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hasunoha 問答検索結果 : 「お坊さん 勉強 」
検索結果: 1119件
2022/11/16

お坊さんの着る服について

いつも皆様の回答を拝見し勉強させて頂いております。 質問失礼します。 私は真言宗のお寺で得度をしており 主は霊場会の先達や修験者として活動しております 知り合いのお寺さんから いついつ行事があるのでお手伝い可能ですか? とか来たらお寺に出向いております 普段は会社員でお寺でいる訳ではありません 理由としましては お寺に志したのが10代の時でして 全くお寺に関係の無い家で育って仕事をしながら お寺に行くようになり出家をしたので そのままの生活をおくっております。 前置きを書いての質問になります 来年は子どもの卒園式です 子どもの卒園式に正装としまして スーツではなく法衣を着て 嫁さんは着物で出たいと思ってます うちの住職に言ったら 普段はお寺に居ないですが 得度もして僧侶として生きているので 僧侶としての正装で良いと言ってくれました。 嫁さんに聞くと子どもがなんて言うか 周りもビックリするのでわ? 子どもにパパお寺の格好で行って良い? いいよ!(分かってるかは実際分かりません。) 他の園ですが知り合いの園長先生に聞いたら 私の保育人生でお寺のお子さんを預かった事が無いので 参考にしてあげれない。 先生とかビックリするかもね 理由としては 園の地域にあるお寺の住職さんとかだと お父さんお坊さんだもんね!って なると思うけどそうでも無いし 普段は会社員なので 保護者や先生は僧侶ってこと知らない方が多いと思うのでって言われました。 私は行くなら改良衣に明るい袈裟または お遍路さんとかの可愛い袈裟とかにして イメージ明るくして行こうと考えていることもしています。 実際こんな配慮しなくても宗教の自由だとも思ってます… 教えて下さい。 お子さんがいる僧侶の方で 入園式・卒園式・入学式・卒業式と言った 式典の際僧侶でもスーツを着て行ってますか? 法衣着てますか? お子さんがいない僧侶の方は 自分の父や母はどの様な格好で来ておりましたか? 長々失礼します よろしくお願いします。

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高名なお坊さんへの相談に意味はあるか

私は仕事のサボり癖が抜けず長い間悩んでいます。そのため様々な方に相談させていただきいろいろなアドバイスをいただきました。結局は問題はあまり解決していませんが、こんな相談を聞いていただいた方皆に感謝しています。 さて、この悩みを一度だけお坊さんに相談させていただいたことがあります。妻が昔、評判のよいある高名な僧侶に相談をしたことがあり、その伝手で私もお話を聞いていただけることになりました。 ただし、すでにかなりご高齢であったため、そのお寺に連絡した時点では残念なことにその僧侶の方はお隠れになられていて、跡を継いだ和尚様がいらっしゃいましたので、その御方にお話を聞いていただけることになったのです。 そのこと自体は大変有り難く、またその和尚様が比較的若いとはいえ不満を覚えたわけでもないのですが、しかし、やはりモヤモヤとするものが残ってしまったのです。 はっきり言って、20年近い間に多くの人に相談しておいて未だに解決しないものは、誰に相談しようがどんないい方法だろうが到底変わらないだろうことは感じつつあります。それでも、人生経験が豊富な方や、長年多くの人の悩みに向き合って来た方であれば何かあるのではないか、という考えが頭を離れません。 自分は有能な人や名声のある人に弱いのはわかっていて、それだけでは必ずしも意味はない、と言葉では頭に入れたことがあるものの、本当の意味では身についておらず、すごい人についていきたい、という願望が抜けません。 当時はありませんでしたが、このウェブサイトではたくさんの僧侶の方が様々な悩みにご回答されていて有り難く思います。私自身は仏教の業界にはまったく疎いのでどなたが高名か、などといったことはわかりませんが、しかし仮に評判のよい高名な僧侶の方がいたとして、そのような御方に相談することは意味があることと思えますでしょうか?

