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検索結果: 1099件

修行の道に入りたい・・・当たり前の毎日が修行とは???

人生で過去に3人の行者に出家したいと相談しました。3人目の行者は本物の対応を下さいました。 私は生命懸けで真剣に申しており、それに応えて下さいました。 その人は、人生相談から自己の体験談をお話下さり「修行しても、徳がなければ反動が来ること」「自分の場合は、やりたくて修行したわけではない」など・・・ 写経200枚書いて送るように言われ、20枚くらい書いたところで感得するところがあり、それをそのままメールで送ると「そのことに気づいてほしかった」返ってきました。 要諦は「日々の生活が修行だと分からずに修行すると、修行に溺れ、慢心する可能性がある」ということです。 日々の生活が修行だという気付きは得たのですが、この頃どうも無気力です。がんばれません。 重度の社会不適合者です。 幼い頃から身体が弱く、13歳の頃に精神病になりました。親に責められ、大人にフリースクール、カウンセリング、医療機関などのたらい回しに合う中で、世の中への恨みを募らせて育ちました。 閉鎖病棟に数ヶ月入ったこともあります。 ふつうに働こうとするとノイローゼになるのですが、不思議と読経や祝詞をあげると楽になります。宗教的、修行的なことに対しては、ものすごく適応してしまいます。 仏教や神道の教えが大好きです。 今は、とある先達につきながら、勉強させていただいています。(今度お山に登拝させていただきます。) 先達も「生活が第一」と言っています。 お山やお滝に入り、世の中にお返しする為にも、アルバイトで生計を立てていきたいというのが私の本心です。 ですが、社会不適合すぎて、労働が辛くてかなわんのです。 集団から疎外されて育ち、適切なケアも受けられなかったせいもあるのでしょうが、人への恐怖や劣等感も強いです。 どうしたら、もっと精神を自由に、当たり前の毎日に、感謝し、心を強くする修行ができますか? 私は真剣に求道し道を極めたいと思っております。 よろしくお願いいたします。

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実年齢より若く見える

私は、結婚前からお寺巡りを趣味にし、法話会や特別拝観などを楽しみにしている年齢の割に合わない趣味をしていました。 京都、奈良は年一回、普段でも休みの日は鎌倉等に出かけていました。 私は、見た目を若く見られる傾向がいまでもあるか、年齢のわりに幼い所を見過ごされるのかはわかりませんが、お寺に行って拝観料、拝山料を収める時や写経して納経帳をお願いする時に(拝観時間や常識のある時間にに行ってます)お坊さんやお寺の人に私からすれば面倒くさそうな顔をされたり、あんたに何がわかるの?的な顔をされたりされた事がたたあります。 仏教に興味があり、座禅会に行ってたお寺でまだまだわからない事もありあってお坊さんにもっと知りたいのでオススメの書籍はありますか?と相談したら、煙たがられ座禅会を辞めた事もあります。 写経して行っても、あんたが本当に書いたの?と疑われたり、写経会で一番に書き上げたらビックリした表情されたりと、時々不愉快になる事がありました。 お寺は誰が行ってもいいんですよね? 得に忙しい時期に行ったわけでも、法要等のある日に行ったわけでもありません。 なのに煙たがられました。若いから行ったら行けないんですか?年寄りなら歳相応でいいのでしょうか? 受け入れてくれる所には何度も足を運び、法話会にも毎月行ってました。 そりゃあ、来る人の中では若いので多額のお布施はできませんが、見た目で判断されても嫌です。(ハデハデしい今どきファションでお参りに行った事もありません。)  カバンから数珠やお線香を出してお参りしている時でも、檀家さんでもないから?か嫌な顔されたり、イヤイヤ納経帳を書いているように見られます。 ハッキリ言って一度くらいそのような態度をとった人に理由を聞いてみれば良かったと本当に思います。

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お説教会で気になったけど時間的に聞けなかったことがあります!

 いつもお世話になっております。先日お説教会にお参りした のですが、お導師様の「他の仏様は父性を持つが、阿弥陀様は 母性を持つ」と言う発言が気にかかりました。  他の仏様が父性を持つと言われているのは、厳しいからだ そうです。まるで、他の仏様は私たちを捨てる、というような 言い方だな、と感じました。  私が阿弥陀様のほかにお不動様も信仰していることを告げると 「でも、あなたが死に際に体が動かなくなる瞬間までそばにいて 導いてくださるのは阿弥陀様だけ」と言われました。    もちろん阿弥陀様の王本願は絶対だと信じております。 ですが、お不動様の功徳や利益についてまだ理解できていない のもあるため、「結局は仏界も父親なんてその程度なのかな」 と考えてしまっております。  一方では、「不動明王の体が黒いのは、私たちの住む穢土に 自らも身を沈め、救済任務にあたっているため」と説かれ、  聖無動尊秘密陀羅尼経の偈頌には、 「…念念歩歩所起罪 真言威力皆消滅 命終決定生極楽」とあり、 そんな冷たい仏様には見えません。  さすがにお不動様は来迎しないと思いますが…  他にも布教師さんの中に、他の宗派のことを 「きっと遊女が近づいてきたら『汚らわしい!』と追い返す」 とまで言い張る方もいます。でも愛染明王は遊女からの信仰が 厚かったとも聞きますし…  どうなんでしょうか?ご意見お待ちしております。 よろしくお願いいたします。  余談ですが、本日仕事納めを迎えることができました! 三宝の御加護に感謝いたします!!

