お世話になります。 現在妊娠6ヶ月になる妊婦です。 初めての妊娠ですが、性別もわかり経過も順調で心配事がないといえば嘘になりますが、楽しいマタニティライフを送っておりました。 先日、十数年ほど前に知人に紹介され一度だけお会いしたことのある天台宗のお坊さんから連絡があり、『お腹の子供は脳に障害があるかもしれないからお祓いに来ないとしらんぞ』と言われました。今までも数年に一回、来ないと子宮ガン・乳ガン・不妊症になると言われて来ましたが、お祓いには行かず定期的に検診をうけ、子作り翌月には自然妊娠と問題なく来ています。(お祓いの内容も頚部に指を入れて動かしながら子宮に向かって拝むという内容で親や旦那とは来るなと言われ不信に思い断ってました)こんなやりとりが何年も続き、今回は楽しみにしている子供のことで不安なことを言われたので、お坊さんは産まれてくる子供の病気を予知したりそれを治したり、女性の頚部に指を入れてお祓いをすることが実際にあるのでしょうか。 第一子ということもあり、通常の検診以外でも胎児専門医ににも二度ほど診察して頂き、問題なく順調に成長していると話はしましたが、『医者には治せん、来ないと知らないぞ』と言われると出産を楽しみにしてる為、気にもなります。どのように解決したらいいかアドレスをお願い致します。
私はゲームなり本なり創作なりでお寺で働いているキャラクターをよく見ます。 私も創作物を書くのですが、お寺についていくつか疑問が湧いたのでお答え頂ければ幸いです。 1、お坊さんが世襲制だという話 親がお坊さんなので自分もお坊さんになる。というのはお寺では多い事なのでしょうか。 また、そのような家系にお産まれになった女性の方に、巫女になるという選択肢はあるのでしょうか。 2、お札について 初詣などでお札を頂く機会があります。 この「お札」というのを作るのに適切な時期のようなものはありますか?(例えば、仏滅を避ける……等) また、お札を作成される方はお坊さんだけなのでしょうか。
お気に入りの毘沙門堂へよく行くのですが そこでの毘沙門さんのご真言が オン ベイシラ マナヤ ソワカ だと教えて頂き、マンダヤで覚えてました。と伝えたらちょっと間違えてますね。とのお返事でした。ネットや本では、マナヤではなく マンダヤと書かれてる事が多く、この違いは何なんでしょうか? どちらのご真言を唱えたらいいのでしょうか?
先日母が亡くなりました。 長女、次女が仲が悪いのですが、次女夫婦が喪主をしたのですが、長女が分骨したお骨を持ち帰ったところ、次女夫婦、叔母が離してはいけないんだから返せ、となりました。長女がお寺さんに確認したところ分骨して持っていても大丈夫ですよ、と言っていただいたのですが、次女夫婦、叔母はそれでも納得いかないようです。何が本当に正しい供養の仕方なのでしょうか…
突然の質問失礼致します。 お仏壇に亡くなった人の写真を飾っていいのですか? いろいろ自分なりに調べたのですが、意見がいろいろあり、分からなくなってしまいました。 あと、亡くなった人が好きだったタバコに火を付けて、線香立ての中に供えてもよろしいのですか? カテゴリー間違っていたらごめんなさい。
こん○○は。私の友人の僧侶のお話です。 とあるお寺に新卒で入社しました(修行僧として宗派の定める最低限の修行を終えてから。)求人票には大卒正社員僧侶18万円〜と書いてあったそうです(私も実際に確認しました。)が、実際にそのお寺で職員として勤めだしたら、はじめの半年間10万円、雇用保険、労災等にも入れない、給料は封筒に入れて現金だけ手渡しで給与明細すら出さないという実態、さらに友人が言うには事情でどうしても休まなければいけない時があったというので、住職に相談して休みのことを言うと(友人の説明には親戚が亡くなったとのことでした)そこで休む分を次の休み働いて振替しなさいとのこと… 雇用契約書もない、このような酷い労働条件、法律すら守れない方がお坊さんと言えるのでしょうか?