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hasunoha 問答検索結果 : 「好きな言葉」
検索結果: 3699件
2022/08/23

レイシズムと因果について

私は現在大学で社会学を学び、多文化共生の道筋(異文化教育学)を調べたりしています。自分を含めた複数の文化的ルーツの人々が暮らしやすい環境を作る為です。 先駆者の理論などを学ぶにつれ、社会における自分の立ち位置を理解し、精神も依然と比べて安定はしているのですが、どうにも腑に落ちないわだかまりを感じるのです。 見た目が違うと言う理由だけで警察に職務質問されたり、日本でずっと育ったのに外国人(犯罪者)扱いされたり、慣れてくると「考えても仕方が無い」と無感覚になるので今は怒ったりはしないのですが。 以前聞いた仏教における「因果」の話に矛盾を感じてしまいます。私の認識では善因善果や悪因悪果の様に自分の不幸の原因が自分にあり、大概の場合は理に適っていると思います。差別や警察への対処法では本当に当てはまってて、知り合いの混血もけんか腰で話してたら公務執行妨害で押さえつけられてました。(;´Д`) しかし差別される苦しみ(果)が自分が捲いた(因)であるとは思えないのです。もしこの苦しみをもたらしている因果に心当たりがあるのであったり、私の解釈が誤っているのであれば教えていただけるとありがたいです。 理不尽?と言えば良いのかはわかりませんが、この様な社会において他者に対してどの様な心構えを持てば良いのかもご存じであればご教授願えないでしょうか。

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ありのままの自分って何ですか?

現在大学1生です  今、部活とサークル2つ入っています 新しい自分になろう! やったことがないことをやってみよう! 就職のネタにもなるし頑張ろう! と1期の時は2つとも張り切ってやっていました しかし今2期になり課題も増えてひとり暮らしで家事などもやる必要があり 特に部活の方は運動系なのできつくなってきました それで部活をやめようかと思っています きつい理由は夜遅くなってしまい自分の中でキャパがなくなってしまうからです 週2回なので少しくらい夜遅くなっても なんとかできるだろうと大半の人はこなしてしまうと思うのですが 私にとっては難しいのです そのままの自分でいい、自分らしくというのと 今の自分より自分を高めるため、自分が苦手なことや不得意なことを克服することの境界線がわからなくなってしまいました 部活の先輩やメンバーはとても良い人たちです ですが私にとって体力的に厳しいのです 元々私は早く寝ないと体が保たなくて 基本睡眠時間が長めです それに加え就職するなら〇〇した方が良いなど 例えばコミュニケーション能力がある方がいいなど 自分はないからどうしようとか 考えてもどうしようもないことを考えて心配してしまいます 自分に自信がないのです 人がどう思っているか気にしてしまいます ありのままの自分でそれなりに 幸せに生きられたらいいというのが その人の生き方だとはわかっているつもりなのですが理想の自分と今の自分にギャップを感じて自分を責めてしまいます 私って両立とかもっとできる人だと思ってってたのに...とかです もちろん勉強や課題はしています ですがせっかく大学に入ったのでサークルなども入ってみました ありのままの自分とは何か 人と比べないためにはどう考えたらいいか 自分に自信を持つためにはどうすべきか 余計なことを考えないようにするためにはどう心掛けたらよいか 回答を頂けたら嬉しいです

