こんにちは。死去した嫁の供養について教えてくださいませ。 嫁はある宗教の信者だったため、我が家の住職による葬儀を望まず、仏式読経を行わずに旅立ちました。 我が家の住職は、お経は水と同じで、お経により魂が安らかになれるとお話し下さいます。そのお経を送ることができないため、遺族はどのように供養すべきか迷っています。 祭壇の前で、嫁が信仰していた宗教のフレーズとともに般若心経を唱え、仏式のお供えをしております。ですが、我が家の正式な供養を別途おこなう予定です。 宗教が違っても、我が家のお経と供養法を行なっても、他宗教の嫁の魂は安らかになれるでしょうか? 嫁の宗教について何も知らないこともあり、我が家のやり方で供養するのが遺族の望みです。 私としましては、嫁が安らかに休んで、遺族を優しく見守って欲しいと望んでいます。 我が家の供養法に加えて、その新興宗教のフレーズを一緒に唱えれば、嫁の魂は安らげるでしょうか? よろしくお願い致します。
何度も投稿し、ありがたいお返事をいただいているレモンです。突然死した夫の3回忌を前に元号が令和に変わる前に平成を生き抜いた主人の納骨を考えています 主人の実家には立派なお仏壇があります。私の実家にも宗派の違う仏壇があります。 義父は主人の姉の子供を養子に迎え家系を継いでもらうことになりました。 私達夫婦には子供がありませんでした。今は私1人で住んでいます。家にはお仏壇がありません。 今までは三おりのご本尊とお骨と主人の法名の書いてある軸(すみません呼び名がわかりません)の前で月参りをしてもらっていました。 納骨の後仏壇はあったほうがよいですか 義父は今後お仏壇が邪魔になる時が来るので必要ないといいます。
(編集部より。規約により投稿の一部を修正しています) 今年のお盆に、長男が自殺してしまいました。別れた主人の家はある宗派です。葬儀もその宗派で執り行いましたが生前長男はその宗派を、嫌っており 私としても 嫌いだった宗派で葬儀を執り行う事にどうなんだろう?と言う気待ちが渦巻いていました。嫁も同じ気持ちです。戒名をもらい 49日 百か日法要まで済ませました。一周忌までに 宗教を変え お墓も建立しようと思っています。 私も 嫁も これといった 宗教に入っていませんが 亡くなった長男に対しては 宗教関係なく 手を合わす心を持ち続けて行くつもりです。 これから先 一周忌 三回忌 七回忌 と続きますが その時だけ お寺さんに 法要していただくことは可能なのでしょうか? そう言う場合私の実家のお寺さんにお願いできるものでしょうか? 実家 嫁の実家共に 浄土真宗です。 お墓も 元主人の方の先祖墓に入るのではなく 新たに 隣に長男の墓を建立しようと思っています。元主人には了解を得ています。 仏壇も購入しましたが その宗派と浄土真宗 もしくは 無宗教の場合とでは 中に入れる位牌も 違ってくると聞いています。まだ嫁も心の整理がつかない一方で 早く落ち着いた環境を作って 長男を(旦那になりますね)弔ってあげたいと思っています。 長男はその宗派に入信していたわけではありません。 文字にするとなかなか伝わらない事もあると思いますが 宗教を 変えること が1番の悩みというかどういう手順を、踏んでいけばいいのか アドバイスを下さい。 宜しくお願いします。
数ヶ月前に父が亡くなり、納骨も無事済みました。 私はお仏壇のある実家ではなく遠方に住んでいるため、自宅に父の写真を置いて、お花を飾り毎朝お水とお線香をあげています。 このお線香をあげて手を合わせる時、心の中で何と言うのが正しいのでしょうか? 家族を見守っていてほしい気持ちもありますが、父がもうどこも痛くも辛くもなく、ただただ安らかに穏やかにいてほしいというのが一番の願いです。 何をするのが、亡くなった人にとって一番嬉しいのでしょうか? また今回のお葬式で、恥ずかしながら初めて自身の家の宗派を知り、住まいの近くに同じ宗派のお寺があったため、月に一度父をよろしくお願いしますとご挨拶をしに行っています。 この行為は失礼にはあたりませんか? 何か意味があるのかは自分では分からないまま、どうしても参拝に行きたくなってしまいます。 教えていただけますと幸いです。