数年前某有名寺院がブラック企業ランキングに入っていたり、暴力事件で話題になったりしていましたが、このような実態に対して、皆様のご意見が知りたいです。困った人を助けるのがお坊さんのお仕事なのに、これでは困った人は余計困ったままです。友人曰く、若いものはうちにいるだけで勉強になるのだから、金なんていらない。と住職の方に言われたとのこと。人がいないから求人票を出しているのに本末転倒だとおもいます。 このような人を僧侶として認めてしまっていいのでしょうか? お坊さんという人々を見る、世間の目と私の目が変わってしまいそうで怖いです。
当家は香川県の本籍ですが、祖父母の定住が岡山県だったので、岡山県にある高野山真言宗のお寺様に当家代々のお墓を建てたそうです。 先般私の父が突然の急逝を致しました。 お墓を建てた時のご住職にも意向を伝えて建てたらしく、納骨は父兄弟間のその当時の約束事と、親類一同の勧めもあり、このお墓に納骨する事になっていました。 父からももしもの時は、お寺様に納骨だけしてほしいとは言われてました。 本来はこのお寺様で法要一式を行うのが本筋かもしれませんが、 両親は大阪在住であり、お恥ずかしながら葬儀の必要費用もない状況でもあり、私は愛知県在住、母が寝たきり、父の近親者も東京千葉と遠方で、お体の具合も良くなく、医師から遠出は無理との診断と言うこともあり、大阪で同じ宗派のお坊様を手配して、大阪で私と関西在住の親類で家族葬の葬儀をしました。 この度49日を迎えるので、葬儀に来ていただいた大阪にあるお坊様の寺院で法要を行った後、納骨の段取りをする予定でした。 49日を迎えるにあたり、岡山のお寺様に経緯を伝えた ところ、葬儀の時点で事前にご相談してなかったからかもしれませんが、納骨に際してお断りをされそうな感じです。 その様な事は普通にあるのでしょうか。 岡山在住の父の兄弟が他の兄弟に代わってお寺様とは檀家としてお付き合いしていただいてました。 親族一同、今の時代にそんな事を言われてもと言う感じです。 岡山のお寺様に快く納骨法要をあげていただくためのやるべき事はございますでしょうか。
今回は非常に個人的な悩みとなります。 私は最近、仏教について調べたり、考えたりして、一種の信仰心を持つようになりました。(他人には一切信仰を公言してません)他人が悲惨な目にあったニュースを見聞きしたり、電車の人身事故があった時などは、心の中で南無阿弥陀と唱えるようにしてます。(宗派とかはよくわからないので、とにかく心で唱えるようにしてます)ただ、この教えはどの宗派かはわかりませんが、南無阿弥陀を唱えると、仏様が極楽浄土へ連れて行ってくれるという話を聞いたので、正直、他人のためではなく、唱えることにより自分が死後、安らかな場所に行けるように唱えていると考えてしまいます。 そこで2つ質問があります。 1 心の中で南無阿弥陀と唱えるだけでも良いことですか?また、他人に亡くなった方に対して唱えることは良いことなのでしょうか? 2前述したように、南無阿弥陀と唱えることは、自分が死後安らかに過ごせるようになるためであり、それは他人の為ではないという考えが少なからず自分の中にあります。純粋に他人の為に仏教に信仰心を持つにはどうすれば良いのでしょうか? この先は質問と関係無く、ただhasunohaのお坊さんへの感謝と自身の信仰に関する話です。 いつも悩みを聴いてくださり本当にありがとうございます。1人では考えきれない事を今までお坊さん方は真剣にアドバイスしてくださり、以前あった私の死にたいという気持ちも随分と楽になりました。本当にありがとうございます。また、このサイトがきっかけで、宗教とは非常に遠かった私の中に信仰心が生まれました。正直、極楽浄土や地獄、仏様など、目に見えない世界に関しては半信半疑です。