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hasunoha 問答検索結果 : 「私 お経 」
検索結果: 2747件

母が好きになれません

昨年結婚し、今まだお豆ほどの大きさの赤ちゃんがお腹にいます。私には勿体無いくらいに優しい人と結婚して幸せなはずなのに、ずーーっと悩んでることがあります。 一人で家にいて、家事などをしている時、どうしても幼い頃や思春期に母に言われた言葉を思い出して、イライラしたり腹が立ったりしてしまいます。小さいころ、強烈に覚えてるのは「あんた見てるとイライラする!」と言われたこと。また、私が思春期の頃に、前歯が出っ歯気味なのを気にしていたら「どうしてそんなに出ちゃったんだろうね」と言われたこと。学校で虐められて休んだとき、「○○ちゃん(別のクラスで不登校だった子)の真似してるんでしょ?」と言われたこと。そのくせ、旦那さんには「中学校の頃不登校になったけど、自分は優しく見守った」的なことを言っていたこと。大嫌いなピアノを私が意識がなくなるほどに練習させられたこと。 ただの愚痴の様になってしまいました... 彼女も人間ですし完璧ではないでしょうし、言った後に後悔したかもしれません。真面目な普通のお母さんです。毎日お弁当も作ってくれました。母子家庭のなかで、育ててくれました。それなのに母に感謝ができません。そんな自分も大嫌いです。この気持ちを捨てたいです。 この感情はお腹のは赤ちゃんにも悪いと思います。恨みを捨てたいです。 どうか、お言葉を頂戴できないでしょうか。

有り難し有り難し 7
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過食嘔吐をやめたい

初めて質問させていただきます。 ダイエットがきっかけの過食嘔吐に悩んでいます。 主人と付き合い始めた当初、主人に痩せた方がいい、体がだらしない、などと言われ、ダイエットを始めました。 学生のころはサッカーをずっとやっていて、筋肉質だったため、自分が太っていると思ったり、体型について悩んだことはありませんでした。 しかし、主人のそのような些細な言葉から、自分の体型が嫌になりダイエットを始めました。 しかし、何年もの間習慣化された食生活がすぐにかわるわけもなく、だけども痩せたいという思いから、食べ過ぎた時に吐くようになりました。 そのうち、食べ過ぎた時だけでなく、食べたいと思った時に、普段ではありえないくらいお腹がはちきれそうになるまで食べて吐くということを度々やるようになりました。 今ではだいぶ落ち着いたのですが、お酒を飲んだ時に過食嘔吐をしてしまうことごあります。 そして次の日起きた時に、過食嘔吐してしまった自分が本当に嫌になります。 主人は今では体型については何も言ってくることはありませんし、気にしていないと思います。 そして私が過食嘔吐していることも知りません。 このことは誰にも言ったことはなく、もう始まってから3年近くなります。 体型を気にするようになり、写真に写るのも嫌になりました。 職場や友達と会っても、体型や見た目のことばかり気になります。 過食嘔吐しては自己嫌悪する日々なのですが、心のどこかで、主人のせいでこうなってしまった、と思ってしまいます。 職場なとでは、私は悩みなさそういいよねとか毎日楽しそうで羨ましい、とよく言われます。 実際細かいことは気にしない性格なのですが、体型が気になり始めてから、そのことしか考えられません。 だったら痩せればいいのですが、厳しいダイエットをすると、また過食嘔吐してしまいそうでできないのです。 過食嘔吐を完全にやめるにはどうすればいいでしょうか。 過食嘔吐をやめて、昔のように毎日心から笑って過ごしたいです。 性格的に誰にも相談できず、このまま一生体型に悩み、自己嫌悪し、夫を恨んで生きて行くのは嫌です。お坊さんのお言葉をいただけるとありがたいです。

