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検索結果: 2235件

母親の施設入所後の仏壇をどうすればいいか

実家の母親は施設に入所しています。実家は空き家になっています。 仏壇があるのですが、今までは月に一回、お寺さんが来てくださる時は近くに住んでいる姉が実家に帰ってきてくれていたのですが、事情があり、姉は実家に帰ってくることが困難になりました。 今後、仏壇をどうするのがいいのか悩んでおります。 父親は『墓はいらない』と言って亡くなり、親戚の人から今のお寺さんを紹介していただき、御本山の合祀墓にお骨は納めてあります。 母親も、そして独身の姉も父親と同じ形になると思います。 ですので、今のお寺さんとの御縁は大事にしたいと思っています。 私は、遠方に住んでいて、年に数回なら、帰ってこれますが、毎月は無理です。 夫は、仏壇を家に迎える事をあまりよく思っておりません。 今年一年は、私が帰れる時だけお寺さんに来て頂き、それ以外はお寺さんの所で拝んで頂く様にお願いしました。 お寺さんは、姉のマンションに移動すれば良いのでは、とおっしゃるのですが、姉は決心がつかないようです。 私も自分が仏壇をみれないのに、姉に押し付けることは出来ないと思っています。 そもそも、空き家に仏壇を置いておく事がおかしいのかもしれませんが、年に数回だけ、お寺さんに来ていただくというやり方は 失礼なことなのでしょうか? もちろん、来ていただかない月の分もお布施は用意したいと思っております。 いづれは実家を処分することになるとは思います。そうなれば、このやり方も出来なくなるかと思うのですが…… 来月、今後の事をどうするかお寺さんにご相談しないとと思っていますが、あまり失礼な事を言って、関係がこじれる様な事は避けたいと思っています。 アドバイス頂きたく、よろしくお願いします。 ちなみに宗派は浄土真宗です。

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世界は美しい 人生は甘美である

皆様ご多忙の中とは思いますが、目に留まりましたら、お話を聞かせていただけたら幸いです。 タイトルの言葉を、仏陀の最期の言葉として知ったのは、数年前に納棺師日記という本を読んだ時です。びっくりして一瞬時間が止まりました。最近ふとその言葉を思い出しまして、いい言葉だよなあ、と感動しています。 御釈迦様の時代にもきっと今以上にたくさんな悲惨な事や恐ろしい事があったと思うのですが、最期にそういう言葉を言われた、というのが、 この世の中、どんなに嫌で悲しい事があったり、様々な人間がいて争いごとが尽きず酷い現実があっても、「世界は美しく、人生は甘美である」という事は、 世の中に悪なんて存在しないんじゃないかな、性善説みたいなことだろかと受け止めてしまうのは、飛躍しすぎでしょうか。 あいにく私はこの言葉の背景や前後の言葉を知りませんが、その道のプロの方々が、どのように受け止めたり、とらえられているのかお話を伺ってみたいと思いまして、質問させていただきました。 沢山の方が質問されている中で、緊急性の低い内容でお手間とらせてしまって申し訳無いのですが、、よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 30
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2022/11/30

