こんにちは。私の祖父について相談させて下さい。私の祖父は80代後半ですが先月まで働いていたほど、元気でした。 しかし、先月倒れてしまって命が危ないとまで言われましたが先日退院することができました。 しかし、退院してからの祖父は弱々しくて歩くのもやっとになってしまってトイレも着替えもままならないし、「辛い、痛い」とよく口にします。 病院に行っても「早く帰りたい」と何度も口にして、病院が辛かったらしくその日は病院から帰宅後、立つこともできず、寝返りすら辛そうになっていました。祖父が退院したと言っても根本の病気の治療はこれからで、何度も通院しなきゃいけないだけでなく、遠距離の通院になります。 酷い孫ですが、辛そうな祖父を見てると「病院に行かない方がいいのかな」とか祖父にそういう選択肢がある事を伝えた方がいいのかなとか考えてしまったり、お金の事が頭を過ったりします。 祖父が入院した時は「死なないで」と思ったのに、祖父が大切だとも思ったし、祖父が退院した時は嬉しかったのに…こんな事を考える私なんて死ねばいいのにと自分の事ばかり考えてしまって… 祖父に死を選ばせる事、お金の事、自殺願望などどうすればこんな嫌な事を考えなくなりますか? また、矛盾してるかもしれませんが、私は他の人の死への覚悟の仕方もわからないんです。覚悟ってどうすればできるんでしょうか?
2年前に仕事を辞めてから趣味に没頭するためにフリーターをしています。先日読んだ本に『人間はある一定の年齢を過ぎると自分が幸せなだけじゃ物足りなくなる。美味しいものを食べて幸せとか、趣味に没頭して楽しいとかそう言う感情は歳を重ねていくに連れて経験し尽くして、幸せと言う感情そのものに飽きが来る。そして歳を重ねていくに連れて誰かを幸せにする事が幸せと感じてくる。だから配偶者や子供は作っておいたほうがいい』と書いてあり、その言葉が頭から離れません。 私は結婚には興味がなく、出来ればしたくないとさえ思っています。そもそも1人の時間が好きだし、例え結婚して一緒に暮らすのが自分の好きな相手でも、相手が発する生活音、例えば歩く音や息遣い、気配にさえ気を遣ってしまって、それをストレスと感じてしまいます。今一緒に暮らしている家族にさえそう感じています。だから私は結婚には向いていないと思っています。 周りはどんどん結婚する子や子供をつくる子が増えて、飲み会の度に『最近良い人いないの?』『結婚したくないの?』って聞かれます。その度『向いてないと思うんだよね〜』って上手く濁してきました。『孤独死が怖くないの?』と言われるけど、例え看取ってくれる人がいたとしても死ぬ時は1人だし死は死だと思ってしまい、死後何週間も発見されない話をよく聞くけど、そんなのは実際死んだ側の人間にとっては関係ないと言うか、他人事のように感じています。でも、幸せに飽きるって言うその話、その話はとてつもなく怖いです。いつか自分の幸せを幸せと感じられなくなったらどうしよう。ずっと私の生き甲斐だった趣味に飽きが来たらどうしよう。これを取ったら私には何も残りません。もしこれからその飽きが来ても、きっと『なんか物足りない』を感じながらも、その感情に気づかないフリをして今まで通り過ごし、そんな自分に劣等感を感じながらも何となく生きていく事になりそうで怖いです。
度々お世話になります。 就職して、紆余曲折あって辞職して、自死に失敗して、そして転職して1年が経ちました。 この1年、仕事こそが生きがいだと自分に言い聞かせ、前職を辞めた自分への罪滅ぼしも兼ねて脇目も振らず突っ走ってきました。結果的に仕事に不満はなく、良好な人間関係に恵まれています。 ですが、その裏で常にどうしようもない生きづらさを感じています。物心ついてから今まで、ただ生きてるだけであれこれ考える事が多すぎて、生きる事が相変わらず苦しいです。 仕事もキャパオーバー気味な上、いろいろなことを考え込んでしまい潰れそうです。地元在住ですが頼れる人はいません。上手く例えられないのですが、自分を支えてる張り詰めた糸が何かの拍子に切れてしまいそうです。 そもそも、自分は1度自死を試みた時に死んでたはずです。あの時感じた「やっと終わった」という、今までにない安堵感のようなものが忘れられません。 耐えられなくなった時、衝動的に自死を選んでしまいそうで、実際その一歩手前の段階まできています。 苦しみながら生きる意味が分かりません。かといって前回とは違って仕事上の責任を負った今、投げ出すこともできません。 以前、死んでしまおうと思っていたところを救っていただき今に至ります。今回も何とか頑張りたいのですが、こんな状態の私はどうしたらいいでしょうか。