有り難し有り難し 23
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母親を憎んでしまいます

21歳です。 2歳と0歳の子どもの母親をしています 私はシングルマザーの家庭で育ちました父親の記憶はありません 母は暴力的な所があり高校生になるまでずっと日常的な虐待がありました毎日死にたくてたまりませんでした小学生の時に首をつってみたり高校生になってからはリストカットが日常的になりましたそんな生活に終わりがきたのは高校に入って学校側から児相に通報がいき緊急保護という形で保護され施設で生活する事になりました 母は施設に入るなら縁を切ると激怒していましたが私は施設に行くことを決めました ですが施設に行ってからも母が祖母に迎えにいったら死ねとか帰れとか言われたと言ったらしく祖母から激怒の電話がきたり祖母は母の味方なのでこっちの話は一切聞かずもちろん母は迎えになんて来てないしそんな言葉いってもないです… 施設を出た後もSNSのメッセージ等で文句を言われたりもしてましたが今の旦那と出会い結婚して自分の家庭を持ち子どもにも囲まれて幸せですでもいつかこれも母に壊されてしまうのではないかと不安でたまらないですで母と離れてからはPTSDに悩まされ悪夢にうなされたり摂食障害に悩まされたりしています。 母と離れて肉体的苦痛はなくなったものの今度は精神的苦痛に悩まさせれ母が憎くて憎くてたまりません した方はあとには何も残らないのになんでこんなに私が苦しまなきゃいけないのか悔しくてたまらないです 正直母が生きている限りずっと苦しんで憎んでしまうと思いますだけどふとしたときにこのまま会わずに祖母や母がいつか死んでしまったら後悔すると言う矛盾な気持ちも産まれますがこんなふうに思うことすらなくなってしまえばいいのにと思います 恨んでも仕方ないとか過去を振り返っても仕方ないとよく言われますがそんなの綺麗事にしか思えません何も経験してない人にそんなこと言われたくないと思ってしまいます 憎む気持ちすらなくなって母に対しての気持ちが全てなくなってしまえばいいのにとまで思います 私はこれからどんな気持ちで母に対する気持ちをもって生きていけばいいのかわからないです… どうしていけばいいのでしょうか

有り難し有り難し 80
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疎遠だった父が孤独死しました。

はじめまして。 先日、二年前に母と離婚して以来疎遠だった父が危篤との連絡があり、その翌日に亡くなりました。 父は昔から怒りっぽく乱暴で、母と兄は大変な思いをしていました。 しかし末っ子長女の私にだけは甘く、私も小さいときはお父さんっ子でした。 しかし、大人になるにつれ、母と兄への当たりの強さに嫌気がさし 父とは離婚の三年前ほどから、ほとんど会話もしていませんでした。 その後離婚が決まり、父を家から追い出す形で疎遠となりました。 先日までずっと父を恨んでいました。 家族の人生をめちゃくちゃにした男だと。 父は大家族の末っ子でしたが、幼いときから家族に迫害され続け、家族と絶縁するために 母と結婚するときに婿養子となったそうです。 私や兄の父親として、母の夫としては未熟でした。 しかしそれは父の生まれ育った環境のせいだったのではないかと思います。 それでも先日までは、今までの恨みが消えず、死んでも何も思わないだろうと思っていました。 しかし病院で息絶えた父と再開し、主治医から二年間のことを聞いたとき、 なぜ生きているうちに会ってあげられなかったのか なぜ離婚前に父の苦悩を受け止めてあげられなかったのか 後悔が押し寄せてきました。 何度も涙が出てくるのです。 父はこの二年間、体も精神的にもぼろぼろで、働き口もなかったようで生活保護を受けていました。 私は一人、亡くなった当日に病院へ駆けつけ、父の身支度を手伝い、病院から直接葬儀場に送っていただくのを見送りました。 その時立ち会ってくださった看護師さんが父にかけた「娘さん来てくれて嬉しいね」の言葉が心に突き刺さり抜けません。 その感情が来てよかったの気持ちなのか、間に合わなかった後悔なのか、たった一人苦しんで旅立った父を哀れむ気持ちなのかわかりません。 数日後には火葬されるので、その日も行く予定です。 しかし遺骨などは色々な事情により引き取りができないため、父は無縁仏になります。 ずっと孤独に戦ってきたであろう父。 父は私を家族を恨んでいるでしょうか。 身寄りのない父を家から追い出したこと、 一度も連絡を取ることなく、死に目にも会えなかったこと、 死んでもなお一人にさせてしまうこと。 そして私は父の死とどう向き合っていけばよいのでしょうか。