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人生とは勉強だと改めてこの場所で教えて頂いています。

タイトルに書いた通りなのですが、このサイトを知ってから、朝と夕にこちらを覗くことを日課にしています。 はじめはお坊さんたちがみなさんの質問に答える回答に対しても、こんな風に思うことは私には無理だろう。と思うことも多々ありましたが、不思議ですね、だんだん仏教のこころが生まれてきている気がします。そして、みなさんの質問を読みながら自分の事のように思い、辛いよね、頑張ろうね、と仲間みたいな気持ちもあります。 何かに欲深くなりそうなとき、御縁がありますように。とそっと唱え、うまく行かなくてもそういうものだ、と事実にだけ向き合い次どうするか、を考えます。良くないことが起きたら、まだくよくよしてしまいます、でもその後にこの授かりをどう生かそう、と考えるようになりました。 悲観的で、人と比べて、自分に自信がなくて、そんな性格でした。今でもそうです、でも少しずつ変わってきている気がして、本当に嬉しいです。御縁なんだと、身近にいる人を思うといつも以上に親切にできます、授かった出来事だと思うといつも以上に大切にすることができます。ありがとうこざいます。 以前、不妊治療の悩みを相談させていただきました。今はまだ治療中ですが、もうすぐ育った胚を移植します。 今までは移植したら身体中が緊張して、判定日までドキドキハラハラな日々を過ごしていました。今回はいつもよりはリラックスして過ごせるような気がします。どうか御縁があって授かりますように、と毎日願って穏やかに過ごせるように努めます。 しかし、移植後はやはりまだまだ不安になってしまう部分もあると思うのでお坊さんより素敵なお言葉を是非いただきたいです。どうか未熟な私にお力を貸してくださりますようよろしくお願い申し上げます。そして、いつも心の支えになっていただきありがとうございます、これからも頼らせていただきたいと思います。

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座間の事件、お坊さん何やってるんですか

タイトルの通りです。 お坊さん、あなた達の仕事は何ですか。 法事のお勉強は沢山して、沢山葬式では命について教える機会はあるかも知れませんね。 一部の方は自分の経験を元に説法するために全国を飛び回り、忙しくされているかもしれません。 その法話に集うのは若い子ですか? 見てください。今の若い子達の顔を。 幸せ、生きること、命について教えるのがお坊さんの仕事ではないのですか? 彼らは氷山の一角に過ぎませんが、もしあの9人がツイッターではなくここでのお坊さんに出会っていたら、教えを受けていたら。 危機感をもっともって欲しいです。 警察は法のもとに起きた事件に対してしか動けません。それが仕事。 学校の先生は命の授業はしません。みんな学業の点数をつけるのに忙しくされています。 お坊さん、お坊さん。何やってるんですか。 犯人は言っていました。 会ってみたら本当に死にたいと、殺して欲しいと言う人は1人もいませんでしたと。 やっぱりな。と思いました。 彼らは行動力のある若者です。その足で寺に向かっていれば。 こう思いました。 でも彼らは命の地図を誰が持っているのか知りません。自分の悩みが死でしか解決できないと、本当は生きていたいと思いながら、行動に出たんです。 お坊さん、立派な良い地図持ってるんでしょう? そこで迷ったのは被害者だけではなく、加害者もであると私は考えます。 私は今まで自分が幸せな立場にいると思うが故に、被害者の気持ちに寄り添って生きてきました。 それは今でも変わりません。この事件に家族も自分も絶対に巻き込まれたくはありませんし、加害者の気持ちに寄り添う事はまだ出来ません。 しかし、こういった事件の根本を解決、未然に防ぐ為には、加害者の気持ちにこそ寄り添うべきなのでは?とも思うのです。 気持ちが分からずに罪を憎んでも犯罪は無くなりません。 済んだ事件、亡くなった命は戻ってきません。 だから問います。 お坊さん、今の子達に、今後どうやって命について教えていかれるおつもりですか。 自殺を考えている子の話だけではありません。 加害者になり得る子に対しての話もお聞かせ下さい。

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仏門に入れば戒律を守らなくてもお坊さんとよべるのでしょうか

戦国時代の大河ドラマをみていました。 織田信長が比叡山を焼き討ちにした後、信長の奥さんがお坊さんをたくさん殺すなんてとんでもないと信長を激しく非難します。 しかし、信長は「比叡山の僧は酒をくらい女を抱き、夜盗のような暮らしをしている。あんなものは僧ではない」といいます。 だからと言って殺していいわけではないと思うのですが、確かにお坊さんなのに武器を持って武士を殺し、仏を敬わず酒色におぼれる。 お寺に住んでいるけれど、戒律を守らずに略奪ばかりしている。 とてもお坊さんと呼べるような人たちではありません。 もちろん時代劇ですので、面白いように脚色しているのはわかります。 しかし、現代でもお坊さんなのに悪いことをする人もいるし、権力闘争で世間を賑わす人たちもいます。 一度仏門に入ってしまえば、悪いことをした後でもお坊さんとしていられるのでしょうか。 お坊さんも僕らと同じ人間なので、誘惑に負けたり間違った判断をすることがあると思います。お坊さんが悪いことをするとどうなるのですか?悪いことをして死後地獄におちた場合、お坊さんだと仏様に近い生活をした分だけ罪が軽くなるのでしょうか?

有り難し有り難し 62
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お坊さんの家族は必ず同じ宗教を信仰してますか?

