身内が入院中、鳩の形のストラップを二つ購入し、ひとつを身内に渡し、もうひとつを自分で持っていました。 購入後に気づいたのですが、ストラップの包装に、鳩は乳飲み子のお守りと書いてあり、手渡す時には乳飲み子でもないのにごめんね。と笑い話をしていました。 その後、無事に身内は退院し、つかの間の平和な日々を送っていたのですが… その後、家族間のトラブルがあり、もともと難しい性格の身内から、こちらに書けませんが余りに酷い言葉を投げかけられ、縁を切りたいと思ってしまった私はストラップを出してと言い、身内が怒りまかせに出したストラップを目の前でハサミで切ってしまいました。 ストラップの紐ではなく、鳩を真っ二つ。 選ぶ時には、これを見て少しでも和んで欲しいなと思って手にした鳩のストラップ。偶然ですが身内が退院した日に見かけた、二羽の本物の鳩。 ストラップの鳩に似ているなあ、などとその時は呑気に思っていました。まさかその後、大切にしようと思ったものを自らの手で、酷いことをしてしまうとは思いませんでした。 身内に対して心を閉ざした感覚は、今すぐ変えられる気がしません。顔を見るのも今は無理です。しかし、鳩のストラップ、それもお守りと書かれていたものを粗末にし、胸が痛んでいます。 私は動物の形をしたぬいぐるみなどが捨てられないため、普段は買わないようにしています。それにも関わらず、可愛い鳩の形のストラップをハサミで切るなんて、最低の行いをしたと思っています。 身内は切られたストラップを私の顔めがけて投げつけてきたので、その後、おそらく捨ててしまったかと思います。たとえストラップだとしても、鳩の形をしたものなので、謝りたかった。身内にではなく、ストラップに対してです。 今、私の手元にはもうひとつの鳩のストラップが残されています。このまま持っているというわけにもいきませんし、どうすればいいのか。 また、切られて捨てられてしまったお守りのストラップに対して、私はどのように謝れば良いのか…。悲しい気持ちになり、涙が出ます。
嫁さんのお母さんから今年は2人とも大殺界だからきつけてね!と言われたのですが自分としては大殺界だからと思えば思うほどダメな気がします。 どういう心構えで生活して行動はどのようにしていけばいいですか?
初めまして。 一年ほど前に中学校での友人が亡くなりました。他殺で、私の中ではとてもショッキングでした。 知らされた当時、なんであの子がこんな若くに、(殺された場所は近所だったので)助けられなかったのかという気持ちでいっぱいでした。 しかし、それから一年間、ことあるごとにその友人の死を考えてしまいます。思い出さない日はないほどです。 先日は接客でもたついているときにお客様の目が「お前が死ねばよかったのに」「なんで助けに行かなかった」と言っている気がしました。正直混乱しています。 友人と言っても同じ部活で帰る時に一緒のグループだったくらいの繋がりで、個人的な絆というのはあまりなかったように思っています。 私は、自分でもその子のことを思うあまり「自分が死ねば」と考えてしまうのか、自分の死にたいという気持ちにその子の死を利用して「お前が死ねば」と考えているのかわからなくなってきました。 友人が亡くなったことでいつまでも自分を可哀想がりたがっているのではという気がしてきます。 どうしたら友人の死と適切に向き合えるのでしょうか。
