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hasunoha 問答検索結果 : 「私 死 どうしたらいい」
検索結果: 2205件

他人を気にしすぎてしまいます

よろしくお願いいたします。 私は、常に他人からの評価を気にしてしまいます。 いろいろなことにそれは反映されますが、たとえば趣味で描いているイラストです。 自分ではとてもうまくできたと思っているし、実際以前に描いたものよりもずっと出来がいい、というものでも、思うような評価を貰えずに苦しむことが多々あります。自分と同等、もしくはそれ以下(であるように思ってしまいます)の作品が自分のものより評価されている、ということがさらに自分を苦しめます。 自己評価と他者評価とのギャップに苦しんでいる、と言えばいいのでしょうか。 しかし、絵を描くのは楽しく、やめたいとは思いません。 自分は自分、他人は他人、と思えればいいのでしょうが、そう理屈ではわかっていてもできません。 たとえば、自分というものを否定され続けてきたならば、生きていくために、肯定されるために「他者」を取り入れるほかどうしたらよかったと言うのでしょうか。 というのも、私は不美人ですが、小中の頃から勉強も運動も芸術も、そこそこにできたのです。しかし、勉強も運動もできて部活も強く、顔が可愛くて男女問わず人気者の女の子が幼馴染みとして長年隣にいた、という過去が私のこの人格形成に影響しているのではないか、と最近になって思うようにもなりました。 まとまらなくてすみません。 毎日苦しいです。助けてください。

有り難し有り難し 69
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自殺してしまった彼女との向き合い方

 こんばんは。 私には大事な彼女が居たのですが、遠距離ということもあり、中々会えずにいました。 そんな中、いつもの様にメッセージを送りあってたところ返信が無く、今は返せないのかな?と思いしばらく放置していたのですが、その2日後に彼女のお母様から娘が亡くなったとの報告を受け、後日告別式の方に参加し、彼女が亡くなったのだという事を実感しました。  一週間ほど前に四十九日を終え、何とか前を向こうと頑張っているのですが正直言ってとても辛いです。私には私の人生もあり、また私以上に辛いのは彼女のご遺族のはずです。それを理解しており、何とか前を向こうと頑張ってはいるのですがやはり彼女の死を未だに受け入れられません。  あの時に電話をかけていれば彼女の死を防げたのでは…?といった思いや、死ねば彼女に会えるのではないかと(そんな事がありえないのは分かってはいるのですが…)気づくと私自身も死ぬ事を考えているのです。 ですが、本当の事を言ってしまうと私は死にたくはありません。私には私の人生があり、彼女の事もありますがなんとか幸せになりたいのです。ですが前述した通り、やはり偶に彼女の事を思い出してお酒に溺れたりする日々です。  情けないお話ですがこんな私に一喝していただけないでしょうか?どうやって生きていけばいいか分からなくなってきているのです。

有り難し有り難し 40
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月命日に来られるお坊様。

4年前 大学卒業間近の息子を事故で亡くしました。あまりにも突然の死を受け入れ事は出来ず、未だに涙する日々ですが、毎朝、お仏壇にお花、ご飯、コーヒーをお供えしお線香を上げて、「我が家に生まれてきてくれてありがとう。亅と語りかけています。友達も多かったので 帰省の折には、必ず我が家にお参りに来て下さり、お線香を上げ息子を偲び、私の体調を心配してくれます。 優しいお友達に恵まれて、本当に幸せな21年間だったのだなあと思います。   お坊様にお聞きしたい事は、月命日に 来て下さるお坊様が、お供えしてある お土産や本、手紙などを、当たり前のように、手に取って、中をみたり読んだりされるのが嫌で、辞めて頂きたいという相談です。 お茶を出すために、席を外し戻ってきたら、遺品の財布を開けられている事もありました。お坊様だから勝手に触る権利はないですよね。その方個人のモラルだと思うのですが、お坊様が来られる日は、お仏壇の周りには、何も置かないようにしています。   ところが、先日お茶を持って部屋に戻ってきたら、息子のパスポートを見ながら 「あちこちの国に行かれたのですね。」 とー 床の間の端に置いてあったパスポートや 本を離れている場所から持ってきたようで、パラパラめくっている所でした。 悪意はなく、ただ興味本位でされている様ですが、不快でたまりません。 実はお経を上げている時も、珍しいものがないかと、首がぐるぐる回ってあちこち見ているのが、後ろに座っていてもわかります。世間話でも、自分の息子の話をされているので、配慮のない方だなと悲しくなります。 主人の家が長くお世話になっているお寺ですが、月命日の日が本当に憂鬱です。 主人は、私以上に悲しみの底にいて 未だに、お墓にも行けず、お仏壇にもお線香を上げる事はできない状態ですので、相談もできません。 私が、神経質なのでしょうか? 出来れば、月命日に来られる方も、他のお坊様に変えて頂きたく思っています。 どうか、良いアドバイスをお願いします。 長文読んで頂き、ありがとうございました。

