hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
hasunoha 問答検索結果 : 「私 お経 」
検索結果: 2697件

今回の災害についてのお礼とお願い

先日、お願いさせていただきました安否不明の犬につきまして 駄目でした。 泳いでいた犬の情報などはよその子だったのでしょう。 そのままの状態で見つかりました。 こちらへ連れ帰り、皆できれいにしてやって、翌朝一番に荼毘に伏しました。ペット葬やお坊様を呼ぶ余裕もなく、この暑さですので、すぐに送ってあげる必要がありました。 また、菩提寺は遠く、そちらも被害があったかも分かりません。 簡単ではありますが、仏前に骨壺を置いて皆でお経を唱えました。 前回、お祈りして下さったお坊様、ご心配下さったお坊様、ありがとうございました。 最後まで懸命に生き切ったことは、ちゃんと受け止めてやりたいと思います。 あと一つ、これは見ている方にお願いがあります。 被災地へ安否を確認したい時や仕事など、連絡を取らなければならない場合、何度も電話するのは控えて頂けないでしょうか。 皆、疲れています。 食べること、寝ること、猛暑と悪臭の中での片付け、二次災害への備え、喫緊の事務手続きなどで手一杯です。 毎回相手は違っても、何度も同じことを説明するのは非常に疲れます。 仕事仲間、遊び仲間なら代表者を決めて、最低でもその方を経由して、一度に纏めて手短に負担なく伝える準備を整えてから連絡を取って下さい。SNSなどで確認できるなら、そちらを優先してください。 また、使える道路が限られています。 救援車両や地元の車で、ただでさえ渋滞が発生しています。 可能な限り、車での乗り入れは控えてください。 急を要するものであっても、自治体に確認するようお願いします。 そして、ボランティアや支援物資を送りたいけれど、様々な事情でもどかしい思いをしている方へ。 こちらでは、落ち着いて行動できる方、淡々と作業を行える方、体力があり、被災地での生活全般に関しての知識・経験がある方を求めております。 そうでない方は、まずはご自分の生活を第一になさって下さい。 こちらの状況がひと段落した時に、お力を貸して頂けると嬉しく思います。 それまでは、何も焦らないで下さい。 そして、被災地に関して、真偽不確かな情報を鵜呑みにしないでください。 どうか、自分だったらどう思うか、相手の立場になって考えてみてください。 お願いします。

有り難し有り難し 24
回答数回答 2

阿弥陀如来様は実在しないのですか?

私は阿弥陀如来様が大好きです。 毎日救っていただくことへの感謝として念仏を唱えています。ハスノハでもたくさんの問答を見るのが楽しみです。 ところが、先日、ハスノハで真宗のお坊様が「極楽浄土があると信じていない」人への解答で、「阿弥陀如来様や浄土というのは働きのことで、実際亡くなった人が浄土という場所で生まれ変わるということではないのだろう。だから浄土とはこの世での働きのことで、死後の世界としてあるわけではないと思う」「仏様というおとぎ話を使って今生での安寧を得るのだ。だから阿弥陀如来様が実在するか否かはどうでもよい」「自分も科学的に極楽浄土の世界は懐疑的」 という旨のことを仰っているのを拝見しました。一人ではなく何人かのお坊様がそういったことを仰っているのを見ました。 誤解していただきたくないのですが私はハスノハのお坊様方のことを尊敬しております。ですが少なからずショックでした。私は今生で死んだら、阿弥陀さまに迎えに来ていただいて極楽浄土に生まれ、そこで仏となる修行をできることを嬉しく思っていたからです。 また、何があっても阿弥陀如来さまがいつも一緒にいてくださることが喜びであり、心の支えです。 法話を聞いたりしていると、「阿弥陀如来様という素晴らしい仏様がいらっしゃる(=阿弥陀如来は実在する)」「死んだら極楽浄土にいき仏になる(=極楽浄土は実在する)」とお経も親鸞様もハッキリ仰っているように思います。 阿弥陀如来様や極楽浄土の存在を確信するのが、浄土真宗ではないのですか? 私が、元はキリスト教を学んでいたこともあって、阿弥陀如来様や極楽浄土への解釈が違うのではないかと不安です。 (極楽浄土と天国は、極楽浄土は阿弥陀如来様の国(他の仏様もそれぞれ浄土をもっていらっしゃる)。という違いだと理解しています) 私はこれからも阿弥陀様といつも一緒だと思っていても良いですか?

有り難し有り難し 194
回答数回答 7

あの人は本物?偽物?