私の知人が浄土真宗のお寺に嫁ぎました。 実家はサラリーマン家庭で、真言宗の檀家さんだそうです。 彼女自身は特に宗教に興味も抵抗もなく、実家にいた時はお仏壇にも神棚にも手を合わせることが特に宗教行為という認識を持たずに「祖父母がそのようにしているから自分もしていた。」程度だと言っていました。 彼女は嫁ぎ先のお坊さんの勧めで僧侶の資格も一応取ったと言っていましたが、 未だに信仰心も湧かないし、苦労していると言っています。 特に苦労するのが年中行事だそうで、初詣やクリスマス、七五三、地域のお祭りで神輿を担ぐこと、など自分が子供の頃楽しみにしていたイベントは殆ど全てが仏教的に(もしくは浄土真宗的に)NGだったり、必要ないとご主人が言っておられるそうです。 彼女にはお子さんもいますが上記の理由で自分の子にそのようなイベントをしてあげられないということに対しても、とても落ち込んでいます。 そこでお坊さんにいくつか質問です。 1、お坊さんの奥さんは嫁ぎ先のお寺の宗教を信仰してますか?(するべきですか?) 2、お坊さんの家族は嫁ぎ先のお寺の宗教以外の宗教行事を控えてますか?(控えるべきですか?) 3、宗教に対して興味を持っていない奥さんや家族に対して、お坊さんはどのようにご自身の宗教を伝えてますか?(伝えない、伝えているけど受け入れてもらえない、伝えたくない等、色々あるかと思います。) ぜひ教えてください!

有り難し有り難し 49
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現在のNPO法人で子供が勉強したがらない。転NPOするべきか

忙しければ後回しにしてください。 今、NPO法人のフリースクールで勉強を教える係になっています。勉強の時間は月、金午前です。 この法人の方針で、シュタイナー教育を主に考えており、いわゆる公の教育はさほど重視していません。学校というより、居場所をつくることがメインのようです。学業に関しては”教える”ではなく、子供達が勉強したくなったら共に学ぶというスタンスで接することになっています。というのも教科書を開くだけで気分が悪くなる子もいるからだそうです。そうすると私はただ机で待っているだけの時間をもてあまして寂しくなります。 ネットで調べたところ、貧困層の子供を火曜、水曜の夕方~夜時給1000円で教える有給ボランティアもあるので、そっちのほうがやりがいがあるのではと考えています。もっとも公募なので採用されるか分かりませんが。 ただ、今のところは友人の紹介で居られるので、居場所をなくすのが怖いのです。 4月末にセクハラとパワハラで父の知人の会社を辞めただけに、所属の欲求が満たされていないためか精神的に不安定になっているのでしょう。ちなみにその会社はまた人が辞めて採用のお誘いの電話がありましたが、丁重にお断りしました。 だったらさっさと応募してみればいいのです。 でもこわいよう。 寒いせいか外出も憂鬱で、なおさら不安です。 自分で決める問題なのですが、ごめんなさい。こういうことだらだら話すと友達いなくなるのでここにたよりました。 時間が無駄に出来ると、姉の介護で大学院受験をあきらめたことや再就職活動が失敗したこと、破談になったこと、子供が欲しかった等々が頭の中をぐるぐる回ります。全て姉のせいにはできず、自分の力のなさもあるし、姉も発達障害の子供を育てて大変なんだ、お義兄さんもあのとき嫌な上司にあたっちゃったし、と言い聞かせるものの、無駄にくすぶります。そんなことしてる暇があったら掃除でもすればいい、、でもしない。  すみません、だれかに自分を看てもらいたいんです。仏様かもしれませんが。

有り難し有り難し 29
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お坊さんを蛸と掛け合わせて、笑いを取るような掛け軸について

どうしても意味・ユーモア感覚が分からないので、ここでお坊さんに直接質問をさせて頂きます。 いま私は、とある掛け軸について研究をしています。ですが、私は仏教の世界を深く知るようになったのは、つい最近になってからであり、そのせいで仏教世界のユーモアが分かりません。 研究している掛け軸には、掛け軸の下の方に、『十六羅漢のうち十人が水が足首らへんまでしか来ていない海(若しくは川)の浅瀬を渡って、上の方を見上げている』描写があり、左上の方に、『龍頭観音と思われる龍が一匹と、龍の口らへんに、モワモワした煙と共に、お花のような(?)ものを手に持っている着物を着た女性が一人立っている』描写があります。更に、この空の方へ登っている龍には、十六羅漢のうち六人が乗っており、そのうちの一人が釣り糸みたいなもので蛸を海から釣っています。 十六羅漢が川ではなく、海を渡っているのは、蛸が海にしか生息していないからという理由で、海だと推測しました。 この絵には漢詩が付いているのですが、以下のようなものです: 是秋釈子袿第響 無転十六蛸入道 為老先生博祭無事居楽 遊印には→星洲晩漁 と書いてあるはずなのですが(あまりきちんと読めませんでした)、漢詩の意味は全て分かりませんが、ここには蛸入道としっかり書いてあります。 以上のことから、私は、蛸とお坊さんの頭を掛け合わせて、笑いを取るような絵だと見受けました。 が、私の感性では、釈迦の弟子たちで笑いを取るという感覚が全く分からないのですが、ひと昔の日本では(明治・大正あたり)、このようなことはよく起こり得たのでしょうか?またこのような、ブラックユーモア的な掛け軸は、よくあったのですか? ちなみに、私の推測はあっていますでしょうか?(蛸とお坊さんの頭を掛け合わせることで、笑いをとるという感覚) 若しくは、他に何か意味があるのでしょうか? 漢詩の意味も分かりませんが、このセンスが本当に意味が分からなくて、大変困っております。どなたか詳しく説明して頂けますと幸いです。 掛け軸の絵を写真で添付できないので、絵そのもののイメージがし辛いと思いますが、どうぞ宜しくお願い申し上げます。 ちなみに、この掛け軸は、近代に描かれました。

