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hasunoha 問答検索結果 : 「 縁 」

検索結果: 13922件

妻の恨みについて

数年前、妻のお腹の中の子供が私のせいで流産させてしまいました。妻はその恨みが晴れず、別れたいと言われており、離婚に同意すべきか、という相談です。 数年前の出来事をかいつまんで話すと、自分の実家の両親が変わった人で、それが妻の負担に。その愚痴を聞くべき私は妻の負担に気づかず、挙句にもう愚痴をこぼすなと切れてしまいました。そこで離婚騒動に発展、それをあろうことか私が親に話してしまいさらにこじれました。最終的には妻が謝りましたが、その苦痛により流産。 現在は親とは距離をとり私と妻と子供で暮らしていますが、妻は私の顔を見るとその時のことが思い浮かび、恨みが晴れないと言っています。最近はそのストレスがピークにきており、些細なことでも私に対してうんざりするようで、家族の関係は崩壊状態です。 子供もそれを感じ取っており、もうやめてほしい、問題が解決しないなら離婚もやむなし、といっています。もちろん子供は母親の味方です。 私は当時の事を反省していますが、ありえない事に一部記憶が曖昧になっており、当時の妻の気持ちに完璧に共感できておらず、それが妻の恨みを助長しています。もちろん謝罪は何度もしてますが。 私としては家庭を継続したいですが、子供の精神状態やここ数年の変化の無さを考えると、別れを受け入れるべきでは、と考え始めています。 どうぞアドバイス、よろしくお願い申し上げます。

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継承したお仏壇をどうするか・祀りかた

私が元気なうちに仏壇じまいをしたほうがいいですか? 一人っ子で育ちました。結婚した時に、養女と初めて知りました。 結婚の際、私は夫の姓を名乗り、夫にはマスオさんとして2年弱、養父母と一緒に暮らしてもらっていました。 養母はH19年7月他界。 お仏壇は養父が養母のために購入しました。 <宗派は浄土真宗・西本願寺> 養母が他界して間もなく養父もH20年3月他界。 当時、私は何も考えることなくそのまま黒仏壇を継承しました。 今まではそれでよかったのですが、私自身最近大きな病気を患ってしまい、 お仏壇のことが気がかりです。 私の考えは、子ども達には、お仏壇の継承までさせたくありません。 お墓は永代供養付きで既にあります。お参りだけで十分と考えています。 また、夫は長男で、下に妹2人居ます。 義両親は病気がちですが存命です。夫実家宗派は浄土真宗大谷派。 夫自身は、実家の仏壇は継承せず、<親が亡くなった場合>写真を飾っておくだけで十分。その時々で祀り方等、変化して当然という考えを持った夫です。 私自身、和室<仏間>にある仏壇ではなく、家族が生活する場所<リビング>に写真を飾る(祀る)ことによって、身近に感じられたらいいかなという考えに至りました。 私にもしもの事があった場合、養父母の遺影は棺に入れてもらい、 娘・息子には、リビングに置く予定の養父母の写真だけを継承してもらえたら…と考えています。 私が元気なうちに仏壇じまいをしたほうがいいのでしょうか。 最後に、寺院との付き合いは、通夜・告別式等7回忌迄で疎遠です。 養母13回忌は西本願寺で家族4人で済ませております。 色々なご意見、頂戴できれば幸いです。

