ここ一月、死に対して敏感に反応してしまうのが悩みです。 半年ほど前に心身のバランスを崩して退職しました。その後いろいろあって進学することになり、試験にも合格しました。 ただ大急ぎで詰め込みすぎたせいか、「あ、この勉強しんどい。これで身を立てていく自信がなくなった」と思うようになり、ボーッとする時間が増えました。 その際、本を読む時間が増えたのですが、その際死について寿命について書かれている文章を読むことが増えたせいなのか、自分の死に対して恐怖を感じてしまったり両親や家族がいつか死ぬと思うと無性にかなしくなったり、有名人の方が亡くなると「ああ、どんな人でもやっぱり死んでしまうんだなぁ」と虚しくなってしまったりすることが増えました。 今まで不幸ではありませんでしたが(学生の頃は当時の家庭環境を憎んだり、いじめにもあったりしていてツラい思いをしたこともありましたが)、幸福でもなかった人生だったので、幸福を掴みたいと努力してきたのですが、「どうせ死ぬ。自分の意識がなくなれば終わり」と思ってしまうと、もうしんどい思いをしてまで努力する必要はないんじゃないかなぁと考えてしまったりします。 こんな状態を見かねた友人が遊びに誘ってくれたりもしたんですが、全然楽しくなくてその友人には申し訳ないことをしたなぁと思ってしまったり、自分でも死に対して考えないようにしてはいるんですが、どうしても考えてしまって食欲が落ちたり胸が痛かったりしてコントロールできずに悩んでいます。 死を受け入れればいい話かもしれませんが、どうしても「死=自意識の消滅」と思ってしまうと受け入れられません。 毎日あの世はあるのかないのか、幽霊はいるのかいないのか、そんなことを考えて一日が過ぎていってしまい、どうせ死ぬのにもったいないなぁ、でも外に出て働いていたときのようなツラい目にもあいたくないから動きたくないなぁと思ってしまいグルグルグルしています。 一体どうしたらこの気持ちに決着をつけられるのか、よろしければご回答お願い致します。
去る3月22日夫が自死いたしました。 あれから80日近くたち、涙は枯れてまいりましたが、日々彼に対する罪悪感、己への嫌悪感は増すばかりのような気がいたします。 私が、彼のいう事にもっと耳を傾けていたら、なぜ彼は一人で出てゆかなかったのだろう? 生きてくれさえすれば・・・ どう泣きわめこうが、謝ろうが反省しようが、もう彼はこの世には居ない。解っているのです。 49日が過ぎるころから、自死念慮は収まったように思います。 が、人生の希望が見えないのです。 何もやる気がおきないのです。 これではいけないと、こちらで拝見した、井上貫道老師の坐禅会にも参加致しました。カウンセリングも受けています。自死遺族の会(築地本願寺は気分がすぐれず、伺えませんでした)も参加してみようとは思っております。 はやく普通の生活を営めるようにしなくてはと思っているのですが、なかなか思うようにゆかず、まだ、彼の亡くなった家へも立ち入ることが出来ません。 また、長時間の外出は気分が悪くなってしまい、ついつい引きこもってしまいます。 どうしてよいのか解りません。 また納骨のことでも気がかりがあります。 それは、また次回お尋ねいたします。 脈絡のない文章で済みません。
こんにちは。質問をさせていただくのは2回目です。29歳女性、看護師をしています。 今年の1月に祖父が亡くなりました。そして6月に私が入籍し、バタバタな上半期を過ごしてきました。 そして最近、亡くなった祖父母のことを思い出したり、今の夫が亡くなることを考えると涙が止まりません。 「死別という辛い体験をしたくない」「でも死はみんなに平等に訪れるもの」という2つで葛藤しています。 そんな私に夫は優しく寄り添ってくれて何も寂しくないはずなのですが、ふとした時に、悲しい感情が溢れ出てくるのです。 よく行く占いの先生に相談したところ「魂の質が高いのでしょう」「祖父の死と結婚が一気にきたから、結婚後に夫を失うことを恐れているのでは?」という見解でした。 それからは「涙が出るのは仕方ない」ただし、死は皆平等に訪れる仕方のないことであるため「死が訪れるまでは精一杯生きよう」という考えを持つようにしました。 (それでも涙は出てしまいますが…) お坊さんの方々はどのような考えをされるのか、また今の私にアドバイスをお願いしたくて相談させていただきました。 お忙しいとは思いますが、よろしくお願い致します。