昨年秋に兄を突然亡くしました。今年は兄の一周忌があるのですが、実家は遠方にあり、コロナ禍で高齢の父母がいるため、実家での一周忌の参加を断念することにしました。 命日にはそれぞれ自宅でお経を読んで故人を偲ぼうということになりましたが、兄には私が住む地方に来るたびに訪れる寺院がありました。実家の宗派とは異なるのですが、兄が大切に思っていた寺院で、生前は私や甥のためにお守りをよく買ってきてくれました。 できれば、その寺院で個人的にお経をあげてもらえないだろうかと思っているのですが、宗派も違うためどのようにお願いしたら良いかわかりません。また、その寺院は鬼子母神を祀っており、普段は御祈祷など行なっているようなので、このような個人的で小規模が供養をしてもらえるかわかりません。 無理して、お願いせず自宅で偲んだ方が良いでしょうか。仏事に疎く、ぜひお教えいただきたいと思っております。どうぞよろしくお願い致します。
こんばんは。 御墓参りのことで教えてください。 お盆に御墓参りに行きたいのですが、遠方にあり日帰りでは行けない距離です。 私の体力的なことや家の事情を考えても今年は難しそうです。 その場合、例えばお墓のある方面に向かって拝むとか、私の実家は真言宗、主人の実家は浄土真宗ですので、その宗派のお寺にお参りに行くとかそういうことでも大丈夫でしょうか? 行けないからそのままという形にはしたくないと思っています。
悟りについて興味があります 現在は、「今、ここを生きる」というチベットのお坊様の書かれた本に従って、一日中マインドフルでいられるように精進しています 禅の本やテーラワーダの本、チベット仏教やボン教の本まで読みましたが、実際に現場にいる僧侶の方の体験を聞いてみたいです 「認識が止む」のような、なにかしらバチっとした特殊な体験が一度だけあるのか それとも徐々に深まっていくようなものなのか 宗派を問わずご教示くださったら幸いです
真言宗と天台宗のお寺でそれぞれ御護摩札をいただきました。 不動明王の御真言を唱えたいと思い調べたところ、真言宗と天台宗では御真言が少し違う事を知りました。 この場合はどちらかの宗派の御真言を唱えていいのでしょうか。 それとも、それぞれの御護摩札にその宗派での御真言を唱えた方がいいのでしょうか。 また、違う宗派のお寺の御護摩札を一緒に祀る事に問題はありますか? 初歩的な質問でお恥ずかしいのですが、教えていただけたら幸いです。 よろしくお願いいたします。
私は現在 16歳 ( 高校2年生 )です 。 学校には通わずに 中学卒業後すぐに働き始めました 。 最近になって 日本史や古事記の勉強にハマり、毎日勉強しています。 そこで、よく出てくる仏教が気になり、主な宗派全てを調べ まとめあげました。 様々な宗派がある中で、私は日蓮宗の教えにとても共感を得ました。 そこで、僧侶になりたいと思いました。 誰かの役に立ちたいんです。自分は中学一年生の頃に精神を病み苦しみました。しかし手を差し伸べてくれる方は誰も居ませんでした。 もし仮にそんな状況に居る人が居るのなら、少しでも力になりたいんです。 私が精神を病んだのは中学一年生ですが、卒業後も不安定になることはありました。その時に お寺に参拝することで少しでも楽になれたんです 。 自分と同じような方がいるならば、力になりたいのです。 このような理由だけで出家をしようと思うのは 安易な考えなんでしょうか 。
守護霊・霊言があると言うのは、ブッダの教えに背いていると思いますが、 宗派によって様々な考え方が有るというのが現実なので、仕方ないのかもしれません。 しかし、僧侶が苦しんでいる人を救うことに努めるという事は、 全ての宗派に共通するのではないでしょうか? 最近話題の清水富美加さんが出家した宗教団体、について >その方々のことはよくわかりません。 と言うのは、僧侶の行を果していないと思います。 その教団に苦しんでいる人、苦しめられたと言う人々が沢山いるのですから、 その様な方々の事に思いを巡らした上で回答するのが、僧侶の責務ではないでしょうか?
