依存するというのはどこからでしょうか?
知人に、人に依存して甘えるなとお叱りを受けました。
私はそのお叱りを受けるまで、自分は純粋に相手を尊敬をして慕っていて、それに向き合おう耳を傾けようとしているだけだと思っていました。
俗に言うメンヘラのように、死んでやる!とか貴方がいなくちゃ生きていけない!ということも無いですし、自分は自分、他人は他人だと理解してはいましたが、歩み寄ろうとしすぎて自他境界を曖昧にしすぎてしまいました。
反省をして、依存することについて考えていたらその依存というものが、一体どこからなのかがわからなくなりました。
誰も受け入れず、全ての人に壁を作ってしまいそうです。
たとえばですが、人と遊びに行く約束などを心の支え(ご褒美だと思って)にしてなにかを頑張ったりすることや、友人と遊びに行ったりすることでストレス発散をしたりすることは人に甘えているのでしょうか?
上のような、ストレスや悲しみや怒りに気が狂いそうなときに自分の気分転換や精神的なマネジメントに他人を利用したいこと(慰められたい、褒められたい、話を聞いて欲しい、意見を聞きたい等)は他人に依存し自立を出来ていないのでしょうか?
また、そういった感情や欲は誰にでもあると思うのですが、それに応えたいと思うのは相手の為にならないのでしょうか?
他人のことを全く考えずに、自分が依存しないことだけを考えるとそれは冷たい上辺だけの付き合いしかできない人間になってしまいそうで不安です。そうは思われたくもないし、なりたくありません。
尊敬している、仲良くしたい、歩み寄りたい、優しくしたい、理解したい、そう友人に思うのにそれを深く考えすぎると依存になってしまうならば、人間社会で他人と生きるうえでどう心構えをしたら依存にならず、冷たい人間でも無く居られるでしょうか?
ご意見聞かせていただけたら幸いです。よろしくお願いいたします。
有り難し 19
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