変な時間に目が覚めてしまって(^▽^) 久しぶりに質問させていただきます。 私の祖父母は昔、祇園で八百屋を経営しておりました。(今はやってません)小さい頃は配達について行ったりしていたため、四条大橋を通ることがよくありました。その四条大橋でよく、笠をかぶって、お坊さんが来ているような黒の衣を身にまとって、お経のようなものを唱えている一人の(たぶん)女性がいました。その方が本当にお坊さんなのか自分で確かめていないので、よく分かりません。そしてお金が入れられるような箱を首から下げていて、人が寄ってくると説法なのかよくわからない話を始めて、それでお金を集めていた方で小さい時、祖母に「あの人お坊さんなのー?」って聞いたら、「偽モンやで、寄らんとき」って言われて、ずっとあやしい存在でした。地元でも知られていて、確かによく見てみるとその人の話に耳を傾けてる人はだいたい観光客で、地元の人はみんなスルーでした。 私が高校生くらいの時には見かけなくなったので、お亡くなりになられたのか、どこに行かれたのかわかりませんが、暑い中、寒い中も一日中立っている人でした。もし本当に偽物ならあんな、やり方で金を集めるなんて許せません。最近、偽の募金集めもよく見ます。 そういうことをするお坊さんっているんですか? お坊さんではないと思うんですが、、、 京都特に四条大橋大橋近辺にお住まい、または橋を利用されるお坊さんで知ってる方居られませんか?ほんの10年前の話です。ずっと気になっていたので質問させていただきました(❁´ω`❁)

有り難し有り難し 8
回答数回答 1

亡き祖母から恨まれているのでは。

身内のトラブルがあり、祖母が亡くなった事を祖父や叔母から知らされぬままお葬式にも呼ばれませんでした。 トラブルは私が原因です。 打ち明けたことによって、このような身内トラブルになってしまうくらいなら墓場までもっていくべきだったのかと。ただ自分だけでは抱えきれなかったという自分の弱さなのかなと。 母にも責められています。 先程、子供と昼寝をしていたら久しぶりに夢を見て亡くなったと知ってから初めて夢に祖母がでてきました。なにしにきた!と言っていました。 生前、そのトラブルとなった内容を知った後は祖母にもお前は嘘つき者だ!死ね!など言われましたが祖母のことは大好きでした…今でも。 足も悪く糖尿病も患い自由に動けなかった祖母。 意地悪な祖父と叔母と3人での生活でした。 本当に心から優しい祖母でした。 死ねなんて言わない人です。毎朝必ずご先祖様へお経を唱え、足が完全に動かなくなるまでお寺さんへも通っていました。 頼れる人が祖父と叔母しかいないから、私の見方をしてしまえば自分の面倒を見てくれる人がいなくなるだから私に対して冷たくするしかなかったのではないかと思う反面、やはり本心だったのではと祖母が私に言ったことをどう受け止めるべきなのか分からないです。 お墓の場所も教えてもらえずお墓参りにもいけてません。 夢でも怒っていました。やはり祖母は私を恨んでいるのでしょうか。母にも責められ気持ちのやり場がなく辛いです。母が1番辛いのは分かります。母からすれば自分の母親ですから… この先ちゃんと生きていけば光が見える日は訪れるのでしょうか。

有り難し有り難し 39
回答数回答 2

大乗の三宝について(なぜ『仏』なのか)

どうもこんばんは。 いつも皆様には質問をお答えいただき感謝しております。 今回は大乗仏教の三宝について質問があります。 ブッダ入滅後の原始仏教や上座部仏教での三宝は、 仏=釈迦牟尼(ブッダ) 法=ブッダの教え(ダンマ) 僧=僧団(サンガ) と思います。 大乗仏教の三宝では、 仏=本尊 法=ブッダまたは本尊や宗祖(または高祖や太祖)の説いた教え 僧=僧侶(ここは色々と議論の余地はありますが) であると認識しています。 今回の質問はご本尊についてですが、ニュアンス的に本尊は『仏』ではなくて『法』に思えるのですがいかがでしょうか。 例えば、大雑把に言うと 阿弥陀如来(アミターユスとアミターバ) それぞれ無限の光と無限の寿命の体現 大日如来・毘盧遮那仏(マハーヴィローチャナ・ヴィローチャナ) 宇宙の真理の体現 内容から見ると大覚者というよりは真理そのものではないかなと考えてしまいます。 大乗のマハーパリニッバーナスッタンタ(大般涅槃経)では三宝一体常住不変説があるから、『仏』で良いのだというのは理解が難しいです。 どういう流れでご本尊は三宝の『法』ではなくて『仏』なのでしょうか。 マハーヤーナ(大きな乗り物=大乗)に掛けて、木造の手漕ぎの小舟しか知らない人が大型豪華客船(鉄船)を見ても船と『認識』しませんが、変化の過程を理解すると鉄でも浮いて自動で走るのが理解できるかと思います。 ここは私の知識欲だけの話で、問題が解決してもしなくても自分の苦を滅することには関係いたしませんが、どうかご教授の程宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 28
回答数回答 4

お坊さんを変更できますか?

