはどうしたらよいでしょう。 私は亡くなったお義父さんの為に祈ることも、お寺に行くことも、お墓参りに行くことも嫌ではありません。 私たちの苦労になんの配慮もない義母と義妹に合わせることが嫌なんです。 私と子供たちでお墓参りに行くだけではダメでしょうか?

有り難し有り難し 16
回答数回答 2