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仏教の話をすると馬鹿にされます。

昨年末からお経に興味を持ち始め、スマホと電子辞書を傍らにお経の一節一節をわかりやすいように今の言葉に変えています。 元から古典が好きなのと、漢字や言葉にひかれるところもあって、この作業が楽しくてしょうがありません。 時代背景を理解するために、親鸞様の本を読んでいた時のことです。 たまたま知人にその本を見つかってしまい「変わった本読んでるね」と言われたのでお経を読み砕いている話をしたら 一言目に「俺はさ、宗教なんていらないと思ってるよ」と切り出され「お経をわかりやすく読もうとか本当にマジ、キモいから」と。 お経をわかりやすくすることを否定された訳ではないのですが、会う度に(週1ぐらい)「仏教野郎が来た!」とか「仏教なんて信仰する奴の気がしれない」と。 はっきり言われたのは「仏教の話なんかしてたら、変わってると思われるし、キチガイみたいだからやめた方がいい」 私は仏教の話ばかりしている訳ではないし、仏様を信じるべきだ!と声高に強調したこともありません。 ただ、親鸞様の本を読んでいたことと、親兄弟知人でもない誰かが常に自分を見ていてくれて、救ってくれるとしたらありがたい(お釈迦様や阿弥陀様)としか話していません。  高1の娘にも誤解されていて、私が朗読の会の先生からいただいた「法性寺」という発声練習に使うプリントを読んでいたら 「家の中でお経あげるのやめて!!」 と言われ、違うことを説明したんですが 「家の中でお経読んだり、法話聞いたり、気持ち悪いことばかりしてるから間違ったんだよ!」とキレられました。 私にとって仏教とは子供でも、大人でも心の支えになるんじゃないかと思っていて。 でも、そう断言できるほどの知識がある訳でもなく、どこかのお寺に通っている訳でもなく、ただ楽しくてお経を読み砕いているだけなので説得力がありません。 先に話した知人も「仏教、仏教って変人ここに極まれりですね」と馬鹿にしてくるし、「俺を本当に巻き込まないでくださいね!」と念押しされるし。 お経を通じて、仏教に心を寄せていくことは他人から全否定されるぐらい、おかしなことなんでしょうか? 長くなりましたが、よろしくお願いします。

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死にたいです、生きることが苦痛です。

はじめまして、SKと申します。 ここ最近、ずっと死にたいという気持ちが頭から離れず、自殺しようと考えています。 もちろん、然るべき専門機関で診察は受けているのですが、主治医の診断では、適応障害なのでカウンセリングで治しましょうと言われ、頓服薬のみ処方されています。また、カウンセリングで死にたい事を話すと、私は貴方が死んだら悲しいと言ったようなことばかり話されます。 私にとって、生きるに値する好きなものや大切な人が居ないのです。貴方が死ねば家族が悲しむなどと書かれてるサイトも多くありますが、私にとって家族は枷でしかないですし、悲しんでくれる友人もいません。独りぼっちなのです。 人間の三大欲求のうち、食欲と性欲はほとんど消え去ってしまいました。ただ、眠っている間だけはこの現実を忘れられるので睡眠欲だけは有ります。 もう、身も心もボロボロに擦り切れて倒れてしまいたいのに、世の中は自殺はいけない事だと吹聴していますし、かといって、倒れそうな身体を支えてくれる他人もいません。 無論、こんな自殺志望者に手を差し出すなんて事は、リスクヘッジの観点からすれば止めた方がいいとは私自身もよく分かっています。だったら、さっさと死なせてくれ!と思うのです。 絶望感と孤独感に打ちひしがれ、生きる理由や希望も見いだせず、生きるという行為そのものが苦痛で死にたいのです。

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亡くなった母に後悔の念でいっぱいです

私は40代独身で、2012年に父を、2015年に母を亡くして姉と二人暮しです。 30代の時に隣に住んでいた親戚がアル中であたり構わず暴力をふるい、私も巻き込まれ、それから心を病んで対人恐怖症になりました。 その病気と容姿へのコンプレックスから結婚できず、また姉も性格のせいか結婚しないままです。 両親ともに兄弟姉妹が多く、それぞれの子供たち(私のいとこ)はほとんど結婚して子供もいます。 そのため私達姉妹は親戚から自立していないと蔑まれています。 母に何度も「孫の顔見せてあげられなくてごめんね、肩身狭いね」と言いましたが母は「一緒に暮らせるんだからいいよ」と言ってくれました。 母は若い頃から苦労し続けて私の父が暴力をふるってもずっと耐えてきました。 母に楽をさせたい、親孝行したいと思いながらも自分の病気が制御できず、母にあたったこともありました。 母は60代半ばで若年性アルツハイマー病と診断され、父が先に亡くなると認知症も激しく進行して晩年は一人では何もできないようになってしまいました。 そして最期は乳がんで亡くなりました。 何一つ親孝行できませんでした。 父が亡くなってからは母は仏壇に向かって阿弥陀経をあげつづけていました。 それを思い出して阿弥陀経をあげていますがまだ涙が出ます。 どうすれば母の死を受け入れられるのでしょうか。 母に恩返しができるのでしょうか。 母が親戚の間で肩身の狭い思いをしたことを思うと親戚にも会いたくありません。 母に会えるなら死んでもいいと思うこともあります。 どうしたらこの執着から抜け出せますか。 また、お釈迦様の教えをよく知って拠り所にしたいので分かりやすく読める本などありましたらお教えください。 よろしくお願いします。

