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hasunoha 問答検索結果 : 「 遺骨 」
検索結果: 563件
2023/10/16

祖父の火葬に立ち会えませんでした

昨日、祖父を亡くしました。 祖父は今年の2月に肺がんを宣告され、自宅療養をしておりました。 祖父、伯父夫婦(祖父の長男と奥様)、父(次男)、私の5人で同居をしていて、次男である私の父がずっと祖父の面倒をみていました。 一昨日の夜に容態が悪くなり救急車で病院へ運ばれ、そのまま入院するということになったのですがその翌朝には逝ってしまいました。 遺体は自宅には戻さないということになり、葬儀の日程が決まり、最後に顔を見てお別れが出来るものだと思っていたら、先ほどもう既に火葬が済んだということを父から聞かされました。 祖父は生前から家族葬を希望しており、私たち家族だけで見送ってほしい、盛大な葬儀などはやらないでほしい、と強く父に言っていたそうです。 葬儀の準備などは全て伯父夫婦が進めており、祖父の意向と家族葬であることを伝えると先に火葬することを勧められたそうです。 調べてみると骨葬といって、地域によっては先に火葬を済ませてお骨の状態で葬儀を執り行うことが普通のところもあるということを知ったのですが、家族である私たちが最後に顔を見れずに終わってしまうことなんてあるのだろうかと納得がいきません。 その火葬には伯父夫婦も立ち会ってはいないそうです。 父が言うには、霊柩車で自宅に遺体を安置するとご近所の皆さんに知られてしまい祖父の意向に反してしまうし、斎場にも場所が無かったのかもしれない、 専門の知識がない我々はお寺の方に従うのが一番安心で故人を気持ちよく送ってあげられる、と納得している様子なのですが、顔を見てお別れができるものだと思っていた私は心が空っぽになったような気持ちです。 焼かれて骨を拾うことで気持ちの整理がつけられるとも思っていました。 救急車で運ばれた際の検査で祖父がコロナにも感染していたことがわかり、コロナに感染したご遺体は家族と顔を合わせることができないというケースを聞いたことがあるので、そういった要因もあるのかなと思ってはいるのですが、 突然骨だけになって帰ってきた姿を見て、自分が気持ちに踏ん切りをつけられるのかが不安でしかたがありません。 葬儀やそういったことに詳しいお坊さんのご意見を聞かせていただきたく、このような質問をさせていただきました。

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お墓をどうするか

私の家は、所謂「本家」になり、私はその長男となります。 私の実家や、現在の私の住まいの近くには、先祖から続く墓があり、私は両親から「墓を守っていってほしい」と言われ続けてきました。 私は結婚しており、2人の娘(長女は中学生、次女は小学生)がいます。 私の正直な気持ちを申し上げますと、将来、長女又は次女が婿を迎え入れ、墓を継いでくれれば一番だと思っています。 しかし、このことについては、妻が反対しています。 墓を継ぐために子供たちの就職先等が縛られ、活躍の場が制限されるのは絶対に嫌だというのです。 私は、両親からの言いつけもあって、事なかれ主義的な気持ちで、娘に婿を迎えるのがベストと考えてきましたが、妻の言うこともよく理解できます。 昨今においては、女性天皇、女系天皇の問題をよく耳にします。私の家は、地方都市の中流家庭で、皇室に準えることができるような立派な家柄ではありませんが、この問題を我が家に置き換えてみますと、娘に婿を迎え入れて墓を引き継いでいっても、無意味なのかなという気持ちにもなってしまいます。 私は、このことに非常に頭を悩ませており、時々一人で墓参りに行っては、お墓に向かって謝っています。 そこで質問なのですが、墓じまいというのは、御先祖を思えば、絶対にやってはいけないことなのでしょうか? また、そうすることで、御先祖の怒りを買ってしまい、私は死後も御先祖に顔向けできない存在になってしまうのでしょうか?教えて下さい。お願いします。