しかし、過去の仏陀やお坊さん、そして現在のお坊さんなどが人々の為に幸せや平穏を願った。そして今も願っているという事実は変わりません。そしてその事実が現実に対して言いようのない不安に駆られていた私にとって光です。誰かの幸せの願う心の存在こそ私の救いです。皆さんの考える仏教への信仰とは全く違う形かもしれませんが、私は仏教をこのように信仰してます。 そしてこれからも、お坊さんのように誰かの幸せを願う人でありたいです。質問とは関係はありませんが、この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。
今年2月に父が急死しました。父と言っても母の再婚相手で養子縁組などしておらず、戸籍上では他人です。 父は高校卒業後、進学・就職の為家を離れて現在の場所を終の棲家とし、生家よりお仏壇を移動しておりましたが、母には仏事全般に関わらせてなく(再婚した時はお互い50代でご先祖さまは何年も前にお亡くなりになっており、母の性格上自分が関わりたくないことを強く拒絶する傾向にある為) 生前、「お前には迷惑や面倒をかけないから」と良く母に言ってたそうです。 きっと聡明な父は、1人で抱えてやってきたんだと思います。 今までもお仏壇にはお水を供えてお花や果物を供えてはいたようですが、 私が「ご飯やお茶は?」と尋ねると、「今までお水だけでいい!って言われてたから、しなくていい」と言います。 この度、母と一緒に暮すようになった為、今後は出来る限りきちんとしていきたいので、足らない仏具は買い足し、毎朝ご飯とお茶をお供えするようにしました。 私の育った環境が宗教とはほぼ無縁だった為知らないことばかりで、今ネットで調べたりしながら勉強中です。 ご先祖様のお墓も遠方で(車で3時間程の隣県)私は数回お参りに行った程度です。菩提寺には行ったことはありません。母も無いと思います。 父の葬儀も同じ宗派の近くのお寺を探してお願いしました。 今後、父のお墓はどうするか?ご先祖さまのことはどうするか?いろいろありますのでその都度相談させて頂きたいのですが とりあえず、毎日のお供えやお勤めはどうすればよいのでしょか? 調べてみますと、ご飯とお茶とお水の両方という意見もありますし、お茶かお水のどちらかとの意見もあります。 お経本はお寺さんより頂きましたが、今まで触れる機会がなかったので どこをどう唱えればよいかもわかりません。お寺さんに尋ねることを母が嫌がります。(きっと、年齢的にも何も知らないと思われることが嫌なんだと思います) 父を亡くして日も浅いので、母に意見するつもりはありません。母の自尊心を傷付けないようにしながら、私が出来ることからやっていきたいのです。 父方の親戚付き合いもあまり無いので尋ねる事も出来ません。 宗派は真言宗です。 お世話になった父の為これからいろいろ勉強していきたいので、よろしくお願い致します。
いつも回答されているお坊さま方、お疲れさまでございます。 私もぜひお答えをいただきたいことがありご質問しました。 どうぞよろしくお願いいたします。 私は今、転職・結婚・引っ越しと人生の転機が重なっています。 周りの人の助けもあって想像していたよりも大変ではないのですが、そのなかでもやはり一人で抱えきれない思いというのがあります。 そんなとき私はいつも主人や友達やカウンセラーの方に話を聞いてもらっていたのですが、仏教関連の本を読んでいたところ「話したいことがあれば仏さまに聞いていただけばよい」というような記述を見かけ、とても興味を持ちました。 というのも、誰か他の人に話を聞いてもらうとその人を拘束するようで心苦しいですし、自分のほしい反応が返って来ないとその人を恨んでしまうなど余計なことをしてしまって良くないと思うからです。 そこで質問なのですが、仏さまに話を聞いていただくときの作法のようなものはありますか? 