私の実家はお寺です。 民間企業で働いていたのですが家族や檀家の方々のことを考え、急遽地方僧堂へ修行に行きます。 実家は継がなくて良いから好きに生きなさいと言われ、自分のことしか考えずに生きてきました。お寺の息子でありながらお寺のこと、仏教に関しての知識はまったくありません。 こんな私でも檀家の方々を導けるのでしょうか? 最後に上山前に最低限覚えること、心構えなどを教えていただけると幸いです。
お世話になります 自分は 今仏教を勉強したいと思っています ここには同じようなお考えの質問者様も多数おられて 他の方の回答も読みました ただ仏教の本を読むだけでは勉強にはならず 心から尊敬できる師匠の下で学ぶのが良いという お坊さんのご回答を読みました それで私もそうしたいと思ったのですが どうやったらそのような師匠と出会えますか?? 自分の住んでいる地域で( プロフィールに書いてある職業欄の方が正確な住所です ) 出会えるのでしょうか? 変な話ですが ごく遠い知り合いの地元のお坊さんは ( お客様でした、今は疎遠です ) 女好きで、離婚歴があり 彼女がいるのに私には「 友達 」としか言わず 今女がいないからといっていました ( たまたま彼女さんをお客様として 私のお店へ連れて来て下さり その時、彼女から「 私の彼氏が連れて来てくれた 」という お話をしていて事実がわかりました ( 勿論何事もなかったように接しました ) このお坊さんは典型的な女好きだなと思いました まだばれていない時 彼女さんがいるのに、私のお店で6時間のコースを予約して 店外デートをしてみたいと言っていました ( お金には余裕があるみたいです? ) ( お断りするつもりでしたので、デートはしていませんし 今は疎遠です ) 特に何の関係もなかったですが そのお坊さんは とても笑顔が素敵な方で、お喋り好きな方で 魅力はありました 少し、気になりだした矢先でした(笑) 危なかったです!! ( かなり以前のお話です ) 血液型は関係ないですが その方はAB型で 明るく気さくな反面、いけないことはいけないと とてもハッキリとおっしゃる厳しい面もお持ちでした ( そこにも嫌気がさしましたが ) 話が長くなりましたが 遠い知り合いのお坊さんには このような方もおられ とてもこの方からいくら知り合いでも? 仏教を学びたいとは言えなくて・・・ 心から尊敬できる師匠に出来れば地元で出会いたいのですが どうしたら良いのでしょうか? よろしくお願い致しますm( )m
実家が寺院です。 住職をしている父親の在り方に疑問を覚えるとともに、自分の将来について悩んでいます。 現在、人々のお寺への関心は少しずつ薄れているものと思います。そんな中、私の実家は今でも多くの檀家の方々に支えられ、お寺として成り立っています。しかし、父はその有り難さが分かっていないように思うのです。 具体的な収入(僧侶が頂くお金を収入と呼ぶのは語弊があるかもしれません)を私は知りませんが、高級車を何台も乗り継ぎ、沢山の娯楽品を購入し、暴飲暴食…。具体的な発言があったわけではありませんが、「僧侶も職業だ。稼いだ収入を好き勝手使ってもいいだろう」というような気持ちが根底にあるように思います。 お寺の管理として沢山の工事も行い、綺麗なお堂を建てる一方で、景観として素晴らしい大きな木を何本も切り倒すようなこともありました。 非常に恥ずかしく思うとともに、悲しく、また、檀家の皆様に申し訳なく思います。そんな父の「粗さ」に母親が涙する日も増えました。ただ、私もまた、そんな父の援助があって、仏教科ではない別県の大学へ進学しているため、やっていることは本質的に父と変わりないのだと思うと、苦しくなるばかりです。 父親のような僧侶にはなりたくないと思います。ただ、日々誰かの死と向き合う仕事ですし、お寺としての管理も父なりに苦しんで考えているものと思います。大きなストレスもあるでしょう。父がどんな気持ちで高級車を乗り回しているのか、分かる気もします。改めて、現代におけるお寺や僧侶というものの在り方の難しさを感じます。「苦しすぎて私にはとても継げない。」「自由に暮らしたい。」「普通の家庭に生まれたかった。」そんなことを連連と考えてしまいます。 悩みやすい性格で、父親のことも悩みの一端に過ぎません。ただ、お寺の道に進むのか否か選択を迫られる時期が近づいてきており、「お坊さん」として生きていらっしゃる方々の言葉を聞いてみたいと思い投稿しました。 お坊さんとしてお金とどう向き合っているか。お寺への関心薄れる現代において、お坊さん・お寺として、今後どう在るべきか。また、悩んだ末に実家を継いだ方がいらっしゃいましたら、その決断に至るまでのお話など、相談としては漠然としており申し訳ないですが、何かご意見頂けると有り難く思います。