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一度神仏を否定しました。こんな私に・・・

わたしは、もともと運のある人間だと思っていました。これまで、大した苦労もしていなかったですし、細々としたことですが、危ない目にあっても、ちょっとの差で切り抜けて、「あー、よかった」と思うことが多かったです。  小さいころから祖父母の家には仏壇と神棚、庭には社があります。祖父母の家に行った際や、行事ごとにお祈りをしていました。そのため、神仏は生活の一部で、深く考えることもなく大人になりました。  そんな中、1年ほど前、図書館で神仏についての本を借りました。キリスト教と仏教についての本でした。私はそれを読み、神仏というものは、人が造り出したもので、実際に存在はしないのだろうと解釈しました。その時に、神仏を自分の中で否定しました。  ただ、それを信じているひとたちを否定するとかではなく、自分の考えとして、神仏はないのだろうなと思いました。人は死ねば「無」だろう。お墓もいらない。ご先祖様に祈りはしますが、実際に届いているのかは・・どうなのだろう。といった感じです。 お墓参りやお仏壇、社、神棚へのお参りは生活の一部のため、ずっと してきてはいます。ただ、祈っていても、気持ちにブレがありました。  それから、なんとも思わず生活していたのですが、1年後の今、振り返ってみると、散々な年でした。流産を含む入院手術2回、旦那のうつ、旦那の仕事の不振、私の為替不信、父母の病気の発覚などです。  神仏否定でそのようなことになったのかと言えば、そうではないかもしれませんが、人生を振り返ってみたら、「目に見えない何かに絶対に守られていた自覚はあるのです」私が間違っていたのだなと今、自覚しています。  こんな私でも、今からでも神さま、仏さまは受け入れてくれるのでしょうか。 よろしくお願いします。

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女に生まれることは生物的にも社会的にも損でしかない。

私28歳、夫30歳です。 結婚当時夫は優しい人のように見えました。 妊娠後子宮外妊娠が発覚。 私自身も危険な状態でした。 夫はそれを知りながら病院に顔を出すこともなく浮気相手を妊娠させる等、裏切り行為が絶えませんでした。 退院後に後遺症やストレスで起き上がるのもやっとの私と無理やり性交しようとし喧嘩になり、「お前が子宮の外で妊娠なんかするから悪い」「男は本能的にセックスしないとダメ、お前が入院しなけりゃ揉めることもない。ストレスを発散するために浮気するのも仕方ない、男はそういう生き物だと知らないお前が世間知らずなだけ」と言い返されました。 私はショックで気を失い起きたら夜中で床に倒れたままで夫は寝室で寝ていました。 朝になっても眩暈があり横になっていた私に「生めない女は生物として失格」と更に暴言を吐かれ・・。 その後妊娠中の浮気相手から養育費を出せと電話がかかってきたり、夫の友人から「男の浮気は身体だけの関係で悪くない」と言われ開いた口が塞がりません。 私は今男という生き物が信じられません。 確かに本を読んだりすると男性には本能的にそのようになってしまう傾向があると書かれています。 だとしたら改善することは無いという事ですよね? ただでさえ妊娠出産育児などで身体的負担が大きく行動等の制限もかかるのに、命がけで子どもを生んでる最中に男は浮気、そして本能だから仕方ないと言い訳する。 社会に出ても男と同じ成果を上げても出世は出来ない。 ところがこれを言うと「女は努力してないからだ」「女は男に劣ってるから」と言い返される。 私の以前勤めていた会社は結婚もせず何十年もひたすら会社の為につくしてきた女性が何人かいましたが、彼女らは役職すらつけてもらえていませんでした。 役職付きの男性と同じかそれ以上の仕事をしているのに。 仕事に必要な資格も男は会社が費用を全額負担しますが女は全額自己負担でした。 これじゃ女が損するばかりじゃないですか。 妊娠出産を生命の神秘と美化する風潮がありますが、そもそも女は妊娠したくてしているわけではなく、女に生まれた時点で自分の子供がほしければ命がけで自分で生むしかないのです。 男は種をばら撒けば自分は苦しまずに子孫を残せる。 不公平過ぎます。 私は男が憎いし女に生まれてきたことが嫌でたまりません。 女は損しかありません。 死んでしまいたいです。

