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hasunoha 問答検索結果 : 「私 人間関係 できない」
検索結果: 8421件

哲学専攻の友達に論破されてしまいました。

 僕は日々陰鬱に生きていて、変わらなければならい節目を迎えた時、生きる意味について考えるキッカケを授かりました。生きる意味というか、今、生きているということに納得する理由がほしくて。僕はその理由をなんとなく自分の中に見出しました。  それは「人は善を為そうとし、真に為し得ない。優しくあろうとし、真に優しくあれない。愛そうとし、真に愛せない。」その善を為そうと、優しくあろうと、愛そうと努力することこそが生きる悦びだと、僕はそう納得していました。そしてその「生きる意味」を職業(カウンセラー、精神科医、臨床心理士、お坊さんなど)にしようと、大学を入り直すことさえ考えました。  しかし、その友達は、僕の生きる理由を「現実を決済する」こと、僕が信じる「美しいものを美しいものだと感じる心そのもの」を妄想と否定し、浄土、成仏の存在を真っ向から否定しました。  僕は、その友達の考えを否定することはできませんでした。かといって僕の本来持っていた考えを否定する気を起こそうとも思いませんでした。  またある人は「誰かがあなたに、本音や弱音を告白しているときに絶対に言ってはいけないことがある。正論です。」と言いました。  浄土、仏性、成仏は、そして仏教は、自己満足させるためだけの嘘なのでしょうか?美しいものを美しいものだと感じる僕のこの心は妄想でしかないのでしょうか?  それは僕が在る、と考えれば在る、のだと信じておりますが、僕はこの途方もないやるせない気持ちをどうにかしたいのです。  僕は恐らくこの(実存哲学?という)正論を信じると一生不幸だと思い、しかも僕はそれに対してどうしようとすることもできないのです。  僕は、仏様から授かった自分の寿命を全うするために死ぬまで生きようと思っておりましたが、その考えが不安定にならざるを得ないのです。  僕はこの儚い気持ちにどう向き合えば良いのでしょうか?お智慧をお貸しください。  長く稚拙な文章となってしまい申し訳ありません。また仏教思想を自分勝手な解釈で捉えております。それは違うというところ、誤解があれば、感謝と敬意をもってお説教を受け賜わります。 便宜的に、思想的に、僕はその人を友達だと書きましたが、本当はツイッター内において、フォローフォロワーの関係にすらなっていない、赤の他人です。 (´・ω・`)...

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自殺したいくらいに苦しい

一年半以上付き合ってた方と約2ヶ月前に別れました。 別れを切り出したのは自分ですが、後悔し数時間後に謝ったがもう遅いと言われました。 その後話し合いなどもなくブロックされ拒絶されていました。ですが昨日、共通の友人が別れた方に連絡取り別れた方から自分に連絡が来ました。 「もう戻る気はないけど、話は聞くよ。」と言われました。別れたとき疑問だったことなど質問しました。その中で自分の思考がもっと柔軟だったら、もっと相手のこと考えれたら、ちっぽけな喧嘩で別れを切り出した自分を今までよりも責めました。 学校、バイト別れてから休まず毎日通って働いています。ですが、ふとしたときやバイト中も涙が止まらなくなります。 契約結んでるわけではないし、付き合う別れるは自由だと思いますし、友人も皆、時間が経てば忘れるよと言われます。 前にも別れて悲しんでいたことありましたがその時とは比べものにならないくらい自分自身追い込まれて、責めて後悔して、戻りたいと強く思います。それは今だからそう思うだけと言われますがそれも辛いです。 どうしたらよかったのでしょうか? この先絶対闇から抜けれる。どん底に落ちたら這い上がる以外ないから絶対大丈夫だからと言われても信じられないし、自分の辛さ理解してないと感じ余計辛いです。 別れた日に自殺しようと何回も考え首を締めてみたりしましたが、まだチャンスがあるのではと思い止まり、友人が家に泊めてくれたりたくさん一緒にある時間作ってくれたりして恵まれていると思いますし感謝しきれないです。それなのに立ち直れない自分が憎いです。 すべて別れのせいにして学校でも講義出席するだけで寝ていてなにも聞いてない課題もしっかりやれない自分が嫌です。 契約もない付き合いでたかが学生同士の恋愛で自殺はあり得ないと世間的には思うと思いますが、自分には限界です。こんな喪失感など様々な感情は初めてで毎日自殺に関するサイトや本を読んでいて、約1ヶ月半後の自分の二十歳の誕生日を迎えたら最期にしようかと思ってます。 こんなに傷つくんですね。

