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hasunoha 問答検索結果 : 「 生きる 死にたい」
検索結果: 9964件

"自殺すること"は"悪"なのでしょうか

ただ生きていくだけのことが難しいです。今まで何度も何度も生きるか死ぬかの地獄みたいな場面に遭遇してきました。 そのたびに「死にたい」と人に言って人から見た"死にそうな自分"をイメージすることで、なんとか生き延びてきました。 人に死にたいと言うとたいてい2パターンの答えが返ってきます。 「死ねよ」系か「死んだら悲しい」系です。どちらにも心はこもっていませんでした。面倒くさそうでした。 死ねよ系の中に私が社会で生きていると「社会やすべての人にとって迷惑だから自殺してね。約束だからね」といったものがありました。これは真だと思います。(私は生活保護を受給していますし、精神障碍者です。誰かの力を借りてもただ生きていくだけのこともできません。)一方死んだら悲しい系の中に「他の動物の命を奪って生きているのにその自分が自殺することは悪だから地獄に行き、未来永劫苦しむ」といったものがありました。これも真かと思います。 この二つは矛盾すると思うのですが、私がこのまま社会に迷惑をかけ続けながら生きていくのと、自殺すること。どちらが悪なのでしょうか。仏教的な答えをご教示いただけたら幸いです。

有り難し有り難し 29
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2024/07/24

肌の病気が辛いです

24才からずっと皮膚炎です。それからはずっと友達とも遊ばず暗い日々を過ごしています。肌が綺麗だったころバイトをムリせず食生活に気をつけていれば皮膚炎にならずにすんで今頃もずっと楽しく人生を謳歌してたとおもうと後悔し悶え苦しんでしまいます。そして前回質問したことの引き出物なんですが結局親ももう年なため実家にはもどらず家のなかで一人で仕事ができる在宅のテレアポのバイトで生活費を稼ぎながら治療していくことにしました。私と同期の人は病院で働きスキルアップをしていくのに私はバイト。この差はなんなんですかね。私は何かわるいことをしたのでしょうか?これは罰なのですか?肌のことなんてきにしなければいい?無理です。自分の肌が綺麗だからそんなことがいえるんです。どうして私だけこんな目に合わなきゃいけないんですか?楽しそうに話をする人達やカップルをみて自分の悲惨さに絶望してしまう毎日。頑張らなきゃって思ってもその酔いはすぐ醒めまたネガティブモードになる。いっそもうしんだほうが楽なんじゃないかと思います。でも今はまだその勇気がでませんし死ぬのはやっぱり怖いです。一生私は死ぬこともできず老いて死ぬまで生き地獄を味わうのでしょうか?この先もずっとこの状況は続くのでしょうか?もう生きていくのが辛いです。苦しいです。でもやっぱり病気は治したいのでテレアポのバイトしながら治療も頑張りたいです。お坊さんが私の立場ならどうしますか?アドバイスや後悔してしまうときの対処方法、なにか励みになるような言葉をかけていただけませんか? お願いします。