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息子の死

はじめてお話させて頂きます 昨年の夏に二十歳の息子が事故で亡くなりました。 先日は一周忌と新盆の弔いを行いました。 現在の私は 息子の位牌や墓前では 息子が悲しまないように、心配しないように 笑顔でいることに努めています。 ですが、頭では理解していても 心は現実を受け止めきれていません。 休日は1日中涙が止まらない日もあります。 息子の事故当時一緒にいた友人達は 月に一度は家に来てくれて、他愛も無い話をして 帰っていきます。 息子を忘れないでいてくれることが とてもありがたく思えます。 その友人達や、私の会社の人、親戚以外で 息子の事故を知っている人には会いたくありません。 優しい言葉を頂いても、現実を突きつけられているようで 悲しくなります。 息子は、なぜ死ななければならなかったのでしょうか? 息子に会いたいです。 ただただ、息子に会いたいです。 この場でお話するのは間違いなのでしょうが・・・ 私は、死後の世界もその類の話も信じてます。 なので自殺をすると、息子と同じところに行けないと 思っているので自殺も出来ません。 今はただ、自分の寿命が尽きて 息子の所に行けるのを待つのみです。 優しい言葉も、明るい未来も要りません。 今でも、明日にでも息子に会いたいです。 皆様、まだ二十歳の息子は なぜ死ななければならなっかたのでしょうか? 会いたいです。

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19歳の息子が自死しました。

今年の1月8日息子が亡くなり、まだ中陰の期間です。 1月5日の日に、お父さんと2人で旅行楽しんでおいでと送り出してくれて、その時に僕も考えたいことがあるから、ゆっくり考えると言っていました。 旅行最終日の早朝に息子が自分の部屋で亡くなっていると母から連絡を受け、現地からどのように帰ってきたもかも記憶にありません。 警察署の安置場に迎えに行った時には、息子の名前を呼び家に帰るよ!って思わず言ってしまいました。 いろいろ、息子の事を考え、ネットで調べると自死は、亡くなったその場から離れられず、永遠に同じ行動を繰り返していると知りました。 息子の為にも、みんなで仲良く生活をしようと思っても。息子の部屋では、目に見えない、感じられないけど、息子が苦しみ続けているのかと思うと、胸が詰まり、なかなか前向きになれません。 遺書には、学業や私と実母の確執の間に挟まれ思い悩むことがあり、これ以上生きていくのは難しいと考え、自分の意思で死にますと書いてありました。先の約束もいっぱいしていたのに、何で?という気持ちでいっぱいです。 毎日毎日、霊前でお経を読み、御逮夜には、それぞれの本地のご本尊がある御寺をお参りして何とか暖かい世界に向かってくれるように拝んでいます。 人として生まれ、やってはいけない事をしてしまった息子が苦しんでいないか?もし苦しんでいるなら、私には今何をしてやれるのかを教えて頂きたくて投稿いたします。