私は今はとりあえず合掌して「仏さま、私の話を聞いてください。(話し終えたら)聞いていただいてありがとうございました」というふうにしていますが、それで良いでしょうか? 仏さまは慈愛溢れる存在なのでこんな細かなことで怒ったりはなさらないと思うのですが、どうせやるなら作法に適った方法を取りたいと思いました。 なにかご真言を唱えるとか、お経を唱えるとか、挨拶のようなものがありますか? ちなみに私は一応仏教徒ですが、母方は浄土宗、父方は真言宗、夫の実家は不明という感じで宗派がよくわからず、家に仏壇もありません。 どうぞご指導くださいますようお願いいたします。
はじめまして。 先日、大好きだった祖母が亡くなりました。葬儀、供養も終わり悲しいけれど、また家族それぞれの生活が始まったところです。 質問は、祖父母の位牌についてです。 私の母は一人っ子で、今の父(代々長男で継いでいる家)に嫁いできました。 もちろん、今母が住んでいる家には父方先祖代々の仏壇があります。 祖母よりも先に祖父は他界していますが、祖父母は生前から、嫁いでいった母がお墓のお世話に苦労しないようお寺さんの共同墓地を購入しており、祖父が先に他界した後は、祖母が自宅で遺影、位牌とともに祖父の供養するための仏壇になるようなスペースをつくり、供養してきました。(母のことを考えてなのだと思いますが祖父が他界した時に仏壇自体は購入していませんでした。) 祖母も他界したため、近々、祖父母の自宅は取り壊す予定らしく、祖父母の位牌、遺影などをどうするのかまだ聞いていないのですが、母のように嫁いだ先にお仏壇がある場合、両家の位牌や遺影を同じ家に置き、供養してもいいのでしょうか。(両家ともに仏教ですがお寺は違います。確か宗派も。) もし母の現在の家では無理ならば祖父母の位牌を預かりたいですが、私も父の姓を継ぎ、夫に婿として来てもらっている立場なので、それがいいのかわからず質問させていただきました。(両親とは近所ですが自宅は別です。) よろしくお願いします。
以前、このサイトで「檀家に強制的に入らされそうになっている。」という相談をさせていただきましたものです。 父の四十九日法要前に、故人の位牌とお寺用(永代供養)の位牌を準備しました。お寺は曹洞宗。 お寺に置く位牌(先祖代々位牌)は中陰法要で、ご住職が「故人の位牌と寺に置く位牌を用意して、入魂式をするから持参すること。」という説明だけで、後々それが檀家を意味するものとわかりましたが、家の事情で断る事にしました。 四十九日法要を終えて、家長となる弟が「檀家になることは無理です。」という話をしましたが、なかなか了承してもらえず、再度お寺に行き半ば喧嘩腰の状態でしたが、断ることができ、永代供養用にお寺に置いていた「◯◯家先祖代々」の位牌を引き取りました。 さて、この先祖代々の位牌ですが、どのように祀ったらよろしいですか? 現在 家長となる弟は実家を離れ独り暮らし。独身でいつ派遣切れに遇うか分からない身です。 実家の母を介護が必要な体、同居している姉も身体障害者です。 先祖代々の位牌は今は実家にあります。 この先、弟が父の位牌と先祖代々の位牌を引き継ぎ持っていてよろしいですか? 供養の仕方など、全くわからないまま持っています。 現在、無宗派ですが、曾祖父の時代は真言宗だった。そうです。
