改宗について教えてください。 改宗すると、改宗以前の先祖も改宗されたことになるのでしょうか? それとも、戒名の付け方が宗派で異なるので、戒名を受けた時点の宗派はずっと変わらないと考えるのでしょうか? お墓は個人管理地の個人墓です。
宮沢賢治の詩「アメニモマケズ」の最後の一節「サウイウモノニ ワタシハナリタイ」のように 両親を助け、他人と調和持って過ごし、困っている人を助けられ、でも自分の命も大切にし、よく仕事をこなす笑顔のデクノボーになるために、日常で行える正しい努力、もしくはデクノボーは別としても、現在お坊様方が毎日の生活で一番気をつけていること等ありましたら、教えていただけますでしょうか? そしてこの質問で頂いた言葉を胸に、日々をしっかりと過ごすためにhasunohaを卒業したいと思っております。 聞きたいことも学びたいことも山ほどあるのですが、その気持ちも一旦脇に置いて。 今一度、助言をいただけましたら幸いです。 もしも目に留まりましたら、よろしくお願い致します。
現在、父の会社で働かせてもらってます。 祖父が創業した小さな会社ですが、後継者不在という事から、近い将来会社をたたむという事も視野に入れておかなくてはいけないと思います。 父は70代ですが、今のところ全くその事を考えている様子はなく、この先どうするかさえも考えていないようです。 自分が死んだ時に会社をたたんで欲しい…そんな印象が今のところあります。 本当はそれでは困るのですが… もし会社が無くなったら、仏様に仕えたいという道を選びたいと思っているのですが、40代からのスタートは無謀でしょうか? お寺運営の保育園に通ったり、お寺に貢献していた祖父に連れられ、行事参加や墓参り・法要にも頻繁に参加していましたので、幼い頃から仏教には親しみがあり、仏様への関わりは歳を重ねてからも多少あります。 ただ、仏教関係の学校は出ていないため、専門的な知識や資格は一切持っていません。 昨年、死ぬまでに必ず訪れたいお寺を訪れた際、安堵感と共に、心がグッと引きこまれるものがあって… 何と言いますか、言葉に表せない思いで涙が出ました。 これが仏様に仕えたいという思いを強くさせたのだと思います。 僧になるまでは大変困難な道を歩まなければいけない事は存じております。 やはりお寺関係者や若いうちから経験を積まないと僧になる事は厳しいのでしょうか? 甘い考えとお叱りを受けそうですが、ご回答いただけるとありがたいです。 どうぞよろしくお願いいたします。
こんにちは小学五年生のこうです。 僕は最近鬼が怖いです。あと、鬼の悪口もつい思ってしまいます。 きもいとか、怖いとか、うざいとか、死ねとか、意地悪そうなど沢山おもってしまいました。 あとダジャレのおにのおにいさんは、やめた方がいいですか?このダジャレは結構気に入っています。 そもそも鬼って皆んな怖いのですか? このことを仏様や鬼は許してくれますか? 鬼は意地悪かもしれないので許してくれないかもしれませんどうすればいいですか?
タイトル通りです。
坐禅会をやっているところをしりませんか?インターネットで検索するとかなりあるんですが、毎週土曜日 2時~4時ぐらいに始まるところが無いか?探してます。朝 晩は 親の面倒があり 家事があり平日は仕事してまして・・・なかなか通い続けられる場所がないんですよね。お金はあるので 参加費は気にしてないのですが(すごい高額なら話は別です)読経とかあったらもっとありがたいです。
はじめまして。よろしくお願いいたします。 今週末、義父が近所の親戚(遠い親戚)の法事に出席します。三回忌です。人と会うことをなるべく避けようというこの時期に、神経を疑います。 去年一周忌をしたんだから、無理にする必要ないのでは?もしくは、出席する必要ないのでは? と、意見したら、そんなもんじゃない!と一喝です。そんなもんじゃないという根拠、何も説明せず、そんなわけにはいかない、そんなもんじゃないの一点張りです。 法事を中止、もしくは延期しない親戚の神経も疑います。 先月のはじめも別の親戚の法事に出席していました。今回、緊急事態宣言された対象の地域からも家族が来ていました。 法事とは生きている人間を危険にさらしてまでしなきゃいけないことなのか、先祖を敬うことは大切でしょうが、生きている人間より大切なことなのか、理解できません。 法事って、そんなに大切ですか?