はじめまして。 どうしても苦しく、初めて投稿いたします。 中学生頃からずっと希死念慮があり、早く死にたいと思っていました。 大人なり愛する人に出会って、生きていたいと思うことが増えたのですが、それでも些細なことでやはり私は生きていてはいけない人間なのでは、と考えてしまいます。 死にたいと考えることで、夫に辛い思いをさせてしまう。夫に辛い思いをさせる私なんて要らないのでは、と矛盾した思いの堂々巡りになってしまいます。 そして、今年がん検診に引っかかり前がん段階で手術を受けました。現在は病理検査待ちですが、死にたいと思っていながら、いざ実際に死の可能性が目の前に来た時、最初に思ったことは「怖い」でした。 なんて弱くずるい人間なのでしょうか。 夫は癌になっていても、一緒に頑張ろうと言ってくれましたが、不安な気持ちはなくならず、意味もなく泣いたり八つ当たりをしてしまったり、毎日生きることが苦しいのです。 このようにままならない気持ちをどうしたらいいのでしょうか。 そしてこのままたとえ死んだとして、こんな私ではお釈迦様でもお許しくださらないまま、本当に無価値になってしまうのではないかと恐ろしいです。 まとまりのない文章になってしまい申し訳ございません。 このような場をいただけたこと、感謝いたします。
前回自死してしまった娘のことでご相談したのですが、 とある僧侶の方から自殺した者はすぐに仏様の元へ行くことはできないと考えている。なぜなら辛くとも最後まで精一杯生き抜いた人と途中で諦めた人が評価が同じではないからと言われました。 私はそうは思えません。 自死する人はみな心の病が原因だと思うのです。普通の精神状態であれば誰が自ら死を選ぶでしょう。諦めたのではない、それしかもう選択肢が無かったのだと思います。 心の病も身体的な病も同じものではないのですか。 また闘病されて亡くなった方でも生前に悪行ばかり行った方もいるでしょう。それでも自死してしまった人間がすぐには行けない極楽へ行けるのですか? 娘は苦しみ抜いて自ら死を選んでしまいました。 精神科へ通院入院もしていましたしカウンセリングへも通いました。それでも病は少しも良くはならなかったのです。 これも立派な闘病だと思います。 娘は生前、抗ガン剤治療で髪を失った方の為に長い時をかけて髪を伸ばしヘアドネーションへ32センチもの毛髪を寄付しました。 免許証の裏面の臓器提供の欄にサインしてあったのを知っていたので、死後に角膜提供もしました。 子供の頃から人の悪口を言ったり無責任な噂話をするのも嫌いな子でした。 親バカかもしれないですが、こんな心の美しい子が自死してしまったからと言って、生きるのを諦めたから生から逃げたから、病死の人と違うからすぐに極楽へは行けないというのは本当に哀しく気持ちの持っていきようがありません。 その僧侶の方は残された私どもの行い次第で娘は成仏するのだと言われました。私達が娘のために功徳を積むのは当然と考えますが、 だからと言ってそれをしなければ娘が成仏できないとは考えられません。娘の人生は短かったかもしれないけれど、立派に生きたと思います。 残されたものが功徳を積まなければ成仏できないのであれば天涯孤独で自死してしまった人はどうすればいいのですか。 自死を選んでしまった人間は本当にすぐには極楽に行けないのでしょうか。 私の前回の質問への回答を読まれてしまった同じような自死遺族の方々もショックを受けられるのではないかと心を痛めております。 自死を容認できないからと言ってわざわざ自殺と言う言葉を使う僧侶の方は回答なさらないでください。