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浄土真宗に対するカルチャーショック

先日質問をさせて頂きました。 今回はお盆にあった事と、つい最近あった事についての質問です。 私は曹洞宗です。今年亡くなった祖母は禅宗から浄土真宗になりました。(祖父が浄土真宗だったからです) 祖母の新盆があり、お寺にお参りしてきました。 納骨堂には祖母の遺影を置いてきました。 広場でお経をあげられた後、お坊さんから精霊馬を置いている人は居ないかと聞かれ、皆さん手をあげず、私は自宅では飾って居ますが、手をあげませんでした。 その際、皆さんよく勉強されている、浄土真宗では飾らない、また、故人はお盆には帰ってこない、何故ならもう成仏しているから。と喜々として語られていました。 ちょっとショックでした。 確かに浄土真宗教義ではそうなのですが 言い方を変えると二度亡くなった感じに感じました。 曹洞宗の私は成仏した成仏してないに関わらず、お盆とはそう言う物だと思って居たからです。本来の教義からすると離れるのかもしれませんが、こちらから成仏した成仏してないの確認は出来ませんので、一律に帰ってくるものだと思うようにしていました。 正直今後宗派が違う祖母のお寺のお盆参りには行かない方が良いのかとすら悩みました。 先日祖母の月命日があり、お寺にてお経をあげてもらったそうです。こちらからお願いして頂いたそうです。祖母の納骨堂の前でお経を貰ったそうです。 既に成仏していると言う考えなのであれば、納骨堂の前でするのではなく、本堂の阿弥陀如来の仏像の前でするのではないのか?と思いました。 浄土真宗では納骨堂に意味があるのでしょうか?そこに居ないで阿弥陀如来に手を合わせるのであれば意味が無いのかと思ってしまいます。 そしてそのお寺では死後の菩提寺が無い人に対して浄土真宗になればうちのお寺で対応すると言うような手法を使われているそうなのですが、こういう事は良くあることなのでしょうか? あまり祖父母が浄土真宗としてのお参りなどをこれまでしてきていなかった事と、子供の頃から曹洞宗のお盆で慣れて居た事もあり、面食らって居ます。

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釈尊の言行

 厚かましく、非宗教説を続けます。  釈尊の言行については、立川武蔵先生の「ブッダをたずねて」の受け売りですから、皆様先刻ご承知と思いますが、信仰について言及したいと思います。  先ず釈尊は、偶像崇拝を禁止したとのことですが、釈尊の死後、舎利を分配して、早速信仰の対象にしました。  仏像も信仰の対象として作成され、祇園精舎での説教で済むところを、巨大な寺院を建築し、仏像を納めて 荘厳さを競いました。  これは中国の仏教を模倣したのでしょう。  釈尊の言行からはまったく不要なものであるはずです。  次に釈尊の死が近づいたときに、近隣の村人たちが釈尊の葬儀の支度を始めているのを見て、弟子にあそこに参加してはならないと戒めたそうです。  元々葬儀には無関係だったようです。  確か応仁の乱で加茂川に死体が放置されていたのを、僧侶が荼毘に付したのが始まりだったようです。  釈尊の言行に従って、これらの行事を無くせば、仏教はただ説教と修行に励むことだけが残ることにはなりませんか?  仏教は信仰とは無縁だと思います。これが非宗教説です。  蛇足ですが、通常寺院の参道に仁王門がありますが、これが参道の入り口ではなく中ほどに建てられいます。  これは参道が、輪廻転生を示したと考えられます。  参道の入り口は娑婆です。参詣者は参道を通って本堂に向かいます。  本堂は娑婆から切り離された死の世界です。  本堂に居続ければ平穏ですが、娑婆に還るときは仁王門で苦しめられます。  「チベットの死者の書」によれば、丁度3週目に怒りの神々に遭遇します。  仁王門が中途にあるのはそれを模したものと考えられます。    従って輪廻転生は仏教にとってそれ程重要なものです。  現在仁王門の像は参道を向いていて外敵を防ぐと言われていますが、参道の中途にあるのも不自然だしその必然性が考えられません。  像は本堂を向くべきだと思います。  さびれたお寺の仁王門がその向きになっているとの記事も見かけました。

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お墓に入れてあげるべき?

