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hasunoha 問答検索結果 : 「お坊さん できない できない」
検索結果: 7815件
2023/02/05

亡くなった母を思い出して悲しい

私が28歳の頃、母が半年ほど自宅で闘病した後、ガンで亡くなり、私は自分が自立していなかったこともあり、悲しいのと同時に、とても不安でした。 当時は、人間的にも他にはいないような、やさしい母、私のせいで、私がもっと何かできたのではないかということばかり考えていました。 ここ何年か、さも私や家族が悪いように言いながら、わがままを言ったり、私のためを思っているようで、ただ感情をぶつけていたのではないかと思えるような、母のみっともない面、いやな面を思い出すようになりました。 なにか遅れてきた反抗期のようでもありますし、母親を悪く言う、ひどいことを言うほど私は堕したのかなとも思えます。 母が死んだ年は、うつ状態になり、その後人生で起こることも悪いことが多く、今も引きずっているようなところもあります。 私の現状はいいとは言えず、そういったことも母を思い出すことと関係があるのかなとも思えます。ただ、直接には存じ上げませんが、幸運に恵まれなくても、不幸続きでも、良く生きている人はいるのだろうから、そういうことは理由にはならないのかなとも思います。 母が亡くなって10年以上経ちますが、今も悲しく、さびしいです。つらいです。人並み以上に母がみじめな思いをしたように思えたり、私自身もひどくみじめに思え、母と、なんというか、心のつながりがないように思えます。一方で、以前よりも痛切にさびしさを感じるようになりました。私の人間関係が母しかなかったこともあると思います。母の死が過去のことになっていきません。苦しいです。 なにかの本で読んだように、母のことを思い出し、自分は大丈夫と思えるようになりたいと思うのは、欲でしょうか。 どうして母のいやなことばかり思い出してしまうのでしょうか。 なにかお言葉をいただければ幸いです。

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寺の跡継ぎ

私はお寺の長男です。 昔から寺の跡継ぎになって欲しいと言われて生きてきました。 しかし跡を継ぎたくなく、そのことに悩み高校に不登校になったりしました。 大学も、親からの頼みで仏教に関係のある場所に入りましたが、気が進まず一度も行っていません。 . 田舎の小さなお寺で檀家も少なく家も老朽化が進みボロボロです。 お寺としての収入は少なく、金銭面で困ることや、それについての悩みが後を絶えません。 . 昔は良いお寺だったのかもしれませんが、正直に言って父も尊敬出来るような人間ではなく、逆に嫌悪感さえ感じています。 ですが、育ててくれたことへの感謝はあり、無下にも出来ず、跡を継ぐのが嫌だと伝えたりもしましたが、納得してもらえず、はぐらかされたり適当なことを言われたりもしました。 . 言うなれば私は神を信じていません。 自殺を考えたこともありましたが勇気もなく母を悲しませたくなくて行動には移せませんでした。 . 住職を辞めることも考えましたが、ボロい寺の住職になりたいと思う人はいないでしょうし、金銭的にも新しい住居を探すことは難しいでしょうし、考えれば考えるほど問題が浮き彫りになっていきます。 . 出来るかはわかりませんが 私はお寺を取り潰したいと思ってます。 もし自分に子供が出来た時、その子にこの重荷を背負って欲しくないのです。 そして、私もこの責任から逃げだしたいと考えています。 . 長くなりましたが、お寺を取り潰す方法や、それに関する知恵を授けて頂きたいと考えております。 正直、檀家やお墓のことなどは全然わかりません。 どうかよろしくお願い致します。

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自分の信じる『神』や『仏』が何者かわかりません

はじめまして。 うまくお話しできるか、わからないのですが… ここ最近、自分の思想がどこにあるのかわからず、お話を聞いていただきたいと思い、投稿させていただきました。 まず、私は特に、何教徒である、ですとか、特定の宗教には属しておりません。 ただ、色々と自身の考えと当てはまるものを探すなかで、最も共感できるのが仏教でしたので、こちらにおります。 私は漠然と、神様が存在していると思っています。 神が人間を作ったと思っています。 しかし、それは聖書にあるような、直接的に人間を作り出すようなものというよりは、 人が一冊の本を作り上げるようなものだと思っています。 『神』が、この世界を作り上げ、そのなかで『キリスト教』『イスラム教』『仏教』といった… 語弊を恐れずに申し上げるならば、『地球というなかの物語の設定としての宗教』を作り上げているのではないか、と思ってしまうのです。 そうした、なんでもできてしまう神のような、宇宙の外にある大きな力が、私は怖くてたまりません。 あまりに苦しいとき、そうした『神』が、私に何かバチを与えているのではないか、とさえ感じます。 しかし一方で、仏教の『因果応報』という教えを知ったとき、どこか救われるような感覚がありました。 私が苦しんだり、喜んだりするのは、宇宙の外にある神のせいではなく、自分自身の行いの結果なのだ、と。 それから、少しずつ仏教について調べ始めていますが、やはり何か神様のようなものの存在は、否定できずにいます。 そもそも、誰か一人でも信じ、信仰し、救われている人がいるならば、キリスト教の神も、イスラム教の神も、はたまた新興宗教の神であっても、存在していると思うし、それを否定したくないのです。 自分の信じるもののために、誰かが信じるものを否定したくありませんし、ないものにしたくありません。 一方で、どこか神様のようなものに怯えている自分がいますし、こんな自分が仏教の教えに惹かれることは、それこそバチが当たるのではないかと思います。 うまくお話しできたかわかりませんが、心のもちようがわからず、難しく感じております。 なにかアドバイスなどありましたら、ぜひ教えてください。

