こんにちは。 以前Googleで自分の悩みを検索したところ検索結果にこのサイトが出てきたことがあり、それ以来hasunohaを毎晩のように拝見しています。お気に入りのお坊さんをブックマークしているほどです。 生まれた時から仏教徒で、お盆やお参りなど特に考えずそのマナーに従って生きてきましたが、一方で神や仏、また心霊などの類は一切信じないたちです。 しかしながら倫理哲学の勉強は非常に好きで、現在もっとも興味があります。 きっかけは数年前心身共にとても傷つく出来事があり、以来リラクゼーションやアロマ、音楽など、私生活で自己を労る環境を整えていきました。しかしそれらは頭の中、つまり思想の面では自分を疲労から救ってはくれず、そのとき仏教が自分にとって非常に重要なものではないかと気づきました。(軽率な発言続いており誠に恐れ入ります。。) hasunohaをみているうち、信じるか信じないか、お祈りが届くか届かないか、極楽浄土に行けるか行けないか以前に、自分で自分を生きやすい方向に調整していく、大変学びの多い学問でもあることを理解しました。 長くなりましたが質問したかったことは、仏教を学ぶ上でビギナーの私におすすめできる学習方法を教えていただけませんでしょうか。 下記何でも構いませんので、回答いただけると嬉しいです。 ・おすすめの著書(専門用語が多すぎない、噛み砕いてある、原版の理解にふさわしい) ・近所のお寺に通うことも考えたが、用もないのに門を叩いて説法してもらうことなどはできるのか? ・合宿のような形式で学ぶ方法はあるか。どうすれば受けられるか。ある場合、実家は曹洞宗だが宗派を超えても学習はさせてもらえるか ・↑に似ているが、短期的に修行を受けることはできるか。どのお寺でもできるのか?できるお寺はどうやって探すのか ・その他いい方法があれば 可能ならば僧の方に直に毎日少しずつお話を受ける形式が望ましいですが、自分の周りでそう言った人は見かけないし難しいのでしょうか... よろしくお願い致します。
宗教のことがよくわかっていません。 仏教も色々とあり、何が何だかさっぱりです。 ここで何度かご質問させていただいたのも何かのご縁だと思い、気持ちも楽にしていただいたので、少しだけ学んでみようと思いました。 だけれど…よくわからずにお寺さんへ行くと、南無阿弥陀仏だったり、南無妙法蓮華だったりしますよね? 南無阿弥陀仏の中でも、色々分かれていますよね? 先日、とりあえず南無阿弥陀仏の本を買ってみたら、浄土真宗と思っていたら、途中で浄土宗とかいてあり、少々驚きました(笑)。 例えば本を購入するのに、ごちゃ混ぜに学んでも、良いものなのでしょうか? 適当にお寺さんへお参りしても、良いものなのでしょうか? 今まで全く興味がなかったので、この年で恥ずかしいですが、本当にさっぱりわかりません。 決まりごとなどありましたら、教えて下さい。 宜しくお願い致します。
こんにちは、ミッションスクールに通う女子高生です。 タイトルどおりですが、何を持ってすれば仏教徒と言えるのでしょうか? キリスト教の場合は洗礼を受けることですが、仏教にもそのような行いをするのでしょうか? 仏教にとても興味があるのですが、何しろ幼稚園の頃からキリスト教をずっと学んできたので知識に関しては手塚治虫の漫画を読んだことぐらいしかないです。仏教の中にも、いくつかの宗派?がありますよね、本当に簡潔でいいので教えてください! 質問が多くて本当にすみません。回答していただけると嬉しいです。
ご覧いただきまして、有難うございます。 早速、質問させていただきます。 私はご先祖様と亡くなったペットの御供養の為に読経をしたいと思っているのですが、どの宗派のお経を読めばいいのでしょうか? 私の両親はそれぞれ宗派が異なり、両親は離婚しています。 しかし、私は父親の苗字を名乗っています。 その場合、父親の宗派のお経を唱えた方が良いのでしょうか? 私は父方のご先祖様も、母方のご先祖様も御供養したいので、どちらの宗派のお経にすれば良いのか迷っております。 ちなみに最近は某現役僧侶の般若心経の本を読んでいるのですが、宗派に関係なく般若心経でも良いのですか? 今は読経なしで、毎朝お供え物と挨拶をして、毎晩仏壇の前で手を合わせご先祖様には『今日も1日有難うございました。安心して安らかにお眠りください…』、神様には『ご先祖様たちが安らかな気持ちで成仏されますように…』と心で唱えております。 その他、御供養にまつわる作法などございましたら、教えていただけますと幸いです。 宜しくお願い致します。
外国の仏教と日本の仏教の違いって何ですか? チベット仏教とかテーラワーダ仏教とか色々聞くんですけど日本とは何が違うんでしょうか?