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どんなに願ったり努力しても叶わないことがあることの意味

長文失礼いたします。 祖母が8月に亡くなりました。92歳でした。2月に突然脳梗塞を起こして、肺炎を起こして1ヶ月くらい意識不明でした。そこから意識が戻って療養型病院に移って、脳梗塞は順調に回復して退院寸前でした。祖母も自宅に帰るのを楽しみにしていました。その直後もともと持っていた間質性肺炎が医者も驚くほど知らぬ間に悪化していることが分かりしてそれから3週間くらいで亡くなりました。発病してから本当に毎日休みなく家族3人全員が2時間くらい車で30分くらいの病院に顔を出して看病や介護をしました。私は亡くなる当日朝から亡くなる瞬間まで意識ない祖母の手をずっと握っていました。生きている限り希望を捨てはいけないと思っていました。でも、亡くなりました。でも亡くなった瞬間、全て努力なんか全く無意味で死んだら無なんだと確信しました。何をどう努力しても死んだら無なんだと。 唐突に話は変わりますが、漫画で、「ジョジョの奇妙な冒険」という本があります。その中で西部開拓時代のアメリカの話で、上手く言えませんが、ある国に特殊な技術を持っている、医療行為と死刑執行を代々生業している一族の登場人物が出てきます。ある時その登場人物の診療所に、夫のDVで失明した女性が仕事中の怪我で運び込まれます。登場人物は自分の持つ特殊技術で女性の失明を治せると確信したので、治そうと試みますが、ほんの少しの偶然の出来事で彼女の失明を治せず彼女は永遠に光を失います。治せるはずの彼女を治せなかったことにショックを受ける息子に、登場人物の父は、「彼女の失明を特殊技術で治せると父である自分は分かっていた。でも意図的に治さなかった。彼女は盲目が故に生かされている。もし失明を治せば、DVを行った権力者の夫達は、目が見えるようになった彼女の命すらも奪う可能性があるからだ」と言いました。 結局何を言いたいか上手く言えなくて申し訳ありません。ただ、祖母の死の無の感触を思い出すと、なぜかこの漫画のことを思い出します。 どう繋がっているか考えても分かりません。結局言いたいのは、題名の通り、いくら願っても努力しても叶わないことは一体どういう意味を持つかということです。本当はもっと突き詰めて自分なりの意見をじっくり温めてみたいと思っていますが、どんなことでもいいので、何かお言葉を頂けたら嬉しいです。よろしくお願いいたします。

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「天命」の意味とは

「人事を尽くして天命を待つ」の意味を教えてください 私は今、行方不明の愛猫を探しています。 モットーに「人事を尽くして天命を待つ」と掲げ、折れそうな心を励まして探して来ました。 しかし、素人なりにかなりいろいろな捜索活動をしたのですが、ちっとも情報が来ません。 「天命」を待つ間、眠れず食べられずイライラキリキリして張り裂けそうになっている時、hasunohaに出会いました。私の質問に答えていただき、また過去似たような状況で苦しんでいる人の問答を読んで、現代社会のドライな価値観とは違う広大なものの捉え方にとても慰められました。 気づいたのですが、私は「天命」を「よい知らせ」とだけ捉えていたようです。しかし、ハスノハで問答を読むうちに、「天命」とは、よい知らせという意味ではなく、いいことも悪いことも、命のありよう全てを含んだもっと大きなものなのではないかと気づきました(上手く言えなくてすみません)。 「なぜ必死で手を尽くしているのによい知らせが来ないのか、努力が足りないのか、大切なあの子に、辛く苦しい残酷な死に方をさせてしまったのではないか」と焼け焦げそうにイライラして泣いてばかりいましたが、猫という命と人の命、その別々の命が出会ったことにもっと感謝して、自分のこれまでの生き方など全てを大きく受け止めることが「天命を待つ」の本当の意味なのではないかと、気づきました(分かりにくい文章ですよね?すみません) よい知らせばかりを待ち望んでいた私にとって、この意味に気づいたのは衝撃でした。「天命を待つ」とは、いい結果も悪い結果もそのまま大らかに受け止めることではないかと思ったとき、全く違う世界が広がったのです。 私は、愛する猫を危険な目に遭わせるどうしようもない飼い主です。人によっては、動物と関わる資格がないと言うでしょう。けれど、少しずつ自分を許していかないと、今後呼吸すらできなくなり猫の捜索に向かうパワーがなくなってしまうと感じています。 ごめんなさい、ほとんど独り言の懺悔になってしまいました。 まとめると、お坊様に聞きたかったことは、「人事を尽くして天命を待つ」という言葉についての、仏教的解釈です。もとは儒教の言葉だと聞きかじりましたが、「人事を尽くして天命を待つ」とはどういうことなのか、教えていただきたいです。

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