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hasunoha 問答検索結果 : 「悟り」
検索結果: 2119件

家族と就活

このような質問していいのかわかりません。間違えていたら申し訳ありません。 私は現在公立短大の二年生で就活中です。バイトと奨学金で一人暮らしをしています。 父、母、姉、妹がおり、無職、パート、主婦、高校生です。 父は鬱病とパニック障害にかかりもう10年近く仕事をほとんどしていません。仕事を始めても1月足らずで文句を言いやめてしまうのです。 私は昔から親に何度も大学に行きなさいと言われ、自分自身も行かなくちゃ社会人になれないと思っていたため、国公立に行くために塾にも行かず勉強をしていました。志望大学に落ちたので受かった公立の短大に行きました。この時、父は私に編入を必ずすることと言っていたのです。なのに、2年になった時母が、お金が無く、私の学資ローンも何もかも食い尽くされてしまいそれが出来なくなった、働けと言ってきました。 この時何のためにこの大学に入ったのか理由が何もなくなってしまいました。 慌てて就活を始めたものの試験は全部不合格。ここ最近は無気力で何にもやる気も手にもつかず涙すら出てこない、そんな日々を過ごしていました。さすがにもうだめだと思い病院に行くと躁鬱のふり幅が他の人よりも大きいだけで病気ではないといわれました。 こんなこと家族に、ましてや父に言えませんでした。 言おうと思っても「俺のほうが何倍も苦労している」言ってききいれてもらえませんから。もちろん、精神的に参っているのは分かります。 父親ですし私を育てるために働いたせいで精神を壊したのではっていう思いもあります。 昔は父親が大好きだったのです、だから余計に苦しくて憎くてたまらないです。 なんとか就職活動を続けてはいますがどの職業にも自分には無理だと思うしとにかく続けられる自身も無いです。やりたいことが全く浮かばないのに面接で嘘のことを話してしまうことも、どんな業種があっているのかもわからず人とかかわりが多すぎないところを探したり、本当にばかなんだなって思います。 人とのコミュニケーションも取るのがだんだん億劫になって来て、周りの私立にいって楽しそうにしてる子や、就活成功して遊んでる子たちを見ると死ぬほど虚しくなります。 正直消えてしまえたら、死んでしまえたらと思います。 こんな甘えたの、弱い人間で本当にごめんなさい。でももう分からないのです。どうしたらいいのでしょうか?

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ホッタラケの功徳に関する質問

 ホッタラケの功徳(https://hasunoha.jp/questions/10395)を実践して2年近くたちます。坐禅会にも参加しています。  実践してみた結果、疑問が出てきました。質問しようか、自分で解決しようか、数か月間ずっとためらっていましたが、自分では解決できないので、思い切って質問させていただきます。  社会的な成功(富・人気・名誉・大量生産で社会貢献・親孝行・楽しい家庭など)を、捨ててかからないと、「ホッタラケの功徳」は完成できないと思います。悟れないと思います。  生計を立てて生きていくために社会的な活動はせざるを得ないし、その結果として、お金が貯まったり、周りから褒められたりすることはあるかもしれません。  しかし、精神的な苦しみから完全には解放されることを目指すなら、あくまでも「生きながらに成仏すること」を第一目標に、何をやっていてもそれ一筋で生活しないと、とてもじゃないけれど、ムリなのではないかと思います。  私自身の経験から、坐禅を実践してみて、「もっと人から良く思われたい」とか「お金持ちになりたい」とか言ったことに価値を置いてしまうと、思考が活発化して、湧いてくる考えを放っておけなくなるのです。自分のなかで目指していることの矛盾を感じて、混乱しています。坐禅も進まないし、やらねばならないことも停滞してしまっています。いったい自分は何を生きる目標にしているのか、と自問自答しています。  「ホッタラケの功徳」を継続して実践していくには、「世間的に成功するかどうかはどうでもいいけど、人類全体には貢献する」というような覚悟(あるいは割切り)が必要なのではないでしょうか。  ご教授頂ければ幸いです。

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祖父の死が信じられなくて苦しい

半年前、私をとても可愛がってくれていた大好きな祖父が亡くなりました。 80歳を超えていましたが現役バリバリで仕事をし、街の発展に尽力した人で、街の誰からも尊敬され、愛される、自慢の祖父でした。 私が小さいときには、公園に連れて行ってくれたり、一緒に昼寝をしたり。成人してからは、家に遊びに行く度に、様々な御説教をしてくれたり、小さい頃からの約束だった「祖父母と3人での海外旅行」をしたこともありました。 祖父は2年前に肺がんを患っていることがわかり、抗がん剤治療をしながらも、相変わらず街の為・人の為にと普段通りに生活をしていました。 私は今、仕事の都合で地元を離れて暮らしており、なかなか祖父母に会いに行く時間を作れずにいましたが、神社などで健康のお守りを頂いては祖父に送ったり、手紙を書いては電話で返事をくれる位に喜んでくれていました。 最後に会ったのは亡くなる3ヶ月程前で、その時の祖父は自転車に乗って威勢良く「仕事に行ってくる‼︎また遊びにおいで‼︎」という元気な姿でした。 ある日、母から「祖父が入院した」という知らせがありました。それまでに何度か検査入院などもしていたので、その時も検査入院か2〜3日で退院できる程度だと思っていました。 それから2週間後、「祖父が亡くなった」と連絡がありました。その時、大きな仕事を抱えていた私には、容態が悪い事を伏せてくれていたようです。連絡を受けて、とにかく必死でその日のうちに祖父の元に向かいました。 地元に着いた時には、もう祖父は棺の中で安らかな顔をしていました。祖父の葬儀でそこまで泣いている孫は見たことがないと言われる位に泣いて泣いて、泣きました。あの元気だった祖父の死が、半年以上経ってもまだ受け入れられません。 パパっ子だった私の母も、必死に前を向こうとしてはいますが、小さなきっかけで悲しく涙を流すのです。そんな母を見ると、私もとても辛く、地元には祖父の面影がありすぎるし、元気な姿しか想像出来ないのにどうして会えないんだろう…と苦しいです。 大好きだった祖父の死を受け止めるにはどうしたらいいでしょうか。 また、ありがたい事にとても仲の良い家族で、いつかは別れの日が来るのだと思うと辛くて悲しくて、その現実と向き合う事も出来ません。 前向きに明るく生きていくには、どのような心持ちで居ればいいでしょうか。