有り難し有り難し 4
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物の価値と私の価値がつりあわない

こんにちは、初めてご相談させていただきます。 私はそこそこの家に生まれた末っ子で、生きるのに何不自由ない生活をさせていただいてきました。 しかし、最近は、父が私に与えてくれるものの価値に私自身が見合っているのかと思うようになったのです。 父と母は私に出来るだけ良いものを与えてくれようとしてくれます。靴や服、アクセサリーなどです。恥ずかしながら大学生にもなって、家族で出かけたときは父に服などを買ってもらうのですが総額が10万円を越してしまうこともしばしばあります。 先日は誕生日プレゼントにと10万円ほどのペンダントを頂きました。 正直、兄や姉が父から貰っていたプレゼントよりも一つ一つの値段は高いと思います。 私は兄のようにしっかりとした計画を持って就職活動を行えていませんし、姉のようにしっかりとした男性と結婚することも(今のところ)出来そうにありません。 私は一年ほど前から心の具合が良くなく、ずっと病院に通っていて、授業を休んでしまうこともしばしばあります。 就職活動を控えた今でさえきちんとした自分の軸すら危うく、どうしようもない人間です。 私は愛されて、その愛の分だけ色んなものを頂いてきたのに、それに見合うものを残さない自分が情けないのです。 父が私に高級なアクセサリーを与えて、兄嫁にそこそこのバッグを渡していたとき、私は思わず赤面してしまいました。 兄嫁は素晴らしい人で、二人の子供を抱えながら節約をしていて、その上で丁寧な暮らしをしています。身内ながら良妻賢母というほかありません。 この素晴らしいアクセサリーは本来なら兄嫁にこそふさわしいのです。 私は自分の価値が身につけているものにつりあわないと思い、恥ずかしくなったのです。 自分は生きているだけで恥ずかしく、みじめで、どうしようもなく情けないのです。 いっそのこと死んでしまいたいのです。しかし、私は宗教の都合上自殺が許されません。死んでからも居場所がないなんて耐えられません。 でも私が社会に対して何が出来るとも思えないのです。私は偉大なる先人たちのような価値は例え2回人生を過ごしたって到底持ち得ません。生きていても死んでいても意味のない存在なのです。 生きていてごめんなさい。死ぬことすら出来なくてごめんなさい。生きているだけで人に甘えていてごめんなさい。逃げてごめんなさい。

有り難し有り難し 8
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死の恐怖ばかり考えてしまい精神と心身を病んでしまいました。

はじめまして。 39歳の男です。夫婦二人で子供はおりません。 2ヶ月程前から、自分にも必ずやってくる死についての恐怖からパニックになったりし、いつでもそれが頭から離れなくなってしまい、精神をおかしくしてしまいました。私は小さな頃から死ぬ事に関して人一倍恐怖として感じていたのですが、これまではただ考えないようにできていただけだったと思います。半年程前から母親の認知症介護や、子供が流産したりで授からないなど、いろいろな出来事から、人の生き死にを真剣に考えるようになり、考えないようにしてきた、いずれくるであろう避けられない自分の死の恐怖が夢の中でも襲ってくるようになってしまい、今は精神科に通い薬を処方して頂いておりますが、良くなる気配はありません。今は前のように笑う事もできなくなってしまい、仕事にも支障をきたす状況になってしまい、これからさきの不安などで自分自身どうして良いのかもわからない状態になってしまいました。 いろいろな死生観の本を読んだりしましたが、頭では今をしっかり生きるという必要性を理解できても、心の中の死の恐怖が勝ってしまっている状況です。仏教を勉強してみようかと思っていますが、何か少しでもアドバイスを頂けたら幸いです。

有り難し有り難し 146
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親へ借金の相談について

私は勤めている会社へ借金を返済しなければなりません。 上司と数日間話し合いをして、親に相談できないか?と言われました。 相談できるのであれば相談してみて結果を聞かせてほしいとのことと、 もし相談できないのであれば給料から返済して、退職したあと月々いくら払っていくかを決めようと言われました。 私の家族は比較的仲は良いほうで、周りからも仲のいい家族だねと言われていて、私自身も親に今まで何でも相談してきました。 ですがお金のことを相談しても大丈夫なのか、言いづらい面もあります。 きっと何かしら解決方法を教えてくれたり、親身になってくれると思っていますが、親を失望させたり泣かせたりするのが怖くてたまりません。 ただ前から職場の人間関係が崩れ、居心地が悪く現在食事もあまり喉を通らず、 毎晩このまま夜の時間が続けばいいのにとか、朝になったら死んだほうがラクかもしれないと考えたりしてしまいます。 でも、死んで逃げるより家族ともっと過ごしたいと思うし、今付き合っている彼とも生きたいと思って頑張ろうと思うのですが、この問題を解決する方法が分かりません。 親へ借金の相談をするのはいけないことでしょうか。 また、私はこれからどのように生きていけばいいでしょうか。 教えていただけると幸いです。