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御朱印の逆打ちについて

先日、檀家ではないのですが、近所の弘法大師さま系のお寺に御朱印をいただきにいきました。 すでに他の神社仏閣で30箇所くらい御朱印をいただいている御朱印帳なのですが、何冊ももっておまいりするのは大変ですから、表?順打ち側を神社、裏?逆からお寺にしていただいていたのですが…“どこのお寺からもらい始めたかわかりませんが、逆打ちですよ!死者のもらい方ですよ!断られるお寺もありますから!”と感じの悪い言い方をされました。結局は書いてはくださいました。 …ですが、まず、一番最初にいただいたお寺は近所のお寺の大本山にあたるお寺でした。 また、お坊さんは結婚指輪をされていましたし、ラフなポロシャツで、お昼頃だったからか、受け付け時間内にも関わらず、時間ばかり気にしていて、尚且つ前に並んでいたおじさまのお願いを、またまた感じ悪くしぶしぶ受けていました。 最近、小さなことにイライラしてしまう自分が嫌で、浄化したいと思い伺ったお寺で、結果、更に大きくイライラしてしまいました。 御朱印の意味や修業ってなんなんでしょう! と思ってしまいました。 我慢してかえりましたが、耐えきれず質問させていただきました。 ご教示お願いいたします。

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2021/12/17

自殺したら成仏できるのか

自分は20代の男です。 うつ病に罹患してから5年前が経つのですが発達障害もあり最悪に生きにくいです。 そろそろ精神的に限界で近いうち死のうと考えています。死にたい原因は挙げればきりがないくらいたくさんありますが大まかに言えば社会に順応するのがもう無理だと言うことです。 ここに相談するのもやっとこでこれだけの文を書くだけで15分位かかっています。 お聞きしたいことはいくつかあるのですが1つ目はタイトルにさせていただいた通り自殺したら成仏できるかと言うことです。 よく自殺したら地獄に行くとか地獄さえ往けずこの世にとどまってしまう(霊として?)とかその場合生きていた時の何倍もの苦しみがずっと続く(現世にいる時みたいに気をまぎらわすことさえできずダイレクトに悲しみや苦しみがおそう)等と聞くのですが本当なのでしょうか? また宗派によってどのくらい解釈が違うのでしょうか? 二つ目は自分がこのまま自殺したら家族も後追いしその際自分は後悔でかなりの長い時間この世にとどまって苦しみが襲うのではないかと言うことです。 書き方が家族のことをなにも考えてないような感じになってしまいましたが、自分が自殺したことによって家族も自殺してしまうのではないか、と言うこととその場合自分は死んでからもずっと後悔で地獄、または霊として現世にとどまってしまうのではないかと言うことです。自殺した人全員が成仏できるのになぜ霊というものが存在するのでしょうか?それとも一般的に言われる霊と本質的な霊は違うものなのでしょうか?重ねてお聞きしたいです。 色々な宗派やお坊様によって考え方が違うのは承知しておりますが自分の場合は死んだら輪廻転生をまた繰り返してしまうのでしょうか?今の気持ちは正直言ってもう二度と生まれ変わりたくはないです。とにかく苦痛がないところにいきたいというか心のそこから安心したいです。それは可能でしょうか? 自分もまだ若いため稚拙な文になってしまったことを了承いただきたいです。とても身勝手で未熟者ですが重ねてお詫び申し上げます。