仏様を拝む意味を教えてください。

仏様を拝む意味を教えてください。 例えば、仏様を一生懸命拝んで合格祈願をしても、 全く勉強しなければ合格することはないように、 お願いごとをするために、つまり私利私欲の成就のために仏様を拝んでも、 意味がないように感じます。 (なお、本人が勉強すなわち努力しないと仏様は助けてくれない、  と言う人もいましたが、仏様がそんな選り好みをするとは思えないですし、  思いたくもありません。) むしろ、私利私欲の成就ために拝むならば、 たくさん拝むことはそのまま欲望の大きさにつながり、 これまた心の安寧という意味では意味がないどころか、 欲望を強める結果にもなってしまいそうです。 これらのことは、例えばお坊さんが、信者など誰かのために拝むことも、 そういう私利私欲のために拝むことになり、同様のように思われます。 (お坊さんには私利私欲なく、すなわち信者の願いが叶ってほしいとは  思っておらず、 信者の願いを仏様に伝えているだけ、  ということも考えられますが、この場合、お坊さんがそうする意味が  よくわかりません。  お坊さんから伝わった方が、仏様は願いを叶えてくれるということは  ないように思いますし、仏様がそうであるとは思いたくないです。) ところが、お坊さんを含め、多くの方が、仏様を拝んでいます。 その際、呪文のような言葉(真言?)や、お経を唱えていたりもします。 その内心はわかりませんが、お寺の絵馬には様々なお願い事が書かれており、 また、お寺ではご祈祷・ご祈願がなされていることからすると、 何らかの欲の成就のためのように思われます。 拝んでも願いは叶わないなかで、 ①仏様を拝む意味(祈願以外の意味)は何でしょうか。 ②なぜ、ご祈祷・ご祈願がなされているのでしょうか。 ③また、お寺では、お勤めとして、朝晩、お坊さんは仏様を拝み、  お経を読んでらっしゃるようですが、これは、何のためでしょうか。  (書かれているお経の意味を理解・確認等するためであれば、   仏様の前で木魚を叩いて音読するよりも、   自室で黙読すれば足りると思われます。) なお、②につきましては、宗派により考え方に大きく差があるようでしたら、 御回答いただかなくても結構です。 どうぞよろしくお願い申し上げます。

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お坊さんを怒らせてしまった

お坊さんを怒らせてしまいました。 とある悩みについてお坊さんにメールしました。 悩みやすい性格であるため、何度もメールをしては、アドバイスをしてくれていた方でした。 その方から先日、アドバイスとともに、「1円でもよいから納めてください」「それかこれからも友だちでいてください」とメールがあったので、 私は「こちらこそ、これからも友達でお願いします」「いつもありがとうございます」と打ちました。 そしてしばらくして、新たな悩みについて相談したところ、 「なぜ1円も納めようとしないのか」というメールの返信が来ました。 「1円でもよいから納めてください」「それかこれからも友だちでいてください」の後者を選んだ理由は、 納め方がよくわからなかったからなのですが、これについてかなり怒っており、見た瞬間震えてきてしまい、メールを削除し、 今現在学業で忙しいから今度でよろしいでしょうか、と返信しました。 すると、この期に及んで言い訳するのか、とメールが来ました。 その前は、あなたの悩みやすいその性格が全ての原因だ、的なことも書いてありました。 それから返信はしていません。 ただ、信頼していた方だけにショックですし、納めることが義務だとは思いませんでした。 若干トラウマになりそうです。 この体験とどのように向き合えばよいでしょうか。

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住職様にとって、お葬儀とは何ですか

大変失礼な質問だと思いますが、何卒ご了承いただけると幸いでございます。 私は、長らくサービス業に従事しております。 ここ5年の間に、2人の祖母、叔父、母親、旦那の親友が亡くなり、その都度お葬儀に参列いたしました。 宗派の違いはありましたが、通夜・火葬・葬儀・法要とそれぞれにおつとめをいただき、『ありがたいお経のおかげで、故人は仏になるために旅立つんだな』と故人の冥福を祈っておりました。 そういった機会も多かったためか、ご縁あって葬祭会館へ転職いたしました。 まだ1ヶ月も就業しておりませんが、すでにたくさんのお葬儀に立ち会わせていただき、さまざまな宗派のご住職様にもお会いしております。 何件ものお葬儀に立ち会うと、知りたくなかった裏の部分も見えてまいります。 『お葬儀をしておつとめを頂くのは、故人が無事に仏になるためではなく、残された遺族が大切な人の死を受け入れるための段階の儀式』なのかな、とも考えてしまいます。 お葬儀をする意味とは、そういった死を受け入れる儀式的な理由も含まれているかと思いますが、住職様から見た『お葬儀の際におつとめをすること』には、どのような意味があるのか、お伺いしたいです。 無知故の不躾な質問で大変申し訳ございません。 よろしくお願い申し上げます。

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