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生前葬をしてみたい

おはようございます。 先程、子供の頃の夢を見ました。「人生で一番大切なものは?」という、非常に面白い言い合いをしていました。夢でなく、実際にそういった会話をしたのを覚えています。 「命!」と答えると「じゃあ、お金いらないね」 「金!」と答えると「じゃあ、命いらないね」 子供らしい、何とも言えない惨たらしい言葉遊びです。 そこで私は考えました。考えた結果、「『どちらが』と選べるのは、命あっての物種だ。問いかける対象が考える以上、命ありきの物だ」となり、「では二番目はお金か?」と自問しました。 しかしながら、お金は三番目に落とすことにしたのです。 私は今、友人にお金を借りています。また、別の友人にお金を貸しています。それぞれ、結構な額です。なぜ貸借金したか、と問われれば、信頼だとか未来だとか、キレイ事が浮かんでは消えています。 そこで。こう結論付けました。「二番目は『人との繋がり』だ」と。 例えば私を頼って「10万貸してくれ」と言われれば、その理由によっては3万程度、場合によっては50万まで出せる気持ちがあります。また、内臓疾患を友人が患ったら、適合すれば喜んで肺の1つでも差し出します。 人との繋がりが強ければ強いほど、お金の問題も命の問題も軽減されると考えました。 私は音楽の好きな人のコミュニティに入っています。同時に、少々マニアックなコミュニティにも入っています。コミュニティ同士に繋がりはありません。 そこで、私は友人の輪を広げ、構築したいと考えました。私と出会った人々全員にお礼が言いたい。こんなどうしようもない奴と、僅かでも付き合ってくれてありがとう、と伝えたい。 実に多くの新興宗教家が理想とする世界観を、私も考えてしまいました。が、多神教であり信仰の自由もある日本であるが故に、新興宗教と言うだけで怪しいと感じてしまう人が多いようです。 そこで、既存の宗教に頼ることにしました。知り合い同士も、知らない者同士も、まとめて皆仲良くなってもらいたいし、お礼を言いたい。それには、生前葬が一番だと。 面白そう、やってる人少なそう、という考えも、もちろんありますが、それ以上に望むものがあります。 生前葬は、このようなきっかけで行って大丈夫なのでしょうか?また、自分の葬儀に参列することについてのお考えをいただきたいと思います。

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生徒よりも自分

地元の公民館にて、毎週末、こども将棋教室を主宰しております。 昨年に教室を発足させて、ちょうど1年くらいが経ちます。 7名の子たちでスタートした教室ですが、 今では15名ほどの子たちが来てくれる教室となりました。 当初は初心者として入って来てくれた子も 今では大会に出場するまでになった子もおり、 こども達の成長を日々喜び、 私自身も楽しんで教室運営を行っておりました。 しかし、先日、ある出来事が起きました。 ひょんなことから、教室に通ってくれているA君が 隣町にある他の将棋教室に通っていることが分かりました。 そのことを知った私は、A君に対して 「こっちの教室に不満があるの?」、 「こっちの教室に通っていれば十分でしょ?」などと 言ってしまいました。 後でわかったことですが、 A君とは別のB君(当教室と隣町教室と掛け持ちしている子)の お母さんがA君を勧誘したようなのです。 ちなみに、B君のお母さんは、過去にも、当教室通っていたC君を やはりそちらの教室に勧誘して、今では、C君はこちらに来なくなりました。 (隣町教室は、ボランティア(無料)でやっている教室のようです。 当教室は有料です) 後日、A君のお母さんとB君のお母さんが揃って教室にやって来て、 話し合いをすることになりました。 結局、私としては、 「他の教室との掛け持ちを禁止することまでできません。 だから、他の教室に行っていただくのは自由です。 ですが、今後は、当教室の生徒を他の教室に 勧誘することはご遠慮ください。」 旨を説明いたしました。 すると、「先生は、こどものことを優先して考えていない。」、 「将棋が強くなりたいという意欲ある子を尊重していない。」 旨のご指摘をいただきました。 正直ショックでした。 自分の教室の生徒を取られるのは嫌だ 将来有望な子の将来の手柄を他の教室に取られるのは嫌だ など自分本位な考えが根底にあるのは確かだと気付かされました。 自分は何が目的で、こども将棋教室を始めたのだろう? 本当にこども達の成長を願っているのだろうか? 自問自答すると、やはり自分が指導者として認められたいとか 教室の実績を上げたいという「自分のため」に 教室をやっているのだと思います。 そんな自分が嫌な奴に思えて苦しいです。

有り難し有り難し 18
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