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hasunoha 問答検索結果 : 「 死 怖い」

検索結果: 1296件
2023/03/14

他殺された友人との向き合い方

こんにちは。 私の友人が他殺で亡くなりました。 その方とは、ネット上での繋がりしかなく電話もしたことはありませんが。チャットで3年間ほど毎日連絡を取り合う仲でした。 ある時、わたしは卒業論文の執筆が忙しくなってしまい、返信が滞る時期があったのですが、その方は安否確認のためにもメッセージをくれる優しい方でした。 しかし、それにも関わらず再度連絡を1週間ほどまた無視してしまいました。 1週間ほど経った時に、その方の住んでいる地域で殺人事件があり、安否確認のために連絡を入れました。その時には既読が付いたのですが、返信はなく、 生きていることは確認できたのですが、嫌われてしまったんだと思いそこからは忘れて暮らしていました。 しかし、事件から数年経って最近その方が夢に出てきて近況が気になったため検索をかけて見ると私が危惧していた事件に巻き込まれて亡くなっている事がわかりました。 ここまでが経緯です。 わたしは嫌われたと思い、長い間記憶から消して過ごしてしまったこと。 ずっと頼りにしてくれていたのに、最後の最後で自ら連絡を切ってしまい、そのまま亡くなってしまったこと。 この2つの後悔が頭の中をぐるぐると周り続けて忘れられません。 また、友人は苦しい生活を乗り越えてやっと少し楽な生活が出来そうになった所でかなり若くして亡くなったため、苦労だけして亡くなってしまったように感じ、全てが水の泡と化してしまったような気もしていたたまれません。 さらに、犯人は既に亡くなっているため恨みのぶつけ方もなく、気持ちの行き場もありません。 その上、友人とはネット上での関係しかなかったため、お墓参りをして友人の死を目の前にすることで受け入れたいのですが、それも叶いそうにありません。 長々と書いてしまいましたが、すごく親しかった友人なのですが、後悔する点が多く、また、死を受け入れたいのですが脳での処理しかすることができず、モヤモヤした気持ちが続いてしまいます。 友人の死とこれからどのように向き合うべきでしょうか。 友人の死を乗り越えて、これまでの暮らしに戻るためにはどうしたら良いでしょうか。 拙い文章で、分かりにくい部分が多々あるかと思いますが、よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 13
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親戚の葬式後のメンタル

今日、祖父の姉の葬式がありました。 離れたところに住んでおり最後に会ってから10年近く経っていますが、小さい頃遊んでもらってお世話になった人なので、最後の機会だと思い向かいました。 棺に花を入れる時や火葬では涙が出そうになりましたが、悲しいよりも、もらい泣き、雰囲気につられているだけだと思いました。 ところが葬式が終わり、帰ってきてから夜。 もし自分の子供が死んでしまったら… もし夫が死んでしまったら… と考えると涙が止まりません。 事故、事件など最悪の可能性を想像してしまいます。 少しですが、自分も死んだらどうなる?と子供みたいな事を考えてしまいます。 1度考え出すと止まらず心がぐちゃぐちゃです。 葬式に行かなければよかったとすら思います。 こんなに心がボロボロになるなら、もっと近い人の死で自分がどうなってしまうか怖いのです。 その人がいなくなって悲しいのに加え、お見送りをした後も、こんなにも怯えなくてはならないのでしょうか。 こう考えてしまうのは普通ですか? 亡くなった人だけの事を考えないのは薄情ですか? 検索しても、近しい人の死後のメンタルを労る記述があっても、私とは違い相談できるのがここしかありませんでした。 今後あるであろう死の度、これではとても心が持たないと思い どう思えば前向きに見送ることができるのか、 大きすぎる不安を感じなくていいのか 教えていただきたいです。