先日も相談させて頂いたんですが、母親が突然死して1週間がたちました。 納骨の話を父の弟さんから、今まで先祖のお墓の管理費を弟さん夫婦が払っていたみたいで、次男だからお墓には入れないのに、年15000円払ってきてくれてたそうで私は初耳でした。 母親は一度も払った事がないそうです。 それで、今回母親の納骨をここのお墓に入れてちゃんと管理できるのか?と大丈夫かと言われました。 勿論管理費の事は知らなかっただけで母親の事だし勿論残された家族でしていきます。 でもこのお墓に入る資格ないのかな?~と思ったのと、お墓がないけど永代供養してもらえる家族も一緒に納骨してもらえる大きな場所があるとおじさんからきききました。 お墓がないだけで、その場所にお坊さんをよんで、法要もしてもらえるしおじさん夫婦も亡くなったらそう考えているそうです。 母親は普通に先祖のお墓に入ると思ってたし、母親は違う事してそんな事を望んでるかなぁと思いました。 千の風の歌ではないですが、私のお墓の前でなかないでください、そこに私はいません。とありますが、納骨した場所にいないけど、お盆やお彼岸に帰ってくるだけで、いつもは風になって季節問わずいつもどこにでも見守っているよと言う意味だと思うのですが、母親はちゃんとお墓に入れてあげるべきでしょうか? 生前は先祖代々のお墓に入ると聞いていました。

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遠隔地の菩提寺にある墓を如何にすべきか悩んでいます

菩提寺は新潟県五泉市にある曹洞宗のお寺です。 家は大正8年頃の祖父の代に東京に移っており、現在は墓があるだけの状況です。 曾祖父が地域の名士だったこともあり、そこのお寺の三大檀家の一つとして扱われています。 先の住職がお亡くなりになった時の葬儀では高い位置に座らされています。 墓は父の代に建て直したもので、そこのお寺の墓地の中でも立派なものです。 過去帳によりますと9代前からの祖先が葬られて居る様です。 骨壺は納められて居らず、納骨の時には骨壺から遺灰をザッと墓の中に落とし込む形です。 家が東京に移ってから現在までに6人が東京で亡くなり、新潟に納められています。 一番古くは大正10年に父の兄(中学生)、その後祖父、私の産みの母、祖母、父、継母の順で父が平成7年、継母が平成24年です。 最近、墓を「目黒御廟」に移そうかと考える様になり、その際、墓じまいをして菩提寺との縁を切るのか、或いは東京で亡くなった6人だけを向こうの墓からこちらに移すか、或いは更に減らして今後年忌法要を行うことになる父と継母だけを移すかと言う選択肢で悩んでいます。 父と継母の年忌法要が未だ続きますがそれを菩提寺でやって貰うのは、もうしんどいと言う感じです。 菩提寺への話の持って行き方、移すに際しての御礼の考え方、3大檀家の残る二家の方への話し方等々ご助言ください。

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2025/03/07

亡くなった母の供養で悩んでいます

去年母が亡くなり、現在は家族のお墓に入っています。 病気で亡くなったのですが、叔母がお見舞いに来てくれたりしていて、その時に母から言わないだろうからと私から叔母に「母は散骨を希望しているんだけど、それでも良いか」と聞きました。 その際、叔母はお墓には祖父や母の兄妹も入っているので寂しくないように一緒に入れてあげよう、死んだらわかんないんだしと言っていました。 兄妹も居るなら寂しくないかと思い、母には申し訳ないとは思いつつも母の希望を無視してお墓に入れてあげる事に決めました。 流石に弱っている母に死んだ後の話は出来なかったので最終的な母の希望は聞けませんでした。 ですが、四十九日の前日に叔母夫婦が亡くなったら墓じまいをするから墓じまいの料金(最低でも100万はかかります。今後値上がりしていくようです)を払うように言われました。 翌日には墓に入れないといけないというタイミングで言われ、キャンセルする事も出来ない為、それなら一時的に墓に入れさせて貰い生前母が言っていた通り散骨をさせてもらうと言い合いになってしまいました。 最初散骨を希望していると叔母に伝えた時に言われた訳でもなく、挙句の果てには叔母がお見舞いに行った際に母と二人で話していた時に母が「私がお墓に入るのは迷惑だから」と言っていたけど叔母が説得して母本人が「迷惑じゃないならお墓に入りたい」と言っていたと言ってきました。 そんな大事な事を娘の私に言わないのは何故なのか、母が本当に言ったという証拠を出せるなら母の気持ちを優先したいからこのまま墓から出さずに供養していく事を伝えた所、証拠はないと言われました。 叔母はボケてきてしまっている所もあるので、真実がわかりません。 母の看病をしている中、私は鬱になってしまい、叔母とのやり取りで更に悪化してしまっていて、通院しながら相続の事もやりきり現在はメンタルに波はありますが落ち着きつつあるので、本腰入れて母を散骨するべきか考えています。 一度墓に入れてしまった母を散骨する事はあまり良くないのでしょうか。 正直叔母の顔も見たくない程、私は叔母を許せません。 このままお墓に入れておくなら今後一周忌等で何度も顔合わせしなければいけないなら散骨したいと自分勝手な感情があるのも事実です。 長文になってしまいましたが、どうぞよろしくお願い致します。