今年のお盆の際に仏壇をきれいにしているときに、過去帳と家系図のようなものを見つけました。ご先祖様から一番新しい仏様(亡父)までの俗名も戒名も命日も0知ることができました。 我が家の仏壇には、ご先祖様とその妻の夫婦位牌が一つと五代目の方の位牌がひとつ、六代目のご夫婦の夫婦位牌が一つ、そして私の父の位牌があり合計四つのお位牌が置いてあります。 二代目三代目四代目の方のお位牌がありません。 ご先祖様個人のお位牌があっても先祖代々とかかれた位牌はありません。 このように揃っていなくてもよいのでしょう? このような場合、先祖代々とかかれたお位牌を新しく作った方がよいでしょうか? もし作った場合は、ご先祖様とその妻の夫婦位牌はどうしたらよいのでしょうか? 家庭の中もゴタゴタしており、精神面も病んでいる家族がいたり夫婦仲も良くなく、家に帰ると頭痛がしたり物音が聞こえたりといいことがありません。 ご先祖様のことを知ることができたのは何かのお導きかと思ってしまいました。 これを機にちゃんと私のできる範囲で供養をしたいと思っております。 お位牌もご先祖様が喜ばれるようにちゃんと仏壇に置いてあげたいと思います。 宗派は浄土宗です。 ご教授よろしくお願いいたします。
お坊さんの上下関係は、厳しいですか? 私は以前、テレビで、“お坊さんの上下関係は厳しい”と聴いた事が有ります。お坊さんには、はっきりした官位や地位(僧正、僧都等)が有るので、やはり上下関係は厳しいものなのでしょうか。 又、私は浄土宗の僧侶を志しているのですが、浄土宗でも、上下関係は厳しいのでしょうか? 法然上人の「敬上慈下」という御言葉は、上下関係を意識し、上の者には敬い、下の者には慈悲の心を以って接せよ、という意味ではないかと私は思うのですが、それは、今の浄土宗の上下関係にどの様に影響しているのでしょうか。 これを見て下さっているお坊様方、どうか私に教えて下さい。宜しくお願い致します。
なぜ、日本の仏教のお経は漢字の羅列で、信者のために分かりやすいように別に生き方の手引書のようなものを作ってこなかったのでしょうか。 僧侶の読経のためだけに存在しているとしか思えません。
私は 以前 お不動さん、観音巡りもしたことがあります。五戒をおこさないようにと思い 写経をしたりもありました。 日蓮聖人の教えを弘教している人達に 会うことが 多くなり 仏教の教義 謗法について 回想することになりました。その時から 幻聴が始まりました。 救いや懺悔を 日蓮聖人のご本尊にすればよかったのでしょうが 攻められているようで 他の宗教や念仏に救いを求めてしまいました。 キリスト教の本を読んだりして 教会に行ってみたり 新興宗教から日本神話を読んでみたり 神社に行ったり しましたが 原因になった仏教が気になりました。 日蓮聖人は 法然さんを 立正安国論で 謗法といい 布施までやめるように 国に論じてました。法華経を捨ておき 念仏を信心しなさいと言われたから法華経に対する謗法だということでした。法然さんは 他のお坊さんからも意見が多かったようですが。法然さんは 他は 気にしないで 念仏をしなさいといっています。 法然さんの教義では 念仏以外を謗法とは言わず 雑行と言われてますが 気になります。 法然さんは 法華経を学ばれた上で 念仏を選びとられたのだと思いますが 私は 自分が救われるのかが不安です。かといって 日蓮聖人の教義に没頭するには 不動巡りや 法然さんに 執着があったのだと思いました。 お寺にいってもお坊さんには 聞きづらく またどういって伝えたらいいのかもわかりませんでした。 幻聴があることでの死への恐怖があります。克服したくて 介護の勉強 カウセリングの勉強をしています。 幻聴がなくなり 仕事として 役立てたいのです。が 幻聴があることで自信がありません。 幻聴は大分落ち着いたのですが 仏教を正しく学ぶことで 良くなることを願ってます。 メールで お話しできることが 救いです。 祈祷を頼むのもいいのかなぁと思ったこともありましたが 思いも定まってなく 内容も深そうで 迷惑かなぁとも思いました。 お墓は 宗派問わずとありますが 質問も宗派問わずでいいですか? 法華経と 念仏は 敵対してるのですか? 私は 宗派より 心が整理できて 赦され 勉強している介護やカウセリングが 人に役にたつ仕事が できるようになりたいのです。 よい方法はないでしょうか?
