人の悲しみへの寄り添い方
自分の周りの人を大切にして優しくあるために、人の悲しみや苦しみに寄り添うためには想像力がとても大事だと思います。
例えば「Aちゃんの発言本人は悪気ないけど、Bちゃん側からしたらきっと傷ついたろうなぁ」なり、「C君前に◯◯のトラウマの話してたから、今表面上は笑ってるけど辛いんじゃないだろうか、でも私が今声をかけても余計無理させるだけかなぁ。。。」という風に自分なりに相手のことを想像して思いやることは必要だと思っています。
他方で、仏教的には、自分の心の在り方として目の前に起こったことをただ起こったことそのものとしてだけ受け止めるべし、自分の頭でそこから先を勝手に意味づけしてストーリーをしたてあげるのではなく、手放すのですとhasunohaで何度かアドバイスを受けました。
本当にそのアドバイスのとおりだと思うのですが、他方で他人との関わり方といった面では、どうこころえたら良いのでしょうか。。私の周りには、最初に書いたような普通に空気を読めるような人なら考えそうな想像力が無い人が何人かいますか、そういう人たちは精神性が高いというよりも視野が狭くて自分のことしか考えていない精神年齢が低い人に感じます。そして他人へエゴを押し付けないと言えば聞こえは良いですが、冷たい。
ただでさえでも、思いやりたいと考えるような近しい恋人や友人と対峙する時は、下手をすると執着や嫉妬につながりやすいという面もあり、距離感や自立がどんなに近しい相手でも大事ということや、気遣いや想像は大前提として自分のエゴだということはわかります。
でも他人への想像力を失った社会なんて灰色でとても生きづらいと思います。
他人との関わり方、想像力の持ち方と手放すということについてなにかアドバイスいただけると嬉しいです。
有り難し 16
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