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検索結果: 3055件

突然の父の死について

初めまして。 父親の死に対する様々な思いについて、ご相談させて下さい。 今年2015年3月18日に、父が急逝しました。 浴室で、何らかの原因で意識を消失し、風呂のお湯を飲んだ事による溺死。 享年83歳でした。 私は2015年2月まで東京で7年間暮らしており、3月に実家の九州へ帰郷したばかりでした。 父親はプライドが高く頑固な性格で 子供の頃は怖い、苦手というイメージを持っており 大人になっても、あまり父と真剣に向き合ったり、接する事は少なかったと思います。 しかし自分が歳をとるにつれ、父親が自分の一番の理解者である事を感じるようになり 自分の人生や両親の事など、色々考えた結果、帰郷する事に決めました。 そして、まさに帰ってこれからという矢先に、父が亡くなってしまいました。 今まで父とあまり話せなかった分、これからもっと色々な事を話したかった。 父が近年ずっと気にかけていた、私への心配(仕事・結婚)を無くしたかった。 (再就職、そして結婚して、孫の顔を見せたかった) これから父を支えていきたかった。 そういった父への叶わぬ願いが「もっと早く行動しておけばよかった」 という自分への後悔に変わってしまい、ずっと心から離れません。 葬儀の時「お父さんは、お前が帰ってくるのを待っててくれてたんだろう」 「お前に看取って貰えて嬉しかっただろう」と、親戚が言ってくれましたが 私は何一つ父に返せないまま父を亡くしてしまった、間に合わなかったという思いが強いです。 また、父の存在の大きさに亡くなってから改めて気づく部分も多々あり 父と今の自分をつい比べ、自分を卑下してしまう事もあります。 そして現在、父が亡くなり、残った母は要介護の為に老人ホームへ移り住む事となり 実家には自分1人で住んでいます。 自分が生まれ育ち、両親との思いがつまった家で、1人で暮らしていると 様々な思い出や、父の面影が頻繁に頭に浮かび、喪失感が募ります。 特に浴室は父が亡くなった場で、死んでいる父を私が発見したのもあり 毎日必ず入る場でもあり、入浴時に思い出さない日はありません。 父が亡くなって現在3ヶ月が経ち、先日、百か日の供養を済ませた所です。 後悔と喪失感に苛まれる現状から、気持ちの折り合いをつけていくにあたり 何か助言を頂けたらと思っています。 宜しくお願いします。

有り難し有り難し 92
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2021/12/09

死の恐怖感に押しつぶされそう

高校生です 朝起きたりニュースなどで人が亡くなったということを見たときに、死に対する恐怖感や不安感に襲われます。 人が生きる年齢を100歳だとしたときに親はもう50歳で人生の半分が終わっていて、自分は今までの事を6回ほどしたら死んでしまうということを考えてしまい恐怖や不安に耐えれなくなります。 今の生活を失うのが怖く死後の世界があれば今までの生活をできるのか、また死後の世界でも寿命があるのかを考えてしまい何もできなくなってしまいます。 自分は今までコンビニのガムや親のお金を盗んだりしてしまっていて、自分が死んだときに親は迎えに来てくれるのかと考えてしまい、もしかしたら誰も迎えに来ずそのまま地獄に行ってしまうんじゃないかと怖くなります。 自分は学校も行かず外に出るのもいつの日からかストレスになってしまい、親が亡くなったあと一人で生きていけるのか考えて怖くなります。 死後の世界がなければどうなってしまうのか、死ぬときは痛いのかなど考えてしまい吐きそうになります。  自分は今の親と兄とペットがいる生活がとても嬉しいです、でも年齢を考えたら自分が最後まで残って一人ぼっちになるのが怖いです、死後の世界で同じ生活がしたいと考えたときに少し嫌な気持ちに近いような感情が出てきてしまい、自分は親の事や今の生活を本当は嬉しく思っていなんじゃないかと不安になってしまいました 自分が家族や今の生活のことをどう考えているのかわからなくなってしまいました。 死後の世界があるのかなど知りたいです。 うまく言葉にできているか分かりませんがアドバイスをいただければと思います。

