お世話になります。 私の実家(祖父母)は、父方・母方ともに西本願寺派の檀家ですが、父母の代から別に家を構え、私自身も結婚して独立し、父母の家・私の家ともに仏壇はなく、檀那寺との付き合いもありません。 今後、父母逝去の際にどうするかという問題もあるのですが、今回ご相談したいのは、私自身の授戒についてです。 生前に戒を授かることはとても尊いことと聞き、死後授かるよりも素晴らしく、破戒があっても、輪廻の果てに必ずや解脱に導くと聞いたことがあります。 仏弟子となりたいという思いのほか、子どもをもうけるつもりがないため、死後の葬送が不明瞭ということもあり、生きているうちに戒を授かりたいと考えているのですが、どのように手続きしてよいか分かりません。 高野山、善光寺では授戒会をしているときがあるとか、本願寺ではお剃刀があるという断片的な情報しか知り得ないのですが、 1 授戒とお剃刀は仏弟子になるという意味で同様のものですか?(浄土真宗には戒がないのでお剃刀とは聞いています。) 2 授戒と戒名の授与は別なのでしょうか? 3 どのように授戒やお剃刀にアクセスすればよいでしょうか?(いきなり近隣の お寺に行って、「授戒してください。」でOKなのか?) 4 複数のお寺で、何回も授戒を受けてもよいのでしょうか?その場合戒名は複数持てることになるのでしょうか? 5 生前戒名を授かっていた場合、授戒したお寺さん以外で死後、葬儀や法要をしてくれない場合もあると聞いたのですが、肌感覚としていかがでしょうか? 6 また、祖父母の檀那寺を含め、もし授戒をしてくれるお寺様と巡り合えた場合、その授戒・戒名(又は法名)を持ちながら、他宗派の信仰や勤行をしても差し支えないものなのでしょうか?(例えば、檀那寺又は檀那寺経由で浄土真宗の法名をもらいながら、一方で、他宗派の信仰や勤行をする等) 以上、とりとめのない質問で恐縮ですが、よろしくお願いいたします。
へタな日本語はすみません。日本住んでいるアメリカ人です。 アブラハム系の信仰は「排他主義」だとよく言われます。例えば、多くのクリスチャンやイスラム教徒は、"自分たちだけが正しい。他の宗教の信者は永遠に地獄に落ちる" と考えています。これは公式の教義です。 中世キリスト教の十字軍、イスラム教のジハード、「異端者」の殺害、「魔女」の焼却、「異教徒」の強制改宗など : 西洋の歴史では宗教的暴力はよく見られます。このような暴力は、アジアの歴史に、欧米に比べてめずらしいだと思います。 アブラハムの「排他主義」のせいで、私は家族が信仰するキリスト教に嫌悪感を抱くようになりました。"道徳的な神は、不信者を永遠に地獄で焼かせるようなことはしない"と思った, 子供ときから。 仏教に興味を持ち始めたのは、仏教の方が洗練されていると感じたからです。仏教の方が洗練されていて、心が広く感じられたからです。慈悲深い感じがしたからです。仏教の「方便」という考え方は、真理への道がいくつもあるということですよね。 しかし、日本の仏教にも若干の「排他主義」があるのではないでしょうか?例えば、親鸞上人は「このひどい時代には念仏だけは適切です」と考えていたそうですね。 日蓮上人の「四箇格言」は、他の宗派に対して特に批判的なようです: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E7%AE%87%E6%A0%BC%E8%A8%80 私は親鸞聖人も日蓮上人も深く尊敬していますが、彼らの信者はお互いに尊敬し合えるのでしょうか? では、21世紀はどうだろう。日本の宗派は調和しているのか、それとも「排他主義」による緊張感があるのか。 親鸞聖人と日蓮上人の両方の書物を愛読することは許されるのでしょうか?どちらの説も、透き通った真実を見ているような気がします。私は、真言宗と天台宗の思想も大好。一方だけを選ぶことは必要でしょうか? 心がズタズタに引き裂かれるような感覚です。