よく、ネット関係の不安で質問させていただいている、ユカです。 最近はだいぶ落ち着いたのですが、まだ気になることがあると検索してしまうと、以前書きました。 最近、その理由がわかったような気がします。それは、その前に起こった不安を消すために新しい不安の要素を探しているから、ということです。不安を消したい消したいと思いすぎるあまり、また新しいことを考えてしまうのです。 それをすれば、きりがないことはわかっているのですが、精神的なことなのでなかなか克服することが出来ません。どうしたら良いのでしょうか。何かご意見があればよろしくお願いします。
八大地獄地獄とは仏教の教えですか? お坊さん達の地獄に対する解釈をお聞きしたいです
こんばんは いつまでも亡くなった人の事を考えていると、その人は成仏出来ないと言われました 本当にそうなのでしょうか? よろしくお願いいたします
いつもお世話になっております。 今日仕事でミスをしてしまいました。 個人的には大きな失敗だと思います。 折角評価をされて仕事も少しは覚えて来た所に・・・ ショックで立ち直れず逃げたしたい気持ちです。 でも逃げれば気持ちは楽になれるかも知れませんが・・・ 自分自身が許せなくて許せなくて・・・ どんなに人生経験を積んでも失敗はするんでしょうか? その失敗した時にどうやって心の傷を癒してますか? スミマセン教えて下さい。 宜しくお願い致します。
現代語訳してある書を探しておりますが、偽書もあると知り、どれを選んだらよいか迷っています。 おすすめの書がありましたら、宜しくお願い致します。
何もかも上手くいかず、ストレスが溜まるばかり。 家に帰ればいつも不機嫌で、攻撃的になるばかり… 母親の存在なんて微塵もない。 子供にも悪影響でしかない。 こんな親なら居ない方がまし どこか消えて無くなりたい
結婚していた頃に自暴自棄な時期があり、不特定の方と遊んでいた期間がありました。その過去を今とても後悔しています。 結局、それを直接の原因とはせずに離婚をしました。その後とても好きになった方とお付き合いをしました。 しかし、どこからか噂でわたしの過去が耳に入り、彼はおそらく許せなかったのでしょう。理由をきちんと話してくれないまま、しかしひどく責められてお別れとなりました。 彼にも色々な過去がありましたが、わたしはそれを乗り越えようとしたつもりでした。なのに彼はなぜ、、と、お別れした当初は彼を責めてしまう気持ちがありました。 しかし今になって改めて思うと。結婚していながら色んな人と関係を持った自分。しかもその人たちの中には彼が知っている人もいて。 そんなこと許せるわけがないよなと、自己嫌悪の気持ちがとても強くなりました。尻軽、汚い女と思われても仕方がない。自分ではどんなに後悔している、もうしないと心に誓っていても、それを信じてもらいたいなんて都合がよすぎると感じました。 そして、これからもこんな自分を信じてくれる人なんてきっといないのだ、という気持ちになってしまいました。 もしわたしを好きになってくれる人が現れたとしても、過去を隠してまるで相手を騙すように付き合っていくのか、はたまた過去を洗いざらい話して相手を苦しめるかしかできないのです。万が一受け止めてくれる人が現れたとしても、きっとその方は深く苦しむのだと思うのです。 そんなことには耐えられません。 かといって一人で生きていく覚悟もできません。 彼が受け入れられなかった気持ちを思うと、本当に心が苦しくなります。過去にわたしを愛してくれた人を裏切ってしまったことは、決して許されることではないと感じています。彼の気持ちがわかるのです。こんな自分は愛される価値などないと感じます。 自分が悪いことはよくよくわかっているのに、その罪を受け止めきるだけの覚悟はできないのです。弱い自分が本当に嫌になります。 どう心を落ち着けていけばいいのでしょうか。 このままでは生きていられない気持ちです。
男性にフラれ、悔しさと嫉妬のあまり、彼の相手の女性に全てをバラし、傷つけてしまいました。 彼への未練というより、自分のしてしまった事へ後悔と未練があります。 謝りたくて、電話をかけてもメールをしても彼は取り次いでくれなくなりました。 自分のしてしまったこの未熟な誤ちを、日々後悔し落ち込んでしまいます。 楽になりたいなんて、勝手なお話ですが、少しでも救われるにはどうしたらよいでしょうか
以前ネットで性犯罪のニュース記事に被害者に非があるから性犯罪に遭うのだと言う人たちがいたので、それはセカンドレ○プにあたるのではないかと書き込んだら猛反論を食らったことがありました。 「このフェミニストめ」「お前の方がセカンドレ○プだ」「傷付いた、訴えてやる」「謝れ」「女は感情論でしかものが言えないのか」等々 色々言われました。 自分は今まで性犯罪に限らずですが、ネットやリアル社会の様々な場所で女性を責める男性と、そういった考えに賛同して女性を責める女性をたくさん見てきました。 しかし思うのです。 彼等は何と戦っているのだろうかと。 この人たちのやっていることと、昨今の極端な発言を繰り返すフェミニストたちと何が違うのだろうかと。 自分にはコンプレックスを刺激された男たちと、その後ろ楯に肖ろうとする女たちが、権力者たちに都合の悪いことから目を反らさせるために踊らされている様にしか見えません。 ジェンダーという敏感でナイーブな、誰もが素通り出来ない問題だからこそ利用されていると感じます。 でも渦中の人々にはそれはわからないのです。 お坊様たちはこのことをどの様に考えておられますか?