私の父親が3年前に他界し葬儀を行う時に宗派が解らなくて母親が うる覚えの宗派(浄土宗)で近いところを葬儀会館に紹介されました。今まで主人の親の方での お寺さんとか従兄弟の お寺さんとか とても良い感じの方ばかりを存じてます。今回紹介されたお寺さんは ご自身の自慢話しやお寺が大きく成った自慢話しなど 優しさが感じられません。宗派は浄土宗なんですが そのかた 西山浄土宗のようです。私の主人は浄土真宗です。父親が無くなり母親だけになり 母親は今の西山浄土宗の方には葬儀をして欲しく無いと思います。去年のお盆の時に私達も仕事が休みではなく 母親だけが居ましたら・・あんた一人だけか 娘さん達はどうした?とブツブツ言われ 5分もお経をあげないで お茶も要らないと 早々にお布施だけ持って帰ったそうです。これを母親から聞いて憤慨しました。私達は金持ちでもないし庶民です。働かないと食べていけません。母親も年金生活 そんな一人暮らしの母親に対しての対応に疑問を持ちました。変更できますでしょうか?また変更する場合 名古屋市緑区ですが どちらか紹介して頂けませんか?ぶしつけなお願いですみません。よろしくお願いします

有り難し有り難し 79
回答数回答 4
2025/06/03

感話・法話の心がけ

いつもありがとうございます。 先日ふいに、「茗荷さんは、僧侶にあっていると思いますよ」と仏教系大学院卒の僧侶さまにお言葉をいただき、「僧衣にこだわらず、流れに身を任せて」と上の方とお話が結着した次第です。 本日は、皆さまがお寺や各地で感話・法話などを担当なさるときに、心がけていらっしゃることをお聞かせいただけますか。 仏さまとのご縁 お寺との絆の深まりかた 自分の生い立ち 家族や仕事にまつわる話 最近のできごと 私は心のなかで書いては消し、浮かんでは浮かび続け、結局どこに辿り着くのか、話があちらこちらに飛んでしまいそうで、たくさんあってまとまりません。 紙に書き上げても、本番にアドリブがでてくると思います。 また、嘘偽りのなき人となりがあらわれるのが「感話」だと認識しています。 初回以降、周りの方との御縁が深まったのが実感として湧いています。 予定の日付が13日の金曜日のお朝事なので、妙法蓮華経観世音菩薩普門品第一五の、念彼観音力が13というキーワードを頭にお話ししようかななどと、構想しています。 宗派にこだわらず、お時間のあるときに簡単にでもかまいません。 お知らせいただけましたら、この上なく有り難く励みとなります。 よろしくお願いいたします。 合掌