有り難し有り難し 12
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母の死から前に進めません

母親が亡くなってから、気分のムラが抑えれません。 3年前に母親が亡くなりました。父親は私が高校生の時に行方不明になりました。ちょうど、母が亡くなった年に事実上の死亡となりました。 母の死因は、私を産んだ時に輸血した血液から肝炎になりました。知ったのは葬式の祖母の発言です。 ムラの原因はわかっています。「後悔」です。 母が倒れた日、用事から帰ってきた私は具合が悪そうに寝ている母が、一緒に横になるか、との誘いを断り彼氏との電話をとりました。母が倒れているのを発見したのは、仕事から帰ってきた姉です。 何回か倒れて入退院を繰り返してきたのに、何故あの時ついていなかったのか。初めて倒れてから聞いた母の病気を受け入れられず、弱い母の姿が見たくなく、医者に長くないと早く言ってくれなかったことに怒り、弱さを見せない母に怒り……。3年たった今も発作のように涙がでます。 結婚し、家を出たり……前に進んではいます。ですが、未熟な私は子供を作り育てる勇気もわいてきません。 償いとして、臓器提供をして死にたい、と考えたこともあります。飛躍していると思われると思いますが、色々悩んだ先の自暴自棄なのもわかっています。 自分がどうなりたいのか、何をしたいのか、わかりません。泣いたら支えてくれる夫には感謝しています。 何もしたくない日が続いたり、体調が悪いと嘘をついたりしています。 そんな私が、これ以上前に進めるとは思えません。 どう考えて進めばいいのでしょうか。 長文失礼しました。

有り難し有り難し 59
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死が近いことを知り、心が冷めるのは?

2年前から乳がんの治療をしています。そして、徐々に上がっていた腫瘍マーカーが、このたび倍の値をはじきだしました。 数ヶ月、様子をみて、おそらくまた再び抗がん剤治療が始まります。 できれば長生きしたいのですが、がんが見つかった時には全身に転移していました。幸い自覚症状は全然ないのですが、画像でうつったがんの影や、異常な数値を見ると、私は(も)、時間はもうあまりないのかもしれないと実感します。 38歳、夫を残して死ぬことは心残りですが、他に関してはなぜかすごく冷めているのです。 窮地に陥ると実感するような、生きたい!とか死にたくない!という情熱や、あたたかな感謝や、しみじみと人生をかみしめるような気持ちが、全然起きてきません。 死んだら死んだだな、もう疲れた、というのが今の気分です。 できれば、あたたかな感謝の気持ちや、なにかを目標に進めるようなエネルギーが欲しいとも思うのですが、その反面、簡単に人にわかるか、わかられてたまるか、というどうしようもないスレた気持ちが強いです。 からだと心を善きもので満たしたほうが、予後もよいと思うのですが、そうなれないことに不安と焦りがあります。 しかし、それよりもこの冷めた感じ、やけくそみたいな気持ちがわいてることが、なにより自分らしく感じてしまいます。 天命というものがあるのなら、それは心のありかたや、生活のありかた、生き方は、繋がっているのでは、と思うのですが、このような冷めた、すれた、感謝もないような心や生活のありかたは一体どうなんでしょうか? 心身を入れ換えるエネルギーがないというのが正直なところで、虐待、流産や、病気になったことで思いもよらない悪意ある言葉をなげつけられることのショックで、もうどうにでもなればいいわというのが正直な気持ちなんです。 そんなだから、腫瘍マーカーの値があがり、がんが増えているのか? いっそうエネルギーがなくなり、本当に冷めてしまっています。 病と心・生活のありかたは、どのような関係があると考えていいのでしょうか? また、こんなに冷めた気持ちでいる自分は死が近いんでしょうか?死の近い人間は心は冷めていくものなんでしょうか?あたたかみをもったほうがいいのでしょうか?

