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hasunoha 問答検索結果 : 「自分 苦しみ 」
検索結果: 8597件

お任せ

私の知っている仏法の極意に全てを仏にお任せする、と言うものがあります。明日どうなるんだろうとか、自分の力が足りるだろうかとか、あの人に攻撃されたらどうしようとか色々不安はあります。 しかしあれこれ考えても物事はなるようにしかなりません。それも自分の努力の結果と言うより自然界に働く自然の力のようなもので決まります。これを仏教では他力と言うんでしょうね。 何の不安もなくお任せの境地になれたらそれは安心でしょうが中々そうはいきません。ああしたらとかこうしたらとか怖れにさいなまれるのが凡夫です。 さてそういう凡夫の私でも一日を送るうえで午前中はあれこれ心配でも午後、夕方、夜になるにつれ諦めの境地になりまあ明日も何とかなるだろうと無理やりお任せになります。 実際私のできることは小さくて大きな自然の流れに流されて生きているからお任せと言うより諦めに近い境地で生きています。お任せの境地になるにはどう修行したらよいでしょう。 今のところ座禅が趣味ですが以前伺ったところでは仏教ではいろんな修行法があって私にあったものがあるようなことを聞きました。座禅は一生続けるつもりですが座禅以外でも御教授下さればうれしいです。

有り難し有り難し 13
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両親の不仲

元々すごく仲が良いわけでもなく、DVのようにすごく仲が悪いわけでもありません。お互い良い時は良い、悪い時は悪い、我慢もするし配慮もする、そんなどこにでもいる両親です。 しかしここ数年、実家を継いだ私の離婚に始まり、同居していた祖母の死、体の強かった父の病気、それに関連してか父の言動がよりキツくなり母も限界にきているようです。 自営業の為仕事の事などで時折喧嘩などはありましたが、今思えば良くも悪くも祖母がいた事により抑えられていたのかもしれません。 祖母は昔から自分本位の人で嫁いびりも酷く、それでも母は泣きながら何十年も耐え最後は介護までしっかりと面倒をみました。きっとその先頑張った分、祖母の他界後はもう少しのんびりと家業をしながら生活出来ると思った事と思います。 しかし、継いだ私も離婚してしまい、ストレスからか父も持病持ちとなり、母への口調もかなりキツくなりました。 数ヶ月前も仕事の何気ない会話が気に入らず父が怒鳴りその際「俺がいなかったらこの家はどうにもならないんだぞ」と言い捨てました。そこから母も何か切れてしまったように、父への態度が変わり、この家を出て行きたいと言うようになりました。 母の周りの友人たちが時間に余裕が出来る中、いつまで経っても変わらない自分に疲れてしまったのだと思います。 父もあの時は勢いで言ってしまいましたが、私たち家族は誰がいなくなっても生活が成り立たない事をよく分かっています。それでも口にしてしまった事が母は許せないのだと思います。 それでも父も母も仕事や家の事など、やらなければいけないことはしっかりとやります。ただ今まで時間をおけば自然と元の両親の仲に戻っていたのが、今ではいつでも張り詰めた糸のようで、いつまた大喧嘩になるのが、母がまたは父が切れてしまうのか不安でたまりません。母もいつ出て行っても良いと言わんばかりの態度を取るようになり、そんな今までと違う母の言動に父も毎日イライラしています。 私の息子もそんな2人の関係性を察知してか無理に明るく接している姿を見て胸が痛みます。 姉2人がいますが、結婚し家庭を持っている為、あまり迷惑もかけたくなくここまでの現状は話していません。 私はどうしたら良いのか、ただ守ればよいのか、もし母が出ていくとなったらそのまま解放してあげた方がよいのか、気持ちの持ち方が分かりません。助けて下さい。

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アルコール中毒の叔父 本当に危ない

私の叔父は今アルコール中毒になり、その人の兄の家に転がり込んでいるのですが、そうなった原因の一つが会社のパワハラらしいですが、私の祖父はそれを聞いても「昔はそんなのは当たり前だった」とか言ってまともに取り合おうとしません。その叔父と祖父は昔から折り合いが悪く、会うといつも喧嘩になり、そういう私の家族、特に祖父との関係もアルコールに溺れた原因の一つだと私は思います。また、私のいとこ(叔父の息子)によると、その叔父は他人に対する依存心が強く、また保守的・閉鎖的性格で元から躁鬱病の傾向があり、気分が落ち込むと酒を飲み憂さ晴らしをするのでそうなったらしく、病院も医者と揉めたりトラブルを起こして退院させられたりしたそうで、基本人の言うことを聞かない人物でそれで酒に溺れるそうで、いとこに何回も電話をかけたので着信拒否されており、祖父はもちろん、いとこにも見放され、家族からほとんど愛想をつかされている状態です。今日の朝、叔父はアルコールの禁断症状により白目を剥いてひきつけのような状態になったらしく、本当に死んでしまうのではないかと思いました。叔父は学生時代ラグビーをやっていた体育会系で強い人ですが、そういう人でも継続してストレスを与えられ続けたらそうなるということであり、強ければ何でもうまくいくなんて嘘だと思いました。私の家族も保守的というか意固地というか融通が利かない家庭で、私も一緒にいると非常にイライラする時があります。(特に母がヒステリックですぐにグチグチ言うから一緒にいるといちいち腹が立つ)祖父はあんな人間(叔父)などは死ぬしかないと言っていますが、何とかそのような頑固で片意地な人を立ち直らせることは出来ないですかと思います。このように一方的な話をしてしまい申しわけありませんでした。

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脅迫

24年前に母親が大腸癌の手術をしました。父親は愛人の元へ行き、私は義務教育でお金もなく、食べるものもなく、毎日お腹はぺこぺこで過ごしていました。 母親は助かりましたが、この24年間「私はもう長くない。もうすぐ死ぬ」とずっと言われて大人になりました。私は青春を知りません。部活もした事がありません。合コンも旅行もした事がありません。家の事をしなければならなかったから。 やりたい仕事は、家を出てアパートを借りなければできなかったので、母親を説得したら一時はOKを出します。いざ辞令が出たら「私は孤独死するんだわ。やっぱりひとり」や「お前にはできない。その仕事は失敗する」とずっと言われ、疲れ果て、会社も辞めなければならなくなりましたし、最近もそうです。 母親は私に会社を辞めさせて満足だそうです。 エンジニア辞めさせて満足だそうです。 町工場に行け、と母親からの命令です。 これで母親が大好きな兄が目立つそうです。 私の人生は何だったのか惨めです。 私の人生は家族らしき人たちの女中さんでした。 仕事も女としての幸せも何もありません。 死ぬ死ぬ脅迫も法的に罪にしてほしいです。 私の人権は誰にも守られません。 仏教も。

有り難し有り難し 64
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