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検索結果: 1383件

転身してお坊さんになられた方々への疑問

初めまして、この度自分では消化できない思いが芽生えまして。 お時間のある時に疑問に答えて頂けたらと思います。 先日、身内に「お坊さん方が相談にのって下さるサイトがあるんだよ」とこのハスノハを紹介したところ、身内が「なんか脱サラして僧になった人や元プロレスラーの僧がいるんだな……」となにやら神妙な顔で呟いたなと思いきや、 「この人らって僧になる前に大なり小なり犯した罪ってどうしたんかな?」 「人の悪口を言ってしまった、ネットで誹謗中傷してしまっただの相談に説教かましてる坊主がいるけど、この坊主らは今までやってきた前職でおかしてきた罪や行いはどう折り合いつけたんだ?」 「例えば元プロレスラーならそういう職業とはいえ汚い言葉で相手に暴言吐いたり殴ったりしただろうに」 「仏の道に入るんだから前に殴った相手だとか1人1人にちゃんと謝罪したんかな?それとも仕事だから別に悪い事じゃないとか思ってんのかな?もしくは過去は過去ってことでその事は切り捨てたり忘れたりしてるのかな?仏道に入ればそういう行い全部帳消しになったつもりでいたりするんかな?」 「なんにも過去を清算してない坊主が、ここで必死な思いでどうしたら良いか相談しに来られてる方々に説教してる姿に違和感がある」 「自分の事棚に上げて説教してるんならある意味偽善者よりタチが悪い気がする」 と、そのような事を言っておりました。 私はそれを聞いた時にギョッとしたものの、確かに…とちょこっと共感するところがありました。 お坊さんになられる前の職業でいろいろあった方々がいらっしゃると思いますが、過去の自分の行いにはどのように向き合っていらっしゃるか教えて頂きたいです。とても気になります。

有り難し有り難し 278
回答数回答 5

いじめをしていた男がお坊さんに

私を中学のときに虐めていた男が今現在 日本最高学府の国立大学を卒業しお坊さんを継いでいます。 彼は裕福なお坊さんの家の生まれです。勉強はできましたが常に他者を見下し虐めに加わっていました。 私とは殆ど話をしたことなどないのに、私を虐めていた主犯格達の悪口を真に受けて、目をつけて虐めてきました。 当時私の中学の学年は学級崩壊をしており虐めも横行していて警察沙汰もしょっちゅうでした。 生徒に虐められて先生方も精神を病み入院するなどとにかく中学校とは思えないほどにめちゃくちゃな状態でした。 彼のような人格破綻者がどんな気持ちでお経を読んでいるのかと思うと腹わたが煮えくりかえります。 私ならあんな男に絶対に供養をしてもらいたくはありません。彼は虐めをしたことなどすっかり忘れてしまっているでしょう。心底腹が立ちます。 どう気持ちに折り合いをつければいいでしょうか。 彼につけられた傷は一生心に残る傷の一つです。 完璧な人間など私も含めて存在しないと言うことはわかってはいますが、割り切れませんし、許せません。 彼に一生不幸でいろなんて言いません。ですがせめて私が苦しんだ期間と苦しんだ分だけは、正直報いを受けて欲しいと思います。

有り難し有り難し 62
回答数回答 3

坊さんなのにこれからの将来が見えない

実家が寺で、仏教系の大学に通っている僧侶見習いです。 僧侶が社会システムにおいて必要とされる意義が「人に仮初の夢を見せて心のケアをする」以外しか見いだせなくてこれからの将来に絶望しています。 僧侶は、昔みたいに医者の代わりや教員の代わりをする訳でもなく、月回向や葬儀関連で人々の心を慰めるくらいしかしていません。 僧侶が利益(りえき)を得ることを人々は否定します。実際、聖職であるが故に本来は金銭を対価に何かをするというのはあまりに俗に塗れているような気がします。布施はそれ自体が神聖なものであることは分かっています。 しかし結局のところ、(観光という商売をしている寺は除いて)寺やそこにある僧侶という存在は「嘘をついて金を檀家さんや信者さんから貰う」ものに過ぎないのではないか?と思ってしまっているのです。 道徳を説くならそれはカウンセラーでも哲学者でも構わないわけです。 では僧侶が持つ他とは違うアイデンティティとは何かと言ってしまえば「仏教という仏になる為の指針」なのですが、結局のところ今の今まで人の身で完全に釈尊(応身)と同じステージに立った者もいない訳で。 本当に仏となることが出来るかも分からない教え、しかも数多の偽典があるであろう経典の内容を引いてきて、悩める人々に滔々とそれを説く。自分の中ではこれから自分がなる僧侶という職は、そんなもののように思えてしまいます。 私よりも遥かに経験を積み、たくさんの経典を読んだここにいらっしゃるお坊さんの方々に、私の悩みをただ、聞いて欲しいです。そして願わくは、自分の中の仏教に対する、僧侶に対する悪感情を解く何かを教えて欲しいです。 散文的になってしまい、申し訳ありません。宜しくお願いします。

有り難し有り難し 109
回答数回答 6
2022/07/22

お坊さんにも後悔や葛藤はありますか?