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お墓について

親のお墓について質問させていただきます。 7年前、父が亡くなりました。父が病気になる少し前に、土建業を営んでいた父の会社の資金繰りがうまくいかず、自己破産せざるを得なくなり、何もわからないという両親にかわり、弁護士等の交渉や手続きを私と私の主人でおこないました。結果的に自己破産が完了する前に父は亡くなりました。そんな中、両親がなんの相談もなく、墓石屋に勤める母の妹のすすめでお墓を購入していました。そのお墓は母の実家の近くの公営墓地で墓地の名義は母の兄となっていました。当時、自己破産の手続きの最中で、自分達では購入できないため、兄の名義としたようです(今現在は兄は亡くなり、兄の息子名義になっています)。 私は一人娘で、娘がいますが、そのお墓に入る予定の者は母以外いません。母の兄の息子名義ですが、管理料は7年ごとに母が支払いをしているようです。母亡き後、私が生きてできる限りはその管理料の支払いをするつもりでいますが、私の娘にまでそのような負担を強いることはできません。 母の兄の息子名義であること、管理料を支払わなければならないこと、私の住む場所から少し遠いことから、母の元気なうちに2人用の簡易的な墓への移転を提案しました。父が生前気に入って買った墓なのに親不孝だというようなことを親戚から言われました。母は名義の変更(本来その名義人が亡くなったときしかできない)は親戚の人に頼んでするし(いつになるかわかりません)、移転するようなお金はないといいます。 母や母方の親戚とは考えがあわず、私は父が亡くなって以降、距離を置いています。母も76歳なのでもしなにかあった場合、手続きの面で親戚と関わらなければならず、名義が親でないことがすごく不安に思っています。 父が生前見て購入したお墓であるので、守ってあげたい気持ちもありますが、後先考えず、勝手に購入し、次世代に負担を強いる考えがあまり理解できません。

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家を追い出され身寄りのな方のお墓

はじめまして。私は岩手県の者です。 私の祖父の姉ですが、青森に嫁ぎました。(現在80歳代です。)そして姉の息子がもらったお嫁さんがお金の亡者のような人で姉は何十年も前からいじめられ、年老いてから年金をとられて家を追い出されました。 今はどこにも行くところがないのでここにおいてくれと私の家にきたり、じぶんの娘の家で生活しています。 この娘さんも理解のない人で自分の思い通りにならないと怒りだすような人です。私たち家族も何も言えません。家は農家でいつも親が家にいませんでした。特に夏は本当に忙しいです。そんなことお構いなしに自分の都合で姉を家に置いていきます。話も通じません。娘さんも年金を取り上げています。ご飯も与えていないそうです 迷惑だから老人ホームにいれてほしいと姉は言うのですがお金を出したくないのか、了承せず、家に預けっきりです。 姉はいつもたらい回しにされ肩身の狭い思いをしている人でした。穏やかで教師のようにハキハキして上品な人だとよく言われます。そして若い頃医者にこの人はしっかりした人だから絶対痴呆にはならないと言われました。しかし現在はいじめが原因で苦労し、アルツハイマーで薬を飲んでいます。わたしにも穏やかで優しい姉でしたが、今は私のことや思い出も覚えていません。私は今は27ですが高校の頃から姉が可哀想でいたたまれず家族とすむ家が自分は幸せだと思っていました。私の父がお寺に行く機会があり、お坊さんにバチと言うものはないのかと訪ねるとないと言われたそうです。昔から姉のことをおもうと涙が出ます。 長々とすみません。まとまりがなくわかりづらい文章ですね(汗) それで姉は嫁いだことで家とは別の名字です。姉はまだ健在ですが、もう八十才代です。 誰も身寄りのない方は家の墓にいれても大丈夫なのでしょうか?教えて頂きたいです。 ご回答お願いします。

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