こんにちは。はじめまして。昨年の11月から日蓮宗からだしている倶生霊神符のお守りをいただいてます。興味があるのでネットで知りました。宗教や宗派関係なくいただけるので。気になることがあって私はクリスチャンではなくて時々キリスト教の教会へ行くこともあるけど問題ないですか?無宗教みたいな感じです。
戒名についてお伺いします。 戒名に 偶然 故人が生前信頼していた方の名前の一文字がはいっていました。 光という文字です。 光という文字は戒名でよく使われるのでしょうか?宗派は浄土宗です。 また人は死に際のあり方や時期など選べるのでしょうか。 亡くなり方があまりにも 周りを気遣っていたような最期でした。 またお彼岸の数日前の旅立ちでしたが、あの世までの距離は近くなっていたのでしょうか。
うちの宗派が曹洞宗で、今年の宝暦を拝見しました。 年間行事予定の中に大山阿夫利神社の例大祭の日取りが書かれており、曹洞宗とどんな関係があるのかな?と思い質問させていただきました。 出身が阿夫利神社の近くで、よくお世話になっていました。
精霊棚を置くため仏壇を同じ部屋の端に移動してしまいました。 終わってからお線香をあげて謝りましたが、大丈夫でしょうか 後、今年は新盆ですがコロナでお坊さんに頼まなかったのですが、YouTubeで合同供養の動画など流してみようかと思ったのですが、宗派が違うものなどを流すくらいならやめた方がいいですか。そういったリモート供養みたいなのはやった方がいいですか?お願いします
灌仏会(花祭り)釈迦牟尼の誕生日に関する質問があります。 灌仏会(花祭り)釈迦牟尼の誕生日に於いて「天上天下唯我独尊」などの誕生偈を唱える宗派はありますでしょうか? また、その唱える誕生偈の文面とその引用のもととなったお経は何でしょうか? ご解説お願いいたします。
相容れない意見の僧侶の方をこき下ろしたり、お坊さん同志が白熱バトルを繰り広げたり、 他宗派を嘲笑するような投稿を目にする機会があります。 敬意が感じられない他者批判や、嘲りと悪意に満ちた投稿を全体公開にされているので、とても悲しい気持ちになります。 お坊さん同志の対立はよくある話なのですか?
うちの宗派は浄土宗だと思うのですが、お今日の中で南無阿弥陀仏を10回となえています。 10回唱えると極楽に行けるというような話を聞いたのですが、 その唱え方で、8回目まで「なむあみだぶ」で9回目が「なむあみだぶつ」、そして10回目がまた「なむあみだぶ」なのですが、 なぜ9回目だけ「つ」というのでしょうか? 何か意味があるのでしょうか?
十三仏が密教系であるとお坊さんからちらっと聞いたことがあるのですが、調べても関係性がよくわかりませんでした…。 どの宗派も御本尊様がいらっしゃるのに、どうして十三仏は密教系なのでしょうか? 初歩的な質問で申し訳ないのですが、初心者の私にもわかるように教えて頂けると幸いです。
過去ログをパッと見ただけなので同じ質問か有ったらすみません。 精進料理と言うものがありますよね、そして、日本の仏教は肉食禁止とも聞いたことがあります。 しかし、テレビに出ているお坊さんの話を聞いていると結構肉を食べているように感じます。 これは、宗派の違いですか?個人の考えの違いですか? くだらない質問ですみません。 気が向いたらでいいので教えてください。
悪いことが自分や他人の身に起こった時、それぞれの宗派ではそれをどうとらえますか? 僕は、犯罪や事故のニュースを見ると被害にあわれた方がどんなに辛かったか想像して悲しくなってしまいます。 また、悪いことが起こるのは前世から今までに悪いことをしたからだと言う人があったんですが、 これは仏教の教えとは違うものですか?