万物は生成発展する。万物が変化するという大きな掟には、どうしても抗することができない。われわれ人間の意志がどう働いても、防ぐことができない。 シワひとつ寄ったということは、きのうなかったものができたということで、それは発展の姿や。さらに発展すると死んでしまうということや。死もまた発展ということやね。 われわれに与えられておる個人の感情から見ると肉親が離れるとか、友人と離れるとかいうことは悲しいことかもしれん。しかし人間の感情じゃなく、ものの本当の論理からいくと、生あるものは死し、死は生成発展になっている。だから、ここで生成発展の一段階がすんだというわけや。めでたいことなんや、早く言えば。 これは万物流転の原則であって、進化の道程というわけや。 上述は松下幸之助の言葉です。どう思われますか。一言、お考えをお願いします。
SNSにて 『死んで償える罪などない 死んで癒える苦しみも悲しみもない 自死は罪と苦しみと悲しみを増やす最悪の選択 だから、生きて償い、生きて癒される事だけが、人の唯一無二の道』 という投稿がありました。 その方はヒーラーさんです。 やはり自死にはそれだけの重い罪が着せられるものなのでしょうか? 49日もやっと過ぎ、死を受け入れられてきた矢先で目に止まってしまったのでまた色々と考えてしまい始めました。 ※信仰先は真言宗です
私は春から大学生になった女子です。 突然ですが死が怖いです。コロナウイルスが怖いです。自分があのウイルスにかかっている気がするかかって死んでします。家族や親戚がかかったら死んでしまう。その恐怖で毎日夜泣いて眠れません。もしこのまま眠ったまま死んでいたらどうしよう。と思うとさらに眠れません。とても辛いです。 死が怖いと考えたのが小学6年生くらいでした。夜寝る時にふと考え大号泣しました。それからあまんまり深く考えていませんでしたが、今回のコロナウイルスで更に怖くなりました。あの頃はまだ幼かったのであまり深いところまでは考えれなかったのですが今は悪い方悪い方にしか考えれずにインターネットで調べてはまた泣く毎日です。
こんにちは、現在高校生の者です。 突然ですが、最近ふと親の死を考えてしまい怖くなっています。 私の父は難病を抱えており、もう長くはないと自分でも話しています。そんな日に日に痩せていく父や、白髪の増えてきた母を見ていると、ふと死に対する不安と恐怖に包まれます。 自立しないといけないと分かっていながらも、未だ親離れ出来ていません。こんなに仲良く楽しく話しているのに、もし明日死んじゃったら、と思うと怖くてたまりません。 いのちには限りがあると分かっています。でも、それにどう向き合ったらいいのかが分かりません。 どのような心構えをしているのが良いのでしょうか。ご回答お願い申し上げます。
現在高校3年生です 受験を一通り終え人生の節目に立ったことと、時間がとても余っていて暇なこともあってか、ここ数日死について考えてしまいます。受験とコロナという状況も相まって自室という閉塞的な場所に長期間いて家族以外とあまり会えず精神状態が不安定なのかもしれません。 僕は今までとても幸せな生活を送ってきてこれまでの人生に後悔はありません。 だからこそ、いつか来る終わりが怖くて仕方ありません。 死については科学や宗教など色んな立場の人が色んな意見を出し合っていると思います。 今この世に生きている以上結局死後のことは何も分からないことも分かっています。 けれどあれこれ考えてしまいます。 もう大学生ですし結婚願望もあるので親と一緒に過ごせる時間やそして必ず来る親の死、自分の寿命が尽きた時の自我の消滅などを考えると怖くて仕方ありません。 僕としては自分が死んだら、親や兄弟、ペットとまた幸せに暮らしながら、自分の子孫などを見守り、時が来たらその子とも暮らしたりという、あの世での永遠を望んでいます。 これはとても都合のいい考えだと分かっていますが、こうでも考えないとおかしくなってしまいそうです。 もちろん死ぬまでは精一杯生きるつもりですが皆さんの考えを是非お聞かせ頂きたいです。
何度も失礼します。 最近生活していてやはり、死が怖くなりました。 感染症の影響で多くの人が亡くなり そのことが、あたかも自然なように 連日報道され、人の死が生活の中で より身近(不謹慎ですみません。) に当たり前のようになってきていて いつ死ぬかわからない、まだ自分はやるべきことができてない という負の感情がブクブクと浮かび上がってきてしまいます。 また、これは先ほどのものと違うのですが、 9月3日の夜に見た夢で、夕方に 一人で習い事(文化系)の練習をしていると、 習い事の先生(故人)が先生の住む母屋から出てきて、 自分の隣に座って話すという夢を見ました。 