有り難し有り難し 33
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父の死の受け止め方について

先日、父が亡くなりました。まだ60代でした。 元々、滅多に風邪もひかない人で、体調が悪いと言い出してから数日で倒れ、心筋梗塞と重度の糖尿病が発覚して入院し、手術の予定日の朝に突然、呼吸と心肺が停止しました。 父は、あまり自分の話をしない人でしたが、母から聞いていた限りでは、辛い経験を幾度となくしてきたようで、それらを父はいつも独りで抱え込んで、弱音を吐くこともなく耐えてきたのだと思います。さほど強い人ではないので、そのせいか少しひねくれてしまったところもありますが、頑張り屋だったのでしょう。 体のことも、入院時には主治医から「よく生きて病院まで辿り着いた」とまで言われたほどなので、実は随分前から体調は芳しくなかったのだと思います。そんな様子は全く見せてくれなかったので、私たち家族には正に『青天の霹靂』で、あれよあれよという間にいなくなってしまったという感覚です。 母と弟には、非常に大きなショックだったようで、時折放心したようになったり、色んなことを悔いたり、「早すぎる」と泣いたりしています。 私はというと、悲しくないわけはないのですが、どこか腑に落ちたというか、納得してしまったような感覚なのです。 父はさほど強くもないのに、これまで多くの苦難に独りで耐え忍び過ぎたと思います。 そしてこれから先、母を看取ることや、自分が寝たきりや要介護になることは父にとって、この上なく耐え難い苦痛であり、それを避けられたことは、父にとって決して悪いことではなかったと思えてしまうのです。 これは私自身の死生観ですが、生き抜いた先に穏やかに眠れる場所があるなら、それは『救い』だと思いますし、私もいつかそこに辿り着けることに安堵感すら抱いています。 体から解放された父はこれからは、痛い思いも苦しい思いもせず、誰かに傷つけられたり、辛い思いをしたりすることもなく、『楽』になってくれているように思えるのです。 なので、母や弟のような悲しみ方が私には出来ず、このまま日常にスっと戻れてしまうようなのですが、周りとの温度差がありすぎて、これは私がまだ悲しみを実感出来ていないだけなのか、それとも私の感覚が少しズレているのかと考えてしまいます。 私のこの感覚や考え方は、特殊なものなのでしょうか?

有り難し有り難し 13
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死にたいです、生きることが苦痛です。

はじめまして、SKと申します。 ここ最近、ずっと死にたいという気持ちが頭から離れず、自殺しようと考えています。 もちろん、然るべき専門機関で診察は受けているのですが、主治医の診断では、適応障害なのでカウンセリングで治しましょうと言われ、頓服薬のみ処方されています。また、カウンセリングで死にたい事を話すと、私は貴方が死んだら悲しいと言ったようなことばかり話されます。 私にとって、生きるに値する好きなものや大切な人が居ないのです。貴方が死ねば家族が悲しむなどと書かれてるサイトも多くありますが、私にとって家族は枷でしかないですし、悲しんでくれる友人もいません。独りぼっちなのです。 人間の三大欲求のうち、食欲と性欲はほとんど消え去ってしまいました。ただ、眠っている間だけはこの現実を忘れられるので睡眠欲だけは有ります。 もう、身も心もボロボロに擦り切れて倒れてしまいたいのに、世の中は自殺はいけない事だと吹聴していますし、かといって、倒れそうな身体を支えてくれる他人もいません。 無論、こんな自殺志望者に手を差し出すなんて事は、リスクヘッジの観点からすれば止めた方がいいとは私自身もよく分かっています。だったら、さっさと死なせてくれ!と思うのです。 絶望感と孤独感に打ちひしがれ、生きる理由や希望も見いだせず、生きるという行為そのものが苦痛で死にたいのです。

有り難し有り難し 38
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2021/09/28

自分が嫌いで死にたいです

誰に相談していいのかわからず、こちらで相談させていただきます。 思考がまとまらず、おかしな文章になってしまうことをお許し下さい。 私は自分のことが嫌いで、早く殺してしまいたいです。 頑張らないといけないことや、しなければいけないことがあるのですが、何一つ満足にできません。学生なのですが、こんな人間が社会に出ても周りの方の迷惑になるだけだと思います。 「働いてみないとわからない」「まだ人生長いんだから」と言われるかもしれませんが、自分が今まで何かの役に立ったことは一度もなく、努力もできないのでこれから先も何も成し遂げることはないのだと思います。 「生きてるだけで素晴らしい」「人は幸せになるために生きているのだから迷惑をかけてもいい」と仰る方もいると思いますが、ただ周りに迷惑をかけて生きてる人間は社会のお荷物でしかなく、これ以上迷惑をかけないように死ぬべきだと思うのですが、なぜ死んではいけないのでしょうか。 自分が幸せになるために誰かに迷惑をかけていいのだと言っていた方もいましたが、私なんかが幸せになるために誰かに迷惑をかけるようなことはしたくないです。 こんなことをここに書いてしまう自分も、誰かに迷惑をかけて生きてしまう自分も大嫌いで、これ以上迷惑をかけないように早く自分を殺したいです。 自分自身を殺すことはなぜだめなのかお教えいただきたいです。 長文になり申し訳ありません。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 41
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亡き祖父と私。