有り難し有り難し 7
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お世話になった人が亡くなった時

高校2年生の女子です。                     先日、私の習い事の先生が突然亡くなったと知りました。私はその習い事を8年続けており、その先生とも親しかったです。先生とは、1週間前に話したのが最期になってしまいました。その時はいつも通り元気だったのに…もうあと少しで、その習い事の発表会があったはずなのに…先生と一緒に本番が迎えられるはずだったのに…たくさんお世話になったのに、何も感謝を伝えられないまま逝ってしまった…… そう考えるととても悲しくて感情の整理ができません。                     私はここ10年ほど、周りの人を亡くした経験がなく、ひい祖母が亡くなった時もまだ幼かったため、ただ漠然と、「もう二度と会えないのか」と思った程度でした。しかし、冷たくなったひい祖母を触った時、生きている人間とは違う冷たさに驚き恐怖を感じたことは鮮明に覚えています。 久しぶりに人の死と向き合い、本当に突然で、とても混乱しています。                     数日後にお通夜に参加する予定なのですが、自分がどんな感情を持つのかが怖いです。先述した通り、とても悲しく、寂しく、先生への思いも沢山あります。それなのに、何となく、その先生が亡くなられたことを冷静に見つめている自分がいて、自分は薄情なのかと思ってしまいます。泣きたいのに何故か涙が出なくて、悲しいはずなのにどこか冷静に考えている自分がいて、相反する感情がグルグル回ってます。 私はどうすれば良いのでしょうか。                     長文乱文失礼しました。 何かご意見を頂けると幸いです。

有り難し有り難し 20
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2022/12/10

死ぬ勇気も生きる力もない。

前回ご質問させて頂いた続きというか重なる部分があります。 22歳の誕生日前日母の自死。 母は直前あの夫婦(姉と姉の旦那)に言われた事が忘れられません死にます。と残していました。 母の死から1ヶ月経たず、母を死に追い詰めた姉が亡くなりました。 詳しいことは分かりませんが病死だとの事でした。 周りからは母が連れていったんだ、長女で初めて出来た子供だから大切で大好きだから連れていったんだと言われました。 そんな事を言われて悲しかった。 私もお母さんの娘。私を連れて行ってよ。私をママのそばにいさせてよと思いました。 本当に母が連れていったんでしょうか。 死んでしまいたい、消えてしまいたい。お母さんに会いたい。 毎日毎日死にたい消えたいママに会いたいそう思っていても、朝が来て夜が来る。 私には死ぬ勇気すらない。それなのに生きる力もない。 お母さんにあの時声をかけられなかった手を取ってあげられなかった温かい言葉で温かい存在で包み込むことが出来なかった。未だ後悔でいっぱいです。毎日母の分まで生きようと過ごしていますが、でもそれすらも疲れてしまった。 薄情で人としていけないけれど、正直姉が亡くなったと知った時悲しいという感情はうまれませんでした。もうこれから先姉に苦しめられる事はないんだとホッとしました。 でもそれと同時に、1度は目の前で母に手を合わさせたい、母にごめんねありがとうと伝えて欲しかった。 止められなかった自分も憎いけれど、それ以上に姉が憎い。償ってほしい。一生許せない。母が亡くなってそれだけの感情で過ごしていました。 そんな姉まで居なくなり気持ちのやり場がなくなった気がします。 毎日苦しくて辛くて死んでしまいたくなります。 姉ではなく私を連れていってくれたら良かったのにな。 どうしてよりによってあの人を…と思ってしまいます。 死ぬ勇気もない、生きる力も湧かない私はどうしたらいいんでしょうか。 簡単に死ねるのならいいのに、いざとなると怖くて出来ない。 母の死との向き合い方、大嫌いな憎い姉の死との向き合い方が分かりません。 父と話していた時ふと、父私妹3人でもう死んでしまおうかと思った事もあったと。 それを聞くと、母を守れなかった事で父の笑顔、生きる気力までも奪ってしまったとまた後悔に押しつぶされそうになります。 下手くそな文ですがどうかお願いします。

有り難し有り難し 26
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善き人になりたすぎて死にそう

お世話になります。 自分は悪人です。善き行いがどのようなものであるかも分からず、ただただ「よき人」になろうとしている悪人です。 善き人であろうとしてきました。現在もそうです。できるだけ善き人になりたいと思っており、「自分は悪人である」などと嘯いて、ダメ出しを恐れています。 ダメ出しが怖いのです。己の人格を否定されるようなダメ出しが最も怖いです。今日の行いは善だったか?あの時取った行動は善だったか?どうすればよかった?もっと善き人にならなければ。という思考が堂々巡りを始め、「やはり自分は悪人に違いない、こんなに悪いことをしたのだから。こんなに善き人であろうとしているのだから」という思考に落ち着いてしまいます。 過度な自罰は他者から「そんなことないよ」と言ってもらえます。甘い蜜です。でもそれを受け入れることができません。欲しがっておいて拒絶反応が出ます。これこそ悪人たる所以なのではとも思います。まるで悪人のままでいたがっているようです。 この善悪の判断も主観によるものであり、浄土真宗の「悪人正機」に闇雲に縋ろうとしているのではないかと、そのような自己嫌悪もあります。もはや死にたい。死が必ずしも救済ではないことは知識として知っていますが、悪人であることに耐えられないのです。 とても苦しいです。仏教の智慧をお借りしたいです。

