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hasunoha 問答検索結果 : 「 殺したい」
検索結果: 2820件

生きる意味がわからない

最近、どうしてここまでして生きなければならないのかわからなくなりました。 イジメで同級生に家畜以下の扱いをされ存在否定され、病気になってもなかなか周りからの理解を得られず、苦しみながらそれでも生きてきました。 ハッキリ『あぁ、私は周りにとって家畜以下なんだ』と実感したのはレイプされてからです。親は私をひどい言葉でセカンドレイプしましたし医療関係者からもひどい言葉や行動をされました。 最近まで通っていた心療内科の医師は私を半ば人体実験していたとさえ思います。きちんとしたインフォームドコンセントもなく、診断も下されたこともない重篤疾患と同じ量の薬すら出されていました。 周りの私への対応、メインは親と医師ですが、彼らから感じるのは私の存在が如何に迷惑か、不幸にしているかを痛感させられています。 親は私にことあるごとに『私だって辛い、貴女が世界一辛いと勘違いしないで』と言われました。私からすると理解もされず一人で苦しんできた部分はたくさんあります。その上で不妊治療で体調を崩した母に必死に元気になってもらいたいと学校での辛さ孤独さを全て隠して笑顔でその時は接してきました。私のその努力はとても力不足だったかもしれませんが、私も私なりに苦しみながら生きてきました。その後も私からすればいつも私は色んな愚痴聞く役で私はそんな愚痴をいう母を心配させまいとずっと辛いこともこっそり涙してきました。でも両親は私の愚痴をいつも聞いていた、と思っているみたいでしょっちゅうメールでやり取りを私に内緒でしています。何度もその内容は見ました。母が携帯が疎くしばしば私が操作を頼まれるからです。今日も私の愚痴のやり取りしていました。 もう私の存在価値はないことも十分承知していますし、所詮家畜以下扱いを受けるに等しい、人権も保証されなくて当たり前だと言うのも承知しております。それなのにどうして死ねないのでしょうか?

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どうすれば自信がつきますか?

こんにちは。 さっそくですが、本題です。 わたしは自分に自信がありません。 自信がないからこそ常に周りの人間と自分を比べて、 Aさんには〇〇で私のほうが秀でている Bさんには△△で私のほうが勝っている と無意識のうちに考えてしまっています。 自分が優っている点が無い相手に対しては 近づきたくない、と思ってしまいます。 (本当に何においても優ってないかどうかではなく、自らが自分の方が優っている点を認められるかどうかが問題です。) 自分に自信が無いことで気持ちが沈んでしまったり、 交友関係が狭まってしまっていると感じたり、ということに悩んでいます。 常に自信があるフリ、堂々としていて怖いものなど何もないフリをするのに疲れてしまう時があります。 自分にも弱さがあると認めること、それを他人にさらけ出すことが恐いのです。 「強いわたし」という仮面が剥がれたらみんなが離れていってしまうような、 離れていった何人かは自分の「敵」にさえなってしまうのではないか、 というような強迫観念、自信の無さから 自分は強い、自分は他人より優っている、と強く思わないとやっていけません。 (この辺は小学生の頃にイジメにあい、4~6年生の間に転入先の小学校でクラス替えがない学級の中、たった独りで耐えなければならなかったことの影響かと思います) もっと肩の力を抜いて人を信用し、 自分を認め、本当の意味での自信をつけるにはどうしたらよいのでしょうか?

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いじめを無くすのは不可能

こんにちは。いつもお世話になっております。 ゆうりです。 教員採用試験の面接対策も始まり、日々あれこれと追われて、てんてこ舞いな毎日を送っております。 その面接対策で、「いじめ」について考える機会がありました。 私は、そういうのを引きつけやすい体質なのか分かりませんが、以前スケープゴートTの話を相談させて頂いた通り、それに関することについてよく遭遇してしまいます。 いじめの原因はそれぞれです。 ・むかついたから。ストレス発散のために、弱者をしばいた。 →喧嘩っ早いのは、困りものです。 ・自分を高めるより、人を蹴落とす方が楽だと気付いたとき、「お前勉強しても(努力)無駄だよ(笑)」 →成績の良くない私の、実体験です。進学校に多く見られる気がします。また、これを皮切りにスケープゴートが発生することも少なくないような気がします。学習障害がある生徒については、これに一番気を付けるべきでしょう。 いじめを無くすのは不可能。 これは、学校は社会の縮図であるからでしょうか? 誰が、作った言葉でありましょうか? 難しいこととは、確かに思いますが、それに白旗を揚げる大人(先生)が世の中に多過ぎるのではないかと思います。 先生としていじめの場に遭遇した時、その場に応じた(正攻法みたいな)対応は確かにございます。ですが、いじめは増える一方です。 いじめを無くす為の正攻法でいじめがなくならないのは、これには、なにかが足りないからだと思います。 いじめを無くすのは難しいのは言うまでもありません。それは、私たちが人間だからです。 いじめを撲滅する。 その為に心はどうあるべきか。単に教育上の単純作業の正攻法ではなく、人の上に立つ、人をつくる職に就く者としてその心はどうあるべきか?身の振り方はどうあるべきか? 質問させてください。 お手数をおかけしますが、宜しくお願いします。