有り難し有り難し 34
回答数回答 2

和食の傲慢さに苛立っています。

私は黄帝内経(京都の仁和寺に写本所蔵、中医学の祖)にも記させている、陰陽五行説を大切にしています。 日本では科学の発達により味蕾に辛味が反応しないからと、味覚から辛味を排し、代わりにうま味を足した陰陽五行説を謳う栄養学者が後を絶ちません。 黄帝内経は心身一如や医食同源、陰陽五行の関係とバランス、季節等を大切にします。 日本は海に囲まれている為に、陸上のうま味より海産物のうま味(鹹味)に頼っています。 陰陽五行で謂うと鹹味は水や腎に分類し、水剋火で火に属する苦味や心を相剋(抑制)します。逆に、水生木で木に分類される酸味や肝を相生(生み出し)ます。 従って、鹹味のうま味に頼れば鹹味は比和(増幅され)、心は相剋されます。 その為に心を補うか、心の親である肝より相生する必要があります。 例えば、焼き魚やパエリア等に柑橘類を搾る等です。 陰陽五行説を活用すれば様々な組み合わせで、うま味は発生します。 しかし、外食や中食、家庭等の全てがうま味調味料〔味の素、調味料(アミノ酸等)〕に頼り切っています。 近年、精神疾患の増加、世知辛い社会を生んでいるのは上記より、うま味調味料に頼る事により、心を瀉し、相生させる為に肝を多忙にしているからだと考えています。つまり、和食にも要因がある。 元来、和食は大陸より教わったのが、南蛮貿易や文明開化により西洋と交わり発展しました。簡単に言うと、和食の産みの親は中国です。 なのに、陰陽五行を歪曲し、”唯我独尊”の間違った解釈である”自分だけがすぐれていると自負する事”である”自己中心”や”傍若無人”な態度に写ります。 また、『料理芝居(著:北大路魯山)』より、料理屋は下手でも風格がなといけないのはわかりますが、和食やラーメン等の職人の写真は、”実るほど頭を垂れる稲穂かな”と謂うのに、偉そうに腕を組んでいる人ばかりです。 心理学で謂うと、腕組みは不機嫌、守り、怯え等です。 その点で、料理の美味しさの3割は雰囲気と謂われ、雰囲気で美味しかった経験は誰しもあるはずです。 食への感謝は、作る側にもあると自負しています。 故に、傲慢な態度で雰囲気を大切にしないと、美味しいとは言えないのです。 以上より、家庭から和食が廃れ、世界遺産に登録してまで和食を守らないといけなくなったと考えます。 ご見解を、何卒宜しくお願い申し上げます。

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

天部の仏様について

いつもお世話になっております。今回もご相談させてください。 ここ一年くらい前から、本を読んで仏教や御真言の勉強をしています。勉強をしていくうちにいろいろな疑問があるのですが、特に気になることがあります。 歓喜天様と荼枳尼天様についてなのですが、いくつかの本に「気難しい」「正しい信仰しないと祟られる」「真言をちょっとでも間違えると駄目だ」というような記述がありました。 他にも弁財天様は嫉妬深いからカップルでお参りするとよくないとか書いている物もあります。 私はお寺や神社を巡るのを趣味としているのですが、こういう話を聞いてしまうと、歓喜天様や荼枳尼天様にお会いしたときに、手を合わせるのが怖くなります。 また、お経についても勉強していて、参拝させていただいたときに唱えるようにしているのですが、間違って唱えてしまうことがあり、その後、大きな過ちを犯してしまったような気分になることがあるのです。 歓喜天様や荼枳尼天様・弁財天様の仏像にいろいろな所でお会いしたことがあるのですが、どのお方もお優しい顔をされていて、とてもそんな存在に見えません。なので、私自身は仏様が祟りを起こすようなことはないと思っています。 しかし、心のどこかで恐怖が拭えないのです。 そこで質問ですが、なぜ天部の仏様の中にはこういう風に言われてしまう仏様がいるのでしょうか? 専門家であるお坊さま方ならばよい答えを聞かせていただけると思い相談させていただきました。 ご回答宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 22
回答数回答 2

いつかその日が来た時に

いつもこちらではお世話になっております。 沢山の教えの中に日々気づきを頂いております。 ありがとうございます。 今日相談させていただきたいのは、檀家というお寺との関わりに関してです。 以前にも相談したことがあるのですが、私には歳の近い親戚が突然死したこともあり、不安症なところがあり、発作的に「家族の死」を考えて落ち込みます。 ですが、従姉妹の死が「その時が来たら、自分が見送られる側じゃなくて、見送る側だったことを見つめるんだよ」「あなたがこっちにきたら私も、祖父母も、みんないるから、会えるから寂しくないからね」と、教えてくれているようで、時間を要しながらも、今目の前にいる家族を大事にしよう。と、顔を上げることが出来ています。 そして、いつも思うのが、 わたしには今恋人も、自分の家族もいないので、いつか一人になった時に、誰にもこの悲しみを言えずに悲しみから抜け出せずに潰れていくのではないかということにも不安の要素があるのだと気付きました。 そこで思ったのが、 自分が日頃から関わっているお寺があれば、日頃からもっと仏教に触れることはもちろんですし、葬儀でお経をあげていただくことになっても、知っているお寺の方でしたら気持ちが落ち着きますし、法名の相談もできるかもしれません。 何より一人で辛い時には説法を聞きに行けたりして、孤独ではない、自分が生きているのは今であるということを感じる時間を持つことができるのではないかと思いました。 ですが、我が家は既に地域の納骨堂を用意しており、お墓のことを含めて檀家にというのは難しく思います。 更にお寺によるかと思いますが、お金もだいぶ掛かると聞きます(収入はそんなに高くないので) この場合、檀家になったり、馴染みのお寺を見つけることは難しいことなのでしょうか。 もちろん一番大事なのは場所ではなく、気持ちだというのはわかっているのですが、未熟者ゆえ、このように考えてしまいます。