質問させて頂きます。 現在、犬の介護をしながら暮らしております。 ありがたい事に、犬に比べ、人間の寿命が長い為、順調に行けば犬を安全に看取る事が出来そうです。 そして犬が亡くなり、人間が死んだ時、私は自分が火葬される時に、犬の遺骨と夫の遺骨を一緒に焼いて納めて欲しいと願っておりますが、そういう事に対応して下さるお寺様は現在あるものでしょうか。 ちなみに夫は存命です。 私は、順当に行けば、親を看取って夫を看取って死にます。それは私の願いでもあります。 そして、私は一人残るので、いつそうなっても憂いの無いよう、準備をして置きたいと考えております。 懸念は、骨壺の容積に対して全員分の骨が入り切るかという事ですが、入らない分は捨てるかどうかして、何とかならないか、 また、犬と夫の骨は二度焼かれる事になるので、その分嵩が減って行けそうかな等とも思いますが、特注の骨壺になるのかどうか、ともかくも本望が叶う方法があるのかどうか、お坊様にお伺い致したく質問させて頂きました。 夫婦で合同の骨壺サービスは現在あるようですが、更に犬もとなると分かりません。 家族全員死んだ後の心配というか執着は、ちょっと可笑しいかとは思いますが、 私の夢というか、私の大事な幸せの価値観なので、どうぞご相談に乗って頂けると本当に嬉しいです。 何卒宜しくお願い致します。
既婚50代です。 先祖供養していないことが気がかりです。 親の家に戻れば仏壇はありますが、あまり行けてません。 親の代で上京しており、親の田舎には私はほとんど行けておらず、墓参りもしていません。 遠方の兄弟は自宅に仏壇を構えて拝んでいます。 私も自分の仏壇を置いて先祖を拝みたいですが、どのようにしたらいいかも分かりませんし、まず夫の先祖のような気もします。 どうしたらいいか、アドバイスをいただければ幸いです。
初めて質問させていただきます。 先日、主人の曾祖母が亡くなりました。 通夜、告別式は行わず、近しい親族のみで斎場にて納棺式を行い、翌日火葬致しました。 納骨するお寺ですが、東京都文京区にある、曹洞宗のお寺です。 よく、いわれる「お気持ち…」が分からず、親族が電話にて直接お聞きした所、受付らしき方に、納骨、戒名代で最低でも70万掛かると言われたそうです。 世間知らずで申し訳ないのですが、正直、高額な金額に親族で戸惑っております。 用意出来ない旨を伝えると、分割でよいとのこと…。 どうしても最低70万円は掛かるようです。 この金額は妥当なものなのでしょうか…。 30~50万くらいとは予想しておりましたが、 最低でも70万円に親族皆、納得出来ず、モヤモヤしております。 恥ずかしながらこの様な相談はどこにして良いかわからず、こちらで質問させて頂くこと、お許しください。 ご回答よろしくお願い致します。
先日夫の母が亡くなり、夫が喪主をつとめました。少し事情があり、葬儀は極めて少人数、その後のこともバタバタと大急ぎで進めてまいりました。 私達夫婦は30代でそれほどお金がなく、葬儀の祭壇も小さいものしかできませんでした。 お坊さんにこんなことを申し上げるのは大変失礼なのですが、葬儀こそ「間が持たないから」とお経をあげてもらいましたが、位牌も仏壇も夫の考えで無し、納骨もジーパン姿で石屋さんと簡単に済ませました。 母が住んでた家もすぐに売却し、取り壊されました。形見分けもできるような状態でなく、すべて処分しました。 親戚は私達のやり方に任せてくれています。 しかし母の友人はことあるごとに、家を売却してしまったこと、仏壇を捨ててしまったこと(とても使える状態ではなかった)、葬儀に〇さんを呼ばなかったこと・・・色々と、私達が「常識からはずれている」と指摘してきます。 母も生前お世話になった方なのは承知ですが、私達も考えがあってこういうやり方をしています。 それに何をするにもお金がかかりますし、今後生きるためのお金を故人のために使うのか?と不躾ながら私は思ってしまいます。 母とは嫁姑的なこともそれなりにありましたが、思い出しては笑ったりまたムカついたりしています。 それだけじゃダメなのでしょうか? 亡くなって数か月経つのですが、その友人が何かと電話をかけてきてダメ出しをするので毎日が憂鬱でたまりません。 失礼を承知で相談します。何もしない供養はいけないのでしょうか?