祖父の葬儀の時に「死後の世界はこうなっています」と何層かになっている図の説明を受けました。 仏教に限らず死後の世界、天国地獄も含めて「あることは知っているでしょ」からはじまることが多く、「なんでだれも見たことないのにあるということになっているのか」が解りません。 さらに私の認識では例えば仏教はゴーダマシッタルーダが釈迦のペンネームで小説を書いてそれを各宗派の開祖が読んで読書感想文を広めた、というイメージなのです。そう考えないと宗派毎の教典の違いや祭事の違いなど差が出てくることが理解できません。 宗教が絶対のもので揺るぎがないものであれば解釈が変わったり宗派が分かれたりするものではない。会派が別れたり解釈が変わるのは不完全な創作物である証かと思います。広めるために土着信仰と結びつくなどその尤もたるところです。 かなり偏った意見になっているのですが「こういうことになっている」だけで「なぜそういうことになっているのか」「それが間違いない検証は取れているのか」を説明しているものがあれば教えていただきたいと思います。 化学実験でいえば「再現性」、こうすればこうなる、というものです。それがなければ「どうなるか解らないのに信仰するの?」となってしまいます。 また、どうしても論理的に根拠がしっかりしているものでないと認められない性格なのですが、「いやいや宗教というのはそういうものじゃないんだよ」というのがあれば教えていただけないでしょうか。
カテゴリは違いますが2度目の質問です。 昨年の2月に祖母が93歳で他界いたしました。 すごく気が強い人で、友人や近所の方々との喧嘩が多く 3人の子供たちにも煙たがれる存在でした。 長男である父(私たち家族)と同居しておりましたが共働きのため 普段は1人家で過ごしていたせいか、寂しい気持ちから 家族に我儘や文句の言い放題で、家族全員手を焼いていました。 時には、その我儘に怒鳴ってしまったり喧嘩も絶えませんでしたが 小さい頃は祖母に育てられたこともあり大好きな存在でした。 最後は病院へ入院しており会話もできない状態が何年も続き 病院からの連絡が遅く、誰も最後を看取ってあげることができませんでした。 葬儀には約200名の方が最後のお別れに参列していただき 子供・孫・多くの方が涙してくださいました。 私たちは皆さまから祖母は嫌われている存在だと思っていましたが そうではなかったことに気付きました。 それと同時に家族全員、年寄りの我儘に怒鳴ってしまったり 時には冷たい態度をとってしまったこと 謝れないままお別れになってしまったこと大変後悔しております。 お墓や仏壇に手を合わせるだけでも、その私たちの後悔や 気持ちは祖母へ届くのでしょうか? いなくなってから気付くことがたくさんあり 私たち家族は、その度に後悔することしかできないのが 大変苦しいです。 私たちはこれからどうしたら良いのでしょうか? 教えてください。
お盆やお葬式でお坊さんがお経をあげますが、そこで読まれるものは全部同じものだと思っていました。 この前ある仏教の本を読んでいて、宗派によって読むお経が違うことを知りました。 それぞれどういうお経がメジャーなのですか?お盆のときはこのお経とか使い分けとかあるのでしょうか?
実は私、仏様の教えを広めるため、いずれ仏教の尼さんになりたいという夢があります。しかし宗派を選ぶにあたって、「私なんか厳しい修行に耐えられるわけないしなぁ…」と思い、浄土真宗を選択しようと計画しているのですが、やっぱり現役のお坊様からすると甘いですか? ※浄土真宗で出家するにも得度考査や得度習礼など難関があることは存じあげています。
こんばんは。 お坊様の着る衣装ってどうなっているのか、画像を検索したりしてるんですが、私が思うほど単純じゃ無さそうで細かいところがよくわかりません。 ひょっとして宗派によってデザインが違うんでしょうか? お坊様の好みで選んだりもするのでしょうか? 何種類ぐらいあるんでしょうか? 着るのもきっと難しいんでしょうね。
昨年、質問させていただいた際は、とてもためになるご回答をありがとうございました。 今回はお墓について質問させていただきます。 亡くなった自分の両親と兄弟、そしてまだ健在ですが独身の兄弟のためにお墓の購入を考えています。 姪や甥、その家族も望むならば将来的に一緒に入れるようにしたいと思っています。 そのため、宗派や宗教を問わない霊園になるかと思います。 ただ問題は、私には子供がいません。 私が居なくなったら一代で終わってしまいます。 姪や甥には引き継いでもらうことを頼むのは重荷になったら可哀相で頼めません。 そのような場合、お墓を購入するのは間違いでしょうか。 私が居なくなるときは、支払えるだけの永代供養料を支払うつもりです。 ほかに選択肢なども含め、ご意見を伺えたら幸いです。 また、宗派・宗教を問わないという霊園でも、運営は宗教法人〇〇寺と書いてある場合が多いのですが、お寺様は本当に宗派・宗教を問わないのでしょうか(もちろんお寺様によるとは思いますがご意見をお聞かせていただけますでしょうか)。 どうぞよろしくお願いいたします。