有り難し有り難し 82
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永代供養か共同墓地か

祖父のお骨について相談させて下さい。 私は現在結婚をして家を出ています。 実家とは折り合いが悪くほぼ、連絡を取っていません。 先日義実家の用で納骨堂に行った際に、私の祖父が入っていた納骨堂が建て直しされた事が分かりました。 2年前に建て直しをするから遺骨を一旦引き取る旨を実家は知っていましたが引き取らず、そのままにしていた様です。 現在は本堂の隅に置かれている状況ですが、今年中に引き取らないと処分されてしまうそうです。 その為実家に連絡を取ってみたのですが、あいまいな返事しか返ってこず、多分そのままにするつもりの様です。 私と祖父は血が繋がっていませんし、結婚をして家を出ているので私側でお墓を買ったり納骨堂を新たに買ったりする事は金銭的にも厳しいです。 実家も散財ばかりしているので新たに納骨堂を買ったりする事ができないと思っています。 永代供養か共同墓地を考えていますが、直ぐにはお金を出せない状況なので、一旦遺骨を家に保管しお金が貯まったら永代供養、あるいは共同墓地…と考えています。 しかし、実家では遺骨を引き取りたくないの一点張りです。 もう、どうしたら良いのか分からず困っています。 どうが、ご助言頂けないでしょうか…

有り難し有り難し 26
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葬祭業者として働く

はじめまして!いつもハスノハでの相談をありがたく拝見しております。 私は現在大学4年で、葬祭業者として内定を1ついただいております。 しかし、転職のしにくさや、忌みに触れる仕事であることから、親や学校のキャリアセンターから葬祭業での就職に反対され、不安になる気持ちを抱えております。 もともと苦しんでいる人不安を抱えている人を助けたいと言う思いで就職活動をしており、葬祭業は私が大好きな祖父をなくしたときにきちんとお見送りできてよかったなぁと思ったことから志しました。ただ、親の期待に応えたい、もう少しお給料を良くしたいなどの思いもあり、同じ志を生かせる職業として病院での事務などを目指して就職活動を続けておりますが今回のコロナ禍の情勢もあり、なかなか他の内定が出ない状況にあります。 ハスノハのお坊様たちは実際に葬祭に深く関わるお仕事をなさっていると思います。その際周りに反対などされなかったか、不安はなかったか、葬祭に関するお仕事を日々どんなお気持ちでなさっているのか、また、必死に努力をしてもなかなか結果に結びつかない状況にどのように対処されているかなど伺いたいと思っています。 色々と質問して申し訳ありません。ぜひお答えをいただければありがたいと思います。

有り難し有り難し 45
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対人関係における気分のムラをなくすには

人への気持ちがコロコロ気分が変わる時があり、とても疲れてしまいます。 例えば、自分がAさんは意地悪だから嫌い!と思っていたとします。Aさんが欲しいものがありました。それはAさんにとってはなかなか手に入りませんが自分は容易に手に入れられるものでした。当然、そのことは黙っておこうと思っています。しかしある日突然そのAさんに対して見返りもなく(すごいと思ってもらいたいわけでも、感謝されたいわけでもなく)急に「そんなに欲しいなら…」という気分になり、「うちの近くで手に入るから買っておくよ」と手助けをします。その数日後、なんで私はこんなに嫌いなAさんに手を差し伸べたのだろうか!?という気持ちが突然押し寄せて、嫌な気持ちになります。Aさんが「あの時はほんとにありがとう!またよろしくね」と言ってくると、余計に「あんなにいつも意地悪されてるのにどうして私は助けたんだろう。せっかくこれまで上手に距離を置いていたのに!」と自己嫌悪に陥ります。 こんな感じで、ちょっと例が微妙なのですが、基本的には「嫌だから距離を置こう」と思っていてその方針でやっていこう!と決めていたものが、何かの拍子に「いいじゃないか、受け入れよう」と心の中でガラリと変わります。そしてまた「嫌だから離れよう」に戻り、受け入れたことを大後悔するのです。小さなことから大きなことまでよくあります。 この気持ちの浮き沈み(主に対人関係に対して。)はどうコントロールしたらいいのでしょうか。嫌なことをされてもその相手を適当に受け流し、時に受け入れることができれば心が楽になり生きやすいと思います。そんな考え方になりたい。ただ、そのような気持ちには一瞬しかなれず、その時の行動を後々後悔するのに疲れてしまいました。どうやったらこの気分のムラをなくせますか。