見つけて下さり、ありがとうございます。 私は発症前までは、神や仏、ご先祖様や霊魂など、色んなことを信じていました。 母の教えで、特にご先祖様を大切にし、常に手を合わせていたと思います。 ところが発症後、何もかもが信じられなくなりました。 もしもそういったものがあるなら、兄弟姉妹の中で、1番ご先祖様を大事に思い、遠くのお墓にも毎年お参りしていた私が、何故こんなに苦しい思いをしなくちゃいけないのか? 同じ血の通う兄弟姉妹を、どうしてこんな形にしたのか?(プロフィール参照) そんな思いばかりになりました。 母の教えに対する反抗心ではなく、あまりにも酷いと思われる人間からの仕打ちや、物語の様な自身の病気に、あらゆる『人間に関すること』を、心から信じることができなくなったのです。 そうしている内に、ここを拝見し、何度かご質問させていただき、写経や座禅をしてみたい…という気持ちが湧いてきました。 こんな私が、そういったことをさせていただくのは、良いことなのでしょうか? また、それでも良いと言って下さるのなら、何に良いのか?、また、どこでどんな風に行えば良いのか? 教えていただきたく思います。 宜しくお願い致します。
納骨についてご相談させていただきます。 昨年の夏に配偶者を亡くし、現在遺骨を自宅の仏壇に安置しております。 昨年の葬儀の際、突然であったこと、郊外の自宅近くで葬儀を行ったこと、コロナ禍でもあったことから、家族葬で簡素に行いました。その際に、少し様子を見たいので、納骨は一周忌の時にとしました。その後、四十九日、百箇日は、お経を読むことができる親族に来てもらい、これまた簡素に自宅でお経をあげていただきました。 一周忌まで一か月となったのですが、墓のある霊園の法要室はコロナのため使用不可、おそらく導師の方も来ることはできそうにありません。一周忌、納骨法要はきちんと行いたいと思っていましたが、難しい状況です。霊園の方では、法要を行わず納骨だけはできるようです。 納骨に関して調べてみると、時期等には特に決まりはなく、遺骨にもあまり執着しないようにした方がよいという記載が多かったように思います。 きちんとした法要等を行って納骨したいという気持ちと、いたずらに納骨を遅くすることへの抵抗の間で悩んでいます。 納骨を行いたい気持ちとして、今は在宅勤務ですが、コロナ禍の状況が変われば、元々出張族であるため自宅を離れることも多くなりますし、故人との思い出の地を訪ねたりといったことも行っていきたいと思っています。 納骨を遅らせる気持ちとして、簡素な葬儀であったため、納骨法要はきちんと 行いたいこと。このような状況が、「納骨はまだ待って」と故人に言われている ような気持ちにもなることがあります。 僧侶の皆様のお考えを教えていただければと思います。 ------------------------------ 以前に「義父、義母の菩提寺へのご供養依頼」という質問を行い、和田隆恩さま、日延さまにご回答いただきました。義父母の菩提寺と連絡を取り、追善のご供養が無事できました。田舎に伺うことができなかったのですが、ご住職さまが 読経、塔婆を立て、その画像をメールでお送りいただきました。また、墓地のお世話をしてくださっている本家の方にもお話をしていただいたようです。 こちらでの回答をいただき、追善供養を行ってよかったと思っています。 ありがとうございました。