いつも心の迷いに寄り添ってくださってありがとうございます。 弟の死から2年が過ぎ、悲しみが癒されるどころか、ぶり返し、日がたつごとに寂しさが募ります。寂寥感、虚しさ、悲しみ。。。 母を支え、自分を支え、いろんな感情に押しつぶされそうになりながらまた立ち上がり、日々過ごすということを繰り返しています。 新しい趣味も始め、自分自身の人生を歩むことも忘れないようにしていますが、 どうしようもない悲しみ、寂しさは自分が人生を終えるその日まで続くことはわかっているのですが、こういう気持ちをだましながらというか、いやすにはどうしたらいいのでしょうか? たまに襲われる深い悲しみに耐えられる自分になるための道しるべをご教示いただけたら嬉しいです。 いつもありがとうございます。
私は子供の頃から、死に対する強い恐怖があります。10代後半頃にそれが原因で精神的な病気になり、今も治療を続けています。 死に対する恐怖は、当初よりマシになってきたと感じます。 ですが、最近では自分が年をとることに対してどう考えて生きていけば良いのか悩んでいます。年をとる、と言っても老後の話だけではなく、現在20代前半の私が30代になったら…という、比較的最近のことに悩んでいるのです。 どうやら、年を重ねると若い時にしていたことや好きなことをやめなきゃいけなくなるのでは?ずっと続けているのはおかしいのでは?と、感じているようなのです。 これから頑張ろうと感じている趣味や、今のファッションなどにも悩んでいます。 死に対する恐怖もプラスされて、今やってることって何の意味があるのだろう?ととても悩みます。 今後の生き方がどうしても分からないのです。アドバイスをお願いしたいです。 よろしくお願いいたします。
私はいつも、楽しいことがあったあと、 一人になるとどうも “ 死 ”への恐怖が増します。 “死にたくない。”“生きていたい。”と…。 それは、今が楽しいからで、死んでしまったあとの事が分からないから、今いる大切な人たちと離れるのが怖いから。。。? それと、 今年2017年の5月?9月?10月?に、 隕石が南極に落ちてきて地球滅亡人類滅亡だのというネットの記事を見てしまいました。 デマとかガセとかどこか信じていても、 怖くて、楽しいことへ集中して楽しめません。 もう、こんなくだらないとんでも記事にも騙されたくないです(笑) こういうのは、すぐに信じてしまいます… 死への恐怖もどう対処したらいいか教えてください。お願い致します。
精神疾患のある友人がいます。 鬱病傾向で、自己肯定感が低く、ことある度に落ち込んで希死念慮が激しくなります。 自分はその友人のことが好きで、話していると楽しいのですが、落ち込む度にどう声をかけていいのかわからず、正直面倒だなと思ってしまいます。 友人は親から虐待を受けていたことがあるなど、私には到底理解してあげられない苦しい過去を持っています。 友人のことを理解してあげたいと思う反面、私のような普通の家庭で平凡に育った人間がどう関わったらいいのか、そして正直面倒くさいと思う自分もいて、悩んでいます。 まとまりませんが、今後こういった友人とどう付き合っていったらいいのかアドバイスいただければと思います。
久しぶりぶりに質問します。いつもありがとうございます!母が亡くなり2年がたとうとしていますが、未だに受け入れられない日々です。私には妹がいますが、それは、妹も同じで母の死を受け入れられずにいます。私は結婚して実家とは離れた県外に住んでいます。妹は実家に父と二人暮らしです。妹は、よく私には夫がいるからいいよね、私なんかいらない、どうでもいいんだよね、など私が結婚してなければよかったのになどと言ってきます。寂しいし母を亡くした辛さからそのように言ってくる気持ちはわかります。ですが、私自身自分だけ夫としあわせに暮らして何か後ろめたい気持ちです。妹の話はなるべく聞くようにはしていますが、お姉ちゃんはいいよね、ずるいと言われるたびに苦しいです。母を死に追い詰めたのはわたしにも原因があります。私一人しあわせにはなったらいけないようにも思います。どうすることもできず相談しました。また、妹は私なんかいなくなってもいいよねと、自殺をほのめかしたりもするので心配です。夫も妹も同じくらい大切です。どのような心構えでいればよいでしょうか。