有り難し有り難し 57
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#死ぬ事が怖い

小学生の頃より、ふとした瞬間に"死んだらどうなるのだろう"と考え始めた。 でも、当時は漠然とした考えで 中学生の頃も同じようにふとした瞬間に漠然と考える事はあったが、そこまでの恐怖はなかった。 高校〜大学の時に恐怖へのクオリティ?が上がり、特に両親が去ってしまうと考えた時に押し潰されるような不安に襲われ泣く事もありました。 しかし、泣いて翌日にはケロッと後に引く事はなかったが20代後半になり 1人の時や夜中にふと目が覚めて ・両親がいなくなったら孤独だ ・兄妹はいるけど順番で考えたら  私が最後か… ・結婚もせず独身、死ぬ時も孤独なのか ・どんどんと老化してきて何もできなくなって死ぬのかな、怖い。 ・日々の一瞬一瞬全てが無に戻る&無意味に思える、それが怖い。 色々な不安が頭にぶわぁーっと入り 今までと比べ物にならないぐらいの 死への恐怖の波がきます。 私自身がネガティブな状態で、それが原因なのかと思い携帯で検索してみると 同じような人がおり、安心するが 内容を読むと結婚していて子供がいてetc... いやいや、結婚もしている 子供もいる、"家族"がいる。 生きた証を未来に繋げれる地盤が あるのに…と、卑屈になってしまい 更に不安がこみ上げて泣いたり 不安で寝れなくなったりします。 両親や兄妹が去れば 私も終わりでいいかなって思うし 始まりがあれば終わりもある と理解しているけど グルグルと同じ事を考えてしまいます。 死への恐怖はどうしたら治りますか? とは伺いません…。 ただ、言葉では言い尽くせない この恐怖をどう乗り越えていくべきでしょうか? よろしくお願いします。

有り難し有り難し 27
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最後の課題にアドバイスをください

尊敬する大好きな恩師が亡くなって2年。 病気と余命宣告を同時にされる3ヶ月前まで夢を語っていた恩師。半年後に亡くなりました。この現実を受け入れることは出来ません。人はいつか死ぬと分かっていたし、元々敏感な方でした。でも、病気と余命宣告を同時にされる3ヶ月前まで恩師は夢を語っていました。なのに3ヶ月後には夢を諦め死に備えて身辺整理。恩師は自ら余命を聞き、身辺整理をし弁護士に遺言の立ち上げを頼みました。そしてもし自分が死んだらあなに貰った手紙を棺に入れるよう息子に頼んでいいかと聞かれました。妊娠中の私は、促進剤を入れる前に恩師に会いに行ってから出産しました。恩師の危ない状況を聞き、2日退院を早め、その足で恩師の元へ行きました。意識が朦朧としていたけど、頷いてくれました。そしてその日に亡くなりました。産後2日目のことで、痛みを抑えながらお葬式へ行き、自分の手で手紙を入れました。それからは子育ての日々。衝撃的な事で、受け入れる時間もなく今日まできました。あんなに夢を語っていた恩師が亡くなったことで、人の死は無条件に突然訪れるものなんだと初めて強く実感しました。普段は忘れているけどいつも死と隣り合わせなんだと。それから生きるのが怖くて、家族を失うのではないかと不安です。だから後悔しないために、常に最悪の状態を考えています。今車が突っ込んできたらこの位置は危ないとか、もしあの看板が落ちてきたら危ないから走ろうとか。父の癌を早期発見したのも私で私が家族の命を守りたいという気持ちに苛まれています。もし家族の誰かが倒れたら誰に119番を頼んでAEDを誰にどこから持ってきてもらうかなど常に頭でシュミレーションしています。それでも人は死ぬのでこの行動が全て結果になるとは思いません。もっと楽しく生きれる人が生まれたらよかったのに。死の恐怖に潰されるくらいなら最初から無でよかったのにと考えてしまいます。でも、恩師とこの世で出会えた事、恩師と過ごした時間は私にとって最高の宝物です。今までもこれからもずっと私の大切なかけがえのない時間です。恩師が亡くなってから悩んだりしても、自己解決できるようになりました。恩師の教えがあるからです。でも恩師が亡くなったことや受け入れられないこと死の恐怖に関しては悩んだままです。きっと恩師の死は私に与えてくれた最後の課題なのです。どうかアドバイスいただけませんか。