当方は、お世話になっている方に言葉のお礼以外で、 少しでもお礼をすることが大好きです。 もちろん、相手にその見返りを要求してはおりません。 しかし、何もないように平然とされると心に穴が空いた気持ちになります。 せめて、一言のお礼か笑顔でも有ればと充分ですが、 それは見返りを期待している、親切の押し付けになる?のでしょうか。 相手は、有り難くないからお礼を言わない、 押し付けられているから、平然としているのでしょうか。 各々のしつけや育った環境などもあると思いますが、 相手の心理が分からず、もやもやします。 どうぞ、相手を理解出来るような解釈をご教示下さい。
お坊さんになるには、修行して合格するとかあるのですか? どんな修行をするのですか? 同じような修行をすればお坊さんのようになれますか?
今、私は「女性とお付き合いしたい」「癒されたい」「寂しさから逃れたい」などといった『煩悩』??とでも言えばよろしいのでしょうか、そういった感情・欲求が激しい状態でして、非常に悩まされています。 そこで私が今考えているのが、現在、悩まされている『煩悩』を理性で律したいというものです。 以前、どこかで聞いた話なのですが、『煩悩』=『欲望』だとして、それがある状態から無い状態に変わったとしても、「有」への執着が、「無」への執着に変わっただけで、本質は何一つ変わっていない、というお話を聞いたことがあります。 ですので、私はそういった『欲望』を無くすのではなく、理性で律していきたいと考えています。 そこで、皆さんにご質問なのですが、私のこの悩みはどうしたら解決できるのでしょうか?どう対応したらよいのでしょうか? また、このような悩みに対してアドバイスをしてくださる埼玉県内のお寺などはないでしょうか? 私の希望としては、プチ修行のようなものを体験してみたいです。 どうぞ、宜しくお願い致します。 追記:車は持っていないので、電車で行ける所でお願い致します。また、住んでいる所は春日部市です。
お忙しいところ質問をしてしまい申し訳ないです。 知人が勝手に私の事を霊感のある人、霊視ができる人に占ってもらったらしいです。 そうしたら、私のことを 「早死にする」 「早死にしそう」といわれたそうです。 理由を尋ねると、 特定疾患の持病など病気になりがちだから 優しすぎて色んな人に巻き込まれているから 仕事を頑張りすぎて生気を感じられないから 生い立ちが不幸だから 生い立ちが不幸なのは先祖が呪われていてその呪いを全部私が引き受けているから たまに影が薄く見えるから 先祖が昔、人殺しをしているから 前世が人に殺されてしまった可哀想な存在だから、その悲しみを引きずってるから など言われたと知人から聞きました。 正直いい気分にはなりません。 勝手に占われたのもショックでした。 ただ私には娘や夫がいて、娘や夫のためにきちんと財産や思い出を遺してからあの世に行けるならいきたいです。 質問としてお聞きしたいのは 1今から万が一のために終活をした方がいいのか 2寿命を伸ばす方法はあるのか 3そもそも、寿命短いだろうとかは霊感商法だから相手にしなくていいのか。 4知人とは縁を切るべきか。 お坊様の立場からお聞きしたいです。 よろしくお願いいたします。
こんにちは。「葬式仏教」批判についての質問です。 時々ネット等で「お釈迦様は葬式をしたりお墓を作ることを否定した。だから日本の仏教は本来の仏教からかけ離れている。」といったコメントを見かけますが、お釈迦様は本当に葬式やお墓を作ることを否定したのでしょうか? この話の根拠とされる涅槃経(現代和訳)を読んだのですが、お釈迦様は自身の葬式について非常に細かく指示をだしており、さらに「遺骨は塔を作ってそこに収めよ」などお墓を連想させる記述もあり、少なくとも葬式やお墓を否定しているようには思えませんでした。 以前からこういった「日本仏教は本来の仏教じゃない!」といった批判に疑問を抱いていたので、この場をお借りして質問させて頂きました。 よろしくお願いいたします。
