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hasunoha 問答検索結果 : 「私 生きる 死にたい」
検索結果: 9274件
2023/09/13

夫と姑の関係に悩んでいます

初めて相談させていただきます。 約4年前くらいから夫が自分の母親(姑)に会うとパニックを起こすようになりました。 <br /> 姑は感情が昂るととても攻撃的になる人で、夫が子供の頃から辛く当たられる事があったようです。義父が亡くなってからストッパーがいなくなり、全て夫に攻撃がいくようになったようで、私が聞いた範囲ですとゴミの捨て方を間違えただけで人格を否定されるくらい怒鳴られたりしたことがあるようです。 私自身も以前掃除の仕方を間違えたことでひどく怒鳴られたことがあります。 <br /> 4年ほど前に限界が来て以来、姑に会うと夫は「生きていたくない」「消えてしまいたい」などと言うようになりました。一度自殺未遂のような事も起こしたことがあります。普段離れて生活している分には何も問題なく過ごしています。 <br /> 私が一緒に生きたいと言っても夫の中では私のことは大切に思っていても別枠で姑が絶対的な存在としているらしく、聞いてくれませんでした。恐らく姑に死ねと言われたら本当に死ぬと思います。 また姑と問題があった時に今度は夫が本当に死んでしまうのではないかといつも不安です。 <br /> 夫をここまで追い詰めた姑が憎くてたまらないという気持ちと、本当に私のことが大切なら何故一緒に生きたいと言ってくれないのか、本当は私のことなどどうでもいいのではないかという夫に対する不信感でこのままでは私が潰れそうです。 <br /> 夫に寄り添いたいとは思いながら何ができるのかがわかりません。夫に変わって姑に対応するのも疲れました。

有り難し有り難し 4
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2023/04/25

ちっちゃなこと気にしたくない!

おおらかに生きるコツを教えていただきたいです。家庭の愚痴のような話になり恐縮ですが、お話聞いていただけると幸いです。 婚約者と一緒に住んでます。 とてもあたたかく良い人なのですが 気を利かせてやっていただいたことに対し わたしが小さなことが気になりムッとしてしまいます。 例えば夜洗濯物を浴室乾燥にかけ始め本人は飲みに行き、乾燥時間が入浴時間にかぶってしまってたり、料理した後片付けが7割で止まって他ごとしてたり。 昼ごはん代渡してるのに家の食材で昼ごはん作りもりもり食べて(大食い)別途食費を請求したり。。わたしが食費を管理しており節約しようとメニュー工夫したりするのですが本人は一食でいろんなお肉を使い切ったり、値段は気にしてなさそう。 一緒に家事してくれることはこの上なく嬉しいのですがモヤモヤ。 同じ価値観でないからこそ違いも生まれる、他の面でわたしも許容してもらっている、と思いつつつめたい反応をしてしまいます。気持ちを伝えてみたこともありますが小言のようで嫌な思いさせてるだろうなとわたしも悲しくなります。黙って感謝を伝えればいいのに。 このような気持ちの時どのように折り合いをつけてますでしょうか、アドバイスをいただきたいです。

有り難し有り難し 5
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死は存在しない

もう10年以上も前になりますが、母の命日が近付くと、色々と考えます。 不治の病を宣告された母。いわゆる「手かざし系宗教」の信者である叔母(母の妹)から勧誘され、藁にもすがる思いで行った本山で「あなたには助からない相が出ている」などと訳知り顔で告げられた母。 同行した父親も勧誘されましたが、断ったとの事。 (父も母も、元々は徹底した無宗教、無神論の人でした) 母は闘病中も死の間際も、「私が死んだら○○を宜しく」 なんて言葉は一言も言いませんでした。 私は、人の思考は死を思う為には出来ていないと考えます。 脳はあくまで、身体を効率よく動かし合理的に生き延びる為に、進化の過程で生物が獲得した器官であり、「死」なんて抽象的な思考を弄ぶ為のものではないと思うんです。 死んで肉体の機能が停止すれば、感覚器官(眼や耳、肌など)も停止し、仮に死後が存在するにしても、想像を絶する世界を見て、感じるはずです。軽々と「死後の世界」なんて言えるはずが無いです。 生物の脳も身体も、ひたすら生きる為に作られています。死ぬためにつくられてる訳じゃないです。だからこの脳、この身体で死について考えること自体ナンセンスで、飛ぶ為に作られていない私の手で、鳥のように空を飛ぼうとするようなものです。 お釈迦さまが死後を無記とした真意は… 私は、死後が浄土であれ輪廻であれ、あるいは本当に恐ろしい事ですが正真正銘の「無」であっても、仏教の救いに変わりはないと言う事ではないかと考えます。 人は死なないです。死の間際でも、風邪をひいたように、一晩明ければケロリと治ってると心の奥底では信じて最後の日まで生き続けるのではないでしょうか。 母は死の間際まで死を考えませんでした。少なくとも、口には全く出しませんでした。何かを悟っていたのか、一片の悟りもなく生にしがみついていたのか今では分かりません。 ただ、母の姿を思うと私も生の続く限り全力で生きたいと思うばかりです。 「生きてる時は死んでいない、死んだら生は無い、だから死は存在しない。死を恐れず、生を全うせよ」と言ったギリシアの哲人に、私は賛成です。 こーゆー考えもまた、妄想でしょうか? 「これだけ問答を重ねて、君はまだ何も分かってない」とお叱りは覚悟の上です。 日々、人の死と向き合っているお坊様方の実感を聞かせて頂ければ嬉しいです。

