私の母は数年前に自殺しました。 うつ病だったことや、当時の父のモラハラな振る舞いが、母を追い詰めたのだと思います。 母が亡くなった後、母方の祖母に母が亡くなった原因(父)について話されたりしました。詳しいことは怖くて聴けず、いまだ曖昧なままです。 当時はとにかく、母が亡くなった現実を受け入れるのが怖くて、母に関する話は頭に入れないようにしました。(今でも当時のことを思い出すと、頭が考えるのを拒否するような感覚があります) ただ、今でも後悔していること(うつ病だった母を疎ましく思っていたこと)や母への謝りたい気持ちを度々思い出して、どうしたらいいのかわからなくなります。 ひどい亡くなり方をした母を、自分が辛いからと、無かったことのように忘れようとしているのがとても最低なことに思えて苦しいです。 でも、いつまでも母への思いを整理せず見ないふりをしていくのは辛いです。 また、母の死に真面目に向き合わない自分や父のことを許してもいいのかと不安になります。 誰かに自分の気持ちを肯定して欲しいと思うのもずるく思えます。 自分がどうしたいのかも分からず、どうすればいいのかわかりません。
私は考えることがやめられません。ありもしない、まだ来るはずのない未来を思案して憂鬱になります。 例えば、今飼っている猫の死や友達との別れをよく考えます。 昔から死や別れなどに過剰に感情が反応してしまい、どこかおかしいのではないかと思ってしまいます。 その人やその動物の人生が終わったその後この世に何も残らない、動物や私よりも年の小さい子の死に対してなぜ救えなったのかなぜ自分じゃなかったのかとも考えます。おかしいですよね 昔母に誰かの不幸を自分に置き換えるなと言われました 自分でも関わりのないところまでなぜ思案して涙を流すのかわからないです。そして、苦しいです。 私の心が弱いだけなのでしょうか
前も相談させていただき、ろくなお礼も言わず失礼なことをしながらまた相談してしまいます。 息子が事故で他界し、周りに言われるがままに生活し、2か月たちますがやっぱり息子の所へ行きたいです。その思いが前より強くなりました。 息子の父親とは離婚していて、彼氏がいたのですが、今私が死んで後悔するのは彼氏くらいなので、別れようと思います。 少なからず悲しんでくれる人もいると思いますが、前、会社の人が亡くなった時に1年も経てば思い出に変わることもわかりました。 四十九日も終わり、香典いただいた方にお礼言わないといけないけど、深い付き合いでもない人には知られたくもないのに話した人がいて、香典をいただき、お礼は自分で言ってと言われ、お礼を伝えるのはいいのですが、軽い同情が1番キツイからお礼の返事も聞きたくなく… 自死はだめなのかなと思いはしますが、この苦しみから逃れるには他に方法が見つかりません。
個人の行いは社会の行いに通じる、逆も然り自殺の原因は苦しみがほぼだろう、詳しい原因はそれぞれだが、周りが与える影響が、その人の行いを左右するのは事実であろう。 故に他の人の自死は大小あれ社会全体に影響を与える(水滴と水槽の理論)ので我々は自殺者をなるべく減らす様に行動しなければならない。自死が増える→社会が病む→苦しみが増える→自死が増えるのループこのループの最初は社会が病むかもしれない。 とはいえ、実際に追い詰められている人は周りの事など考える余裕などないであろう。よってその様な場合は理論構築よりも寄り添いや共感で心の余裕をつくる必要がある。 以下、理論構築精神的に余裕のある時に参照 ケース1 自分なんか 何らかのの理由で自己肯定感が低下した場合、これは方っておくとなぜ自分だけ→恨みに変化する。 原因となる自己肯定感の低下を解決できればいいがそれが不可能なケースも存在するはず。自分の価値観を変える、若しくは多角的な視点を持つ必要がある。