有り難し有り難し 13
回答数回答 2

自由葬からの、供養の形。

実父が今年1月、手術の為の入院中、容態が急変し家族に見守られることなく病室で亡くなりました。その後の葬儀は、父に信仰心がなく無宗派、生前から戒名もお坊さんも必要ないと兄に話していたこともあり、本当に家族のみで祭壇を囲みお別れをしました。私の中にモヤモヤする物はありましたが、兄が簡素ながらも葬儀を取り仕切り、母は憔悴し兄に一任していたので、嫁いだ私は黙っていました。 落ち着いた頃母は「やっぱり気持ち的にねぇ…」と言い、小さな仏壇を購入し、入魂などはせずに位牌が無いので写真とお花を飾り、普通に毎日線香を立てて御りんを鳴らしています。自分でお経を読む練習もしていたり。供養は気持ち…と私も思いますが、このような形でいいものなのかと今も考えます。 今年初盆ですが、来年春まで納骨はせず、仏壇横に安置しています。初盆も提灯を飾ってあげたいと購入しました。誠に都合良し…ではありますが、普段の供養は仏式風に小さな孫達も気持ちを込めて手を合わせています。 母が納得していれば、このような形でも父への供養になっているのでしょうか。非常に苦しい闘病の中、一人で旅立たせてしまった父は成仏できているのでしょうか…。 兄は良く言えば、形ではなく気持ちの問題と考えているようです。 ご回答よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 8
回答数回答 1

阿弥陀様以外の仏様を拝むと極楽往生できなくなるのでしょうか?

私は浄土宗の檀家です。 お仏壇も阿弥陀様を主役におまつりし、毎日「阿弥陀経」を読誦し、発願文を読み、お念仏を100回唱えております。 しかしお不動様と大黒様も大好きで、阿弥陀様とは別に個人的な持念仏として、毎日勤行しております。 浄土宗のお寺にもお不動様をお祀りしている寺院もあること、個人的に尊敬している祐天上人がお不動さんと縁のある方であったこと。 またお不動さんを開眼してくださった密教系のお寺でも「阿弥陀様と共に信仰しても構わない」とアドバイスをいただいたことから、問題無いと考えていたのですが・・・ しかし法然上人のご著書を読んだところ、専修念仏では雑修(お念仏以外の仏道修行)は行わない方が良いと書かれていました。 阿弥陀様以外の仏様に浮気をする雑修は、往生の妨げになると。 (真宗では特に厳しく、阿弥陀様以外の仏様は、原則祀らないと聞いております) しかし家の菩提寺の浄土宗のお寺では、お地蔵様や聖観音様、馬頭明王様も祀られています。 (菩提寺とは遠方に住んでおり、ご住職とはほとんどお話しできません) 浄土宗は、本当のところ、雑修をどう考えておられるのでしょうか? ご意見をいただけましたら、幸いです。

有り難し有り難し 35
回答数回答 3

宗派にこだわるべきでしょうか?

お世話になります。 先月父が亡くなりました。 父の実家は真言宗のお寺の檀家ですが、父は長男ではなくまた飛行機の距離に住んでおり、お寺との関わりはほとんどありません。 そのため今の住まいの周辺でお墓を探すことになりました。 母と姉と姉家族、そして私で近所の民間霊園と寺院霊園(浄土宗)の見学に行きました。 私たちは寺院霊園の印象が良く、そちらに決めようとしました。 しかし管理寺院の住職の方に「焦らなくても良い」と熟慮することを薦められ、契約には至っておりません。 そんな中母がやはり今後の法要のことを考えて、真言宗ではない寺院霊園は止めるべきでは、と悩み始めました。 ちなみに母の実家は浄土真宗の檀家だったため、あまり熱心ではありませんが「南無阿弥陀仏」が落ち着くと言っております。 寺院霊園は宗派は問わない、檀家になる必要はない、但し寺院で法要等を行う場合は他宗派では行わない、とのことでした。 このような状況ですので私としては寺院霊園が良いと思っているのですが、母の気持ちを考えると押し切るのは良くないと思います。 ただ生前の父はお経を唱えることもなくまた初詣やお祭りくらいにしかお寺に足を運ばなかったため、信仰や宗派にこだわっているようには見えませんでした。(一度尋ねたことがありますが、こだわっていないとの回答でした。) そのため真言宗にこだわって民間霊園にしようという母の意向に従えない思いもあります。 真言宗にこだわるべきか? 気にしなくても良いのか? 出来れば心の持ち方の御指南をいただきたくお願いいたします。

