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検索結果: 3057件

彼の死=仕事

彼が突然亡くなり もうすぐ49日。 突然の死から 今日まで 涙のない日など なく 只々 生きてる日々です。 自分が死んだらラクになるとさえ 思う日々 1つ どうしても答えが出せない問題があり ここに 書かせて頂きました。 副業で週末 仕事をしております。 勤務地は彼の生活していた街 歩いて数分な距離で 仕事が終われば 彼の自宅へ行き 一緒に過ごす 週末を 送っていました。 彼も たまーに ぶらりと来て 差入れを してくれ 後でね!と 帰って行く。 彼と出会う前から この仕事はしていましたが 付き合ってからの3年は 彼に会う為に 仕事を入れていました。 私の中で 仕事=彼 の週末でした。 彼と出会った街 最後の彼を見送ったのも この街。 鮮明に 覚えています。 それだけに 仕事だと 割り切って行けるほど 私は追い付かず 彼の亡くなった日から お休みしています。 続けることが 彼への供養にもなり 喜んでくれるのかなぁ?と思う気持ちも あり どうしたら いいのか分かりません。 私だけの気持ちだけで 言えば その街へ行くのは 鮮明に 思い出す 彼のいない事実を突きつけられる のだと。 逃げたいのかもしれません。 亡くなった事は 分かっていても 仕事に行けば 彼に会えると思って しまう私がいます。 色々と考えていたら 死にたい。 彼がいなくなった今 その街へ行き仕事を 笑顔で こなす力がありません。 副業が亡くなっても 生活はしていけます。 彼の為に 頑張り続けるのがいいでしようか お導きが ありしたら と思い 書かせて頂きました。

有り難し有り難し 27
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2023/06/14

死にたい気持ちが無くならない

子供の頃から死にたい気持ちが無くなりません・・・(希死念慮です) 私は幼少期12年以上児童養護施設で育ちました。 施設ではいろんなイジメや性的行為も強要されたこともありました。(ちなみに自分は男性です) 施設で暮らしていた頃は何度も死のうと思いましたが田舎の施設で死のうにも死ぬ手段が無く絶望した時もあります。 あと当時の同級生の(同じ学校の)家庭環境が凄く羨ましくて凄く劣等感が強かったです。。。(TVゲームがあったりやりたい習い事をさせて貰っていたり、親と旅行に行っていたり) やりたい事を普通にやらせてもらえるなら今からでも幼少期に戻りたいです。 やりたい事を全部諦めて(将来に備えて部活をやりたかった高校時代も)施設から毎日アルバイトを頑張りました。。。 あと親のことが好きになれず、ずっと嫌いな気持ちが無くなりません・・・ (正直)子供を育てる能力が無いのなら子供を作らないで欲しかったと思ってしまいます。。。どう頑張っても好きになれないんです。。。 最近も親と喧嘩して家の物を壊してしまいました。。。(なるべく気持ちを抑えるようにしているのですが)。。。 本来なら家を出た方が良いのでしょうが精神病で働くのが困難な状態です。。。 勿論ウツになりながらも一生懸命(就職活動など)努力しました。 でも親からは褒められたことが無く、寧ろ悪口ばかり言われてしまいます。。。 (お前働いたことが無いとか産まなければ良かった、お兄ちゃんの方が可愛かったとか) 何で私は何もかも我慢しなければいけなかったのでしょう? 何故私だけ辛い思いをしなければいけなかったのでしょうか? 今後希死念慮を消す方法はありますでしょうか?・・・ 回答をよろしくお願いします。。。