恐らく実物的な苦しみは消えないが生きがいは生まれる事になるので恨みには発展しにくく自死まで考え辛くなる可能性がある ケース2 環境による攻撃等 この場合は自身が疲弊していくため特に正常な判断がし辛くなるのでは。一番はその環境から離れる事だかそういう訳にもいかないパターンも存在するであろう。この場合は自分自身と周りから距離を取り休息が必要になるだろう。何もかも疲れたは限界のサインなのですぐ自分を危険から守れる安全な場所を探すべきなのだろう。動けるうちにどれだけ安全な場所を探し回復できるかが鍵になりそうだ。 ケース3 理想への解離 このケースは自分が思い描いていた理想とのギャップに苦しみケース1と同じように自己肯定感の低下に繋がる。いろいろな状態が考えられるが手っ取り早い解決法は今に満足する事であると考える。今この瞬間をマイナスではなくスタートと考えてこれから進めばいいし進めず後退しても意外とどうにでもなる(社会保障等を使うなど)と気楽に考えるのもありかもしれない。仮に未来への絶望があったとしても今スタートラインに立てているので(少なくとも死んでいない)この状態から自分にとってプラスになる可能性の行動をすればすぐに今より好転。 ケース4 恋愛関係の悩み よくわからん がアイツの意見なんですがどうなんでしょう 長くてすみません
辛いことばかり起こり、 不安から抜け出せません。 これからの人生、子供達の人生、 幸せになれるのか。辛いことばかりじゃないかって、常に不安です。 高校生の時に、父が自死。 弟が心の病にかかり、母へ暴力を振るったりするようになる。 私は結婚し、二人の子供を授かりましたが、 元旦那の不倫とギャンブルによる借金が発覚し、離婚。 就職し、少し落ち着いた頃、 子供の発達障害がわかりました。 それ以来、色々なトラブルがあり、今に至ります。 親孝行をしようとしていた矢先に、母が突然死。 周りの人に優しく、真面目に行きてきたつもりなんですけど。 辛いことばかり起こります。 これから、どう生きていけばいいのでしょうか。
大学4年生の女です。一昨日、父がくも膜下出血で倒れました。 具合が悪いと言って会社から早退してきた後、自室で変ないびきをかいていることに気付き、私が救急車を呼びました。 昨日手術があり、手術自体はうまくいったのですが、非常に稀な症例のようで、このまま帰らぬ人となる可能性が60%、生きていても植物状態となる可能性が20〜30%、意識が戻り自力で動けるようになる可能性が10%程度と言われました。意識もなく、コロナの影響で原則面会も禁止なので、これから私と母は基本自宅待機になります。 父はまだ50代で、これまでに大病を患ったこともなく、ついこの間まで元気でした。あまりに突然のことで、どうしたらいいのかわからずにいます。手術後、病室で管に繋がれた父の姿を見て、涙が止まりませんでした。 気を抜くとすぐに涙が溢れてきます。家にある父の私物を見るのも辛いです。 もっと早く救急車を呼んでいれば何か違ったかもしれないとか、どうして普段からもっと素直に接してあげられなかったんだろう、感謝を伝えてこなかったんだろうと、自分を責めるようなことばかり考えています。 まだ父は生きているのに、もう二度と意識が戻らないんじゃないかと不安しかありません。 私は大学までずっと実家暮らしで、親に甘えきった生活をしてきました。なんとか就職も決まり、初任給で親に美味しいものを食べさせてあげようとか考えていた矢先のことでした。 私がメソメソしているので、母も気丈に振る舞ってはいますが、眠れていなかったり食欲がなかったりするようです。そのうち母まで心労で倒れてしまうのではないかと不安で仕方ありません。 今回の父の件では、祖父母や叔父、叔母も支えてくれていますが、私が一人っ子なこともあり、こうやって大切な人の死を今後何度も経験しなければならないのかと思うと、とても怖いです。 私は、可能性が1%でもあるなら、父が戻ってきてくれることを信じたいです。数年前、祖母が同じくくも膜下出血で倒れ、かなり重篤な状態でした。しかしその後奇跡的に回復し、今は元通りの生活を送れています。そんな奇跡がまた起こると信じたいです。希望を捨てたくないです。でもその思いとは裏腹に、最悪の事態ばかりを想像してしまいます。 こんな不安だらけの私はこれからどうやって生活していけばいいでしょうか。どうすれば前向きになれるのでしょうか。