前回転職のついて質問させていただきました。その節はありがとうございました。転職はせず、今の職場でよりよく働く為にはと考えながら過ごしています。 今回質問させていただいたのは、借金を返す為にと父が決断し父方の生家を手放すことになりました。 私自身今現在も住んでおり父がどんな思いを込めて家を立て直したか知り、亡くなった大切な祖母との思い出が詰まっている分そう簡単に心の整理がつかず、それでも部屋を片付けながら一緒に心の整理もつけようと過ごしています。 が、父が決断したとはいえ1番弱っているのは父本人。どうにも割り切れない、将来が不安だと毎日塞ぎ込んでいます。励ましたり、叱ったり自分の気持ちを話したりしてみましたがどうにも効果なく、段々と私にも気持ちが伝染してきているのがわかります。 引っ越した後も鬱々とするのではと心配でもあります。私が父に出来ることはあるのでしょうか?また私自身、きちんと生まれた家とお別れしたいのですがどう気持ちを持っていけば良いでしょうか? 読みにくい文章で申し訳ありませんが、お知恵を拝借出来ればと思います。よろしくお願い致します。
昨日、結願のお礼参りのため高野山に行ってきました。 高野山の空気に触れ、とれも清々しい気持ちで帰路についた次第であります。 ところが帰宅をし荷物を整理した際に、念珠がなくなっていることに気が付きました。朝の勤行の時に持っていたのは覚えているのですが、その後どこに置いたのかまったく思い出せない状況です。 5年近く一緒にいてくれた(区切りうちで四国を巡っていたため、恥ずかしながらこんなにも結願までに時間を要してしまいました)念珠をなくしてしまうなんて、何と罰当たりなことをしてしまったのかと気落ちをしています。 物に執着することは良くないことだとは思うのですが、「物」というよりも5年近く側にいた友人のような感覚があったため諦めきれない気持ちが強いです。一緒に四国を巡ってくれた念珠に対して、供養することもせずなくしてしまうなんて、どのようにしてその念珠に対して報いてあげればよいのかと悩んでいます。 また、見つからなかった場合に新しい念珠を購入することになるとは思うのですが、それさえも今まで一緒にいてくれた念珠に対する裏切りではないかと思ってしまいます。今後、私はどのようにすれば良いのでしょうか?
ハタヨガとクンダリーニヨガを生活に取り入れています。 初心者なので、ガヤトリーマントラとサタナマ瞑想を毎日しています。 きちんと勉強できる場所へ通ったほうがいいのはわかっているのですが、色々とあり、今は自己流でしている状況です。 先日の猫の一件以来、更に熱心にマントラを唱えるようになりました。そして、十三仏真言も三回ずつ唱えることにしました。 そして、最近になって気になり始めたのですが・・・ガヤトリーマントラやキルタンクリヤはヒンズー教で、十三仏真言は仏教ですよね。同時に唱えて問題ないのでしょうか? 気になり始めてから、マントラを唱えるたびに背徳感があるので、はっきりさせたいと思っているのですが、教えていただけませんでしょうか。 また、今日のことですが、サタナマ瞑想をした後、ベッドに横たわっていたら、突然尾てい骨のあたりがグルグル回り始めました。 これがチャクラなのだろうか?と思い、意識を向けたのですが、その回り方は身体に直角に交わる感じで時計回りに回っていました。 私はこのまま、瞑想やマントラを続けていて良いのでしょうか?
初めて投稿させて頂きます。 常日頃、疑問に思っていることがあります。 毎日遅刻をしたり、仕事をしていなかったり、1年の半分以上会社に 居ないような人がお給料も高いし、誰からも何も言われません。 会社の体制が良くないのはわかっています。 社長が女の人には何も言えないからです。 それをふまえても、真面目に働いている人に特別何か良い事が あるわけでもなく、結局はきちんとしている人が損をしているのだなと、 毎日思っていて少し気持ちがきつくなります。 私はどちらかというと人に頼られてしまう傾向にあります。 学生の時から今までずっとです。人から頼まれた事は断れません。 会社の社長から絶対の信頼を得ているのも感じていて「出来ません」と 言ったことはありません。どんな仕事でも確実にこなします。 人の考えている事がわかってしまい過ぎて、何か言われる前にやってしまいます。今になって何だかモヤモヤするのです。これからもずっと このように生きていかなければならないのでしょうか?このように生かされて いるのでしょうか? とても苦しくなります。 どのように考えていけばいいのか教えて下さい。宜しくお願いします。