某新興宗教の信者の家庭に嫁ぎました。結婚直前に義母からそのことを知らされ、彼に「私も入信しないといけないの?」と確認したところ、「いやなら入らなくていいよ」と言ってくれたのでその言葉を信じて結婚しましたが、地域の信者の方から次々に会合や行事に誘われます。 信じていない者にとってはその場に居ることもつらくかんじるような集まりでしたのでことわると義母から 「なぜ反対するのだ」と言われ 「反対はしていない、お義母さんの信仰は自由です。私にも信仰しない自由があります。彼は結婚前に入信しなくてよいと言ってくれました」というような説明をすると 「それは息子が優しいから言っただけだ」などとしかられましたが、入信しないで30年近くすごしてきました。 最近になり義父が病を完治できず、施設に入居しました。すると信者の方2人がちょくちょく面会にきてくださいます。立派な行いと思いますし、とても感謝しておりますが、だからといって入信をまたすすめられたらいやだなと思ってしまいます。 信仰とは神様とか仏様とかと自分の心がどう向き合うか、ということで、つきあいでするものじゃない、とわたしは解釈しています。また、結婚するまで隠していて後から無理矢理のように入信させるやり方、選挙運動、書籍や新聞などたくさんお金を使わせる事などに不信感を持っていますし入信を勧める時の、「私たちは人として正しい道を進んでいる。あなたは道を間違え真っ暗闇に居るのだから私たちが導いてあげる」という言い方にも抵抗があります。 私は心が狭いでしょうか?人様から非難されるようなことをしているんでしょうか?
この数十年、お坊さんが身近になりすぎて、低俗な存在になったように思います。 テレビ番組や新聞で、「お坊さんが好きな焼き肉のメニュー」、「お坊さんも出会い系サイトを利用したり、身分を隠してキャバクラで遊ぶ」、「強姦や暴行で僧侶の男が逮捕される」等をよく見るようになりました。 この現状について、どう思われますか?
最近仏教の教えを知り、大変惹かれております。 そこで、「眠れないほどおもしろい 日本の仏さま」という本を読んでみたら、本を読むのが苦手な私でもすぐに読みきってしまうほど面白く、さらに仏教が好きになりました。 もっと色んな本を読んで仏教についてよく知りたいと思ったのですが、お坊さんオススメの本はありますでしょうか。 お釈迦さまの教えや仏さまについて、お坊さんの暮らし、有名なお坊さん、仏像、お寺などなど… 仏教についてならどんな事でも知りたいです。恥ずかしながら、今までこういった事に興味を持った事がなく、本を読んだ事がないどころか勉強もまじめにしていなかった為ほぼ何も知りません…。 何か、これは読んだほうがいい!ですとか、これを読めばよくわかる!というような本がありましたら、教えて頂けませんでしょうか。小説でも漫画でも何でも構いません。どうぞよろしくお願いいたします。
いつもお世話になっております。 まずは先に、お詫びとお願いを申し上げます。 この質問の題名および趣旨が私の見当違いであった場合は、平にご容赦くださいますようお願い申し上げます。 ご縁を新たにして以来、今のところは具合が順調に落ち着いております。ですが、あらたなお寺も件の寺と同じ新義真言宗の寺院です。 件の寺では、しゃべり好きのおじいちゃんが若いお客様に一生懸命お寺のルーツや住職さんの経歴を聞かせてあげていたのをカウンターの寺務員さんが集団でにらみつけていたり、 祈祷の後のお話でお坊さんが「ちょっと指導を受けただけで退職や中退してしまうような弱いお子さんに育ててはだめですよ…」などと言っておられたり… そこで、ご質問させていただきます。 真言密教、おもに新義真言宗では自分で覚りを開く能力のない障害者や病人、そしていわゆる「弱い人」は、 救済や極楽往生の対象ではないのでしょうか。地獄や畜生道、餓鬼道などに落ちてしまってもかまうな、という教えなのでしょうか。 私は平日の昼間に出歩くなど頻繁なので、次のお寺様とご縁が切れてしまったり、大好きな仏さまと疎遠になってしまうのは悲しいです。 私たちは、真言宗さんにお参りしても本当にいいんですか? 見当違いな質問だったら大変申し訳ございません。 これからも様々な仏様とのご縁を大切にしていきたいので、 どうかご教授願います。