有り難し有り難し 68
回答数回答 4

新型コロナで法事がなくなりました

こんにちは。幸いなことに好きなトピックを好きなだけ、いつも楽しく拝読しています。回答僧の皆様、たくさんのありがたくて興味深くて面白いご回答ありがとうございます。 今年7月、もう今月ですが、大好きだった祖父母の十三回忌となります。 亡くなった時期もあり、法事は大体お盆にまとめてというのが定番だったのですが、今年は新型コロナの影響で、お寺さんの方から法事自体断られました。 お盆も、家にお経をあげには来ないそうです。 私も家族も親戚もみんな、それには納得しています。怒るようなご先祖様じゃないだろうし、とこちらの都合で考えてしまっていますが、特に問題はありません。それより、ご高齢のご住職様の体調が悪くならないようになさってほしいと思っています。 とはいえ…失礼な言い方かもしれませんが、本来祖父母にとってはたった一度のイベント(?)のはずが、何もしないのもどうなのかな、とも思います。 お盆にはお迎えに行って、お墓を綺麗にして、今年はじいちゃんが大好きだったお酒の一つもコップに入れて…そんないつも通りのお盆(新しい生活様式バージョン)を普通に行って、来年以降も通常通りで大丈夫なんでしょうか? もしよろしければ、教えていただければ嬉しいです。

有り難し有り難し 9
回答数回答 2

永代供養について

私は一人っ子で、両親が亡くなり実家にお仏壇を置いたまま月参りに来ていただいていたのですが、実家を処分することになり、永代供養することになりました。(実家は姫路で、大阪在住です) 父は、平成25年に、母は平成20年に亡くなりました。 宗派は真言宗です。 お寺さんから、100万と言われたので、両親の遺産でお支払いしようと思っていたのですが、お位牌を渡した後も、毎月27日に護摩焚きをしたりするので、お盆と2回のお彼岸で年間3万納めてくださいと言われました。 月参りのお布施(5千円)はお経をあげていただいているのでお支払いしてると思っていたら、お寺の維持費も含まれると言われました。 お盆にはお施餓鬼代として5千円も渡しています。 私は、永代供養が終わったら、年に2回父と母の命日にお寺に行って拝んでいただいてお布施をすればいいと思っていたので、ずっとお金がかかり続けるとは思っていませんでした。 そのための、100万だと思っていたのです。 もちろん、7回忌以降の法要はちゃんとしようと思っています。 法要は5万円です。 両親の遺産もいつまでもあるわけではないので、心配です。 1代祀りなので、子どもは関係ないとはおっしゃってくださってるのですが‥ 両親のことなので、ちゃんとしてやりたいとは思うのですが、どこのお寺さんでもそうなんでしょうか? 私が生まれる前からのお付き合いなので、もめたりはしたくないのですが、今後どのようにお寺さんとお付き合いを続けていけばいいのかも教えていただきたく思います。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 18
回答数回答 2

人は自分自身の人生しか生きられない

親子でも親は子を100%理解出来ないし逆に子は親を100%理解出来ない。 夫婦間や他人なら尚更理解するのは難しくなる。 人は1人では生きられない。多くの人達の助けがあり、それは気づきもしないところでも助けられています。これらは事実だと思いますがやはり自分以外の人間を事を思いやるにしても心を理解するのは難しいことですよね。 助け合うが行き着くのは自分自身であり自身の人生を歩むしかない。 私はそういう事を感じてはいましたが長年目を伏せて生きてきました。 両親に助けられ1番絆が深いのは母です。 しかし母も67歳で病気持ちです。 1番の私の理解者の余命もそんなに長くはないことに目を向けた時、私は母が亡くなったら孤独になると感じました。 しかし最初に書きました人は自分自身の人生を歩むことしか出来ない。全ての人間、1人1人が違う心である。 その事を私自身受け入れたいのです。 今まで母に助けられすぎて自分は母とは心が繋がり、一生を共にするような錯覚がありました。 でもそれはやはり錯覚です。 50億人間がいるなら50億の心があり50億の孤独がある。 私の考えは間違っているのかどうか、皆様のアドバイスをよろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 56
回答数回答 2