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2023/04/16

夫が自殺未遂しました

夫が自殺未遂しました。 原因は懲戒解雇されたことで、自分にはもう次の働き口は見つからないだろう。 家族に迷惑をかけるというものでした。 もともと鬱をもっていたことも理由だと思います。 実際には懲戒解雇になるような大ごとなことはしていませんでした。 私が会社に掛け合い、自己退職にしてもらいました。 夫は安心したようです。 今では次の仕事も早く探すから。と言ってくれています。 当時は救急車を呼び、病院へ行き、翌日は労基へ行き、夫の会社へ行き抗議をし、私は心身ともにボロボロになりました。 そして夫は無職になり、収入もなくなる不安。 会社からは夫に対する心配な言葉はなく、会社は全くの非はない。 むしろ夫には悩まされた。 夫の容態がまだ不安定な状況で そのようなことを並べつけられて、、、 もう辛すぎて。。 旦那は休みなく働いていました。 早朝から深夜から、責任者として。 休みでも24時間会社からの連絡に対応して、休める時はなかったと思います。 それがこの仕打ちです。 でももしかしたら他に何かしていたのかな? なんて夫を疑ってしまったり。 会社からの威圧的な言葉が頭から消えないのです。 こどもに無職になったことをなんて説明したらいいのか。 私もパート仕事ですが、復帰するまで回復できていません。 食事も睡眠も取れずぼんやりしています。 夫は就活してもすぐには内定をもらうことは難しいと思います。 そこでまたメンタルがやられてしまわないか。 頭の中が常に色々な意見で戦っています。 前向きになったと思ったら、朝にはまた不安定になったり。 辛いです。 どうしようもなく。

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戦争、死への怖れ

はじめまして。やまと申します。 死ぬのが怖いという思いがあります。 そして、ある妄想にとらわれております。 自分の住んでいる所が北朝鮮からの核ミサイル攻撃をうけるというものです。 世界は何か見えない大きな力に動かされていて、私たちは戦争をさせられているような気がしてならないのです。 ここ二三日、一晩中上空からヘリの飛んでいるような音が聞こえています。 ニュースやネットなどを見、妄想に妄想を重ね怯えてしまいます。 少しの物音にも怯え、サイレンが鳴るのではないかと気にしたり、核兵器が上空で爆発する様子や土地が汚染され誰も助けには来ない様子などを妄想したりしてしまいます。 このサイトで、戦争について怖れている方が他にもいらっしゃることを知りました。戦争を怖れるよりも、今できることをやるしかないということは頭では分かっているつもりですが、やはり怖れ、迷ってしまいます。 今できることというのは、この場所(今住んでいる県または国)から逃げることなのか。普段の生活を続けることなのか。それとも、死を怖れないようになることなのか。どうすればいいのか分かりません。 いったい、どうすればいいのでしょうか。 まとまりの無い文章で申し訳ありません。 お忙しいとは思いますが、 ご回答いただけたら幸いです。

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滅するべき煩悩とはなんでしょうか

よく回転寿司に行くのでそこで気づいたことを質問です。 煩悩とは何でしょうか。 『煩悩とは苦(ドゥッカ)である』 では終わるので少し掘り下げてみたいのですが、『欲』は生存に必要なものでこれを満たさないと自分の身体の生命維持ができないもの、として『食欲』『睡眠欲』などの根本欲は煩悩ではないと仮定します。 これはブッダも否定しませんでした(否定したら弟子ができる前に死んでた。睡眠不足で目が潰れた弟子もいる)。 次に『渇愛』ですが、これは自身の生命維持には必要でない『性欲』や喜怒哀楽(動物がもっている感情)と慈悲喜捨(善行)などの心(想い)に付随するものだと考えております。 最初は『渇愛』の中に『欲』も入れていたのですが、分けて考えないと生存と平穏はないなと思うようになりました。 では、『煩悩』とは何かというところになってくるのですが、『欲』や『渇愛』に『執着』がくっ付いたものではないかなと思います。 そして煩悩はそれぞれ『貪』『瞋』『痴』に分かれる。 『執着』だけではそれに寄生にする宿主(欲or渇愛)が無ければ『煩悩』にはならない。ただ、執着は一切のものにくっつく可能性があり、一切は煩悩になりえるのではと考えています。 つまり煩悩とはいかに執着を持たないかというところにあるのかなと思うようになりました。 ここで冒頭の回転寿司の話になるのですが、 1.凄くお腹が空いたから食事をしに外に行った。回転寿司を見つけたから入って適度に食べた。 2.すごくお腹が空いたから外に出た。どうしても回転寿司が食べたかったから回転寿司を適度に食べた。 1番は食欲を満たすだけなので煩悩ではなく、2番は食欲に執着がついているので煩悩である。 同じ例えで、 1.ボランティアで被災地に救援物資を送った。 2.ボランティアで被災地に救援物資を送ったが、力足らずだと思って悲しんだ。 どちらも大悲によって行った行為ですが、2番目は足りないという執着が生じているので煩悩である。 出家者は小欲知足と、渇愛のうち動物がもっている感情を滅し、慈悲喜捨に執着が付かないようにし心を乱されることなく過ごし、在家者は欲や渇愛は滅する必要はないが執着が付かないようにする。 ちなみに、十二縁起が全く理解できなかったので、四諦と八正道から経験を踏まえて考えてみました。 アドヴァイスをお願い致します。

有り難し有り難し 49
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