こんばんは。 不眠症と自殺願望に悩む女性です。 去年、祖父が亡くなり、私のことを可愛がってくれていた祖父が天国へいってしまいました。 たまに短い睡眠時間の中で夢に祖父が出てきます。 亡くなる前、やせ細り、会話もままならなかった祖父がふくよかになり、笑顔を見せてくれる夢です。 私はその夢を見るたびに幸せな気持ちになります。 ただ、それ以上に睡眠時間が2、3時間しかとれない今の現状が辛いです。 また、父が難病を患っていて、病院の診察の一週間前から父を亡くしてしまう不安で、体が震え、余計に眠れなくなります。 こんな状態が続いてから、ふと自殺を考えるようになりました。 なにより一番辛いのは父の方なのに... 勿論、両親より先に死ぬことは親不孝だと分かっています。 でも私は祖父の元へいきたいのです。 今まで中学生から死についてずっと考えてきました。 ふと湧き出る衝動にどう対処していいか分からない時もあります。 私は自殺を考えながらも、これからも頑張って生きていかなければと、自分を奮い立たせていますが、限界です。 私のこの想いは自分勝手だとも分かっています。 私が自殺を選んだとしても、祖父に会えることはないとも分かっています。 祖父を亡くした痛みはいつか癒えて、祖父との思い出を幸せだったと思える日がいつか来るのでしょうか?

有り難し有り難し 4
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愛犬の残酷な死。気持ちの整理の仕方

先日叔父が亡くなったと父から連絡がありましたが私は海外に住んでおり葬儀に出席することができませんでした。父の家系は複雑な事情があるようで叔父が亡くなった事は親戚には一切知らせず葬儀が行われたようです。 実家では犬を飼っています。その犬は前の飼い主に捨てられ迷い犬となり私たち家族が里親として迎え入れました。辛い事もあっただろうと家族全員たくさん愛情を注いできました。今回両親は葬儀に出席する為ペットホテルに預けたようです。そのホテルを利用するのは3度目でスタッフの方も信頼していました。事件はお通夜の日に起こりました。 母のところにペットホテルの方から連絡があり夕方の散歩中に野犬?猟犬?飼い犬かもわからぬ大型犬に愛犬が襲われ死んでしまったとの連絡でした。家族が家に戻ったとき愛犬は変わり果てた姿になっていました。スタッフの方もとっさのことで何もできなかったことを申し訳なく思っておりその後も真摯に対応してくださったようです。不慮の事故と言えば整理がつくのか、そのホテルの方を責めることもできませんが、残された家族はなんでこんな事にという思いでいっぱいです。散歩コースも真っ暗な所だったようで襲った犬がどんな犬種だったかもわからない様子でした。もっと明るい時間帯に散歩してくれればとかそもそも預けていなければ私が日本にいれば家族の誰かが愛犬のお世話をすることができたやこんな不幸な事が重なるなんて父の複雑な家庭環境で親戚に叔父の死を知らせなかった事によりご先祖様がお怒りになって大切にしていた愛犬を奪っていってしまったのかとか底知れぬ考えばかりが浮かんでしまいます。噛み殺されたなんてあまりにも残酷で愛犬が1人で苦しんで死んでいったかと思うと心が痛いです。たくさんの愛情を注いできたつもりでいましたがこんな死に方をして愛犬はうちにきて幸せだったのかと考えてしまいます。人一番可愛がっていた父はうちに来なかった方が良かったかも飼い主として失格だとかなり落ち込んでいます。家族が悲しみに沈んでいるとき私はすぐに会いに行くこともできず亡き骸にも会えませんでした。どこに気持ちを持っていけばいいのかどのように考えれば家族みんなの心が少し救われるのか、苦しんだ愛犬もどうしてあげることで安心するのか、私は海外にいながら何をしてあげることが愛犬の為になるのか悩みはつきません。 どうかご意見頂けたらと思います。