有り難し有り難し 3
回答数回答 1
2022/04/24

離婚か自死か

離婚または自死するにせよ、夫と一緒にいない方が良いのではないかと悩んでいます。 知り合って短い年月(プロフィール記載)で結婚した夫と一緒になり5年以上経ちました。 私の母の体の問題の時も夫が主力に近いかたちで支えてくれ、施設にいる今も私が動きにくい時には必要なものを届けてくれたり、行動力があり力になってくれます。 夫の欠点はとても気が短い所です。 きれると同時に主張するべきことを言ったら、すぐに切り替えて通常には戻るのですが。 だらしない私からすると潔癖症に近いのではと思えるような夫です(私も最低限社会生活は営んでいますが)。 私の書類が整理されず床(一応定位置ですが)や箱にたまってしまっている時にきれたりとか、一緒に私の父・祖母に会いに行ったときに祖母の非常に長い話を私が切り上げられず滞在がえらく長くなってしまったときに帰り道で怒鳴られたりとか 主張を理解はできますが、「怒鳴る」というのは私の心に傷として残ります。 また、私相手ではないこともあり、 スーパーで買った4,5本の牛乳が整然と袋におさまらずスーパーの入り口で「捨てるぞくぉら!」といった勢いできれたこともあります。 (ものには心があるので怒れば伝わる(不備が減る)という方針だそうです) 私にきれるわけではなくても、怒鳴っているところに一緒にいると私のストレスになり、数分後に私が泣き出すのもよくある話です。 夫も短期な所は欠点として自覚あるもののなおらないと思っているようです。 私も別に夫になおすことは期待していません。(生まれて30年ほど見知らぬ他人でしたので) また、夫は認識していませんが、私からすると差別心が強く、人権や尊厳といったものへの意識も少し薄いと思います。 夫・私共に子供を欲しいと思い結婚しましたが、子供を育てるときに、きれたりした後に私が泣くのを子に見られたりとか、父親は良いところも沢山あるけど他者への差別心が強いのは良くないところよ、と言いながら育てる気になれず不妊治療を進める気が全く起きません。 よそのお子と接しているところを見ると夫は子煩悩です。子を持つことを強く願っています。 有能な夫を相手に離婚を提案するのも気が重く、自死したほうが楽かなとよく思います。 このように怒鳴るのはハラスメントなのでしょうか。 離婚の方向で相談する準備をしたほうが良いでしょうか。

有り難し有り難し 22
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大切な人の死といつかが怖いです。

ネットで偶然見つけ、初投稿させていただきます。 私は以前から時々ふと家族や恋人が死んでしまうことを考えてしまい、涙が止まらなくなることがありました。 祖父や愛犬などの死を何度か経験しているので、今生きている人達もいつかそうなってしまうと棺桶に入って、何も映さない目を閉じ、もう動かない様子を想像してしまいます。 身体に触れると、いつかこの体温もなくなってしまうとその体温すら死を連想させてしまいます。 声を聞いても、この声はいつか思い出の中でしか聞けなくなると思ってしまいます。 今こうしている間にも時は流れて、1歩ずつ死に向かっていると思ってしまいます。 自然の摂理ですし、祖母や親の方が確実に先に死んでしまうこと、人間よりも寿命の短い動物の方が先に死んでしまうことは理解しています。 分かっていても、親が昔より痩せ、老いているのを見ると自分が幼く、みんなが元気に集まり楽しく過ごしていたあの頃を思い、時は流れてしまったとまた涙が出てしまいます。 時が止まればいいのにととても切実に思います。 そして、誰かの死を見るのだと思うと、それならいっそ今の間に先に死んでしまいたいと思ってしまいます。 それは親を何よりも悲しませてしまうことだというのは重々承知しています。 でも、道を歩いていても、一つ一つ思い出すことがあり、あの時自分は何を思ったと自分の考えていたことさえ思い出せて、それすら悲しくなります。 でも誰かが死ぬことを思うと気持ち悪くなってしまうくらい悲しくなります。 吐き気も涙も止まらないです。 頭で分かっているはずのことをどうして割り切れないのでしょうか。 どうすれば泣かずにすむのでしょうか。 家族もみんな特に大病もないですが、事故や天災でもう会えなくなってしまうかもしれない。 覚悟して毎日を大切に生きるといいのかもしれませんが、いつか会えなくなってしまうのなら大切にしても後悔してしまうことはきっとあるし、いなくなってしまうなら意味が無いと思ってしまうのです。 すごく自己中心的ですが、もう私の記憶のある限りの今世でもう会えないなら、記憶のない来世でなど意味が無いと思ってしまいます。 ここに書き込んでおきながら、否定的なことを言ってしまってすみません。 色んな方のお悩みを拝読致しました。 その上でこのようなことを申し上げて本当にすみません。 失礼いたしました。