先生にいくらかの自分の悩み事を聞いてもらった後、 「向こうでは、どうしているのですか」 と聞いたところで先生が答える前に 目が覚めてしまって、そこから 「先生が何を言おうとしていたのだろう」と モヤモヤが続いています。 以前の質問で死と向き合って、 そこから生きていく意味を見つける というお知恵をいただいてとても参考になったですが、 自分自身が死と向き合うことができなくて 生きていく意味の追求も止まってしまっている気がします。 お坊さんの思う死の恐怖と向き合う、よける、折り合う方法や お坊さんが普段それと付き合う方法を教えていただきたいです。 先生がどのようなことを言おうとしていたと思われるのか、 ということもできれば教えていただけると嬉しいです。 お忙しい中申し訳ありませんが、よろしくお願いします。 乱文失礼しました。
人は人に認識されて初めて人になるのですか? 誰の記憶にも残らず孤独死した人間は生きていたと言えるのでしょうか
タイトル通り、死や病気がとても恐くてたまりません。 その原因として、3年前に愛犬が病気で亡くなった頃からではないかと思います。 ネットで病気を検索してしまったり、 人の死をテレビで見たときにもとても悲しくなります。 いずれは誰だって死が来るのは当然ですし、どうやってもあらがえませんが、 そのさだめに涙してしまうことがあります。 早くお迎えに来てほしいわ〜と笑顔で言っていたり、私はもう満足したからいつでも死んでもいい。と言っている人が 凄いと思う半分不思議です。 もっと前向きに生きていきたいのですがどうすれば良いでしょうか? ご回答よろしくお願いします。
家族ぐるみでとてもお世話になった人が、今春亡くなったようで、その事実をつい数日前に知りました。 その方とは、年に一度会う程度だったのですが、会った時にはいつも親切にして下さる素敵な方でした。 訃報を聞いてからは、涙が止まらず、こんなにも大きな存在だったのだと実感しました。 「去年会った時は、あんなに元気そうだったのに」「あの姿が最後だったなんて信じられない」「亡くなったのは嘘ではないか」などと思ってしまい、死を受け入れなければならないということはわかっているのですが、受け入れられない自分がいます。 また、何をしていても、頭の片隅にその方との思い出が浮かんでは、悲しくなってしまうことの繰り返しです。 数年前に祖父母を亡くしておりますので、死と直面するのは初めてではないのですが、今はその受け入れ方がわからずにいます。 どうやってこの死と向き合えばいいのでしょうか。
私はお付き合いしてる人と数ヶ月前からペットを飼っています。 以前から飼いたいと思っていて、ペットショップで胸を打たれてしまい、2週間後にお家にお迎えしました。 とても可愛くて、大事に大事に育てています。 しかし、あることがたまに心にひっかかり苦しくなります。 それは死についてです。 ペットは私たち人間より寿命が短いので、成長していくたびに嬉しい反面悲しい気持ちにもなります。 私が飼っているペットは平均寿命が8年といわれています。 そんな悲しいこと考えてしまうと、ペットにも失礼だとわかってはいるのですが、ずっといっしょにいられないんだと辛くなります。 彼はペットが幸せを全うすればいいんだよとアドバイスをしてくれますが、 幼い頃に大事にしていたペットが亡くなった時のショックが今でも忘れられません。 そんなにトラウマなら飼わなければいいのにと言われますが、ペットといっしょにいると人間にはない癒しがあります。 今飼っている子を幸せにしたいから飼いました。 死について、後ろ向きに考えてしまいます。 死についてお坊さんからお話していただけたらと思います。 お返事よろしくお願い致します。
息子の死受け入れられない。
5年前よりこちらでお世話になっています。親身にご回答頂きありがとうございました。何とか供養を続けております。 母の7回忌を終えた矢先、兄が亡くなりました。 子供のことから性格が合わず、疎遠になっていた兄は孤独死。妻子と離れて一人で生活、詳しくは分からないのですが体調が悪かったようでした。 最後の電話も喧嘩、お互いに酷い言葉が最後の言葉になってしまいました。 兄の死は警察からの電話で知り、その後のことは全て私が行いました。 想像もつかなかった事が押し寄せ、今考えると正気ではなかったのでしょうが何とか概ねの手続きを終えました。 両親の眠るお墓に納骨し、両親の位牌の隣に兄の位牌を置き、これから供養していくつもりですが、兄が成仏し極楽浄土に行けるのか、そのために特別な供養が必要なのか、そしてまた、こんな弟の供養でも成仏できるのでしょうか?