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人生ハードモードでしんどいです。

回答よろしくお願いします。 自分は、20代中盤の男です。 私は小さい頃から兎に角とろくて、頭が悪かったです。 左右が覚えられなかったり、手先が不器用だったり、頭が悪すぎてテストも一部教科は本気で取り組んでも0点なんて事もよくありました。 小学生から中学生の初期の頃まではじっとしていられなかったり、自分が「嫌だ」と思ったら直ぐにサボってしまったり不良ではないにしても間違いなく問題児でした。 しかし、中学生中期辺りからは「まずい」と思い人並みの努力はしてきました。 勉強も何時間もやって、運動がダメならと走り込みをして持久走大会で部活をやっていない生徒としては上位をとったり、女子に「気持ち悪い」と言われたのが悔しくてひたすら身なりを磨いたり… いま思えば自己顕示欲が産み出した産物だったのでしょうがひたすら頑張りました。 「行ける高校はない」という状態からなんとか中の中位の高校には合格しました。  この頃からいろんな事がきっかけで心療内科に通い始めました。 強迫性障害とパニック障害という病気でした。 その後専門学校に進学してなぜか理数系が苦手なのに理数系の学校にいってしまい勉強は悲惨な事になりましたが真面目にやっていたので単位だけは貰えて卒業しました。 そして人生の大部分を占める社会人になりました。 覚えがあんまり良くなくて、応用が効かないタイプなので本当に死にたくなる程嫌な事はたくさんありました。 この時引っ越した先の心療内科で発達障害が発覚しました。 テストで図ったIQは残念ながら数値によっては軽度知的障害レベルで全部の数値引っくるめてもギリギリ健常って感じでした。 心理士さんにも「頑張ってきたね、辛かったよね」と誉められました。 異様に神経質だったり、極端に不安に弱かったり思い当たる事はたくさんありました。 仕事もなんとか続けて嫌な事にも立ち向かうようにしていますが学校の勉強と違い臨機応変な対応が求められる仕事では人との能力差が目に見えてうんざりします。 努力してもしても勝てない。 能力もそうだし、感情のコントロールが効かず嫌な事だけは鮮明に覚えだされたり、突然強烈に死にたくなったり、うんざりです。 死にたいです。 今は良くてもこのまま中年になった時が怖いです。 質問ではなくなりましたが話を聞いて貰いたくて投稿しました。 すみません。 回答よろしくお願いします。

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死ぬのが怖くて仕方がない

怖いこと 自分の命が有限なんだと 毎日ふとした時に感じられて 今在る私がいつかバラバラになるのだと思ったら 怖くて怖くて仕方がない。 目の前の現実世界が 崩壊していく様な気がして そうなるとそれ以上耐えられなくて 思考も動作も停止して、 背中が冷たくなるようです。 動物のひた向きに生きる姿は、 尊敬に値するものだと思ってます。 一生懸命生きている、 素晴らしい存在です。 しかし最近、 某福祉施設内で個人的に可愛がっていた老犬が 恐らく病気で死んだことや、 道の途中で事故にあったらしい猫の死体を見たことで、 死というものは誰にも容赦なく 愛しい存在でさえ突然命を奪っていくのだ、という 現実に向き合わされました。 それが翻って、 私にもいつかその番が、と思ったら 怖くなりました。 この世界から、 ある日消えて無くなるという現実が 急に見えたのです。 私は既にいい大人ですが、 昔から体が弱く気も小さく 器量が悪くて会話も下手で、 他人から嫌われて暴言暴力に遭うことも多いので、 明日がくることは恐怖でしかなく、 自殺を考えることも多いのですが。 現実の「死」はあまりに残酷で心で 受け止めることができない。 犬は病気で苦しかったのでは? 猫の遺体は酷い怪我をしていたので、 想像つかないほどの痛みの中で、 亡くなったのかと思うと、 本当に本当にかわいそうで、 そのような「死」が重過ぎるのに、 死の世界は実は日常と隣り合わせであり、 怖いという感情に襲われます。 仏教ではこういう問題には どのように考えますか? いつか必ず死ぬ運命を どのように受け止めたらよいですか? 動物に執着し過ぎるのは 良くないという意見は 人間の都合しか考えてないと思いますので、 ご遠慮頂けますか? 地球上で今もたくさんの家畜が 人間の為に犠牲になっていると思うと 暗澹たる気持ちになります。

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