個人の行いは社会の行いに通じる、逆も然り自殺の原因は苦しみがほぼだろう、詳しい原因はそれぞれだが、周りが与える影響が、その人の行いを左右するのは事実であろう。 故に他の人の自死は大小あれ社会全体に影響を与える(水滴と水槽の理論)ので我々は自殺者をなるべく減らす様に行動しなければならない。自死が増える→社会が病む→苦しみが増える→自死が増えるのループこのループの最初は社会が病むかもしれない。 とはいえ、実際に追い詰められている人は周りの事など考える余裕などないであろう。よってその様な場合は理論構築よりも寄り添いや共感で心の余裕をつくる必要がある。 以下、理論構築精神的に余裕のある時に参照 ケース1 自分なんか 何らかのの理由で自己肯定感が低下した場合、これは方っておくとなぜ自分だけ→恨みに変化する。 原因となる自己肯定感の低下を解決できればいいがそれが不可能なケースも存在するはず。自分の価値観を変える、若しくは多角的な視点を持つ必要がある。恐らく実物的な苦しみは消えないが生きがいは生まれる事になるので恨みには発展しにくく自死まで考え辛くなる可能性がある ケース2 環境による攻撃等 この場合は自身が疲弊していくため特に正常な判断がし辛くなるのでは。一番はその環境から離れる事だかそういう訳にもいかないパターンも存在するであろう。この場合は自分自身と周りから距離を取り休息が必要になるだろう。何もかも疲れたは限界のサインなのですぐ自分を危険から守れる安全な場所を探すべきなのだろう。動けるうちにどれだけ安全な場所を探し回復できるかが鍵になりそうだ。 ケース3 理想への解離 このケースは自分が思い描いていた理想とのギャップに苦しみケース1と同じように自己肯定感の低下に繋がる。いろいろな状態が考えられるが手っ取り早い解決法は今に満足する事であると考える。今この瞬間をマイナスではなくスタートと考えてこれから進めばいいし進めず後退しても意外とどうにでもなる(社会保障等を使うなど)と気楽に考えるのもありかもしれない。仮に未来への絶望があったとしても今スタートラインに立てているので(少なくとも死んでいない)この状態から自分にとってプラスになる可能性の行動をすればすぐに今より好転。 ケース4 恋愛関係の悩み よくわからん がアイツの意見なんですがどうなんでしょう 長くてすみません
ずっと休職していましたが回復の目処が立たず来月中に退職しようと考えています。両親にはまだ相談していません。 生活と家族の為に少しずつ転職活動していますが、生きる自信も希望も全くありません。 また、最近は妹と母との口喧嘩が頻繁でどうしたらいいか分かりません。 毎日が辛く希死念慮が常に頭から離れません。両親に何一つ親孝行できない役立たずな自分が情けないです。 転職活動を含め今後について両親に相談すべきか悩んでいます。しかし、これ以上迷惑や心配はかけたくありません。 支離滅裂な文章で大変申し訳ありません。
よろしくお願いいたします。 私は、常に他人からの評価を気にしてしまいます。 いろいろなことにそれは反映されますが、たとえば趣味で描いているイラストです。 自分ではとてもうまくできたと思っているし、実際以前に描いたものよりもずっと出来がいい、というものでも、思うような評価を貰えずに苦しむことが多々あります。自分と同等、もしくはそれ以下(であるように思ってしまいます)の作品が自分のものより評価されている、ということがさらに自分を苦しめます。 自己評価と他者評価とのギャップに苦しんでいる、と言えばいいのでしょうか。 しかし、絵を描くのは楽しく、やめたいとは思いません。 自分は自分、他人は他人、と思えればいいのでしょうが、そう理屈ではわかっていてもできません。 たとえば、自分というものを否定され続けてきたならば、生きていくために、肯定されるために「他者」を取り入れるほかどうしたらよかったと言うのでしょうか。 というのも、私は不美人ですが、小中の頃から勉強も運動も芸術も、そこそこにできたのです。しかし、勉強も運動もできて部活も強く、顔が可愛くて男女問わず人気者の女の子が幼馴染みとして長年隣にいた、という過去が私のこの人格形成に影響しているのではないか、と最近になって思うようにもなりました。 まとまらなくてすみません。 毎日苦しいです。助けてください。