私は過去に父親からひどい虐待を受けて育ちました。その影響もあり精神疾患を持っています。 今は両親は離婚し虐待からは解放されましたが、過去のことが今も私を苦しめます。 毎日死にたいという気持ちがあり悩んでいます。 そんな気持ちから解放されたくて、最近尼僧侶に興味を抱きました。 尼僧侶になり神に支え修行すれば、過去のしがらみからも解放され、私らしく生きられるのでしょうか? 私は結婚をしていますが、出家しますと、もう家族とは会えないのでしょうか。 出家してから子供を持つことはいけないことでしょうか。 宗派を決める決め手はなんでしょうか。 教えていただきたいです。
曹洞宗のお坊さんしか出来ないって聞いたけど本当ですか?その家の宗派が違っても枕経だけは曹洞宗のお坊さんがするって聞いたけど本当ですか?どうしてか不思議です。 静かに死んでいきたいです。
現在、会社を既に退職し、出家を考えています。 出家する理由は回峰行で生死に向き合って修行してみたいと考えているからです。(恐さもあります) ただ家が曹洞宗で、自分が四本足で歩いていた頃からの付き合いのお坊さんに相談して所、曹洞宗は(座禅中心で)回峰行は難しいと言われました。 やはり回峰行をするためには天台宗で得度を頂いた方が宜しいのでしょうか。他の宗派の方からもご意見を伺いたいです。 個人的には長い付き合いですので、そのお坊さんに得度をして頂きたいと考えているのですが、もし行ができないのであればその辺りも難しいのかなと考えて板挟みになっております。 追加です。世俗的な質問になってしまいますが、修行中の(国民の義務として)年金保険等の納付はどうなさっておりますか。 どうかご意見のほどよろしくお願いいたします。
今年は色々あって「自業自得」を身を以て体験し、胸が苦しくなる日々を送っていました それで、ネットでたくさんの情報を得て却って混乱し、苦しみを増幅させた感じです そんな中でこちらに出会い、いくつか相談させて頂き少しずつ心が軽くなっていくのを感じており、大変感謝しております それでも気持ちは常に揺らぎ、ネガティブ側に引っ張られ暗い気分に陥り、ネット内の心理カウンセラーやスピリチュアル系サイト発信者に頼りたくなってしまいます 考え過ぎなのだと思うのですが、今までに見てきた情報の殆どは「潜在意識を書き換えれば世界が変わり幸せになれますよ」という内容なので、「潜在意識を変えなければ!」という焦りが生じてしまいます 頭のどこかで「早くその方法を教えてもらい気持ちを楽にしたい」という思いがあり、飲み込まれそうになります その一方で、それらは【商売】なのだ!、という信じ切れない気持ちもあり、踏み留まっています hasunohaを知り、お坊様からのご助言やお優しいお言葉を頂くとホッとする気持ちになりましたので、仏教を学ぶことが「心の平穏」を得ることになるのではないか、と思うようになりました そこで、表題のサイトを見付けて少し読んでいますが、本当は実際にお坊様から仏教の真髄を分かり易く教えて頂き、「安心」を得たいと思っております 当家や実家に来て頂いているお坊様からは、教えて頂きたいお話しは聞けそうにありません 実家の宗派は「浄土真宗」で、主人側は「真言宗」です 仏教の根源は同じで、それを親鸞聖人や弘法大師方々のご解釈(?)によって宗派が分かれたのですか? また、浄土真宗の【南無阿弥陀仏】というお念仏は、いつでも何処でも唱えて良いのでしょうか? 上記サイトでは、「【南無阿弥陀仏】とは、無明の闇を晴らしてくださったときの御礼の念仏」とありました むやみに唱えるものではない、ということですか? お聞きしたいことが色々あって記載内容が支離滅裂ですが、要は「仏教で救われたい、平穏の心で過ごしたい、それにはどうすれば良いか」、という事をお聞きしたいのです その為には、仏教を学ばなければいけないと思うのですが、どのように学べば良いのでしょうか? 標題のサイトにも「無料メール講座」があります こういう形でも学べますか? 仏教なので、今までのように混乱に陥ることはないでしょうか?