いつも楽しく読んでおります。 曽祖母の代からお墓をお世話になっているお寺のことで悩んでいます。 二十年ほど前から住職の息子さんが修行を終えてお寺で働くようになりました。この息子さんは地域のボランティアにも参加されている、素晴らしい和尚さんです。しかし私はどうしても好きになれません。理由は二つあります。 ひとつは、この和尚さんが法事や葬儀を行うと、トラブルが多いのです。遅刻や、戒名の読み間違えがたびたびありました。また、年若の親族がいるといきなり進学や就職のことを質問し、「もっと安定した職に転職すれば」などの言葉をかけます。ありがたいのですが、この和尚さんと顔馴染みでない親族の中には腹を立てる人も多いです。 もうひとつは和尚さんのブログです。本名で、お寺の名前を出して、お寺の出来事や地域について書いていらっしゃいます。ただ、「このボランティアのメンバーとは気が合わない」など、あまりに率直な記事も公開されています。一番驚いたのは亡くなった檀家さんについて「この(檀家さんの)職業については正直なところ偏見がある。ご存命のうちに会わずに済んで良かった」と書いていたことです。私もその檀家さんと同じ仕事をしております。和尚さんの記事であらためて自分の仕事を見直し、精進していこうと思う機会にはなりました。しかし、そんな個人の考えを誰でも読める場所に公開することに疑問も感じました。 いっそ、お寺に直接「なるべく遅刻はしないでほしい」「親族にあまり声をかけないでほしい」「ブログは匿名で行うか、内容を非公開にしてほしい」と伝えるべきか悩んでいます。しかし、(遅刻はともかく)親族にアドバイスしたり、ブログで世間に物申すのも和尚さんの役割かもしれない、とも思い、迷っています。 まとまりの無い内容ですが、アドバイスをお願いします。
このようなサイトがあることを初めて知りました、お世話になります。 老齢の父の葬儀を以前からの母の言葉に従い、浄土真宗で執り行いました。 しかしその後の母の話がどうにも不審で調べ直したところ、真言宗の可能性があります。 分かっている、決まっているのは以下の点です。 この場合、今からでもお寺に相談して変更すべきでしょうか。 ・父は実家から遠くに引っ越した家族のため、菩提寺は近隣には無い。 ・永代供養をお願いする予定で、墓地もない。 ・母には何度か確認したが、毎回「浄土真宗」と答えていた。父は答えられる状態ではなかった。 ・四十九日法要はまだ済ませていないが、浄土真宗のお寺にお願いする手筈。 ・母は「南無大師遍照金剛」と唱えていたらしい(これを聞いて不審に思った) ・家に弘法大師空海(真言宗)の小さな写真があり、近隣の寺による真言宗の簡易経本を発見した。 ・父の親族は遠方のため葬儀に来なかったが、法要に来る可能性はある。 母が気に病みそうなので、出来れば安心させてあげたいところです。 ご指導のほど、よろしくお願いします。
私は小さい頃とてもおばあちゃんっ子だったのですが、小学2年生の頃亡くなってしまいました。小学2年生だったこともあっておばあちゃんの家には1人で行くことができず、おばあちゃんが病気になって家の近くに入院するようになってからじゃないとお見舞いに行くことができませんでした。 でも入院してからのおばあちゃんは脳の病気でずっと寝たきりで喋ることができず、ずっと目をつぶっていました。 小さい私はいつものおばあちゃんと違うと思ってなかなか1人でお見舞いに行くことができず、そのままおばあちゃんは亡くなってしまいました。 亡くなってすぐ私は、なんでもっとおばあちゃんのお見舞いに行かなかったんだろうととても後悔しました。 1人で寂しかったに違いないのにとても申し訳なく思いました。 高校2年になった今でも少し思い出してとても申し訳なく思います。そしてとてもおばあちゃんに会いたくなります。 夢にたまにでてきたときはとても不思議な感覚になってまたよけいに会いたくなります。 でもおばあちゃんの仏壇にご飯をお供えをすることしかしてません。 おばあちゃんに私にほかになにかできることはないでしょうか。 おばあちゃんを近くに感じられることなどありませんか。