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霊魂の存在を否定されるお坊さまへのご質問

 こんにちは。先日は私の拙い質問にご回答頂き、誠にありがとうございました。また、こちらで何度もご質問させて頂いておりますが、その度毎に丁寧なご回答を頂いておりまして、大変感謝しております。本日は、多少突っ込んだ質問になってしまいますが、自分の中でどうしても整理がつかない点があり、それを質問できるような場が他にありませんでしたので、この場を借りて質問させて頂きたいと思います。どうぞよろしくお願いします。  こちらのサイトを拝見しておりますと、「霊は存在しない」と回答しておられるお坊さまが何人かいらっしゃいます。お坊さまの中でも意見が分かれる問題なのだと思いますが、私は霊魂の存在を信じており、また輪廻転生もあるのではないかと考えております。霊魂の存在を否定されるお坊さまは、霊感商法やカルト教団への対応など、現実的な対策の観点から、またお坊さま個人の世界認識から、そのような発言をされているのだと思います。しかし、素人の私から見ると「悟り」や「阿弥陀仏の救い」を前提としてお話をされているお坊さまが、「霊魂」の存在を否定されることが、どうしても理解できないのです。  素人の私から見ると、「悟り」も「阿弥陀仏の救い」も、それが一体何であるのか分かりません。そのため、お坊さまが「悟り」や「阿弥陀仏の救い」をお話されることは、「霊魂」や「輪廻転生」のお話をされることと同じくらい荒唐無稽なもののように感じてしまうのです。唯物論者の方が霊魂の存在を否定されるのは理解できるのですが、お坊さまが否定されることは、私にはどうしても理解できません。霊魂の存在については、「分からない」とおっしゃることが最も妥当なのではないでしょうか。  実際に、現代には様々な宗教がありますが「霊魂」や「輪廻転生」の存在などを説いている宗教も数多くあります。もし、お坊さまが霊魂は存在しないと考えておられるのであれば、それらの宗教についてはどう理解されているのでしょうか。  このような突っ込んだ質問をして、誠に申し訳ありませんが、霊魂を否定されるお坊さまのお考えをどうしても伺いたいと思いました。ご回答頂ければ幸いです。どうぞよろしくお願いします。

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死後の世界観

 初めまして。  私は、横浜で会社員をしている伊藤と申します。先日、テレビでこちらのサイトが紹介されていまして、仏教の教理に関して長年疑問に思っていたことがありましたので、質問させて頂こうと思い書き込みを致しました。  私は、大学生のころから仏教に興味を持っておりまして、仏教に関する本をいくつか読み、修行の真似事もさせて頂いたことがあります。仏教との出会いは、私の人生の中で非常に貴重なものでした。これからも、修行を重ねていきたいと思っています。  ただ、その中で未だに釈然としないことがあります。それは仏教の説く「死後の世界観」がなぜ宗派によってここまで大きく異なるのか、ということです。  仏教では、もともと「輪廻からの解脱」が一番の目的であったと聞いています。それが、現代の仏教では死後の世界観について「極楽浄土で仏弟子となる」といった立場や、「死後のことなど考えず、今を生きる」といった立場など、様々に分かれています。  私は、どうしても理屈っぽいので、このように死後の考え方が異なっていることに疑問を感じてしまいます。例えば、「極楽浄土に行けるなら、今は努力せず楽をしていた方が良いではないか。」と思うこともありますし、「死後の輪廻転生を否定するなら、そもそも修行する必要さえないのではないか」と思うこともあります。  先日、上座部仏教のお坊さんの著書を拝読して、私の考えに近いことが書いてあって共感を覚えました。そのお坊さんは、「死んですぐ極楽浄土に行けるのなら、どうして早く自殺しないのでしょうか。」といったことや、「輪廻転生が無いなら、どうして修行する必要があるのでしょう」といったことを述べておられました。  もし、輪廻転生があるのであれば、私もなるべく善行をしようと努力すると思います。逆に、輪廻転生がないと考えると、やる気を削がれ厭世的な気分になってしまいます。  人間がこのような気分になることを見越して、お釈迦様は死後の輪廻を説かれたのかもしれません。しかし、今の私にはそれ抜きで前向きに生きる心構えを持つこともまた難しいです。また、死後の輪廻を否定するならば、自殺を否定することもまた難しくなるのではないでしょうか。  こういった点を、お坊さんはどう考えているのか、どうしても気になったので質問させて頂きました。失礼なことを伺ってしまい申し訳ありません。

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