年長の子どもがいます。幼稚園や小学校のうちはたくさん遊んだり体験する事で学んでほしいと思っていました。つまり、将来の準備のための生きるというよりは、“今”を楽しんでもらいたいと。しかし、小学校受験やその先の受験のために、塾や習い事に通っている子も周りにちらほらいます。 子どもが将来苦労をしないためにはその方がいいのかな? とも考えられますが、実際のところ自分の子のためにはどうしたらいいのか迷っています。
一休さんはとんちが得意なのですが、お坊さんはみんなとんちが得意なのですか? どうやって磨くのですか?とんちが得意になりたいです。
先日和人形を写真に撮ってから肩、首が痛み寒気がひどくこのようなサイトで見習いのお坊さんに相談し 私の今の状態を写メで送ったところ霊が憑いていると言われました。 そこで近くでお祓いをしてきますと言ったところそんなお祓いじゃ除霊はできない 私の周りにいる男性と性行為をし精を中に出してもらって体から精がでないようにして下さいと言われました。 さすがの私もおかしいと言いましたが 早く精を中に出してもらわないと霊に憑依されますと脅されます。 なんだか怖くなりその見習いのお坊さんとはやりとりしないようにはしましたが 実際そのような方法で霊はとれるのでしょうか。 ※ちなみにその和人形の写真には私からみてなにもうつってないようには見えます かなり脅されて精神的にも疲れました お祓いをしてもらいたいのですが全くわかっていません。お祓いについても教えていただきたいです 長文申し訳ないです よろしくお願い致します。
受験期真っ最中の高校3年生です。 春から欲を捨てて勉強に励んできました。 その甲斐があり成績もぐんぐん右肩上がりに伸びて、第一志望校に手が届きそうでした。 しかし、センター試験本番で緊張と焦りで大失敗。第一志望校は夢のまた夢となってしまいました。 センター試験が終わってからは毎日死んだように過ごしています。 心はからっぽで何もしたいと感じなく、悲しみから、勉強にも以前のように取り組めません。勉強をしていて泣いてしまうこともあります。 「他の私立大学の受験があるんだから気持ちを切り替えなきゃいけないよ」と言われ、切り替えようと努力しますが、センター試験での自分の失敗を思い出し苦しくなります。 なぜ今までの自分の努力を発揮してあげられなかったのかとやり場のない悔しさがこみ上げてきます。 なんだかずっと自分が間違ってきたことをしていたような気にも駆られてしまいます。 もう死んでしまおうかなとも1日に何度も思います。 ですが私を今までずっと支えて来てくれた、大切にしたい人たちのことを考えると死ぬことはできません。 一日中そんな気持ちたちが悶々とこみあげてきてとても辛いです。 このままだと自分がおかしくなってしまいそうです。どうしたらいいでしょうか。
毎回、私のは質問というよりイチャモンと言った方がよいかもしれませんが、今回もよろしくお願いします。 私(S40年代生まれ)の子供の頃は、現在よりもずっとお坊さんは尊敬される存在であった気がしますが、現在の僧侶の威厳の低下(私にはそうみえる)はどこに原因があるのでしょうか? それは、現在の僧侶の大半に、戒律を厳守して生活している印象が全く無い、というところが大きいのでないか(あくまで部外者の印象で、実際のところはわかりませんが)と私は考えます。 「威厳なんていりません」とおっしゃるかもしれませんが、毎日、朝夕「三宝に帰依します」と唱えている側にしてみれば、やはり僧侶には、仰ぎ見る存在であってほしいのです。 現在、僧侶(日本仏教界)にとって戒律はどのようなもので、どれくらい重要視されているのでしょうか? ぜひ、ご意見をお聞かせください。 ちなみに、私は仏教徒であることを強く意識するようになって、五戒のうち、せめて不飲酒戒の一つだけでも、死ぬまで守り通そうと決めて、十四年間一滴も飲んでいません。それ以前は、ひどいもんでした...。 私は本当に仏教に救われたと思っています。