初めて質問させて頂きます。 8年前(享年94歳)をこの1か月寝ても覚めても思い出し、泣く日々を送っています。 また、今になって、既に無い祖母の着物や洋服を触ってぬくもりを感じたいとまで思ってしまっています。 私のこの気持ちは異常でしょうか? 私が、20歳まで一緒に住んで、働く両親と一緒に私たちの子育てをしてくれた、大好きな祖母でした。 私はこの20数年海外に住んでおり、祖母が亡くなった際にお葬式には間に合ったものの、他の家族のように最後を見届けられなかった事に今更後悔をしています。 また、5年ほど前に、祖母も死ぬまで住んでいた家を売却することになり、その際に、私が実家に置いてきた、私の思い出の品は全て取っておいてもらうよう父にお願いし、全てあるのですが、その際には私が気が回らず、祖母の物を取っておいてほしいとお願いしなかった為、祖母の物はほぼ処分されてしまいました。 アルバムはあります。 今更ながら祖母のぬくもりを感じたいと思い、着物や洋服など処分した、父を恨み、自分自身を攻めています。 また、1冊のアルバムがどうしても見つからないことの後悔をしています。私は、去年まで20数年間香港に住んでいたのですが、私の生活がある程度落ち着いた頃には、祖母は既に80歳半ばになっていた為、香港に呼ぶ事が出来ませんでした。 ただ祖母が40数年前に香港を旅行しており、その時のアルバムを、一緒に見ることが私たちの唯一の共通の話題に出来る物でした。 それだけが、今見つからず、自分を攻め続けています。 家の売却の際に、帰らなかった自分を攻め続けていますが、主人に言わせれば、子供もまだ一番下は乳飲み子で、仕事にも復帰し、とても帰れる状況ではなかったと。 また兄弟も、物がある方が切なくなるので、無いほうが良い。 お墓に行けば祖母の残像が残っている気がすると、年に数回はお墓参りに行っています。 今大事なのは、今の家族で、常に家族には明るくて、前向きな母親、妻でいたいと思っているのに。 今のこの気持ちを何とか忘れる、過去の状況を納得する。 物への執着心を捨てるには。 どうぞ、お力をお貸しください。
おはようございます。先日、父の仏壇の部屋と居間での供養について教えていただいた者です。あれから、亡くなった人が成仏することについて考えれば考えるほどわからなくなってしまいました。お暇な時に教えてくださると助かります。 私は今まで、亡くなった父は天国に行ったと思っていました。時々仏壇やお墓のような祈りの場に降りて来るのかな....とも思っていました。 ハスノハに入ったのがきっかけで、成仏という字の意味を考えてそれは仏に成ることだと考えるようになりました。そうか、父は仏さまになるんだ....と思ったけれど、いざ祈ると自分の心の中に生前の人柄のままの父がいて仏さまになった父は想像がつかなくて、今まで仏壇の前で「ねえお父さん」と普通に呼んでいました。もしかしてとても失礼なことをしていたかもしれないですが、仏壇には仏像の絵があり、神様が祀られているんだろうと思いながらもよくわからなくて父にだけお祈りしていました。 本当は、深く考えないで父が安らかでいてくれれば仏でも何でもなっていていいのですが(不謹慎だったらごめんなさい)、亡くなった人の成仏とはどういうことか考え始めたからには知りたいです。でも私にとってはとても難しい部分なので、仏教初心者向けに教えてください。お願いします。
私はお寺の長男です。 昔から寺の跡継ぎになって欲しいと言われて生きてきました。 しかし跡を継ぎたくなく、そのことに悩み高校に不登校になったりしました。 大学も、親からの頼みで仏教に関係のある場所に入りましたが、気が進まず一度も行っていません。 . 田舎の小さなお寺で檀家も少なく家も老朽化が進みボロボロです。 お寺としての収入は少なく、金銭面で困ることや、それについての悩みが後を絶えません。 . 昔は良いお寺だったのかもしれませんが、正直に言って父も尊敬出来るような人間ではなく、逆に嫌悪感さえ感じています。 ですが、育ててくれたことへの感謝はあり、無下にも出来ず、跡を継ぐのが嫌だと伝えたりもしましたが、納得してもらえず、はぐらかされたり適当なことを言われたりもしました。 . 