有り難し有り難し 32
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祖母の死を受け入れられません

はじめまして。 先日祖母が亡くなりまして気持ちが落ち込んでいます。 祖母は体調を崩し入院。退院後は介護施設へ入所後元気でいたと聞いていたところ急変し亡くなりました。 このご時世なので面会はできず、まったく顔を見れず話すこともできずでした。 とても気が強く、嫁姑問題もある家庭で祖母はすぐ母の悪口を言ったり人のことを良くは言わない人でした。 それが嫌で私は祖母に反抗的な態度をとったことも何度もあります。 私自身は結婚し、もうすぐ2歳の子がおります。ひ孫の顔を見ると私の見た事のない祖母の表情を見ました。 仕事や育児に追われ、たまにしか実家に帰ることが出来ず、最後の交わした言葉はトイレに入っていた祖母に(トイレでのズボンの上げ下げもとても時間がかかっていました)大丈夫?と声を掛け、「大丈夫だよ」の祖母の返答に、子供も連れていたので急いでいてまた来るね、じゃあねが最後でした。 祖母が息を引き取る時、父と母は施設に駆けつけていました。 私も仕事が終わり急いで駆けつけようとしたのですが、子供の迎えに行ってる間に亡くなってしまいました。 あの祖母が亡くなったと信じられず… 何度も何度も祖母の眠っている写真を見ながら涙が出てきます。 祖母は「おばあちゃんが死んだらみんな喜ぶだろう」とよく言っていました。 全然誰も喜んでないし、どうして死んじゃったのという気持ちでいっぱいです。 先立たれた祖父や叔母に祖母は会えているのだろうか。 天国へ行けるのだろうか。 死後の世界はどんなところなのか。 私もおばあちゃんのところに行きたい。 色んなことを考えてしまいます。 まとまりのない文章で申し訳ありません。

有り難し有り難し 5
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私の死生観は間違っているのでしょうか?

カテゴリ間違いだったら申し訳有りません。 私が高校生の頃、生徒教師共に学年全体から疎まれていた教師が突然死しました。 その教師はセクハラ発言、時間があれば自分語り、自分ルールが横行しており、校長が何度注意しても直らない と言った問題行動を連発していました。 その教師が亡くなる数日前まで学年の一人の教師が、被害届を纏め、教育委員会に提出するべく書類を作成していた程でした。 学年集会で亡くなった事が告げられると、「早く●んで笑」とまで散々悪口を言っていた生徒達が泣いていました。 私はこの事に対し「今まで散々悪口を言っていたのに手のひら返したように泣ける感受性と協調性の豊かさが羨ましい」と友人の前で呟いていました。 この発言に対し、友人から「泣いている人を批判しているのは間違ってる」と指摘されました 私は人間も食パンも変わらないと思っています。 「食パンを食べたら無くなった=胃に収容されたから 」であって「食パンは食べられるために生まれてきた 」訳です。 私は人間はこの世に生まれる理由は、死ぬ為に生まれて来ている と思っています。 いつかは死ぬのだから、人間は必死に生きなくてはならない、やりたいこともやりたい時にやらないといつかは死んでしまう と。 人間も「人が亡くなった=死ぬ為に生まれてきたから」であって、死は誰にでも平等に与えられているものですし、当然の事だと思っています。 その人に関わってきた時間や感情、思い出が加味されて、改めて 「(人が亡くなって)悲しい」という感情が生まれるのではないかと考えています。 私はこのような考え方なので、明日道端ですれ違った人が明後日亡くなっても、悲しいとは思いませんし、泣けません。 だから、セクハラ教師が亡くなったところで、何も感情は湧きませんでした。 間違っていますか?とても歪んだ考え方をしているとしたら恥ずかしいので治したいのです。