はじめて質問します。 ここ数年相次いで祖父母を亡くし、いろいろと考えてしまいます。私は生まれた頃から3人の祖父母がおりました(父方の祖父は生まれる前に亡くなっています)。ところが、ここ2、3年で次々と亡くなり、亡くなった当初は仕方のないことだと思っていたのですが、亡くなってしばらくたった最近になって、祖父母に会いたいと思ってしまいます。そして、これから先両親や叔父叔母、周りの人達と別れていかなければならないということがとても怖いです。避けられないことだとわかっていても、考えるだけで泣きそうになります。こんな調子でこれから先、生きていけるのか不安です。どうしようもない悩みですが、お坊さんの意見を聞きたいです。
時の流れの速さを最近特に感じ、とても怖いです。 昔から「時が経つのは早い」と言いますが、成人してからそれがよくわかるようになりました。 今も楽しいですし、楽しくしようと頑張っていますが、どうしても昔のことを思い出してしまうことが多々あります。今にはない昔の楽しさ、そして「昔には絶対に戻れない」時の流れの不可逆性をつくづく感じます。そしてそれはとても怖いことのように思えてきます。 「昔が懐かしいなぁ」とか「昔に戻りたいなぁ」といった回顧の気持ちならまだよいのてますが、「昔には絶対に戻れない」事実を受けて、得体の知れない恐怖とやがて必ず訪れる「死」を無意識に考えてしまいます。 昔を懐かしむようになったとき、それに何か恐怖を持ったとき、どのような気持ちでその感情に向き合ったらよいでしょうか? 今と未来だけ見て生きていくことは、やはり難しいのでしょうか。
実家や親類一族、妻の一族においても、難病や精神疾患、突然死や離職が多く、恐れがあります。 少し覗いてみれば、どの家庭にもあることかも知れませんが、やはり気にせざるを得ません。 何を持って縁とするかは分かりませんが、実家の墓に他人の墓石があり、なぜか父親に問うた所、先祖が世話になったそうで、非業の死を遂げたものの無縁仏にするわけにいかず置いているそうです。戦中戦後の話のようです。 父親は詳しい話は知らず、また子の言うことを聞き入れはしないので、何とかせよと言うても、変わりはありません。 一族の話と縁も縁もないことかも知れませんが、ご助言を賜りますようお願いいたします。
毎日「死にたい」と思ってしまう… でも、死は怖いです。 でも、自分より先に大事な人たちがいなくなるのはもっと怖いです。 でも、生きてるのが辛いです。 子どもたちが居るからなんとか踏み止まっているけど… 毎日が辛いんです。 私なんかより大変な思い、嫌な思い、辛い思いしてる人がいると思います。 でも、私も毎日1日1日過ごすのが苦しくて、辛いです。 母が居ないから悲しくて… おばあちゃんがいなくなってしまって悲しくて… 前の会社の上司の言葉(罵倒された)が忘れられなくて苦しくて…急にその人の顔、声、言われたことを思い出すと怒りが来て、そして苦しくなります。 前の仕事を続けたかったのに…悔しくて… 信頼してた人に裏切られて、人が信じらられなくて… こんな自分が母親なんて子どもがかわいそうで… こんな状況逃げ出したいと思ってるけど…どうにも出来なくて… ただ毎日辛いです。 もうどうしていいかわからないんです。 助けてください。