言うなれば私は神を信じていません。 自殺を考えたこともありましたが勇気もなく母を悲しませたくなくて行動には移せませんでした。 . 住職を辞めることも考えましたが、ボロい寺の住職になりたいと思う人はいないでしょうし、金銭的にも新しい住居を探すことは難しいでしょうし、考えれば考えるほど問題が浮き彫りになっていきます。 . 出来るかはわかりませんが 私はお寺を取り潰したいと思ってます。 もし自分に子供が出来た時、その子にこの重荷を背負って欲しくないのです。 そして、私もこの責任から逃げだしたいと考えています。 . 長くなりましたが、お寺を取り潰す方法や、それに関する知恵を授けて頂きたいと考えております。 正直、檀家やお墓のことなどは全然わかりません。 どうかよろしくお願い致します。
大好きな母が半年ほどの闘病の末、あっという間に亡くなってしまい、もうすぐ5ヶ月になります。 セカンドオピニオンや、もっと出来ることがあったのではと悔やむことばかりです。 また、死が近いことを母、本人に気づかれたくなく、入院に付き添った際も普通に別れてしまい、感謝の言葉もつたえられず、その後はコロナで面会できずで、やっと面会を許された時には意識がなく話せませんでした。 人生100年時代に、なぜうちのお母さんは70代で亡くなってしまったんだろう。 良い行いをし、お寺にも通い、仏様を信じていた母が、最期は痛くて辛くて可哀想だったと、何度も思い出し涙が出ます。 母が、天国で喜んでくれるにはどうすべきでしょうか、お導きください。
2002年10月25日に石井紘基議員が暗殺されてから日本の三権分立は崩壊しました。それから誰も石井さんの事件を解決しようと声を出す人がいません。 石井さんの事件から、特別会計天下りに触れる政治家はいなくなり、国民さえも見ないふりをし黙っています。石井さんの言っていた通りになってるのに、感心が薄いんです。香港の事や財務省赤木氏の事には怒りの声を出すのに、石井さんの事は知りながら殆どの人達が沈黙しています。税金垂れ流しを許す日本人が理解できません。 毎日異世界に迷い込んだ気分になっています。政治が機能してないから、助かる命も助からなくなっています。 明日は我が身なので恐ろしいです
50代後半の母と、60代後半の父がいます。 母は10年ほど前に大病を患い、現在目に障害が残り不便そうにしていますが元気に毎日過ごしています。 ですが現在も脳内に動脈りゅうがあることから、自分では「いつ死んでもおかしくない」と思っているのか、いつからかやたらと「死んだら献体にしてほしい」と言っていました。 正直、医学のためとはいえ親の遺体を献体にまわすことには反対でしたが、反対するのも面倒なほどげんなりしていました。 なぜそんなことを言うのか。 普通に火葬すればいいじゃないかと、愛している分そんなことをして欲しくありませんでした。 しかし母の意思は強く、先日ついに病院側に既往歴を伝える書類等が送られてきて、「私たちが死んだら…」といつの間にか父まで献体になることを決意しており、がっかりしました。 本人が望んでいることだからと思うと強く反対もできず、そんなことはやめてほしいと言えず辛いです。 どのように考え方を変えれば、両親を後悔なく送り出せるようになるでしょうか
20日の日にとても大好きな父が亡くなりました。 自分は母を4年前に病気で亡くしてます。 その病気の介護のときからの15年間父親と生活していました。 母の死後、父と2人で田んぼをやってコレからはもっと2人で田んぼ大きくして行こうとしていました。ところが去年の4月頃に父に前立腺癌が見つかり、父は入退院を繰り返す様になりました。 それまでは父と2人で楽しく作業していた事が自分1人になり苦痛の作業になり、自分でもどんどん自分がすさんんで行くのがわかりました。 そして12月になり病院から「これ以上治療は出来ないので、緩和治療になります」と言われました。