有り難し有り難し 8
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人や自分の死の受け止め方

先日祖母を亡くしたことで相談させていただいた者です。 その節はありがたいお言葉をいただき、何度も何度も読み返しては涙を流しております。 本当にありがとうございました。 祖母の死をきっかけに、死について考えるようになりました。 死は決して避けられないものであるということ、そしてその期限はわからないということ。 誰にも確実な明日はありません。 明日どころか、1秒先もどうなるかわかりません。 もし両親が突然亡くなったら…もし自分の家族が突然亡くなったら…しばらく会っていない祖母でこれだけ悲しいのだから、もっともっと悲しいにちがいない。 でもそんな日は突然ではないかもしれないけど、いつか必ず来る。そのとき私は耐えられるだろうか。 今でも祖母に会いたくてたまらないのに、これ以上の悲しみに耐えられるだろうか…と、ふとした瞬間にこんなことばかり考えてしまいます。 突然の別れに後悔しないようにと、どれだけ回りに尽くしたとしても、必ず後悔や悲しみの感情はあると思います。 尽くせば尽くすほど、悲しみは倍増するのかな…とか。 それに、私自身にも必ず死の瞬間がきます。 そのとき私はどんな感じなのだろうか、少なくとも私の家族や友達は悲しむだろうな…少しでも回りの人の悲しみを和らげるために、遺書というものになるのかもしれないけど、手紙を残しておいたほうがいいのかな…とか、私はどんな死に方をするんだろうとか考えてしまいます。 まだ祖母が亡くなって日にちが浅いからかもしれませんが、毎日このようなことを考えてしまい、一人では何の解決もできず、もやもやしっぱなしです。 この前教えていただいた、後悔を感謝の思いに変えることや供養の行いについても私なりに考えさせていただいているのですが、その答えを見つけて、人や自分の死を受け入れて生きていくのはもう少し時間がかかりそうです。 先日も同じような質問で本当に申し訳ないのですが、こちらでしか相談させていただけず、またこちらにお邪魔してしまいました。 お忙しいところ、とりとめのない長文で本当に申し訳ありません。

有り難し有り難し 18
回答数回答 1

生まれてずっと希死念慮

希死念慮とは違うのかもしれませんが、まだ幼児の時に「納得のいく死に方」をしたいと思って以来、常に死と共に生きているような気持ちでした。 幼児なのに何故そう思ってしまったのかは、書くことを控えます。 事故で亡くなる人が多い家系でした。自身も成人までに何度かの事故を経験し、すんでのところで助かりながら今日に至ります。 強運なのか生かされているのかは分かりませんが、常に死のことを考えているのに、周りからは楽しそうだねアホになれていいねと言われていました。 楽しい自分を見せていたほうが周りも笑うし、それで平和なら役割なのだろうと心の中は一つも楽しくなく生きてきました。 コロナ渦になり、ある理由から人が望む存在をやめた途端に長年の縁がパタパタと面白いぐらいに途切れました。本音を出した途端に人がはなれていきました。 本音しか言わなくなったために、プライベートはめちゃくちゃです。めちゃくちゃなのに実は今が一番幸せです。 コロナ渦で「しあわせだ」などと言いづらいですし、それを言ったらどんどん人が居なくなりました。 幸せだな楽しいなと思いながら死ねたらいいのですが、まだ生きています。 しあわせな面していると不快に思われて、絶望していると人は寄ってくる。 ちょっとこれ以上は人間として生きることが難しいかなと。 現代の日本で生まれたとは思えないような生き方・環境の中で暮らしてきたため、変わった経験できたよな〜程度にあえて軽く捉えないと耐えうることは無理でした。 ちなみに誰かの役に立つことはもうしたくありません。それが苦しい半生でした。 それなら死んだら?と言われたこともありますが、お前が言うなと怒り狂ってしまいました。 でももう怒りたくないのです。 優しい気持ちで笑いながら死にたい。 人としての生にまったく意味を見出せません。幼児期に早く死にたいと思いながらも生き続け、今は中年になりましたがまだ死にたいです。 人生が嫌で死にたいのではなく、多幸感を感じたまま死にたいという我儘です。 それでも私は笑いながら死にたい。死を不幸なこととして捉えることが難しい。 死はかなしくて不幸なことなんですか?

