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hasunoha 問答検索結果 : 「私 病気 できない」
検索結果: 6481件

女なのか、男なのか。

女なのか、男なのか、はたまた別の生き物なのか。 僕は女として生まれました。 幼い頃は女であることに疑問はありませんでした。 (と云うか、女とも男とも思ってなかったのかも?) 周りの女の子たちに生理がはじまり、胸の膨らみがあらわれるようになった頃です。 僕は僕に疑問を持つようになりました。 僕は女じゃない。 でも、男でもない。 定まらない性が、今も僕を苦しめます。 スカートもいつしか嫌いになっていました。 心の中で男っぽい服装の時は男装と言い、女っぽい服装の時は女装と言っていました。 女で生まれた以上、それを捨てることはできません。 胸も膨らんでいれば、生理もあります。 それがとてつもなく辛い。 胸を切り落とし、腹を切り裂いてやりたい。そう思うこともあります。 これが生きているのが辛い理由でもあります。 両親にはほぼ何でも話すので、このことも知っています。 一人称はその時によって違います。どれもしっくりしません。 僕、私、ウチ、おいら、自分、俺、色々ですが、まだ僕がマシなので今回は僕にしました。 一人称を定めたいという訳ではないです。 男とか女とか別にして、一人の人間として生きればいいというのは分かっています。 でも、この体でいるのが辛いのです。 何かアドバイスを頂けると嬉しいです。

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死にたい衝動を抑えられない

今年新卒で社会人になったものです。社内でモラハラやパワハラがあり、体調が優れず心療内科に通い始めました。 良い先生で、私の気持ちをわかってくれた上で、「友達などに自分の胸のうちを打ち明けてみるといい」とアドバイスをくれました。 ですが私には、弱音を受け止めてくれるような友達がいません。愚痴は嫌われます。 丁度、友達と遊ぶ機会があったので、思い切って職場のことを打ち明けてみましたが、引かれ、馬鹿にされ(たように私は感じました)、恥ずかしくて仕方がありませんでした。 友達に話したことを後悔しています。もう友人たちの輪には戻れないと思います。身勝手ですが、心療内科の先生のことも信じられなくなりました。 心療内科に行くのも、やっとの決断でした。死にたくて死にたくてしょうがなく、でももしかしたら助かるかもしれないと思って行きました。幸せに楽しく生きたいです。 でも死にたくて仕方ありません。ちゃんとした会社で働いている友達が羨ましい。そう思う自分が憎い。まともな会社に入れなかった自分が憎い。だから死にたい。私の人生の責任を取って私には死んでほしいんです。生きて責任を取るのは嫌なんです。怖いから、死ぬという行為1回きりで許して欲しいんです。 今まで沢山悪いことをしてきました。今こうして死にたいのも悪いことです。 自殺するにはまだ勢い(もしくは消耗)が足りないように思えて、毎日飲むよう言われている薬や心療内科で処方された薬はすべて捨てました。食事も水分も取らないように生活しようと思います。絶食は、死にたくなる度にやっていて、でも最後はやはり食べてしまいます。今回は頑張ります。身体に限界が来たら勝手に死んでくれるだろうと思います。 いまこの質問をすることに、少しだけ希望を感じています。本当は、自分は生きていたいんだろうなって思います。 どうしてこんなことになってしまうのでしょうか、とはあまりに抽象的ですが、この嫉妬心や死にたい衝動といった生きづらさは、仏教ではどのように解釈されるのでしょうか。自分で自分をいじめるような身勝手は、苦しみとさえ言えないものではないでしょうか。 長くて申し訳ありません。お寺や、神社に行くのが好きでした。お答え頂けますと幸いです。よろしくお願い致します。

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生きる楽しみを知りたい

こんばんは。 生きることに楽しみや喜びを見出せず死にたいと思っています。30代女性です。 自己成長により幸せを目指そうと、いつも努力してきたつもりです。 勉強して良い大学に入り、有名企業に就職、さらに自己研鑽のために転職しました。転職先でも働きながら大学で学位の取得を目指しています。 また、女性としても己を磨くため美容や服装も学び、伴侶を見つけ結婚しました。 心理面もノートに書いて自省したり、カウンセリングを受けたり、心理学や仏教に関する本や動画で考え方を変える努力をして参りました。 育った家庭環境もあり、人から与えられるものに期待をせず自ら行動してきました。 一方で人には優しく、仕事や友人、家族で困っている方に見返りを求めず手を延べてきました。 少しですが災害や貧困問題の解決のため寄付もしてきました。 生活の充実のため旅行を企画し、テニスやランニングもし、病は気からと節制し健康的な食事も心がけております。 このように自分なりに幸せについて真剣に考え、変わり続けてきたと思います。 全ては自己責任と考えておりまして、これまでの努力が無ければ、得られなかったものを悔いて自分を責め苦しんでいたと思います。 環境等、恵まれている部分もありますが、何事も諦めず努めた成果はあると思います。 それでも死にたい気持ちに勝る喜びはなく、絶望しています。 このまま死ぬまで苦しみながらも努力を続けて、それでも体力能力ともに今後老いるばかりで楽になって行くとも思えず、お先真っ暗です。 ただ、すぐに死ぬ方法がないので毎日を過ごしています。 もしかしたら不慮の事故で今日死ぬ事ができるかもと思うと、心が安らぎなんとか1日を過ごすことができます。 傲慢ですがどなたか生きたい方、望まれる方に私の残り半生をお譲りしたいとさえ思います。 主人や両親にはとても話せません。暗い私と生活させていることを申し訳無く感じます。 大変甘ったれた相談で申し訳ありませんが、このような毎日に一筋の光を見つけたく、ご指導願えると幸いです。 まずはまとまらない長文を読んでいただき感謝いたします。

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