有り難し有り難し 5
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ありがとうございます

(編集部より。特定の回答僧を指名した質問はできませんので、タイトルを変更しました。) 暖かいお言葉ありがとうございました。人間嬉しくても泣くのですね。忘れていました。 でも御坊様、生きているのが怖いのです。生きていて良いのか?死んで初めて役に立つのではと自然に思ってしまうのです。夜かろうじてベッドに入る時、朝目覚めません様にと願い、朝目覚めるとガッカリの繰り返しです。自ら命を絶つ事は罪なのでしょうか?私が死ねば主人は法律的にも私を憎み叩き潰す事しか考えていない実の二親と妹から解放されるのです、間違いなく。二親と妹は厄介払いが出来たと間違いなく喜びますが、主人は解放されます。仏様が私の命を絶ってくださるか(恐れ多い言葉です、お許し下さい)アクシデントで死ぬか、自ら命を絶ってしまうにせよ、私にもしもの事があったら主人には死後離婚してもらいたいのです。夫にせよ妻にせよ、相手の家と縁が切れる法律です。御存知の様に私の二親と妹は主人にどんな難癖をつけてくるか分かっていますから。その上3人とも怖ろしい程の守銭奴です。どんな形で私は死ぬのか今は分かりませんが私の死後、主人が3人に苦しめられたりするのはたまりません。

有り難し有り難し 8
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「下流」でも良いと思うのは甘えですか

わたしの人生は、とあるタイプの人から見れば「失敗」と映ると思います。中学校で不登校、高校で留年、大学も4年以上かけてやっと卒業、今はアルバイトです。 けれども、わたし自身、今には何の不満もありません。ここまで生きて来られたのも、家族や友人、師やドクターに恵まれたからだと思っています。 最近、わたしの人生を「失敗」だと見なすであろうタイプの方の、書かれたものを読む機会がありました。曰く、「アラサー実家暮らし非正規なんてあり得ない、結婚は無理。いわば〈下流女子〉。老後の保証もありません。友だちもろくな人ができません」なのだそうです。 それを読んで、ショックでした。 メンタルに病気を持って以来、多くを望まないことを心がけてきました。結婚も望みません。華やかな成功も望みません。ただ、自分ひとりで穏やかに生きていって、あまり苦しい死に方さえしなければ良いと思っています。でも、その方の意見では、その望みもままならないようです。根拠のない、いい加減な人の意見なら流せるのでしょうが、その方はわたしと正反対の人生の、社会的に見れば「立派」な方なので、心に突き刺さるばかりです。 その方は「そうなりたくなければ、今の〈下流〉に安住せず、甘えを捨てて上を目指しなさい」ともおっしゃっています。それもごもっともな意見だと思います。でも、今のわたしにはとても無理なことです。病気を抱えている身にいちばん合っているのは今のアルバイトです。さらに、正規の労働者として、将来は「医療事務」の職に就きたいと考えていますが、その方によると医療事務なんてまともな仕事ではない、のだそうです。 自分なりに真剣に考えて、たくさんの諦めも経てたどり着いた人生計画にダメ出しをされたようで、苦しいです。 でも、いちばん苦しいのは、その方の意見に自分が影響されて、ぐらついていることです。本当は、「〈下流〉で結構! それでもわたしはこう生きるしかない!」くらいに強気で、その方の意見も跳ね返す勢いで行きたいのに。 わたしは、「下流」でも「失敗」でも、今にも思い描く将来にも満足しているつもりです。いわゆる「立派」な方にバカにされてもダメ出しされても、ぐらつかないで生きていく強さが欲しいです。それとも、わたしの「満足」は単なる甘えなのでしょうか。どうぞお智慧をお貸しください。