有り難し有り難し 6
回答数回答 1
2022/02/07

父の死とそれに伴う苦悩とのつきあい方

こんにちは、見てくださってありがとうございます。 初めての質問、長文ですが失礼いたします。 昨年食道がんで父を亡くしてから、思い悩むことが多くなりとても辛いです。そういった負の感情とのつきあい方、折り合いの付け方をご助言いただけたら嬉しく思います。 「思い悩む」の内容は、自分では3種類くらいあると思っています。①父の死自体に対する悲しみ、②今後周りを含め迎える死に対する悲しみ、③周りと比較してしまう思考、です。 ①に関しては、死別までのトラウマです。コロナ禍ということもあり、父は臨終近くまで家で過ごすことが多く、父の咳で眠れなくなったり、血痰が出て夜中に看護婦さんを呼んだり、かん腸で泣き叫ぶ父を励ましたり、とても悲しい記憶が色濃く残っています。当時リモートワークで、仕事先の人にもあまり事情を分かってもらえる人がいなくて、完全に孤立してしまったことから、少し捻くれているのかもしれません。 ②は、これは私も意外だったのですが、今後私が経験したような果てしない悲しみを、ほとんど誰もが同じように経験をするという事実が、悲しいということです。その事実を直視すると、人生には救いがないな、と、思ってしまいます。例えば、私の周りの大切な友達やいまは幸せそうな家庭や生まれたばかりの赤ちゃんだって、いつか大切な人の死を経験するのは同じですよね。親の死に対して「みんな経験することだよ」という励ましワードは良く見ますが、私にとっては、それが、そういう出来事が増えていくことを確信しているからこそ、これから生きていくのが苦しいな、という感情になってしまいます。 ③は、他者との比較を辞めたくても辞められないということです。周りは20代。両親健在な方が多く、羨ましさが拭えません。両親が元気な友達の家庭の話を聞いたり、死と関係のない悩みを聞いては、一人になってから羨ましさで泣いてしまいます。「両親どちらも幼くして亡くしてる人もいる。私は幸せだ。」とか、考えてみるのですが、また人と比較することでしか、自分を慰められていないことに気付いて嫌になります。他ならぬ自分自身が苦しいのだということを認めたいです。 hasunohaやグリーフについての本などを読んで、死別といっても、それに伴う感情は多様で複雑だなと思っています。お時間ありましたら、お言葉いただけたら嬉しく思います。

有り難し有り難し 9
回答数回答 1
2022/06/15

安楽死と怖い気持ちがあります

大事な人や家族の動物が、病気になったり苦しそうだったりすると、とても辛いです。 辛そうなのを見たくないから離れるという話を聞いて、なんてひどいことをと思います。 ただ、やっぱり辛いから怖いし、みんないつかは死ぬのだから、それならどうすれば楽に死ねるかを考えてしまいます。 たとえば、処置するのに麻酔をかけないといけなくて、麻酔にリスクがあってそれきりになるかもしれないと言われた時、麻酔をかけてそのままいけるなら苦しくないからその方が良いのではないかと思ってしまいました。 精一杯生きるべき、というのはわかるんです。 でも充分頑張ったと思うし、一緒にいたいと思うのは私のエゴも多いと思います。 うまくまとめられなくてごめんなさい。 どうして、大切な存在が弱ったり去ることを思うと怖くてつらくて離れたくなったり、そこから早く解放されたいと思う気持ちとずっといたいと思う気持ちと、ひどくて矛盾した気持ちになるのでしょうか。 また、極端な言い方になってしまいますが、楽に眠るように殺してあげる人は、相手のためになら良いことをしてあげていると思ってしまうのはおかしいでしょうか。 生きる中でさまざまな経験をするし、中には良いことや楽しいこともたくさんあります。 辛い経験をすることで幸せをより鮮やかに感じられることもあると思います。 でも、もし本人がもう終わりたい、楽になりたいと望む場合、それを叶えてあげるのは悪いことなのでしょうか。

有り難し有り難し 10
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