いつもお世話になっております。 今日は少し疑問に感じたことを質問させて頂きたいと思います。 浄土真宗にも色々と宗派?みたいものがあると思いますが、各派によって、浄土や阿弥陀様のお働きに対する味わいは異なるものなのでしょうか?解釈は違うものなのでしょうか? 各派によって、ご法話の味わいも、違ったものになるのでしょうか? ややこしい質問ですが、よろしくお願いいたします。
自分は以前から死後の世界&生まれ変わりについて興味がありました。 宗派によって死後の世界&生まれ変わりは違うと思います。 死後の世界はどんな所ですか?やはり天国、地獄と分けられているのでしょうか? また、生まれ変わりはあると思いますか?あるとしたら人は人として生まれ変わるのですか?それとも人以外として生まれ変わるのでしょうか? ほかの動物や虫たちも生まれ変わる時は同じものに生まれ変わるか、それ以外(例えば人など)に生まれ変わりますか?
三礼のやり方はいろいろあって、各宗派で、唱える言葉がちがうようですが、浄土宗・真言宗・天台宗では、それぞれ言葉のどのタイミングで頭をつけたり立ち上がったり(どこの言葉でどう動いているのか)しているのですか?座るときに先にひざまずく足など、決まっているのですか? また、それぞれの意味の違いはありますか?
ご真言について質問です。 真言密教では三密加持といって、身口意の三業を大日如来と一体化?させると聞きます。 真言を唱える時は、やはり三密加持をしないと効果はないのでしょうか? 口だけで唱えるだけでは不十分で、灌頂などを受けないといけないのでしょうか? 宗派によって違うとは思いますが、ご教授お願いいたします。
時間が遅くなってしまいお経を読む頻度がここ最近減っていて、御題目は毎日あげています お経本は少し省略して読んでも大丈夫なのでしょうか? 後お経を読んでいると、 嫌なことを思い出してしまい集中できなくなることがあります どうしたらいいでしょうか? 宗派は日蓮宗です ご回答よろしくお願いします
即身仏について本を読んでいます。その中で、「3年3ヶ月後に掘り起こす」や、「地面より3m下に埋める」など、数字の3をよく目にします。仏教には、この数字の3に何か特別な意味があるのですか?もしあるとしたら、どのような意味がありますか?また、意味があるとするならば、宗派によってその意味は変わってきますか?ご回答、宜しくお願い致します。
ここで一度お世話になり、仏門に興味が湧き 元々、下手なりにも書道を趣味としていたのもあって 写経を始めてみようかと思っていました そうした話を友人、知人に話していたら タイトル名のようなことを言われました 知人によると、お経と言うものは修行を積み 徳を重ねた人が唱えることに意味があるのであって 素人がむやみやたらと、お坊さんの真似をするのはやめた方がいい まして写経なんて、なにかおかしなことがあってもおかしく無い程の やってはいけない行為だと言われました 書店では、初めての写経と書かれた本もたくさん見かけます 宗派によって考え方が違うのでしょうか 私の家は曹洞宗のようですが 自分自身、仏教徒ではあると思います。 と言うより、それしか知りません キリスト様より、お地蔵さんの方が気軽に挨拶できます 写経って、やはり辞めておいたほうが良いことでしょうか
仏教が好きで学んでいるものです。 単純な疑問があるので教えて下さい。 仏教は出家をして修行し仏になる教えだと学んでいます。 一般生活をしている私には遠い存在です。 しかし、現代の僧侶は結婚してお酒も飲んで在家の生活をしていますよね? それでは全く修行ができないと思うのですが、何を根拠に結婚しているのでしょう? 何かのお経のご文を論拠にしているのでしょうか? もしくは既に仏道修行は諦めたということでしょうか? もし結婚をしていいのならば、何故一時的にだけ出家(修行)するのでしょうか? 各宗派の考え方を教えて下さい。