いつも大変お世話になっております。 以前、失恋の節に多くのお坊さん方に温かいお言葉を頂いたお陰で、心身とも回復し、元気で日々を送っております。 そのような中、新たに心惹かれる存在ができたものの、やはり中々上手くいかず、再度お知恵をお借りしたいと思い、ご相談致します。 自分の感情を抑えきれず、気持ちを押しつけてしまった前回の反省から、今度はしっかり相手の気持ちを知った上で、導いて行こうと決心しております。 しかし、その相手の気持ちが、中々男女の関係に発展するように思われないのです。 相手は同じ会社の別の職場で働いている人で、二人での食事の誘いには何度か快く応じてくれていますが、話の内容は仕事の事ばかりです。 私としては、彼女をもっと知りたい、理解したいと考えているのですが、相手からは中々自分の気持ちを話してくれる事はなく、どうもお互いの間に温度差があるようなのです。 私自身は最近職場が異動となり、希望叶って新しいフィールドで働きはじめました。 現在は仕事にとてもやりがいを感じて打ち込んでおります。また資格取得の勉強や、新たな趣味も始めて、社会人になってから一番充実していると感じています。 しかしそんな中でも、好きな人の事が大きなウエイトを占めすぎている気がします(只今も昨日食事に行った際に上手く気持ちを伝えられなかった為、苦しみで眠れないところです)。 このままでは以前のように自分に歯止めが利かなくなり、お互いが悲しい思いをする結果にならないかと大変危惧しております。 冷静に今の自分を見つめるため、私に足りないものを、お坊さんの視点から客観的にご指導頂けると、大変ありがたく存じます。 どうか、宜しくお願いいたします。
私の知人が浄土真宗のお寺に嫁ぎました。 実家はサラリーマン家庭で、真言宗の檀家さんだそうです。 彼女自身は特に宗教に興味も抵抗もなく、実家にいた時はお仏壇にも神棚にも手を合わせることが特に宗教行為という認識を持たずに「祖父母がそのようにしているから自分もしていた。」程度だと言っていました。 彼女は嫁ぎ先のお坊さんの勧めで僧侶の資格も一応取ったと言っていましたが、 未だに信仰心も湧かないし、苦労していると言っています。 特に苦労するのが年中行事だそうで、初詣やクリスマス、七五三、地域のお祭りで神輿を担ぐこと、など自分が子供の頃楽しみにしていたイベントは殆ど全てが仏教的に(もしくは浄土真宗的に)NGだったり、必要ないとご主人が言っておられるそうです。 彼女にはお子さんもいますが上記の理由で自分の子にそのようなイベントをしてあげられないということに対しても、とても落ち込んでいます。 そこでお坊さんにいくつか質問です。 1、お坊さんの奥さんは嫁ぎ先のお寺の宗教を信仰してますか?(するべきですか?) 2、お坊さんの家族は嫁ぎ先のお寺の宗教以外の宗教行事を控えてますか?(控えるべきですか?) 3、宗教に対して興味を持っていない奥さんや家族に対して、お坊さんはどのようにご自身の宗教を伝えてますか?(伝えない、伝えているけど受け入れてもらえない、伝えたくない等、色々あるかと思います。) ぜひ教えてください!
私の父は以前働いてた会社が倒産し、無職になりお金が無く、学費も材料費も検定代も成人式の振袖代も自分で稼がないといけません。そのためほぼ毎日バイトをし、多い時では6連勤もし、身も心も疲れました。 そんな時思うのです。もし父がちゃんと働いてお金があれば、怖いお客様のクレームに我慢しながらバイトをすることも無く、自分のやりたいことに時間を使ったり、観たかった映画を観たり、読みたかった本をとことん読んだり、自分のことに時間が使えるのにと。 周りの友達もバイトをしてますが、学費に使わず、ディズニーランドに行ったり、遠くまで旅行したり、好きなアーティストのライブに行ったり、すごく羨ましいです。私には到底出来ません。 私だって普通の生活がしたいのに、普通の生活って何なんだろう。今私が生活しているのが、普通の生活なのだろうか。 普通の生活って、何ですか?