はじめて質問させて頂きます。 プロフィールに記載しておりますが、家族の問題を抱える中、昨年暮れに仏教の教えに出会い、本当に心が穏やかになれた体験を得る事ができました。 それまでの私は、実家が高野山真言宗のお寺とご縁があり、結婚後も実家の仏壇を預かり、月参りや納骨堂のお参りをはじめ、いろんな関わりを持ってきて、仏教と深く関わってきたつもりでした。 しかし昨年暮れ、心身共に行き詰まり疲れ果てた時に出会った教えは浄土真宗(真宗大谷派)の教えだったのです。 その時はじめて、今までずっとお寺に関わってきたつもりだったのに、「仏教の教え」についてほとんど何も知らなかった事がわかったのでした。 それから改めて今求道中なのですが、今まで聴いてきた真言宗のお経と、浄土真宗のお経がまったく違うのにびっくりして、元は同じお釈迦様なのに、どうしてこうも違うのか。 両派ともご本尊がお釈迦様ではないとはどういう事なんだろう。 両派の中の、お釈迦様の教えと、各ご本尊様(大日如来様と阿弥陀様)の関係性って何なのだろうと、今切実に知りたく質問させて頂きました。 私にとって真言宗は小さな頃からずっとずっと触れてきた大切な宗派であり、また浄土真宗は昨年暮れ、本当に行き詰まってどうしようもなくなっていた時に、私の心を救っていただいた大切な宗派なのです。 どちらも私にとっては大切な宗派なので、どうしたらいいのかわからない状況になってしまいました。 ただその中で、元はどちらもはじめはお釈迦様だったのでは?と思い至り、タイトルにある質問をさせて頂きました。 どうぞよいお導きがあればよろしくお願いいたします。
先日こちらで質問させていただき、又ご回答いただきましてその際は本当にありがとうございました。度々になりますが、またご相談させて下さい。 母の同僚の方より、弟にお線香をあげさせてほしいと言われています。ありがたいのですが、私達家族はまだ心の整理もつかず、又その方は弟と直接面識のない方なのでお気持ちだけ頂戴します、とお断りしているのですが何回も言ってこられ中々理解していただけません。 昔から家族ぐるみでお付き合いのある別の同僚の方からも同じようにお話しして頂いたのですが、直接家に行ったら上げざるを得ないのだから、本人(母)にわざわざ言わないで、と返されたそうです。 弟の友人、葬儀に来られなかった身内の者には、事情を説明し四十九日の後で…お願いすると皆さん理解して下さいました。 先日、再度お線香をあげさせてほしい、母を励ましたい、と仰られたので、それなら食事の場を設けてもらった方が嬉しいとお願いした所、前出の別の同僚の方に母の休みの日に直接家に行こうと言われましたが、何とか食事会へと誘導してもらえました。その場で直接母にお線香すらあげさせてもらえへんのね!と言われたようです。お気持ちはありがたいのですが、お断りするのはそんなにも非常識なことでしょうか。 別用で自宅へたまたま来られた方がお線香をあげていただくのは構いません。歪んだ解釈かもしれませんが、何だか執着されているように思ってしまいます。 又、私の同僚は我が家の浄土真宗でのやり方を否定してきます。 例を挙げるなら、お坊さまがお線香や仏飯は遺された者に無理のない範囲でして下さい。気持ちが大事です、と仰られた事に対してそれは間違ってる、それでは供養にならない、手間かけないで成仏できるの?等です。以前も祖父の葬儀やお盆の質問に答えると、浄土真宗物知らずって昔の人は言うからな、と言われました。その方々の宗派は伏せますが、同じ地域の田舎の方です。お二人共悪意はないと思います。 家庭、地域、宗派で其々考え方や習慣が違うのは理解していますが、そんなに責められることでしょうか。私は恥ずかしながら疎いせいもあるかもしれませんが、違いはあれどもどの宗派も誤っているとは思いません。 今は出来るなら静かに悲しませてほしいです。 弟を思う皆が辛い気持ちですが、やはり両親は更に辛いと思います。そんな母に必要外の心の負担を負ってほしくないです