今年の8月末に介護をしていた母が亡くなり、2か月が経ちました。 父は12年前に他界し、姉と兄はいますがすでに所帯を持っていて 40代で独身の末娘の私と母と二人暮らしでした。 見送った後、正直なところ、介護が終わってホッとしてる部分もあります。 ずっと身動きができない生活から解放されたのですから。 これからは自活しなければならないのでフルタイムで仕事をしてるのですが、 四十九日が近くなったころから心が苦しくて、仕事を休みがちに なってしまいました。現実的に仕事をしなければ、生活はできないと、 わかっているのですが、体が動かないのです。無理して出勤しようとすれば 動悸やめまいがしてしまいます。 母の最期の会話は、「お金は大丈夫か?生活はできる?」と、 唐突に聞かれ、私は大丈夫、心配ない、と答えました。 今となれば、私の現状を予期してたかのような一言のようにも感じます。 母が火葬され遺骨を拾いながら、またいつか会える、という奇妙な感覚も味わって、もう死は理解したつもりでした。 私が自活することが母の供養になるはずなのに、私の体は思ったより動かない。 母の死を頭では理解してるつもりでも、心がキチンと受け入れてないから、体が動かなくなるものなのでしょうか? ちなみに父のときは確かにショックでしたが、酒飲みでくだをまかれる生活だったので、ショックを受ける時期は短いほうでした。
タイトルにあるような質問を、自殺志願者の男性に言われて答える事が出来ませんでした。彼は、彼女と一緒に死ぬと言ったまま音信不通になりました。あれから、彼に言われた問いが、私の中に残っています。お坊さんだったら何と答えますか?
身近な人との死別を最近意識し始めました。就職という段階を経て自分が徐々に歳をとってきたからです。身近な人の死は数回経験しています。 なんとなく怖い嫌だなという寂しい気持ちとそれを意識したら普段接する時もいつか別れが来るんだなと複雑な気持ちになります。 また、普段通りすべきなのか特別何か意識して接するべきなのか疑問にも思います。 自分が幸せであることが孝行であるのはわかりますが、就職という次のステージを前にして環境に対する不安感がとても大きいです。自立することで不安感を軽減してあげることが孝行だとわかりますが自分の正直な気持ちがわからない、自分がどうやったら幸せ、生きていけるのかわからないという気持ちもあります。(おそらく毎日3食食べていけることが幸せだと思います。) 身近な人の死別を意識し出した際、その恐怖心をどのようにして受け入れ、考えておくべきなのか。孝行を果たすために自分の正直な気持ちをどのように見つけたら良いのか。この二点についてご相談させていただきました。何卒よろしくお願いします。
初めまして。私は最近、某仏教のテレビ番組にハマっています。 「輪廻転生」のことを知りましたが、疑問に思っていることがあるので、教えてください。 「輪廻転生」には六道があり、魂は6つの世界を旅しているとのこと。 人は死んだら、天界や極楽に行くと聞きました。 でも、生まれた時に今まで魂が旅してきた六道(地獄も含む)の記憶は一切ありません。また、よく「人は死んだら“無(生まれる前の状態)”になる」と聞きます。 地獄や天国というのは、本当に存在するんですか?誰も見たことがないからわからないんじゃないの?と思うんです。 本当にあるなら生まれる時に何らかの地獄の記憶(熱い・痛いなど)があるはずだし、お浄土に行くにも三途の川を渡る際の感覚や閻魔様に出会った時の恐怖、彼岸に渡った記憶や皮膚の感覚というものがあるのかなって。魂になっても、痛みや恐怖を感じるんでしょうか。 私は、できればそういうのがなくて、「死んだら本当にただ無になるだけだよ」って言ってもらう方が安心するんです。 だって、死んでから「生前悪い事をしたから地獄で苦しむ」って思ったら死ぬのが怖いじゃないですか。 天国と地獄の教えというのは、「悪いことをしたら地獄に行くよ。だから、生きている時に悪いことをするなよ。」という解釈と思うのは、どうなんでしょう?