去年は辛いことが重なり、普段は帰ってこないこの年末に帰省しました。主人とも激しく口論し、別れるかどうか落ち着いて考える機会も欲しかったのです。主人は帰省に反対しましたが、結局お互い、それぞれの実家に帰ることになりました。 ところが、おととい、我が家の猫が急死したと、家を預かっていた友人から連絡がありました。事故死でした。あまりのことにショックで、心配した主人が電話をしてきました。ずいぶん慰められ、私はこの人の支えがなければ生きていけないということを再認識しました。 猫の死が、私たち夫婦の仲を取り持ってくれたように感じてなりません。でも、こんな犠牲を払わなければならなかったのかと思うと、なぜもっと早く、主人の大切さに気付くことができなかったのか、主人が反対したのに出かけてしまったのか、今は私が猫を殺したのだという自責の念でいっぱいで、涙が止まりません。 過去を悔やんでもどうしようもないのですが、これから、猫のいない我が家に帰るのが怖くて、潰れてしまいそうです。どうか現実に直面する勇気を与えて下さい。
こんばんは。 私には大事な彼女が居たのですが、遠距離ということもあり、中々会えずにいました。 そんな中、いつもの様にメッセージを送りあってたところ返信が無く、今は返せないのかな?と思いしばらく放置していたのですが、その2日後に彼女のお母様から娘が亡くなったとの報告を受け、後日告別式の方に参加し、彼女が亡くなったのだという事を実感しました。 一週間ほど前に四十九日を終え、何とか前を向こうと頑張っているのですが正直言ってとても辛いです。私には私の人生もあり、また私以上に辛いのは彼女のご遺族のはずです。それを理解しており、何とか前を向こうと頑張ってはいるのですがやはり彼女の死を未だに受け入れられません。 あの時に電話をかけていれば彼女の死を防げたのでは…?といった思いや、死ねば彼女に会えるのではないかと(そんな事がありえないのは分かってはいるのですが…)気づくと私自身も死ぬ事を考えているのです。 ですが、本当の事を言ってしまうと私は死にたくはありません。私には私の人生があり、彼女の事もありますがなんとか幸せになりたいのです。ですが前述した通り、やはり偶に彼女の事を思い出してお酒に溺れたりする日々です。 情けないお話ですがこんな私に一喝していただけないでしょうか?どうやって生きていけばいいか分からなくなってきているのです。
よろしくいねがいします 夫が逝って今年3回忌をむかえます 夫がいなくなったのとやや同時に私の体の不調勤務先移動がかさなり今現在も体調はすぐれなく毎日夫の遺影に向かって涙している毎日です 毎月月命日には納骨堂へ行き夫に話かけてきますが 逢いたくてあいたくてたまりません 夫のもとへ行きたいとも思います 夫にどうしたらいい?と聞きますが当然ですが言葉は返ってきません 夫がいなくなってからずっとこんな毎日を送っています 何もする気がおきなくただただ夫にむかって夫のとこがいい、一緒にいたい、また一緒にいようよと涙している毎日です 納骨堂へ行く道中も名前を呼びながら涙して行きます 夫はどう思っているのか夫の気持ちが知りたく夫に話しかけますが当然返事は ありません もうそろそろ落ち着きがでてもいいような気がしますが今のところ全くそんな気持ちになりません 早く夫のもとへとそればかりです どうしたものでしょう・・・ アドバイスお願いします