質問させていただきます。 私の祖母が亡くなり、約25日程経ちます。 大人になってから、身近な人が死んでしまうことが初めてで… 死というものが、大きくて考えることも増えました。 祖母が死んでから、ハスノハで質問させていただいたり、自分なりに調べたりしていますが… 人が死んだら、四十九日まで毎週7日づつお裁きを受けるとインターネットにありました。 だから、毎週供養するべきだと…。 毎週、親戚が集まれる曜日には お坊さんに来ていただいています。 祖母の遺品整理も始めています。 これで、いいのでしょうか? 祖母の為に他にできることはないのでしょうか? 祖母の家は、とても遠くなかなか簡単に行けず、四十九日までの集まりも毎週1回しか行けていません。 祖母の遺影やお骨も私の家にはなく、今後は長男さんの家に移るそうです。 私は、祖母が大好きでした。 でも、祖母に何もしてあげられない孫でした。 絶対、成仏して極楽にいってほしいです。 私にできる事は、何でしょうか。
日本の仏教(浄土真宗を除く)は何故『肉食妻帯』が許されるのでしょうか? 浄土真宗を除く宗派は『肉食妻帯』の禁止が前提で作られていたのでは無いのですか。 肉食関して仏陀は肉食を禁止していないや三種の浄肉をおっしゃる方が多くいますが、その部分だけを引用するとそう解釈できるか分からないですけど、当時は「托鉢」や「午後の食事の禁止」が前提の話で、日本の僧は「托鉢」や「午後の食事の禁止」をしているわけではないのに、その部分だけを引用するのは如何なものでしょうか。 また中国経由の日本の仏教には関係のない話であり、仏陀は肉食を禁止されなかったという個々の考えがあるのであれば、上座部やチベット、真宗などに改宗するか新たに肉食を禁止されない宗派を開宗すべきで妻帯の禁止及び菜食主義であった既存の宗派を変える事は以ての外ではないでしょうか 私は肉食妻帯に対して反対しているのではなく、真宗以外の諸派は肉食妻帯な禁止が前提として作られているのだからそこは徹底的にして欲しいのです。 妻帯については後継者問題があるからとは言いますが、なぜそこまで出家にこだわるのに、妻帯の禁止にはこだわらないのでしょうか。出家せずとも知識ある在家としてお寺を見守る家系として生きていけばいいではありませんか。 出家しているのに妻帯だと在家とあまり違いが無いではありませんか。 これは勝手な私論ですが 末法無戒を、唱えた日蓮上人ですら肉食妻帯をしていませんよね?それは「僧が袈裟を着る事」や「人が人を殺す事はいけない事」と同じ様なもので、その当時は肉食妻帯はしないのが当然なので末法無戒には含まれないからでは無いのでしょうか。 もし政府が「僧の服の着用勝手たるべし」とでも法令出したとしても、日蓮上人は直接は言及していないが、服を着るのは当然でその上で末法無戒と言ってるなんて誰でも分かるじゃないですか。 まとめると肉食妻帯の容認を当初からしている真宗以外は、かつてと大きく肉食妻帯に対しての意識が変化しているのにも関わらず、別宗派を作らず元の宗派を名乗ったまま肉食妻帯を許しているのか。 また現在における出家と在家の違いはなんなのかです?
10年ほど前、職場やプライベートの過度なストレスから パニック障害→鬱となり、仕事ができない状況になって職を離れました。 それまでは、フルタイムでバリバリ働き帰りは終電、 帰宅後や週末も時々在宅や出先で別の仕事をかけ持つなど 無茶もしていた時期もありました。 それくらい動けていたのが突然何もできなくり、愕然としました。 投薬治療で少しずつ動けるようになってきたものの、未だに完治とならず 相変わらず波がありゆられながらギリギリで過ごしています。 それまでの様な生き方、暮らし方はもう出来ない状況です。 そんな中、自分の生き方を振り返りながら、 ふと子供の頃から生き辛さを感じ続けていた事に気づかされました。 そこで、色々と勉強(通信制で通学もある大学で)を始め、 数年前に(明治維新以降ではなくそれ以前の仏教の考え方)仏教の 教えに触れる事ができ、そこから色々と(亀の様な歩みではありますが) 物事の捉え方を修正できてきている実感ができるようになってきました。 授業だけでは物足りず、参考文献など少しずつ読みながら独学を進めております。 最近は、どこかのお寺で勉強会などがあるなら行ってみようか? と考えてみたりするようになりましたが、 宗派にとらわれずにお坊さんから学ぶ術はないのだろうか? という疑問が湧いてきております。 今後学んで行くために何か良いアドバイスがいただければ幸いに存じます。
この数十年、お坊さんが身近になりすぎて、低俗な存在になったように思います。 テレビ番組や新聞で、「お坊さんが好きな焼き肉のメニュー」、「お坊さんも出会い系サイトを利用したり、身分を隠してキャバクラで遊ぶ」、「強姦や暴行で僧侶の男が逮捕される」等をよく見るようになりました。 この現状について、どう思われますか?