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毒もみのすきな署長さん

という、宮沢賢治の童話があります。 署長さんが赴任した町には、禁じられた漁法があります。その一つが毒もみで、自然由来の材料で作った有毒な薬を川に浸すなどして、浮いてきた魚を獲る方法です。署長さんは町の人たちを取り締まり、いかにも職務を全うしているかのように装いますが、ある日、こっそり毒の材料を取引しているところを町の子供に見られてしまいます。町の大人たちは真偽を確かめようと、署長さんに詰め寄ります。署長さんは憤慨し、名誉にかけて犯人を捕まえると約束。しかし、皆が当てはあるのかと問うと、ちゃんと証拠はあると言い、町長さんの前にずいと顔を突き出して、こう告げます。 「実は、毒もみは私ですがね」 かくして、署長さんはお縄頂戴となり、死刑が確定。そして、いよいよ死刑執行のその時、彼は笑ってこう言いました。 「ああ、面白かった!俺、毒もみだーい好き!今度は地獄でやろっかな」 皆はすっかり感服しましたとさ。おしまい。 という話なんですが、人は誰しも「分かっちゃいるけど、やめられねえ~アホレ~スイスイスイ~♪」ってことが、よくありますよね。その理由は自己を客観的に見れない切なさに起因していると思いますが、例え、見れても根源的な欲求が満たされない限りは苦しむ。 その根源的な欲求とは「生きる意味」ではないか。そこがそもそも欠落しているから変なことをし、そして、これをどう捉えるかで人生が変わる。後付けでその理由を作った人、にっちもさっちもいかずに道元禅師を尋ねた人、何かに夢中になることで考える暇をなくした人。色々、居ます。どれを選ぼうが本人の自由で、また、それ故に人を愛し、人を傷つけ、妬み憎んで七転八倒。それを糧にして物を作ったり、歌ったり、ままならぬ人生の詩を詠んで何とか生き抜き、それが今度は他者を慰める糧となる。 大事なのは、覚悟を持って挑めるかどうか。誰が何と言おうが、坊さんに叱られようが「ああ、面白かった!次は地獄で!」と腹くくって言えるなら、それでいいじゃないの。 「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」と言いますが、我々は圧倒的に愚者。経験に学ぶしかない。大事なことはスムーズには進まないし、簡単には伝わらない。だから、お坊さん怒らないで。皆、助言には感謝しているけれども、対等な姿勢を示さないと逆効果だと私は思うのです。 ※言葉足らずだったら後で補足します。

有り難し有り難し 81
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信頼していたお寺に裏切られた気持ち

20年前にご縁のあるお寺にてご祈祷を受けたところ、凄い効き目がありました。その頃、霊現象が多かったのですが、口伝のまじないのようなものもその時教わりました。(口伝なので、人には内緒にするよう言われました) 色々効き目は凄かったのですがここでは省きます。 それから、20年毎年正月にはそのお寺で新年のご祈祷を受けていたのですが。 最近、良くないことが重なったので、いつものお寺でご祈祷をしてもらおうと伺いましたところ、 今まで見たことのないお坊さんが受け付け、私の話を笑ってバカにするのです。しかも、同じお寺にもかかわらず、以前受けたご祈祷のこともバカにされた(言ってはいけないと言われた口伝も無理矢理聞き出した上で)為、私は怒ってご祈祷を受けずに帰りました。 しかも、寺を出て5分もしないうちにゴールド免許だったのに警察につかまり罰金です。 そのお坊さんは人間としても最低だと思いましたが、 私は20年も通い続けたお寺に裏切られたと、仏縁が無くなったと感じ、そちらの方がショックなのです。 もう、お正月に御札を替えに行く気持ちもなくなりました。 しかし、次にどこを頼れば良いのか。今回の件で、どれだけ自分がいつものお寺を頼りにしていたかもよくわかっただけに、帰る実家を無くしたような気持ちです。 このような場合、お正月は新しいお寺を探して行った方が良いのでしょうか? それとも、そのクソ坊主に当たったのはたまたまだと考えて同じお寺に行った方がいいのでしょうか?お正月、また会ったらイヤなので、とても迷っています。

有り難し有り難し 30
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亡き祖母へ出来る事

私には後悔していることがあります。 10代の頃、ある事をきっかけに家族全員とコミュニケーションを取らなくなりました。特に祖母はそれが大変ショックなようでした。 その状態がしばらく続き、数年後、祖母は病気で亡くなりました。 親には「もう長くないから、一度でも顔を見せなさい」と言われていたにもかかわらず、その時、責任の掛かった重要な仕事の最中で、正直それどころではありませんでした。他人から見ればなんて思いやりのない人間なんだと思うでしょうし、今なら自分でもそう思いますが、その時は睡眠もろくにとれておらず、食事もろくにとらず、常にイライラしながらどうすればこの仕事を成し遂げられるかで頭がいっぱいでした。案の定、過労で倒れ、鬱になりました。 その時に、家族が私の事を必死で支えてくれたのです。その姿に後悔と反省と情けなさと不甲斐なさでいっぱいになり、一人部屋で涙を流し、すこしずつ、家族と向き合うようになりました。 しかし、祖母はそういうわけにはいきません。 投薬治療でなんとか鬱は回復したものの、大事を取って仕事は休養していたのですが、日中やることもないのでなんとなく掃除をしようと思ってクローゼットの中を整理していると、アルバムが出てきました。そのアルバムをめくってみると、そこには祖母が幼い私を幸せそうに抱いてあやしている姿でした。胸が痛くなり呆然としました。口を利かなくなった時どんなに傷つけただろう、もう長くない病室のベットで私の事は考えたのだろうか、会いたいと思ってくれたのだろうか、そう思うと、自分のしてしまった罪に耐え切れず、また鬱を再発しました。あれからしばらく経ち、鬱は回復しましたが、後悔の念は消えません。そこで死者を弔い、その後も亡くなった方達と日ごろ向き合っているお坊さんに相談です。 死んでしまった人に出来る事ってなんなのでしょうか。 勿論、物理的に直接できることはないし、もういないものはいないので、そんなものはないというのがある種答えなのでしょうが(お坊さんに言うのも失礼ですが・・・) 考え方や乗り越え方などをご教示していただきたいです。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 8
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