有り難し有り難し 15
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起こるかもわからないことに怯える

北朝鮮情勢が緊迫し、アメリカが日本海に空母を送り込んだあたりから「自分は近いうち死んでしまうのではないか?」と思うようになってしまいました。 戦争に対する恐怖感は、ここで他の方の質問の回答を見てだいぶ無くなりましたが、(といっても北朝鮮に加え中国や韓国も怖いですが) 最近、調べ物をしてたら「死海文書によると2018年に人類滅亡」とか、今年とそれ以降の人類滅亡に関する予言とか、そういった予言の記事を偶然発見し見てしまい、最近はそっちの方に恐怖感を抱いています。 ノストラダムスの予言の後に生まれたので、ノストラダムスに関してはあまり知りませんが、2012年のマヤ文明の予言にはすごくビビっていた記憶があります。 そういった記事を見てしまったおかげで、頭の中で終末の時の感じとかを想像してしまったりして怯えたり、「今すぐ世界の終わりが来たらどうしよう」などといったことを四六時中考えてしまったりするようになって体調がさらに悪化し、この間主治医に相談して精神安定剤もまた飲み始めましたが、それでもこの胸の気持ち悪さは治りません。主治医の先生には環境が変わって気が張ってるのかな?って言われましたが、そうでもない気もします。 「まだ見たい景色や、やりたい事も沢山あるのに、若いうちに死にたくない!そういった予言怖いわ!そんな全人類が一斉に死ぬなら戦争で死んだ方がまだマシ!だけど戦争も怖い!」って思うのと、今までの人生ろくなことがなかった自分の母親の人生についに光が射し始めているというのに、こんな予言に振り回されたり恐怖感を持ち体調を思いっきり崩したりして母親を振り回している自分が恥ずかしいです。 一日でも長く生き延びるために、この負のスパイラルから抜け出したいです。 長文乱文失礼しました。

有り難し有り難し 41
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人生にステージはあるのか?

ガン告知から3年。先日、転移が悪化し完治はほぼ見込めず、病巣によって骨折もし、最近は死についてよく考えます。しかしピンときていないのか「死が怖い 死にたくない」というより「死後の世界はあるのか どう人生を閉まっていこうか」といったことが気になり、エンディングノートを書いたり、断捨離したりしてます。 先日、友人とコロナについてや、痛ましいと報道される有名人の人生の集結のニュースについての話になり、私も死についてや「一人で旅立っていくときのことを考える」ということを話すと「考えすぎは良くないよ」と言われました(励ましてくれたのかなと思います) 「私にとっては、この気持ちは日常で、あまり悲観的ではなく考えすぎっていう感じでもないんだよ」と伝えると、はいはい、という感じで流されました。ある友人は「それでも不遇な死はあると思う」と述べました。 理解されなかった気がして、些細な出来事ですがショックでした。 私は、死は死でしかなく、その死は不遇であるかどうか他人が言うものではないと思うのです。また、何かしてあげられればよかった、と必ず思うものですが、簡単に言うことでもないとおもうのです。私も他界した母に何もあげられませんでしたが、してあげられなかったと思いすぎるのも、亡くなった方に対して失礼なんじゃないかと。なら生きているうちにできたではずですし、まず亡くなった人がそれを望んでいたかもわからないし、他人が人にできることは限界があると思うからです。 病気になってから、どうも周囲とのズレを感じ、30代であんまりこんなことを考えている人も今までの交友関係だと少なくて、孤独を感じます。 そして「人生のステージが違うのだ」と思うようになってきました。 それは「私のほうが死に近いステージだからだ、きっと彼らもそうなったときにわかるだろう」というニュアンスもあります。 ふと「それはおごりではないか?」と思い質問させていただきました。 確かに病気や死は近づいた人じゃないとわからないものがあると思います。私が感じた寂しさや孤独を「人生のステージが違うから」と帰着させるのはおごりでしょうか?偉そうな立場からの勝手な帰着なのでしょうか? そして、死に不遇はあるのでしょうか? 人が人の死を不遇というのは失礼なことではないのでしょうか? 私が死について考えるのは「考えすぎ」なのでしょうか?