初めて質問をする者です。 よろしくお願いします。 当方、大学4年生で就活活動中です。 タイトル通りなのですが、 いわゆる自分はタナトフォビアなのだと思います。 きっかけは恐らく 幼稚園の頃に経験した祖母の死 小学生の頃に経験した祖父の死 高校生の頃に経験した母親の死 だと感じています。 身の回りにこれだけの身内の死を経験した人がいなく、あまり共感はされません。 仕方のないことだと分かっています。 避けられないことだとも分かっているのです。 しかし、怖いのです。最近時間があるせいか、毎日のように死んだらどうなるのか、これからの別れに耐えられるのか、生きる意味とは何なのか、そういうことばかり考えています。 何も手につかなくなってしまいます。 周りの人たちは、こういうことを考えず前向きに将来のことを語っているのに、今の私にはそれが出来ません。私も前向きに将来を語りたいです。 心配性なところもあり、果たして自分はいつまで生きることが出来るのか、考えても仕方がない未来のことを心配してばかりいます。 周りからは明るい人間だと言われるのですが、今はとてもそんな状態ではありません。 きっと母親の死が大きすぎたのですが、高校生活が忙しく、適切に処理出来ていなかったのだと思います(泣いたら駄目だと思っていました) 同じように悩んでいらっしゃる方をここのサイトで知ることが出来、私だけではないのだと感じることが出来たのですが、やはり心配性、恐怖は改善されませんでした。様々なQ&Aを見てきた中で、なぜ仏教を学ばないのかと不思議に思うことがあるという回答をしていらっしゃったお坊さんがいたのが印象的でしたので、初心者にもおすすめな本などがあれば教えて頂ければ幸いです。 避けられない運命を、せめて受け入れられる考え方、心得を教えてほしい、助けてほしい。 以上、長文にお付き合いいただきありがとうございます。
六日前に祖父が亡くなりました。 葬儀は昨日全て終わったのですが、未だに亡くなったことが信じられません。 またひょっこりと祖父が出てくるんじゃないかと期待してしまう自分がいます。 突然亡くなり、私たち家族と別れの言葉もないまま祖父はどんな気持ちだったんだろう、、と色々考えると涙が止まりません。 最後は寝たきりだったので、三途の川をちゃんと渡れるのかなど、心配でたまりません。 夢でもいいからまた祖父に会いたいし、祖父の声とか思い出がどんどん薄れていくのが怖いです。 祖父の死とどう向き合っていけばよいのか教えて頂きたいです。
ワンピースのカイドウも言ってます。 「死は人の完成だ」と。 お坊さん達にとって理想の死はどんな死ですか? 苦しむ死ですか?それとも安楽死ですか? それとも、もっと別の死ですか? 教えて下さい。
成人した頃から死がとても怖くなってきました。 私には大好きな夫と息子がいます。 息子はまだ小さいです。 高齢出産です。 息子のためにも元気に長生きしたいと思うのですが、時々体調を崩すと怖い気持ちに包まれます。 病院で検査など受けていますが、自律神経の乱れからくるもので特に重篤なものはありません。 出産の時は出血多量で死にかけました。今こうして生きてることに感謝してもいるのですが、ふと怖い気持ちに包まれます。 息子が成人したら旦那と私とカウンターで3人でお酒を飲みたいと言うのが夢です。 あと17年、あっという間かもしれませんが生きられるか不安です。 親も2人とも持病がありそれも心配です。 春から旦那は単身赴任、子供は幼稚園、私も職探しと環境がどんどん変わっていきます。 死が怖いというか環境が変わるのが怖いのかもしれません。 どうしたらいいか分からず毎日混乱しています。
もうすぐ9ヶ月になる大好きな彼が出来て、それから愛する人の死についてよく考えるようになりました。 同世代の交通事故で彼を亡くしたとか、病気で父を亡くしたとか、そのようなお話を聞くといてもたってもいられなくなります。 平均寿命まで愛する彼を含め、大好きな家族、信頼している友達が無事に生きてくれるかどうかとても不安です。 いきなり事故などで愛する人が亡くなって、私だけ取り残されてしまうことを考えると、まだ亡くなってもいないのに、ぼろぼろと涙が止まらなくなります。考え出すと止まらなくなってしまい、ちゃんと無事に家に帰れてるか、無事でいるかどうかとても心配で胸がおしつぶされそうな気持ちになってしまいます。 寿命で死ぬのは怖くないのですが、一番楽しいと感じる今、愛する人の突然の死というものがとても怖いです。別れが怖いです。どうすれば強い気持ちでいられるでしょうか。