昨晩、布団に入り輪廻転生について考え出したら、なんだかとても恐ろしくなって眠れませんでした。そんな夜明けにふと思ったのですが、仏教では「お盆にご先祖様が帰ってくる」と一般的に言われてますが、この考えと輪廻転生の仕組みは矛盾しませんか? 魂が分裂したり並行宇宙が存在するのか、それともこの質問は仏教におけるタブーなのでしょうか?
仏教と言ってもいろんな宗派があるようですが、それぞれどう違うのですか?難しいことはわからないので、一言で特徴を教えてください。 例えば浄土真宗だと「他力本願」ですか?
先日 墓前に手を合わせてきたのですが いつもなら ただ心のままに手を合わせ小さい時から耳馴染んできた南無阿弥陀仏と声に出さずとも…なのに 今は亡き父が闘病生活で今まで仏壇すらなかった家に見たこともない位に大きなそれに手を合わせ南無妙法蓮華経と一心不乱に題目してた記憶が頭の中を駆け巡り自然と南無妙法蓮華経と呟いていた自分が居ました。横で手を合わせていた子ども達が不思議そうに私を見て ふ と我に戻ったような気持ちで家についてからも悶々とした状態でした。数ヶ月前から、何度となくハスノハに質問し、有難い回答を宗派問わず色々な角度から聴かせて頂き、座禅会や供養で敷居が高いと遠慮していたお寺にも足を運び 随分と穏やかに過ごせるようになった今 菩提樹もなく仏壇もない自分ですが 一つの宗派にとことん向き合い毎日を丁寧に生きたいと強く思うようになりました。 ただ一つに決める事が出来ず身近な信頼してる人の話しを聞いたり足を運んだりしながらも本を読んでみたり…良いとこどりのズルイ信心だねと 、からかわれたり… しばらく、こんな状態が続きそうで ごめんなさい、コチラで愚痴らせていただきました。 ハスノハは、こんな中途半端な私の拠り所となり有難い居場所です。
同僚が自ら命を絶ちました。苦しみを抱えながらも精一杯明るく過ごしていたため、私達は呆然としています。 自ら死を選んだ人は、その後も苦しみ続ける、ということをhasunohaで拝見しました。 でも、現世で苦しみ、あの世でも苦しむのなら、同僚は永遠に救われないことになります。 私達にできることは、ありませんか。同僚があの世で笑って安らかに過ごして欲しいです。
法名のいただき方について教えてください。 死んでからだと自分の法名を知る事ができないし、また法名を知っておきたいという理由もあり、生きているうちに法名を頂ければと思っています。 祖父母が亡くなった時は菩提寺経由で法名を頂きましたが、浄土真宗本願寺派(我が家がお世話になっている宗派です)のホームページには帰敬式を受式する事によって法名を頂けるとありました。 信徒ではありますが、まだ本山に行った事がないので、近い将来、帰敬式受式及び、参拝に行きたいと思っています。 この場合、法名は直接本山から頂く事になると思うのですが、いつもお世話になっている菩提寺に「法名を頂きに行ってきます」「法名が欲しい」といった事前相談はしなくてもいいのでしょうか? 法名を内願する場合は菩提寺からの申請とありますが、特に希望しない場合は、相談する必要はないのでしょうか? あと、あるサイトに「自分の名前を一文字入れておかないと、死後、法名を見ただけでは誰なのか分からないので、内願はしておいた方が良いかもしれないです」とありましたが、やはりそうなのでしょうか? 私は今のところ独り身なので、合同墓地を希望しています。 家の墓はありますが、将来的に兄家族が入ると思うので、私は入れないと思いますし、仮に入れたとしても入る気はありません。 なので、法名で「この人誰?」といった事にはならないと思っています。 法名について深く考えた事がなく、無知で恥ずかしい限りですが、ご教示いただけますと幸いです。 どうぞよろしくお願いします。
今日母方の祖母を亡くしました。臨終にも立ち合いました。病気でもう長くないとは言われており、遅かれ早かれこういう時が来るとは覚悟していましたが、やはりとてつもなく悲しいです。 小さいころから可愛がってもらい、いつもにこにこしていた優しいおばあちゃんでした。あのおばあちゃんにもう会えないかと思うと悲しくて仕方ありません。今も涙が止まりません。どうすればこの悲しみを克服できるでしょうか。女々しい男で申し訳ありません。ご回答お願い致します。