おはようございます。 前回に続き2回目のご相談になりますが宜しくお願いします 相談内容を添付いたします。 結婚し両親とは別居、妻・子一人 13歳男 戸建で生活しています。 両親は健在、曹洞宗を継承しています。 両親の自宅には先祖の仏壇もありません。 親父の里に祖父母のお墓もあるのですが、お世話になっていたご住職もお亡くなりなられてからは どうなっているのかかもわかりません。 現在はお世話になっている菩提寺もありません。 親父も5人兄弟ですが仲たがいし、連絡も取りあっていない状態です。 どこに誰が住んでいるのかも興味ないみたいです。 長男ではないのでどうしようもないみたいです。 ちなみに祖父母が亡くなってから30年経ちますが墓石もありません。 僕と親父とは昔から仲が悪く、口を効けば喧嘩・喧嘩の毎日で 友達、嫁からも、あんたら本当に親子か?とよく聞かれます。 正直 警察も何回か仲裁に来ています。 今までは、親が亡くなったら供養もしないといけないと 考えていました。 数か月前にまた喧嘩し、いくら親子でもそこまで言うか?なんでそこまで言われなあかんねん!! そこまで言うねやったら、もういい!同じ墓に入りたくない。死んでまで同じ墓で喧嘩したくない! 自分たちは自分たちで新しく興味のある宗派に入門し墓も別にと思い墓地も購入いたしました。宗派も変更しました。親は別に墓地を持っています。 当然親が亡くなれが宗派が違うわけですから、永代供養してもらえる お寺さん、霊園に供養をお願いしお参りをしようと考えています。 ご相談して回答をいただいてからも、すっと喧嘩した時に親父に言われた 言葉、言い方が走馬灯のように思い出され、馬頭された事が忘れられず 憎しみ、恨みに代わり最近は殺意に代わるときも多々あります。 どのように今後自分の中で対応、自分をコントロールすればいいのか 分からなくなってきています。 申し訳ないのですがご教示宜しくお願いいたします。
お世話になります。先日は質問にお答えいただきありがとうございました。 7月に配偶者が亡くなり、しばらくは実家の母が色々と付き添ってくれ、葬儀等を済ませてきました。ただ、実家の母の言葉、態度が現在の私の負担になっており、ご相談させていただきます。 母ははっきりと自分の希望を口に出す人です。これまでも色々なことがありましたが、配偶者の葬儀等に関して色々ありました。母の中で、故人と我が家の宗派を卑下する気持ちと自己中心的な考え方があるようです。 ・葬儀に関して、葬儀社の言いなりにならないようにと、葬儀社との打ち合わせで、全てのものを最低ランクで選ぶように口を出す。 ・故人について、「頼りなかった」、「(仕事で海外に頻繁に行くが)大したお土産を持ってこなかった」、「(週末等休みも少なく働いていたことに関して)子供がいる人なら当たり前(ちなみに子供はいません)」と故人を悪く言う。 ・葬儀にあたり、気に入らない親戚には連絡しなかった。一方で、近所の人、自分の友人には、配偶者が亡くなったことを話し、「〇〇さんがお香典を持ってきてくれたけど、断ってあげた」と私に伝えてきた。 ・(コロナのこともあり家族葬にし、故人の友人、知人の参列、供花も断ったのに)母の友人(故人とは面識もない)がお経を上げに私の家に来てくれると言っていると、対応するように話を持ってくる。断ると不機嫌に。 ・仏壇の準備を考えている旨を話すと、「小さいのにして」、「(我が家の宗派の)あのお仏壇は嫌!」と(自分の家に置くわけでもないのに)。 私にお金がないわけではありませんし、故人はそれなりに社会的な地位もありました。しかし、母の中では、当家の宗派、故人が気に入らないこと、元々現実主義(「お金は生きている人が使うべき」と故人の葬儀で親族に公言)からこうした発言となっていると思います。 法要等をひとつひとつ実施していくこと、供養をすることは故人のこともありますが、私自身のグリーフワークでもあり、相応の想い、お金をかけることは意味があると思っています。だんだん母とは距離を置くようになりましたが、母のこうした発言、行動を思い出しますし、今後のことを考えるとストレスです。 どのように考えていけばよいか、お知恵をお貸しください。よろしくお願いいたします。