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般若心経の「無無明・亦無無明尽・・・」の部分について

こんにちは。 前回質問から、般若心経の「無無明・亦無無明尽・無老死・亦無老死尽」 の部分が、やはり気になってしまってるので質問させて頂きます。 この部分は十二縁起についての言及との事ですが、 十二縁起を乱暴ながら私なりに要約すると 根源的な無知(無明)→生存本能と外界知覚(行・識・名色・六処)→本能と分かち難く生じる煩悩(触・受・愛・取)→本能と煩悩で成り立つ生存(有)→生存する主体として「私」という想念が生じる(生)→「私」はいずれ死ぬ(老死) と、言う事でしょうか。 私の考えでは、この部分について般若心経は 「どんなに達観しても十二縁起の因果関係は断ち切り難い」 (「無」無明尽・「無」老死尽→否定としての「無」) けれども 「物事をありのままに見れば(空相にて照見すれば) 全てが、かけがえのない真実と分かる」 (「無」無明・「無」老死→空相、全体性としての「無」) と「無」と言う言葉が違った使われ方をしているように 思うのですが如何でしょうか? 字面通りに読めば「Aは無いけど、Aは尽き無い」と言う二律背反になり、 これでは意味の全く通らないナンセンス文章です。 この部分、般若心経を読む誰もが最初に「あれ?」と思う所ですが、 腑に落ちる説明をしている本がありません。(偉そうに言える程、 本は読んでないですが) 中には「十二縁起なんて形式にこだわるのは小乗仏教だ。 般若心経は大乗仏教だからそんなものに拘らない」 とバッサリ斬っている書籍もあります。 そんな単純なものでもないと思うのですが・・・ 解釈は色々あるかもしれませんが、お考えをお教え頂ければ幸いです。 何だかマニアックな質問になってしまいすいません。

有り難し有り難し 89
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こんな私でも供養できるでしょうか

以前質問させていただいた者です。 こどもを死産してもうすぐ一年になります。 その子のお墓や仏壇ができ、一周忌の法要もお願いしています。その際にお墓への納骨もさせていただく予定です。 ですが、私自身、未だに気持ちの整理がつけられず、お墓や御仏壇のことを考えると気が遠くなり、辛くなってしまいます。辛さというのは、こどもが亡くなった悲しさ、あの時私がもっと早く病院に行っていたら亡くなることはなかったのではないかという後悔、生きて産んであげられなかった私自身を責める気持ちです。 夫は、私の気持ちを聞いてくれ、お墓も仏壇も作らない方がいいのではと気遣ってもくれましたが、夫自身は、お墓や御仏壇をそろえて手を合わせることが供養になるとの想いがあり、準備をすすめてくれました。 これまで、仮の御仏壇に毎日手を合わせてきましたが、想うのは「ごめんね」と「また会いたい、また抱っこしたい」ばかりです。悔やんでも自分を責めても、亡くなった命はもどらないし、供養にならないと思いながらも、一年経ってもそんな自分を変えられないでいます。 一周忌は来週ですが、法要の間もお墓や御仏壇から目をそらしてしまいそうで、涙が出て動けなくなりそうで、きちんとして居られる自信がありません。 供養の仕方がわかりません。私はどうしたら供養をしてあげられるでしょうか。

有り難し有り難し 33
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妻が分からないんです

今年の初めに子供が生まれました。 私はとある会社の代表を務めており、小さい会社ながら仲間たちとともに利益を上げてきました。 妻もその仲間たちのうちの一人でした。 一生懸命に働き笑顔を絶やさないその姿を好きになり結婚、一年後に妻の妊娠が発覚しました。 私も妻もとても幸せでした。 妻は会社の事をとても心配していましたが、俺が2人分頑張るからと言い安心させました。 数日前会社の仲間たちと一緒に私たちの家で食事会をしていたときのことでした。 暫くは楽しそうだった妻の表情がどんどん曇り、気分がよくないからと寝室に籠り結局お開きになるまで戻ってきませんでした。 大丈夫かと尋ねると妻は子どもを抱いたまま泣いていました。 具合が悪いようではなさそうなので理由を聞いてみると、「もう私は仲間じゃないんだね」と言われました。 私も仲間たちも含めそのような扱いはしていません。 しかし妻は「誰も私を名前(社員時代のあだ名)で呼ばなくなった。『お母さんは大変だね』とか『お母さんは子供生まれて幸せでしょ、そのまま2人目とかいいよね』って言う。私は仕事に復帰してまた皆と一緒に働きたかったのに、もう会社に私の居場所はないんだなと実感した。」と言いました。 確かに思い返せば社員時代のあだ名で誰も呼ばなくなったし、私も仲間たちもいつのまにか妻は家庭に入ったんだからもういないんだと勝手に考えていました。 そういえば妻は復帰したいと何度か言っていた気がします。 でも私は3人目まで欲しいし仲間たちにもそう伝えているし、正直家庭に入ったほうが女性は幸せなんじゃないでしょうか? 男は外で稼ぎ女は家庭で子供を育てて簡単な家事をこなす。 これでいいじゃないですか。 私は妻の出産に付き添い、大変感動しました。 これが女性の仕事なんだと実感したんです。 肉体的にも精神的にも男が外で働くほうが理にかなっています。 妻は優秀な社員でしたが、女なんだしいつかは家庭に入るだろうと考え役職はつけていませんでしたし。 妻はあれ以来ずっと泣いていて、もう家庭内別居状態なんです。 なんで妻がそこまで社会復帰にこだわるのか理解できません。 仕事なんて男に任せておけばいいのに。 妻と仲直りし、完全に家庭に入ってもらうにはどうすればいいですか?

有り難し有り難し 326
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