有り難し有り難し 17
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信仰ってなんだろう

私は、信仰するということの概念について悩んでいます。何故なら、私は、神様や仏様の存在を信じてはいるのですが、それは人間の心の内にある概念に過ぎず、形而下で捕捉できるものではないと思っており、この考え方が取っ払えない以上は心底から神仏を信仰することは叶わないのではという疑念を抱いているからです。 私がこのような考え方をもったきっかけは、遠藤周作さんによる著書「沈黙」を読んだことです。ご存知でない方に簡単にあらすじを説明しますと、キリスト教の弾圧があった江戸時代に、ある宣教師が拷問の末に棄教したという報を受けてその弟子が真相を求めて来日し、救いを求める弱い隠れキリシタンや彼らを拷問にかける大名と出会いながら、仏教との相違や絶対神の是非について考え、葛藤するというものです。 私がこの小説で衝撃を受けたのは、諸行無常の考えを礎とした仏教を信仰しているはずの大名が、キリシタンだというだけで農民の魔女狩りを行い、キリスト教の弾圧に執心していたことです。 宗教というのは、固まった思想を提示することで人々の心を安定させたり、民衆を統制させる側面があるとは思うのですが、劇中のように政の道具としての扱いにとどまったり、科学が普及した現在において金稼ぎのダシに成り下がってしまったりする宗教文化を多々見ると、もしかして心の底から神仏の存在を信仰することは最早なり得ないのではないか、という疑念を感じずにはいられません。 こうした疑念に輪をかけるのが、自然の脅威です。現在猛威を振るうコロナウイルスや、台風、地震などといった災害は、私たちにとっては害悪でしかなく、早期の収束や撲滅を願われるばかりですが、それらの現象は我々の嘆願とは関係なくただ事実として存在するのみであり、これらを既成の宗教概念によって説明するには限界が生じるのではないかと思います。それを考慮すると、我々に都合の良い神仏への疑念が益々助長されるばかりです。 私は、目的によっては多少の方便は許されても良いと思っていますが、神仏を本気で現実のものと信じている方々のことを考えるとどうしても後ろめたいものを感じます。こうしたことについて、僧侶の皆様はどう思われるのでしょうか。冒涜と思われるのでしょうか。それとも、これも信仰と思われるのでしょうか。 大変無礼な質問であると承知しておりますが、何卒宜しくお願いいたします。

有り難し有り難し 38
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福祉業界に未来はありますか

福祉現場で10年ほど働いています。 この職を選んだ理由は単純に自分が昔からおばあちゃん子で、母親より祖母と過ごした時間の方が長く、年配の方と接するのが好きだったからです。 高齢者の残された時間、家にいる時のように一人一人が自分らしく過ごせる環境を作るための支援をしたい。 大抵の施設(老人ホーム)ではこういった経営理念を掲げています。 私自身も当初はこの気持ちでいました。 しかし現実は深刻な人手不足。 時間に縛られ、まるで工場のライン作業のように進んでいきます。 しかしロボットのように働いたとしても相手は人ですから、必ずイレギュラーなことは起こります。 結局時間内に終わらず、残業代も出ません。 そうやって業務を淡々とこなしていくうち、最初の理想はどこかへ消え、今となっては “低賃金・重労働で先の短い老人達の世話。一体なんの意味があるんだろう。この業界に未来はあるんだろうか” などと最低な考えすら浮かんできてしまいます。 金儲けばかり考えてる政治家連中と年金目当てで延命治療させる家族。 何がその人らしい生活、最期なのかもうわからなくなりました。 無理矢理生かされるくらいなら安楽死制度を早く導入してほしいと切に願います。 もう終わりです。この国の福祉政策は。 すみません。なかば愚痴になってしまいました…。 夢や理想だけではこの業界では生きていけないということは身をもって分かっているのですが それでも何とか私がやらねば誰がやる精神で頑張ってきました。 それがここ最近自分はなぜこの仕事をしてるんだろう。なにも自分が大変な思いをしてまでやらなくてもいいのではないか…と我に返ったような感じです。 誰もやりたがらないことを安月給でやる意味。 しかし新卒で福祉しかやってこなかった私に今更他の職種が勤まる自信もないのでとりあえずは続けますが 私のような人材は辞めた方がいいのでしょうか。 延命治療をしてまで人は生きる意味はありますか。 こんなことばかり考えていて、国家資格まで取得したのに、プロ失格ですね。

有り難し有り難し 20
回答数回答 2