障碍者です。 在宅で仕事はしています。 色々な仏教の本を読み、 心の平安や人間的な成長をするには、 大変ですが、僧侶になるのが良いのでは とおもいました。 ネットで調べると、得度〇〇万円とか ビジネスの匂いがするものがたくさんあり、 自分が目指すものではありません。 私が僧侶になり(なるために)したいこと ・在宅で僧侶になる(お寺に所属しなくてもよいです。) ・仏教の勉強・理解を深めたい ・関係する全ての人が日々を平安な 気持ちですごせるようにしたい(私を含め) 在宅の僧侶には、どうすればなれるでしょうか? 恐れ入りますが、お教えください。
子どもたちが亡き元夫の洗脳みたいなものにより、宗教を猛烈に批判します。 悪口を言ったり私がまだ付き合いがあるのをものすごく否定してきます。 とてもいいお坊さんですし、悪い宗教ではありません。正直どうしたらいいかわかりません。 元夫も母の影響で物凄く宗教自体を嫌い、急死してしまいました。同じように悪く言う子どもたちが心配だし自分が言い聞かすこともできず悩んでいます。 子どもたちの名前も亡き元夫と相談し画数など見ていただき、そのお坊さんに考えてもらいました。それすら、何でお坊さんに決められたのかと言われています。 説明しても納得しません。
私はお坊さんのお葬式でお経を唱えたり仏様の前で修業したり、滝業、座禅をしているイメージです。これを毎日している事でしょうか? 1、お坊さんは運動はするのでしょうか? 2、お坊さんは暇な時はゴロゴロしているのでしょうか? 3、お坊さんはスーパーやコンビニ等で買い物はするのでしょうか? 4、お坊さんは車の免許は持っているのでしょうか? 5、料理は自分で作ってるのでしょうか? 色々と気になるので質問しました。
初めて投稿させていただきます。 yukkoと申します。 お坊さんとのご縁を探しております。 もし、出会いの場がありましたら、教えていただけますでしょうか?
こんにちは。今回は、以前から気になっていたことを質問させて頂きます。 私は、お坊さんの戒名(法名)に興味をもっていて、例えば実際のお坊さんの戒名いろいろを見るのが好きですし、そのお名前の背景を想像したりしています。 そこでふと気になったことがあります。 . 1、実際には、現代日本のお坊さん方は、どのように戒名と本名(元の名前)を使い分けているのでしょうか? 昔は、俗名を捨て戒名を本名として生きるのが一般的だったと読んだことがありますが、現代では変わってきていると感じます。 初対面の人に自己紹介する時、書類などに署名する時、など、様々なシチュエーションによって使う名前も違ってくるのでしょうか? 2、戒名を頂く際は、ご本人の人柄やゆかりのある物などにちなんで名前を構成することもあるのでしょうか? . 多数の一般人にとっては「新たな名前を頂く」などの経験はあまり無く、私のような者にとっては、戒名は未知の世界です。そこで戒名(法名)の実際の仕組みや扱われ方に興味を持っています。教えて頂けるとありがたいです。
お仏壇にお供えしている白湯と白米は、御本尊様への物だと聞きましたので四十九日に使っていたものを使い別に故人様用にお供え物をしていますが問題ありますでしょうか? また仏教は、肉や魚卵牛乳など禁止されている考えを持っているのですが四十九日を過ぎたら肉類もお供えしたいと思っていますがやめた方がいいのでしょうか? 前回と似た様な質問ですがよろしくお願い致します。
はじめて質問させて頂きます。 幼い頃にいつか自分も死ぬと自覚してから、死の恐怖に襲われます。 hasunohaにも同様の質問がたくさんあり、たくさんの回答を読ませて頂き仏教の宗教観にも触れ恐怖感が薄まることはあるものの、心の奥底にどうしようもない恐怖があります。 私が一番怖いのは、死んだら身体も意識も消滅し、全てが無になってしまうことです。私は今の生活をとても幸せに感じており、これが私や家族の死によっていつか終わるということがものすごく悲しく、おかしくなりそうです。そして、死後、私の意識は一体どこに行ってしまうのか、消滅するということは私にとってどのような感覚なのか(死んだら感覚なんてないと分かっているのに、感覚がないという実感がわからない故に不安になってしまう)と考えて、胸が冷たくなり、凄まじい恐怖に襲われます。 私が好きなものも全て手放さなくてはならないこの世界が憎く悲しく、最悪の世界だと思ってしまいます。 この恐怖から、今私が存在していることが気持ち悪く思えてしまうようになりました。