私は今謝りたい人がいます。 私がその人にしたことは ・私の言葉を苦にしてその人が最悪の選択をとってしまってもおかしくないことを言った ・名前こそ出さなかったが、その人の名誉を傷つけるであろう社会的にアウトなことをネットに書き込んだ ・酷い言葉までの一連の会話をネットに晒した これらです。自分での書いていて吐き気がするほど酷いことをしました。それでもその時の私は罪悪感を感じることはありませんでした。なぜなら、「死」を考えたことがなかったからです。 しかし今の私は少し前にあったあることがきっかけに「死」や「自殺」を考えるようになりました。とても辛く、抜け道がわからないしんどい日々でした。今もたまにそうなります。 その時、私は思ったのです。「私のしたことは人を傷つけるのには十分すぎる、いや人に最悪の選択をさせることなのではないのか」と。 SNSに永久に残ってしまう画像と文章で私は人の心を裂いてしまった。本人が見ていない可能性はありますが、もし今見たらその人が私の言葉を苦にして最悪の選択をとてしまうかもしれない。 私はその人に謝り、真実を伝えるべきですか。それとも何も知らない可能性が高いので黙っておくべきですか。 自分自身のことですが、過去の私のSNSアカウントのその投稿を検索しそうになります。見たら私が壊れてしまいます。しかし心が「調べろ」と言ってきてるようです。どうすれば自分を抑えれますか。
1年半前に夫が自殺をしました。 周りから良い人に見られたいで、周りの評価ばかりかにする人でした。 知り合った時には鬱病を患っていましたが支え合っていこうと結婚しました。 結婚2ヶ月後に鬱病が悪化し、夫はやり場のない気持ちをお酒に逃げるようになり、 やめたと言いながら私に隠れて飲んでいました。 仕事には行けないけど遊びには行けるみたいでパチンコに行ったり釣りに行ったりしていました。 ある日飲酒運転で捕まり保守的に警察、会社に嘘をつき、その嘘がバレないかと不安になり自殺未遂をしました。 私は嘘をついていた事をその時初めて聞かされました。 会社からの処分を聞くのが怖かったみたいで、その前に会社を退職する事を決めました。 私が仕事に行っていない日に会社の人が退職の手続きをしに来ることが決まり、日にちの変更をしてもらおうかと夫に聞いたのですが大丈夫だと言われたので任せる事にしました。 退職の手続きの当日の朝はいつもと変わらず私は家を後にしました。 仕事が終わり帰宅すると夫はおらず携帯は繋がらず家の中は整理されており1週間後、自宅近くの森で発見されました。 結婚生活は2年で終わりました。 私がちゃんと支えられていたら、あの時無理を言ってでも一緒にいたら夫はいなくなる事はなかったのでないかと今も隣に居たのではと思いましす。 夫が死を選んだ場所に行けず、逃げたし引っ越しをしました。 きちんと夫の死に向き合う事ができずにいます。 どう先に進めば良いのかわかりません。 夫への気持ちに整理をどうつけたら良いのでしょうか 後悔、罪悪感にどうして良いのか分からないです
我が子を自死で亡くしました。死後、いくつも心の闇を抱えていたことを知りました。その内容は裏切りでもあり、哀しみでもありました。 以来、想像を絶する悲嘆と悲しみに苦しむ日々です。 私自身、寺に生まれ寺で育ちました。懐疑的な性格であったので、熱心な仏教徒ではありません。 我が子の死と向かい合わなくてはならなくなった今、仏教やキリスト教で何かが救われるかと言うと、やはりまだそこに至っていません。 辛くてメンタルクリニックにも行きましたが、薬が欲しかったのではなく、あの子に会いたい、この苦しい気持ちをどうすればよいのか?という問いに医師は薬を勧めるだけでした。(当然ですよね…。) あの子に会いたい。話したい。抱きしめたい。あの子はどこにいるのか、自分が死んだら会えるのか、と日々問い続けています。 あの子が自分の周囲を彷徨っているのなら、声が聞きたいとイタコにすがろうかと思った時期もありました。霊感を説く宗教にはまってしまう人の気持ちがわかるようにもなりました。