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hasunoha 問答検索結果 : 「私 怖い」
検索結果: 9455件

災害と死への恐怖と不安

不安で仕方がありません。 災害、事故、事件、世界情勢、常に全てに怯えていますが住んでいる地域の特性から最近は火山災害が特に恐ろしいです。 今住んでいる場所から逃げ出したい気持ちでいっぱいですが、現実的に難しい状況です。家族もいるし、お金もないためです。 不安を見て見ぬ振りしようにもふとした瞬間に恐ろしい情景が頭をよぎり恐怖でいっぱいになります。無駄に想像力があるので手に負えません。 災害への備えは少しずつ始めているのですが、備えにだって限界はあるし間に合わないかもしれないし、そもそも即死の可能性だってあります。 そして私が怯えたところで減るわけでも増えるわけでもないのが災害。その日は明日かもしれないし、一生来ないかもしれない。遭遇しても案外平気かもしれない。そもそも突然の事故で今死ぬかもしれない。 未来に対して不安になることそのものが無駄なのだと理解をしつつも、浮かぶ全てが恐ろしくとても苦しいです。 常に次の瞬間滅びるかもしれないという気持ちで、怯えながら毎日を過ごしているのでとても充実しているとは言えません。することもしたいことも見つけられず、恐怖と不安で無気力になってしまいます。 私は一体どうすればいいのでしょうか。

有り難し有り難し 71
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2025/05/25

仕事で毎日ミス、人生も失敗ばかりでつらい

仕事で毎日のようにミスをしてしまいます。 怒られることはほとんどありませんが、 気をつけていても似たようなミスを繰り返したり、今までしていなかったミスをしたりします。 仕事以外でも電車に乗り間違えたり、料理の工程を間違えたりしてしまいます。 学歴や職歴、結婚歴も失敗が多く、自信が持てません。自分にイライラして眠れないこともあります。ミスしない様に対策を打っても、ミスが減りません。 子供の頃から学校が苦手で発表や係りができませんでした。大人になってからも職場に馴染めず、仕事ができず、いろんな方に迷惑ばかりかけています。 生きていくのが不安でしょうがありません。今のところの目標は今の会社で5年働くことです。でも辛くてしかたありません。週末はずっと仕事のミスの事が頭から離れず、気が滅入ります。 友達も恋人もいないので、相談相手もいません。今まで心配ばかりかけてきた70歳の両親には少ししか話せない状況です。 もう40歳手前なのに自分が情けなくて、涙が出ます。周りの人達はいつまでも自分を許してくれるわけではないですし、内心嫌われている気がします。 頭が悪く、精神年齢が低い自分を変えるにはどうしたらいいでしょうか?

有り難し有り難し 26
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お寺での写真撮影の禁止事項。良くないといわれた写真について。

はじめまして。 姉と一緒に33箇所めぐりを去年からしています。 GWに竹生島に姉といきました。 竹生島の弁天様の幸せのダルマというのがあるのですが その写真を撮り、わたしがブログにのせました。 知人がそのブログをみて ダルマさんの写真に良くないものが写っているので 削除したほうがよいといわれました。 ブログも写真も削除はしたのですが。。。 よくよく考えてみたら 写真を撮ってくれたのは姉でした。 姉にも写真のデーターを消すように言ったほうがよいのでしょうか? あと、その写真内容もお寺などに行き みてもらったほうがよろしいでしょうか? 姉は去年のはじめ離婚をし その後、33ヶ所めぐりをはじめました。 最初はどんな気持ちで はじめたかはわかりませんが 今は、わたしと旅行気分で楽しく回っているので このことを言うと、すこし気落ちするのではと心配です。 あと、あまり33ヶ所めぐりなどでお寺に行ったとき 写真などは控えたほうがよいのでしょうか? (写真撮影禁止のところは守っていました。) 知人が人の怨念などがあるからよくないと言われたました。 長くなりましたが、よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 23
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宗派の違い

何度も質問させていただいております。 毎回丁寧な回答をいただいて感謝しております。 さて、私は今までキリスト教の学校を卒業し、イスラム教の国に住み、特に宗教は持たずに全ての宗教は知識として学んできた程度でした。 元々追求すること、考えること、科学的にものを見る質なので現実的にに世の中を見てきました。 そして最近行き着いた答えは、科学と神秘、宇宙と人間は皆同じなのだということです。 バレエに人生のほとんどを費やしていますが、これはほぼ稽古、修行、メディテーションです。これを通していろいろなことを学んでいます。 そこでたまたま仏教について読んだところ、正に宗教という概念もなく実践してきたことそのものだったのです。 どんな贈り物よりも嬉しい発見でした。 それから毎日、宗派や教えを調べましたが、困ったことに『そう言われればそうかもしれない』という教えの違いばかりなのです。結局のところ、一つの目的をもって正しく生きることを遂行すれば宗派など問題ないのでは?と思うのですが、現実問題いかがなものでしょうか。 今後真剣に仏教を学びたいと思ったときに、どのようにして適切な宗派を選ぶべきなのでしょうか。

有り難し有り難し 36
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