いま意識があるという状態が気持ち悪いです。見てる景色がテレビのワンシーンのように思えるのに、そこから離脱できない自分が気持ち悪いような感覚になり、発狂しそうになります。 家族が大好きなのに、死ぬのが怖すぎて生まれたくなかったと思ってしまいます。こんな思いを自分の子供にはさせたくなくて、将来子供をつくるのも躊躇ってしまいます。生まれなかったら死ぬこともないから、そっちの方が断然幸せなのではないかと思ってしまいます。 そして、いつか死ぬと思うと、人生が虚無に思えます。なにをしても最後は死んでゼロになる。宇宙さえもいつかなくなると思うと怖くて叫んでしまいます。そう思うと本当に生きているのがしんどくて、いっそ今死んでしまった方が良いなどと意味のわからないことを考えてしまいます。 まとまりがなく、感情的な文章で本当に申し訳ございません。 私の意識は死んだらどうなるのでしょうか。そしてこの様々な恐怖はどうやったらなくなるのでしょうか。弱い私に、どうかご助言をよろしくお願い致します。
仏教の入り口に立ちなにやら分からなくなってしまったので教えて頂きたいのですが 仏教の到達点は苦しみから救われることだとの解釈をしていますが、どのお寺でも心願成就のご祈祷やお守りがあります。 望むこと自体が欲なはずなのに心願成就をお祈りして叶うのでしょうか。それともその心願自体が苦しみであるからその捉われから解き放つという意味なのでしょうか。 例えば、守るべき人の為に出世したいとか、好きな相手を幸せにすることが己の幸せ《救い》とか願ってはいけないことなのでしょうか。それすらも捉われであって身を任せなければならないのでしょうか。 で、あれば仏様に祈る心願成就とは何を祈るべきなのでしょうか。 現代社会の中では、祈ることも預けることも逃避と断ぜられることも多々あると思います。逃避とはいえ、仏の修行は果てしなく苦しい逃避なのではないかと。 人でなくても輪廻の中に生きる生物として その枠を越えて望むことは許されているのに、一人を幸せにすることは憚られることなのか。勿論、今世だけのスパンでないことは素人なりに理解しているつもりですが 失礼なことを書き連ねましたが 何卒、宜しくお願い致します。
初めまして。 いつもありがたくご質問ご回答を拝読させていただいております。 本当に為になる事ばかりでパソコンに向かい手を合わせている次第です。 私の家には仏壇はないのですが実家は曹洞宗です。 縁あって数年前より高野山に度々お参りさせていただいており、東向きに両部曼荼羅(色紙)と御札をおまつりし、朝夕に手を合わせています。 お大師さまに南無大師遍照金剛、 自分のご先祖さまに南無釈迦牟尼仏、 同居している男性のご先祖さま(浄土宗)に南無阿弥陀仏、と唱え、高野山で購入した勤行集(般若心経と光明真言を含みます)をお唱えしています。 神社仏閣は大変ありがたく好きですが、私自身、何も知識がなく…一年前のお盆に実家のお仏壇にお参りした時に、何かしらご先祖さまに毎日手を合わせる方法はないものかと考え、数年前から壁に立て掛けてある曼荼羅と御札に向かい、以来毎日お唱えをしています。 仏さま、ご先祖さまに対し、こんな自分勝手なお唱え方法で良いのでしょうか? 実は約2年半前に、同居している男性のお母様が亡くなり、私は嫁という立場で葬儀から始まり全て同席させてもらいました。 なので、毎日、お母様に、この人をお守りして下さい、今日も元気に仕事してきましたよ、とか言いたくなってしまいます。 僧侶さま、お盆を迎え、大変お忙しかったことと思いますが、上記についてお教えいただければ幸いです。 どうぞよろしくお願いいたします。
林真理子さんの「野心のすすめ」という本が70万部突破と書いてあったので、書店で買って読んでみました。 題の通り野心をもちなさいという本なのですが、読んで私はとても共感し元気にもなりました。上を目指して常に挑戦していくことは大切だと思います。 そしてこの本の中に、何かを手に入れるとまた欲しくなる。煩悩が大きすぎて全部捨て去れないからこそ野心を持てるというようなことが書かれていました。 煩悩って除夜の鐘で叩くのもあって、持っていてはいけないものというように教えられた感じがするのですが、野心を持って上に行きたいということはだめなのでしょうか?私は林真理子さんの本に励まされたので、もっと欲しいと思う気持ちを持つことは人が成長するために必要だと思います。 いかがでしょうか?