頭が真っ白になりました。そして泣いて泣いて泣きました。 家に戻る事も無く年を越し、1月10日に転院しました。そして改めて父を見て見るとがっしりとしていた身体はヒョロヒョロで、色は白く、お腹の両脇からは尿を出すための管が出ている、そんな身体になりながらも自分が行くと「ちゃんとご飯食べてるか?」「無理はするなよ」と私の事を気遣ってくれます、私は家に帰ると毎日泣きました。1月19日、父は大分弱って起き上がる事はなく、だか問いかけると目を開け「うん」「ちがう」などの返答をしていました、そして夕方に父に「どうする?今日俺、病院に泊まる?」と聞くと、とても嬉しそうに「うん、うん、」と答えてくれました。次の日の朝、「おはよう」と問いかけると目を閉じたまま、何の反応もありませんでした、先生が来て「今日は危ないかもしれないです」と言われました、それからは、父の耳元で「俺は親父が大好きだよ」「親父俺を1人にしないでくれよ」「反応してくれないとわかんないよ」「ほら一緒に田んぼいくべ」など色々言ってました、そしてお昼になり、父の呼吸は止まりました…67歳でした。 それから私は喪主として御葬式を務めあげました。 そして今は大きな家に自分1人となってしまい、家の中、納屋の中、田んぼ、すべてにおいて私が大好きだった、元気だった頃の父の姿が重なって見え、涙が止まらなくなってしまいます。本当に大好きなのです。 また一緒田んぼをやりたい、会いたい、他愛無いことで喧嘩したい、会いたい、話したいです。 ツライ、ツライ、ツライです
昨年5月に祖母が亡くなりました。 祖父母は隣の家にいました。 祖母は元気に見えるのに常に酸素を吸っており、また風邪を引くと体に負担なので絶対に移さない事が約束でした。まだ小学生だった私は深く考えず納得してました。 そんな祖母に見慣れ昨年の3月の終わり頃。 私は出産間近でインフルエンザになりました、が気付けば遅く祖母がインフルエンザに。 お互い治り、久しめぶりに見る祖母の顔は少し浮腫みあれ?と思いました。 ですが私のお腹はすごく張っており、とても辛かったので安易な気持ちで明日、父が休みだからと祖母に言い、次の日父と祖母は病院へ行きたしたがそのまま入院となりました。 父は私を責めました。なぜ家にいたのに祖母のことをもっと気にかけなかったのか、どこでインフルエンザになったのかと。 父の話ではインフルエンザのせいで心臓に負担がかかり体内循環がうまくいってないらしく良くなることはないとのことでした。 私は自分を責めました。自分のせいで祖母がと思うと苦しくて苦しくて。 まだ私が幼い頃、父と母は離婚し父親側に引き取られ新しい母ができても祖母を母のように慕ってました。 祖母が入院となってから亡くなるまで私は産後だったこともあり2回しか会いに行けませんでした。 1回目に行った時は祖母はまだ元気で、生まれて間もない息子を連れていきました。息子を撫でてくれて、私は泣きながら祖母にインフルエンザをうつしてしまったことを謝りました。祖母は私のせいではないと言ってくれました。 2回目に行った時はもうダメかもしれないという状態だったのでまた息子を連れて行きました。様々な管に繋がれて朦朧と息をしていた祖母が私を見て手であっちへ行けと言いました。 ですが、私は後悔したくなかったので祖母の手を握りしめました。 あっちへ行けと手でしていたのに、握りしめた手は握り返してくれました。 そのまま祖母は1時間後に亡くなりました。 祖母が亡くなってからも私は自分を責めました。 葬儀後、父は私にお前のせいではないと言いましたが入院後に責められた言葉は頭から離れません。 私がもっと早く病院へ連れていけばよかったこと。インフルエンザをうつしてしまい祖母の命を奪ってしまったこと。 手を握り返してくれた意味。 自分を責めても責めても、答えがみつかりません。 お坊さんならどう思われますか?長くなり申し訳ございません。