有り難し有り難し 27
回答数回答 1
2021/10/10

罪悪感でもう死にたいです

こんばんは。私は過去(小学生の頃のころ)沢山の人を傷つけてきました。 陰口や悪口を言ったり暴言を吐いたりなどです。私自身も沢山悪口を言われてきました。その時の悲しみを私は分かっていた筈なのにです。 そしてその悪口や陰口が原因で友人達は離れていきました。その際にやっと自分がとんでもないことをしたのだと気づき、それからは自身の言動に気をつけ思いやりを忘れず生活してきましたが、ふと昔のことを思い出すと罪悪感で潰されそうになります。 「みな試行錯誤であり、それは良い経験であった」「もし昔のことを思い出したら心の中で謝り、今出会っている人たちやこれから出会う人たちを大切にしてあげてください」「神仏やご先祖様に向かって罪の告白、相手への謝罪、今後あのようなな事はしないといった誓いなど懺悔することを日課にする」といったアドバイスをいただいたり他の方向けのご回答を拝見したりして少しでも考え方を改めようと思いましたが、それでも罪悪感で息苦しくなってしまいます。過去が消える訳でもありません。もし今仲良くしてくれている友人達が昔の自分のことを知ったら?昔の自分を知っている人と今の友人が出会って自分の過去のことを知られたら? そのような想像をしてしまい不安で仕方ありません。今でこそ多くの人に「優しいね」と言ってもらえることが多いのですが、昔の自分を思い出し、「本当はそんなことない」と素直に受け止めることができません。 「死」を選ぶことは逃げであり結局は自己満足でしかないことは分かっています。それでも罪悪感でいっぱいになり生きていくのが辛いです。 もう「死」が一番の贖罪ではないかと考えてしまいます。

有り難し有り難し 99
回答数回答 3
2023/02/05

死にまつわる物事に異常な恐怖を感じます。

初めてご相談させていただきます。 私は死にまつわる物事に異常な恐怖を感じます。 例えばお葬式、葬儀場、霊柩車、火葬場、お墓などです。 始まりは小学生の頃、親戚が亡くなり初めて遺体を見ました。今でも忘れられないのですが、母親から幽霊の話をその時に聞かされて恐怖で逃げ出したい気持ちになりました。その後、成人してから父型の祖父が亡くなった時に初めて火葬場に行きましたが、とてつもなく怖くて出棺後を見届ける事ができませんでした。その後祖母も亡くなった時も怖くて立ち会わず恐怖に苦しみました。 私はどちらかと言うと母方の祖父母の方で育てられました。その2人もこの10年で亡くなりました。その際は最期まで見届けて、骨上げにも立ち会う事ができました。 しかし、その後異常な行動が始まりました。死にまつわる物事に異常なまでの反応をします。 例えば葬儀場の近くはなるべく通らない。 喪服を着てる人を見かけたら、その人が歩いていた所はジャンプしてまたぐ。 電車で見かけたら車両を変える。 霊柩車が通った道は遠回りしてでも避ける。 葬儀に参列した際はその時着用していた下着やシャツなど全て処分する。 カーナビなどで、〇〇苑【葬儀場や火葬場】と言う言葉を見つけると異常なまでに恐怖を感じる。その日、何時間も気にな楽しめない。 霊柩車を1日に何台も見つけてしまう。 小さい頃、霊や悪霊が悪さすると母親から刷り込まれ今だに目に見えない不思議な物を信じて恐怖にかられています。 霊が私に何かするんじゃ無いか?不幸を連れてくるのでは無いか、呪われるのでは無いかと、毎日恐怖にビクビクしてとても生きづらいです。お墓の近くを通ったりした際はすぐに洗車に行きます。 コロナが始まってから余計にこの強迫概念にかられとても苦しいです。 僧侶の皆様にこの様な質問は失礼に当たるのでは無いかと何年も悩みましたが、勇気を出してお伺いします。 どうかこの強迫概念が少しでも楽になる助言をいただけましたら幸いです。 よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 6
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