有り難し有り難し 15
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できることならば、許して欲しい。

先日、私たち夫婦で大切にしていた猫を安楽死させました。 慢性腎不全の末期であり、発作を起こし苦しみもがいている状態が続いた為です(治る見込みは医学的にはありません)。 勿論、獣医の先生から「このような選択肢もあります」とお話していただいたのですが、獣医の先生のご助言を盾に自分を守ることは間違いだと思います。 私が安楽死を選んでも選ばなくても、猫は先に亡くなったと思います、けれど私の心には少なからず「もう見ているのがつらい」という弱い心があったことも分かっています。 私は猫を胸に抱き、猫の心臓が止まる瞬間を感じました。 「許してね、許してね、お疲れ様」と泣き叫びながらの瞬間でした。 今回、私たちの大切な猫に、様々なことを教わりました。 人間(特に私です)とは傲慢であり、なんと勝手な生き物であるか。 それなのに、私たちの猫は怒ったりしないのです。 生きている頃から、そうでした。 私たちを頼ってくれていました。 こちらでお坊さまに、聴いていただきたかったのだと思います。 猫の心臓が止まった時、私は確かに「救われたい」と感じ、罪深いと痛感しました。 心から懺悔し、猫の死を無駄にしないよう、私にお坊さまのお言葉をいただけませんでしょうか。 できることならば、猫に許して欲しい。 そしていつかまた、家族三人で暮らしたい。 猫に苦しみの少ない場所でゆっくり休んでいて欲しい。 毎日、お線香をお供えし、手を合わせています。 どうか、喝も含め、お坊さまのお言葉をいただけたらと思っています。 宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 128
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自分の気持ちのコントロールが出来ない。

母が肺癌で闘病中です。ステージ4でリンパ節にも転移しています。 3月中頃から癌がおとなしく、抗がん剤をお休みしていましたが、また癌が活動を初めて腕が浮腫み、腰痛も酷いです。今週の金曜日に受診予定です。 抗がん剤お休みしてたので少し不安でした。 いつ暴れるか判らない、治らない、いつ何があってもおかしくないと思いながら毎日を過ごしてますが、いざ癌が暴れだすと不安で気持ちが落ち着かなくなり何も手につかなくなります。 私が想像も出来ない程…母はもっと不安で死への恐怖も感じてるかもしれないのに…私が支えなければならないのに… 私も2ヶ月も抗がん剤休んだら、また暴れだすと思って理解していたはずなのに気持ちのコントロールが出来ないんです。 母の前ではかろうじて、いつもと変わらないようにしています。 けど、一人になると駄目です。 母が癌と診断された時、手術も出来ない状態でした。治らない事も何年生きられかも判らないけど、何があっても笑顔で支えようと思い、2年の月日が経ってるのに、今は何だか嫌な予感がしてたまらないです。 以前は前向きに考えて行動出来たのに… 命あるものはいつか死を迎える。それが早いか遅いかの違いだけ、親も歳をとりいつか死を迎える。理解しているようで私は理解出来てないのでしょうか… 気持ちを前向きにしたいです。けど、どうしたらいいのか判らなくなってます。 乱文ですみません。よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 11
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生きてるのが怖い