有り難し有り難し 12
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他人ばかり羨み、自分の幸せに気づけない

人の幸せな生活や、良い暮らしを知ると(snsや人からの噂)とっても羨ましく激しく嫉妬心を抱いてしまいます。私は4人家族の長女に生まれ、ごく一般家庭的で育ちました。親からは毎日愛され、お誕生日や行事などは必ずしてくれて、やりたい事もできる範囲でやらせてくれて本当に愛されて育った自覚があります。 18歳の頃上京し、大学卒業、就職し働く中、27歳の頃母親の癌が見つかり約3年後に亡くなりました。母は51歳でした。 それからは人生に大きな穴が空いた感覚があり、満たされていない気持ちからなのか 他人がとても羨ましく感じるようになりました。母親の死はまだ受け止めてられておらず、未だに墓参りにも行けていません。 母に最後の親孝行として、ウェディングドレス姿を見せたくて、母の病気が分かってから付き合った人と結婚し、ドレス姿を見てを見てもらい、その結婚式が終わるとその日に母は亡くなりました。 母が死ぬという事は、私の中で人生でありえない事が起きるという事を実感し、それ以来は些細なことでも不安になる事が増えました。 (電車に乗ってる時、このまま事故で死ぬかもしれない、とか、飛行機が怖い、とか、お腹が痛くなりこのまま死ぬかも知らないと思うと過呼吸になり、手足が硬直し救急車で運ばれるなど。。。) そして今1番辛いのは、他人を羨む気持ちが激しく、自分が嫌になる事です。 仕事もあり、家も買い、優しい夫が居て(仲良しです)、十分幸せなはずなのに、 自分より良い暮らしや、贅沢な生活を知ると、とても嫉妬してしまい、結婚相手がもっとお金持ちだったら、。とか、、離婚してお金持ちと結婚すれば。。。などと考えてしまう時さえあり、同時に夫にも申し訳なく、悲しい気持ちになります。 母親が亡くなるまでこんな気持ちになった事がなく、本当につらいです。 他人と比べず、自分の幸せを感じながら 丁寧に暮らしていきたいです。 母親の死を受け止めきれていない事も 人の嫉みに関係しているのでしょうか。 母親の死の受け入れ方と、幸せを感じながら生きる為にアドバイスを頂きたいです。 長文失礼しました。 どうぞ宜しくお願いします。

有り難し有り難し 26
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死に時を決める

去年亡くなった愛犬と仲良しだった愛猫が後を追うように病気で亡くなりました。 愛猫は愛犬に会えたでしょうか? 今はもう苦しんでいないでしょうか? そんなことは誰にも分からないことは 理解しているのですが、 心配でしょうがなく、 とても苦しいのです。 この苦しみはどうしたら 和らげることができますか? また、私は学生時代から 自殺願望があり、一時期自殺未遂で 入院したりしていましたが、 現在は立ち直り、一点を除けば まあ普通に楽しく生活しています。 私は飼っている動物たちを みんな看取ったら 死のうと思っています。 そのことについて自分的には 悲しいことだとは 思っていないのですが、 周りの人には理解されません。 もっとも愛する両親を遺して逝くのは あまりに酷い仕打ちだとは思いますが、 両親が天寿を全うするまで この世に留まるのは 私にとってとても苦痛です。 その理由が先ほど述べた 「ある一点」なのですが、 自分の死は怖くないけれど、 愛する人たちの死が本当に恐ろしく 毎日怯えてしまうのです。 例えば家族が出かける前に 「気をつけてね」と言わないと 事故に遭うんじゃないかと 帰ってくるまで不安で ソワソワしてしまいます。 まるで自分で自分に 呪いをかけているようで、 解き方がわかりません。 精神薬や精神科医では 解けませんでした。 そういうことの繰り返しに 疲れてしまいました。 なので、愛するペットたちをみんな 看取ったらもう終わりにしたいのです。 自分の死に時を自分で決めることはそんなに悪いことなのでしょうか。

有り難し有り難し 13
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