4年前 大学卒業間近の息子を事故で亡くしました。あまりにも突然の死を受け入れ事は出来ず、未だに涙する日々ですが、毎朝、お仏壇にお花、ご飯、コーヒーをお供えしお線香を上げて、「我が家に生まれてきてくれてありがとう。亅と語りかけています。友達も多かったので 帰省の折には、必ず我が家にお参りに来て下さり、お線香を上げ息子を偲び、私の体調を心配してくれます。 優しいお友達に恵まれて、本当に幸せな21年間だったのだなあと思います。 お坊様にお聞きしたい事は、月命日に 来て下さるお坊様が、お供えしてある お土産や本、手紙などを、当たり前のように、手に取って、中をみたり読んだりされるのが嫌で、辞めて頂きたいという相談です。 お茶を出すために、席を外し戻ってきたら、遺品の財布を開けられている事もありました。お坊様だから勝手に触る権利はないですよね。その方個人のモラルだと思うのですが、お坊様が来られる日は、お仏壇の周りには、何も置かないようにしています。 ところが、先日お茶を持って部屋に戻ってきたら、息子のパスポートを見ながら 「あちこちの国に行かれたのですね。」 とー 床の間の端に置いてあったパスポートや 本を離れている場所から持ってきたようで、パラパラめくっている所でした。 悪意はなく、ただ興味本位でされている様ですが、不快でたまりません。 実はお経を上げている時も、珍しいものがないかと、首がぐるぐる回ってあちこち見ているのが、後ろに座っていてもわかります。世間話でも、自分の息子の話をされているので、配慮のない方だなと悲しくなります。 主人の家が長くお世話になっているお寺ですが、月命日の日が本当に憂鬱です。 主人は、私以上に悲しみの底にいて 未だに、お墓にも行けず、お仏壇にもお線香を上げる事はできない状態ですので、相談もできません。 私が、神経質なのでしょうか? 出来れば、月命日に来られる方も、他のお坊様に変えて頂きたく思っています。 どうか、良いアドバイスをお願いします。 長文読んで頂き、ありがとうございました。
小学生の頃より、ふとした瞬間に"死んだらどうなるのだろう"と考え始めた。 でも、当時は漠然とした考えで 中学生の頃も同じようにふとした瞬間に漠然と考える事はあったが、そこまでの恐怖はなかった。 高校〜大学の時に恐怖へのクオリティ?が上がり、特に両親が去ってしまうと考えた時に押し潰されるような不安に襲われ泣く事もありました。 しかし、泣いて翌日にはケロッと後に引く事はなかったが20代後半になり 1人の時や夜中にふと目が覚めて ・両親がいなくなったら孤独だ ・兄妹はいるけど順番で考えたら 私が最後か… ・結婚もせず独身、死ぬ時も孤独なのか ・どんどんと老化してきて何もできなくなって死ぬのかな、怖い。 ・日々の一瞬一瞬全てが無に戻る&無意味に思える、それが怖い。 色々な不安が頭にぶわぁーっと入り 今までと比べ物にならないぐらいの 死への恐怖の波がきます。 私自身がネガティブな状態で、それが原因なのかと思い携帯で検索してみると 同じような人がおり、安心するが 内容を読むと結婚していて子供がいてetc... いやいや、結婚もしている 子供もいる、"家族"がいる。 生きた証を未来に繋げれる地盤が あるのに…と、卑屈になってしまい 更に不安がこみ上げて泣いたり 不安で寝れなくなったりします。 両親や兄妹が去れば 私も終わりでいいかなって思うし 始まりがあれば終わりもある と理解しているけど グルグルと同じ事を考えてしまいます。 死への恐怖はどうしたら治りますか? とは伺いません…。 ただ、言葉では言い尽くせない この恐怖をどう乗り越えていくべきでしょうか? よろしくお願いします。
こんにちは。 亡くなった人にもう一度会えるの方法が、なにかしらあるのではないかと考えてしまい、検索していましたら、そういう考えは仏教の教えに背くものとありました。 会えないのは当たり前なのに、少し悲しかったです。 やっぱり私が人生を全うするまでは、絶対に会えないのでしょうか。 はすのはでたくさんのお坊さんに助けていただきました。残された子供たちに主人の魂が宿っているというのもわかってます。でも、もう一度会いたいと思ってしまいます。 どうしたらいいのでしょうか。主人の死を受け入れられてないからなのでしょうか。 同じ様な体験をされた方は、どの様に過ごされているのでしょうか。
タイトルにあるような質問を、自殺志願者の男性に言われて答える事が出来ませんでした。彼は、彼女と一緒に死ぬと言ったまま音信不通になりました。あれから、彼に言われた問いが、私の中に残っています。お坊さんだったら何と答えますか?