イタコや変な宗教には何もコンタクトは取っていませんが、辛い気持ちは何も癒されません。 最近、知人の医療従事者が、私に「自死した人はあの世に行けないんだよ」と言ってきたのは、さらに私を打ちのめしました。 私はいつか会いたい、その気持ちだけのためになんとか生きています。 あの世があるのか?そこで会えるのか? 誰もがわからないその問いでしょうが、 これからこの悲しみにどう気持ちをもっていけばよいのでしょうか。 愛別離苦の辛さだけでも、心が悲しみで爆発しそうです。 倶絵一処というのは、自死した子とは願ってはいけないのでしょうか。あの世があるのであれば、死に方次第でそんなに区別されるものなのでしょうか。 会いたい、会いたい。こう願う気持ちはおさまることを知りません。 体調のことがあって止められていた飲酒をするようになりました。長生きしたくないからです。それでも日々、仕事やボランティア等できることは無理してやっています。時々涙が出てきます。 自死したあの子と会いたいと、ひたすら願いながら。 けれどもだんだん疲れてきました。 自死した子と浄土で会えないならば、何に縋って生きていけばよいのでしょうか。
私はいま人の命を守る仕事をしているのですが、身近な人が希死念慮を持っていたり、最近自死したりということがあり、そんな世の中で命を救うことに意味があるのかと感じて悩んでいます。 仏教ではあるタイミングである人が死ぬこと(自死にしろ、災害にしろ)はどのような理由で説明されるのでしょうか?
息子の様に可愛がっていた娘の友達が自殺をしました。通夜に参列しましたが、日蓮宗と生前聞いており、私もそうなので、顔を見ながらお題目を上げて来ました。突然のことで動揺していて翌日思い返すと、お経も、お坊さんもいない、いわゆるお別れ会のようなものだったと気がつきました。 火葬や今後の事を聞く事は出来ず、そのまま帰宅しましたが、螺旋の線香はついていたものの、ろうそくの火は消えており、自死であることも気になり、この子がちゃんと旅立てるのかと、もし、迷ってしまうことがあるなら、ちゃんと道を示してあげたいと思いました。 故人の見送りは多様化されている様ですが、死後の世界は全くわかりません。ただ、あの子が向こうの世界でも苦しまない様に守ってあげたいと思うのです 人によっては憑かれてしまうからだめだとか、ご家族の意向があるからと言われますが、仏教の教えの中であの子が穏やかに過ごせるために現世で私が出来る事が知りたいです。 前日まで普通に過ごしていたのに、これが魔が差すという事なのでしょうか?あの子が死ななければならなかった理由がわかりません。
いつも相談をさせていただきありがとうございます。 数ヵ月に昨年亡くなった娘の命日を迎えます。その日に私は自分自身がどうなってしまうか、とても怖いです。 娘が亡くなったとき、数日間私は長女の引越の手伝いに通っていました。その日はそんなに疲れていないのに夕方なぜか胸の痛みと息苦しさを感じていました。 しんどいなと思いながらなんとか帰宅していつもどおり夕飯を終えてくつろいでいた夜9時過ぎに、娘の異変を知らせる電話が入りました。 警察署でさまざまな手続きを終えて検死をした医師から渡された死亡診断書に書かれた死亡推定時刻は、私が息苦しさを感じていた頃と同じ夕方5時頃でした。 私の体の不調は娘からのメッセージだったとすぐに思いました。娘は私のことが大好きでした。心や行動が不安定だったときも「いちばんの理解者でいてくれてありがとう」と書いた誕生日カードをくれました。 最期まで私を思っていてくれたんだと思っています。その娘が死を選ぶまで何を悩み何に苦しみ、どんなに絶望をしたのかを思わない日はありません。 そんな中で迎える命日は、きっと朝から「去年のいまごろあの子は…」「この時間にこうしてあげていれば…」と考えるに違いありません。そうして絶命した時間を迎えるとき、私は自分がどうなってしまうのか、正気でいられるのかわかりません。 とても怖いのです。 本当に怖いです。 その時をどう迎えればよいでしょうか。また、それまでに今から私ができることは何かあるでしょうか。