有り難し有り難し 12
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自分が背負ってきた過去の意味

悪いことが重なる人生を送っている人達はよく、「前世でよっぽど悪いことをしたんだ」と言って自分を宥めます。 不幸が前世の行いによるものならそう言ってもらえたほうが楽です。 私にとっての不幸は、未就学児にしてレイプされたこと、いじめられたこと、父親がアルコール依存症だったこと、家庭が相対的貧困だったこと、自殺未遂をしたこと、自傷行為をしたこと、です。 これらのことが、自分は恵まれている方だと理解していても、どうしても頭から離れず、危機的な状況から脱しているのを理解していても、心が休まりません。 いつまでも自分を許せなくて、恥じています。なんとか、自分を人間として認めてもらえるように生きようとしてますが、難しいです。 今も、自分は何歳まで生きる、あと何日しか生きられないからもっとまともに生きようという奮い立たせ方しかできないでいます。それは実際に自分の寿命を自分自身で勝手に決めて、その歳になって生きていたら死のうと決めているような感じです。 誰かを愛したり、好きになったり、心を開いたり、はっちゃけたりするような、人間的な要素が消えてしまったように思います。それか育たなかった。 いつも効率重視で、無駄がないように誰かの時間を奪わないようにと頭で考えてます。 こんな人生を恥じています。 誰かのために生きたいと願うけど、それは感謝されたいという不純な動機からですし、過去の精算をしなければと必死です。 毎日、過去の出来事が蘇ってきては、自分を恥じます。生まれてきたことを後悔、ではなく、申し訳なく思います。こんな娘でなければ、こんな人生でなければ、関わる人を苦しめることはなかったはず。 この、お荷物にしかならない過去の意味を教えて欲しいです。

有り難し有り難し 12
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悟りとは不可能なことなのでしょうか

なぜ、私たちは生まれてくるのでしょうか。なぜ、生と死が一つのものだと分からないのでしょうか。                                                                              なぜ生まれたら苦しみがあるのに、生きる楽しみに浸ってしまうのか。執着とは、罠のようなものなのでしょうか。                                                                                                      なぜ私たちは生まれてきた理由を知らないのでしょうか。なぜ浄土や輪廻があるか否かを知るすべを持っていないのでしょうか。                                                                                                 どうしてこの心は、真理とは違う方向に向かってしまうのでしょうか。私たちは生きているうちに悟ることができないのでしょうか。                                                                自分が愚かだと僅かに気が付いても、未だに愚かなのはなぜなのでしょうか。                                                                             

有り難し有り難し 19
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幸せになれない

勉強しようとすると抑えられない破壊衝動と怒りが込み上げて、家の中にあるものを片っ端から壊したくなります。これだけ勉強が嫌なくせに、大学は良いところに行きたい、幸せになりたいから尊敬できる人が多い場へ身を置きたいと、夢(もはや妄想)が膨らんでいきます。 勉強ができない自分、他人に必要とされることは無いのに自分は他人を求めて依存しないと心が潰れてしまう自分、自分が好きだった事も嫌になった自分、恋人に依存して見放されそうになった途端自殺をほのめかして困らせてしまう自分、他人のために生きられない自分、どうせ自分には出来ないと全て諦めた自分、自分の内面が全て嫌いで、今生きるのが本当に辛くて苦しくてたまらないです。今の現状、自分の事も自分の周りの事も、全てが嫌です。 今後生涯、幸せに生きている自分が思い描けません。近い将来、ふと思い立って自殺する自分が鮮明に思い描けます。 自分がどうなりたくてどうしたいのかがわかりません。 こんな苦しくて辛い人生を送り続けるなんて耐えられません。だったら死んだ方がマシです。 この辛い気持ちをどうすれば変えることができますか。全てを諦めて希望のない心をどうすれば回復させることができるのでしょうか。

有り難し有り難し 9
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死恐怖症改善したい

初めて悩みを書きます。 わたくしは、中学生の時から死恐怖症(タナトフォビア)に悩まされています。 簡単に説明しますと、自分の意志とは無関係に「自分が無になる」という恐怖が脳に入ってきます。医療用語で強迫性障害に分類されます。 一年くらいしっかり働けても、季節や体調の変化でタナトフォビアが重症化し、奇声をあげる、怖くて動機がする、それを落ち着かせるために自傷行為をして生きてる事を確かめる事が続き、それに合併して鬱になり、外に出る事も誰かと話すこともできない日々が続きます。 この繰り返しを何年もしてきたため、会社に就くこともできず、終いには今、無職です。 ただ、死が怖い=生きてればいつか死ぬという恐怖も同時に兼ね揃えています。 つまり、生きてることも怖いんです。 そして今、私は薬で症状を抑えています。 薬で抑えることが出来ると、死ぬことが、酷い時よりは怖くなくなります。 そこで、私は「今なら死ねる」と思ってしまうんです。 生きてる意味も分かりませんし、 死ぬ意味も分かりません、 この世は修行だとか、死んだあとは天国だとか、そんな人間が作り出したエゴや、綺麗事は私には意味がないんです。 「死んだら生まれる前に戻る」という考えがどうしても抜けません。 私は約一ヶ月後、死のうと考えてます でも本当は生きていたいんです 生きてる素晴らしさや奇跡は痛いほど知ってます。 心の矛盾に日々悩まされてます。 どうか助けてください。

有り難し有り難し 105
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