死ぬのは怖いです。 死は未知です、五億年という時を経っても意識は永久に無くまるで気絶した時のようです。 私はとても自殺願望が高いですが、私でもわかるようにこの世にいる人は誰も本来的には死にたくないと。 死はとても美しいものです、全てが虚無になります。 どんなにクローンが生まれたとしても、それは自分の意識でもなくクオリアもありません。 しかし同じように生きてるのも怖いです。 人生一回しかないという重い重い現実があります、そこにはどんな物理法則も変えられないという絶対的なルールがあるので一度でも足を切断やらしたら永久に手が生えてくる事もありません、誰かが死んだら永久に会えません、一度顔面に塩酸をかけられたら二度と顔は再生しません、一度ホームレスになると一生勝ち組になれません、一度HIVになると一生治りません。 悲惨な人生だったら一生悲惨なままです。離婚したら離婚したままで今後誰からも愛されることはありません。 そういうのが怖い。 人生は可塑性がありすぎて一度何かをやったらそこから変わる事がないです。 死と生は表裏一体です。 死があるから生が尊いものになります。一度しかないから一生とかいう言葉を使い自分の人生を有り難がります、死があるから身近な人が死ぬのを悲しみます。 私は、この物理法則が次々変わるのがこわいです。 現実が移り変わるのが怖い。 いまこの瞬間があるのが怖いです。 いつも恐怖や不安を抱えています。 私達は現実に金融資本で搾取されてます、労働で自分の貴重な人生の時間が搾取されています、二度と返ってこないです。 何処かで働いたら金になるだけでその時間は二度と返ってこない、私の親は底辺職に就いてたので何十年と人生を安く買い叩かれて人生という貴重な時間を費やしていました。 私は20代ですが私の貴重な時間を使用して作られた富を老人に吸われています。 また同じように過去の偉人や天才やらが貴重な人生を使用して発見、発明した数式や発明品やらなんやらを何の苦労もなく得ています。 そういうのが怖い。 いつか重い病気になったり、事故ったりして苦しみのが怖い。 来月の今頃は何か嫌な悩みが増えてると予想できるのが怖い 明日は口内炎で口が痛いかもしれない。 明後日は親友と仲違いするかもしれない。 生きるのが怖い。死ぬのが怖い。 恐怖から逃げたいです。

有り難し有り難し 13
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いろんな悩み

こんにちは( *・ω・) よろしくお願いします。 私は去年2月に妹を交通事故で亡くしました。 当時は両親がとても落ち込み、そのことが心配で私が悲しみ暇がありせんでした。 毎日片道40分ある実家に通いました。 下の子がまだ生後4ヶ月くらいだったこともあり余計に自分のことは後回しにしていました。 そんな日が続き、去年10月に育休が終わり仕事復帰しました。 保険の仕事をしています。 復帰して、死についての話、交通事故での話などを聞く機会がこんなにツライのかと思いました。 妹が亡くなってから車を運転するのが怖かったのですが、田舎なので運転しないと生活ができないので我慢して運転していましたが、足が震えたり意識が飛ぶような感覚に教われたり病院に行こうか考えるような症状が出始めました。 ですが、ごまかしごまかし運転していましたが仕事で車で往復4時間くらいのとこに月1回行かなくてはいけなくなり正直仕事を辞めたいです。 辞めたいのですが私は9月まで役員をしなくてはいけないので辞めにくいです。 もう病院に行って診断書を書いてもらおうかとか、辞めます‼と言い通そうかとか辞めることばかり考えています。 気づいたら、休みの日もそのことを考えていて憂鬱でした。 これはもう仕事を辞めなくては私がおかしくなってしまう。と思ったのですがやはり役員をしているので所長に言いにくいです。 病院に行ってから所長に言うべきか、それとも後先考えずとりあえず所長に言ってみるか、どうしたらいいでしょうか❓ ちなみに所長は独身でお坊っちゃまで頼りない人なんです💦 一年たったら悲しみも少しは和らぐかと思いましたが子供も手がかからなくなり自分の時間ができ考える時間ができた時、妹の死を改めて考えました...ほんとに死んだんだ。なぜ?妹が...あんな約束をしたな、ほんとだったら今一緒に買い物しているはずなのに一緒にご飯を食べてるはずなのに...ほんとにおかしくなりそうです