随分、ご無沙汰していまして…久しぶりにココに来てみました。 今の私の立ち位置は、障害年金で生活している精神疾患の患者です。 病気の者が、他人にアドバイスをして大丈夫なのか?と思う事もありますが、あるサイトで最近、回答者として、いろんなジャンルの質問と向き合うようになりました。 質問に向き合う事で、自分と向き合っている感じがしています。 絶対的な正解などないと思いますが、一度、お坊さんの想いや意見を聞いてみたいです。 もし、お坊さんがココに来た人に「絶望によって、それまでの生にあった矛盾が炙り出されたことはありますか?」と聞かれたら、どんな答えや考え方を示されるでしょうか? 私には、正直、よく分かりません。 なので、私が思った事を、そのまま書いてみたいと思います。 正解・不正解とかも、私には分かりません。 私の数少ない体験談です。 私に自殺願望がある状態の時、いつも私を気遣ってくれていた先生が自殺しました。 先生が気にかけてくれていたのは、何処かで先生は生きているもの(生きていける人)という前提で、自分を気遣ってくれているのだと思い込んでいたので、先に死なれて、順番が違うよ…と感じました。 死ぬほど苦しんでいたなら、私の声に耳を貸すだけではなく、先生も私に弱音を吐いてくれれば良かったのに、何故…と? 「生きてさえいれば」なんて言えるなら、生きて欲しかった。 絶望によって、生にあった矛盾が炙り出されましたが…時すでに遅しです。 お坊さんでも、「時すでに遅し」と思った事がありますか? 私の勝手なイメージですが、お坊さんはいつも冷静さを保っている感じがするので、何となく「時すでに遅し」までには至らないのかな?などと思ったりしています。 最近でも、「あ…しまった…」となった事がありましたか? 後戻りできない時、どうやってモチベーションを回復させるているのですか? 教えていただけるとありがたいです。

有り難し有り難し 23
回答数回答 1

あるお坊さんに言われた内容

お世話になります。 現在妊娠6ヶ月になる妊婦です。 初めての妊娠ですが、性別もわかり経過も順調で心配事がないといえば嘘になりますが、楽しいマタニティライフを送っておりました。 先日、十数年ほど前に知人に紹介され一度だけお会いしたことのある天台宗のお坊さんから連絡があり、『お腹の子供は脳に障害があるかもしれないからお祓いに来ないとしらんぞ』と言われました。今までも数年に一回、来ないと子宮ガン・乳ガン・不妊症になると言われて来ましたが、お祓いには行かず定期的に検診をうけ、子作り翌月には自然妊娠と問題なく来ています。(お祓いの内容も頚部に指を入れて動かしながら子宮に向かって拝むという内容で親や旦那とは来るなと言われ不信に思い断ってました)こんなやりとりが何年も続き、今回は楽しみにしている子供のことで不安なことを言われたので、お坊さんは産まれてくる子供の病気を予知したりそれを治したり、女性の頚部に指を入れてお祓いをすることが実際にあるのでしょうか。 第一子ということもあり、通常の検診以外でも胎児専門医ににも二度ほど診察して頂き、問題なく順調に成長していると話はしましたが、『医者には治せん、来ないと知らないぞ』と言われると出産を楽しみにしてる為、気にもなります。どのように解決したらいいかアドレスをお願い致します。

有り難し有り難し 249
回答数回答 7
2021/06/12

跡継ぎの悩み。お坊さんとしての在り方とは

 実家が寺院です。  住職をしている父親の在り方に疑問を覚えるとともに、自分の将来について悩んでいます。  現在、人々のお寺への関心は少しずつ薄れているものと思います。そんな中、私の実家は今でも多くの檀家の方々に支えられ、お寺として成り立っています。しかし、父はその有り難さが分かっていないように思うのです。    具体的な収入(僧侶が頂くお金を収入と呼ぶのは語弊があるかもしれません)を私は知りませんが、高級車を何台も乗り継ぎ、沢山の娯楽品を購入し、暴飲暴食…。具体的な発言があったわけではありませんが、「僧侶も職業だ。稼いだ収入を好き勝手使ってもいいだろう」というような気持ちが根底にあるように思います。  お寺の管理として沢山の工事も行い、綺麗なお堂を建てる一方で、景観として素晴らしい大きな木を何本も切り倒すようなこともありました。  非常に恥ずかしく思うとともに、悲しく、また、檀家の皆様に申し訳なく思います。そんな父の「粗さ」に母親が涙する日も増えました。ただ、私もまた、そんな父の援助があって、仏教科ではない別県の大学へ進学しているため、やっていることは本質的に父と変わりないのだと思うと、苦しくなるばかりです。  父親のような僧侶にはなりたくないと思います。ただ、日々誰かの死と向き合う仕事ですし、お寺としての管理も父なりに苦しんで考えているものと思います。大きなストレスもあるでしょう。父がどんな気持ちで高級車を乗り回しているのか、分かる気もします。改めて、現代におけるお寺や僧侶というものの在り方の難しさを感じます。「苦しすぎて私にはとても継げない。」「自由に暮らしたい。」「普通の家庭に生まれたかった。」そんなことを連連と考えてしまいます。  悩みやすい性格で、父親のことも悩みの一端に過ぎません。ただ、お寺の道に進むのか否か選択を迫られる時期が近づいてきており、「お坊さん」として生きていらっしゃる方々の言葉を聞いてみたいと思い投稿しました。  お坊さんとしてお金とどう向き合っているか。お寺への関心薄れる現代において、お坊さん・お寺として、今後どう在るべきか。また、悩んだ末に実家を継いだ方がいらっしゃいましたら、その決断に至るまでのお話など、相談としては漠然としており申し訳ないですが、何かご意見頂けると有り難く思います。

有り難し有り難し 147
回答数回答 6

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