有り難し有り難し 86
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2022/07/02

毒親の精神的支配

私は親から離れました。そして今は20歳上の彼氏と同棲してます。物理的に離れても親の言葉が脳内を支配します。それから親の罵倒、父との喧嘩、母から父への悪口や暴力の光景が心に浮かんできます。5歳くらいの時、父親が母の首を絞め突き落とそうとしたことや、父がリスカしたり、私も母に暴力振るわれました。 それでも許そう許そうと努力し、私なりに頑張ろうとしました。 話は変わりますが、彼氏も変わってて、私に小さく指示したり世話を焼いてきます…すごく苦しいです。何度嫌と言っても相手には伝わらないです。むしろ大きい声で主張したり、何で?と何回も聞いてきます。帰ってくるなりおどけて笑いを取ろうとしてきたり本当にパーソナルスペースが合いません。疲れるけど私は生活力もないし、一人で生きる自信もありません。 完璧な人間はいないから許そう、自分が変わらなくちゃ…本で読んだことを実践しましたが、心身共に疲労して、ついには私の感情がわからなくなりました。 相手に期待するのはダメといいますが、期待しなくなると自分がゴミみたいになりそうで怖いです。 もう書いてて、今世では幸せを諦めた方が楽な気がしました…。幸せさえ諦めれば、素敵な人でありたいという願いさえ諦めればとても幸せです…。向上しようとする私自体、本当の自分じゃないです。 いつも、頭の中に他人がいます。そして、何度も何度も繰り返し頭の中で他人が話しかけてきます。 死ぬこともありなのでしょうか?心底、安堵するように思えます。何故なら、もう考えさせることにくたびれました。…お金、セックス、愛。人間…疲れました。私は人間など辞めたいのですよ。 ただ、楽になる生き方を教えてください…お願いします。

有り難し有り難し 3
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2023/03/25

実際に死とどう向き合っていますか?

以前より、死の恐怖について相談をさせていただいており、大変お世話になっております。 たくさんの方から頂いたご回答はどれも暖かく、そして勉強になっております。ありがとうございます。 問答の中で、自分の弱い点や、認知や考え方の歪みがわかり、この方法で恐怖を緩和していこうという方向性は見えつつあるのですが、恐怖緩和に対するどの方法を行うにしろ、習得や納得(体でわかるまでやる、なども含め)には多くの時間を要します。死は人生の命題ですので、一年やそこらで恐怖が激減し、納得することはできないと考えます。 私は方向性としては、禅などの「体で納得」を目指したいと考えていますが、これこそ一朝一夕で身につくものではないですし、仕事等による時間の制約もあり、納得に至るには長年の修行が必要だと感じています。 そんな風に時間をかけてゆっくりと学びを深めてはおりますが、もちろんその間にも死への強い恐怖感は消えません。特に、楽しいことがあった日の帰り道や夜には、必ず「この思い出も自分の存在もいつか消える」という思いで気が狂いそうになり、パニック症状が出ます。 それを、娯楽へ走ったり、禅と宗派は異なりますがお念仏に頼ったり、お墓やお寺に行ったりと、一時凌ぎでやり過ごしているのが現状です。このように、最近は「いつか死ぬ」ということがいつも恐怖で気掛かりで、楽しい・嬉しいなどのポジティブな場面が心から楽しめないような感覚になっています。 前置きが長くなりましたが、 お坊さん方の中に、今に至るまでに修行をなされている間に私のように気持ちが揺れたり、恐怖でパニックになったりしたご経験をなされている方がいらっしゃいましたら、「ご自分が一旦、その問題(私で言うところの死の恐怖)への納得感を得られるまで」に、どのような心持ちや行動で過ごされていたのかをお聞きしたいです。 また、現在も私は死の恐怖緩和についての対処を学んでいる最中ですので、もし同じ問題に悩み、納得した方法や考え方があれば、併せて教えて頂けると嬉しいです。 お時間ある時で構いません。様々なご回答を聞きたいです。お手数をおかけ致しますが、ご回答頂けますと幸いです。何卒よろしくお願い申し上げます。

有り難し有り難し 13
回答数回答 2