有り難し有り難し 53
回答数回答 3
2023/01/21

深い悲しみ、他責、憎しみから立ち直れない

お気に留めていただきありがとうございます。 近日辛いことがありました。 一昨年、家族以上に信頼していた親友が自殺しました。 その1ヶ月後、職場で付き合っていた彼氏と別れました。 その1ヶ月後、その彼と私の先輩の女性が付き合いました。 二人は社内恋愛を隠さず、毎日一緒の車で通勤しています。よく私の車の後ろに着くこともあります。二人が職場の人間によく話をするので、同棲を始めた事や、旅行に行った事など、順調に付き合っていて幸せな報告を又聞きします。二人を見るのが辛いです。 唐突ですが、私には姉がいます。私と2歳違い。中学生の時から社会不安障害、鬱の症状をもち、受験や学校のストレスで両親に夜な夜な泣きついていました。両親は毎晩姉を慰め、寝不足で仕事に向かっていました。 思春期の自分はそんな3人の世界について行けませんでした。いつも家では姉中心。私はいじけていつもイライラして、当たって、不快にさせていました。 姉が大学に進学し家を出た後は、今までずっとイライラしていたことを猛反省し、いい子になりました。そうしたら親戚は誰も私のことを心配しなくなりました。社会人になっても姉は親族に泣きついていました。私は「あなたは大丈夫だよね」と言われました。 そんな私と友達になってくれた、中学からの大親友が一昨年自殺しました。 そこからおかしくなってしまいました。仕事中も、涙を抑えきれず泣きながら仕事をしました。今もまだ涙が出ます。 親友の死より少し前に、当時付き合っていた彼に結婚を意識してほしいと言われていました。結婚はその時点で考えらず、その事を優しく伝えようと思っていました。でも、言い訳ですが頭がおかしくなってしまい、強く当たり散らかすように伝えてしまい、別れました。彼をたくさん傷つけました。 順調に幸せに向かっている二人を見ていると、辛いです。「元カノに配慮をしよう」と思えないほど、自分は彼に悪い事をしたのだという自己嫌悪。幸せな二人を憎く思っている自分が嫌い。ずっと拭えません。 二人の不幸を願ってしまいます。家族に構ってもらえなかったことを憎んでしまいます。友達の死を悲しみ続け前に進めません。 悲しみや他責のループから脱し一人で強く生きていくためには、自分を律するのが良いのでしょうか。自分を許せばいいのでしょうか。どうすれば、立ち直れるのでしょうか。

有り難し有り難し 11
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逝く道への想い

昨年2月、癌との闘いを頑張っていた母が逝ってしました。 母を愛していたので……哀しく、もっと何かを…何かを…の後悔ばかりを考える日々を過ごしていたところ その約半年後の8月、兄が自らの意思で逝ってしまいました。 母の死は余命宣告を受けていましたので、その時の覚悟は少しは出来ていましたが 兄の死は想像すらしておらず、まして自らの意志で…強い意志で逝ってしまうなんて本当に考えてもいなかったのです。 現在も哀しみと向き合う事が出来ず、後悔ばかりです。 兄の死を知る3~4日程前、首から背中にかけ、急な激痛におそわれ その痛みは兄の死を知ると共に治まりました。 今想えば、母が知らせていたのだと想えてならないのです。 何故、私はその身体の異変を変だと想わなかったのか… 何故、二人きりの兄妹なのに電話をかけ『何か変わったことはない?』 と、兄を気遣わなかったのか… 兄が心の病と闘っていたことも知っていたのに 何故私は兄へ連絡を取らなかったのか… 兄も私を愛していたし、私も兄を愛していたし なのに、何故…何故 私は兄の逝く道をとめられなかったのか… どんな想いでいたのか…何を見ていたのか…何を感じていたのか… どんな気持ちで一人逝ってしまったのか… 考えれば考えるほど胸が張り裂けそうで… 穏やかに笑みさえ浮かべて眠る兄の顔に 兄の意志なのだから 兄の意志を尊重しよう 穏やかに過ごせるところを探して逝ったのだから 兄の意志だから…と、 何度も何度も自分に言い聞かせてはいるのですが あの時、私が気づいてあげていられていれば 何かが変わったのかもしれなかったのに… でも、気づかなかった事が兄の為にはよかったのか… 想いが右往左往して混乱しています。 私が想いすぎると兄は母のもとへいけませんか? 母には逢えたのでしょうか… きちんと三途の川を渡らせてもらえたのでしょうか… この世で苦しみ哀しんだのだから あちらでは苦しみませんよね? 私は 兄の母の傍へいきたいです 何故私をおいて逝ってしまったのか… 私を連れて行ってほしいのです 文章が定まらず申し訳ございません。 お坊様…愛する母の死、愛する兄の死 その哀しみと向き合うことが出来ません… 受け入れる事が出来ません。 私に出来る事があったはずなのに… 何も出来なかった己が辛いです。

有り難し有り難し 17
回答数回答 1