有り難し有り難し 38
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彼との交際と宗教の問題でお坊さんにアドバイス頂いたいです

婚活している30代後半女性です。 どうしてもお坊さんのアドバイスを頂きたくこちらを利用致しました。 2ヶ月前知り合った彼とはとても気が合い、いつも優しくて居心地も良く、少しずつ好きになっていけそうと思う方です。 そんな時彼からとある仏教系の宗教団体に入信していることを聞かされました。 彼に一緒にやって欲しい、せめてお寺へ一緒に行って欲しい、それも無理ならお付き合いできないと言われました。 彼も悩んでいるようですが、これは譲れないようです。 私は元々新興宗教が好きではありません。 ですが偏見を持つのは嫌だし仏教には興味があったので、私なりに仏教を勉強していました。 そこには学びがたくさんあり、個人的にはこれからも意識していきたいと思えています。 そのきっかけをくれたのは彼です。 ですが、彼の発言や行動がどうしても完全には受け入れられません。 僕は儀式を受けたから救われて今は菩薩なんだ、君は救われていないから救いたい、僕は天災に会わない、死後硬直をしないなどです。 それありきの相手じゃないとダメで、だからこそ大切な君に行ってもらいたい、これは君の命に関わる問題、絶対幸せになれる、と言うような感じのことも言われました。 最近はお役目で忙しく、連絡が取れなくなることも多々あります。 勧誘しないなら一度お寺に行って自分の目で確かめようと思ったりもしますが、でもどうしても彼の考えや行動や言動を考えると入信とまでは踏み込めません。 仏教の教えを今の生活に上手く取り入れたり、受け入れる心を持つことや穏やかに広い視野で生きていくことだけではダメなのでしょうか?入らなければ救われないのでしょうか? 彼の言うことに納得できる部分と、どうしても洗脳された異様なもののように思えくる部分が出てきてお付き合いすることも躊躇ってしまっています。 彼は結婚したいと言ってくれています。 好きな気持ちも本気度も十分伝わってきますし、心優しい人だと思っています。 私も年齢的に子供も欲しいですしそう時間はありません。 どのような判断をすれば良いのか混乱してかわからなくなってしまいましたので少しでもアドバイス頂ければ幸いです。 何卒よろしくお願いします。

有り難し有り難し 33
回答数回答 3
2025/04/10

お坊さんの「生きてていい」と思う瞬間とは

「生きていていいのだ」 と、思える瞬間をお教え賜りたいです。 自分は離職中で抑うつ傾向が強く、どこかの支援に繋がる必要を感じますが、上手く繋がることができずにいます。 私は無職で友人もほとんどいませんが、受刑者は常に人目に晒され、酷な環境ながらも必ず刑務所という居場所に所属できることが羨ましく思えます。ですが、犯罪を起こしてまで欲しいものも、暴力的なエネルギーもありません。 それでも幸運に、 hasunohaに出会い、禅の思考や、昔はお寺さんが精神病を治療していたことを知りました。 全ての試練は仏様が与えて下さり、何か意味があると思考を切り替える術も知りました。仏様が味方して下さっていることも。 今私が苦しむのも導きだと思うと救われる心地はあるのです。 ただ、このまま生きていたら、無職で天涯孤独の中年になります。 現状としては上手く就職が進まず、精神病のある母は感情の起伏が激しく今はわがままな小学生のようになっています。 理解していても振り回されてしまい、家族は母の味方なので、美味しいものを食べるようにしたり、犬のぬいぐるみを買ってみたりしました。 希死念慮に追い詰められていることで周囲に助けを求めましたが、多忙だったり「みんなもそう」「我慢が足りない」とのことでした。 これも大人としての自立だと思います。就職できていない責任もあります。 ただ、この先に進むための力になる 「他者のお役に立てている」 「自分が生きていていい」 …そう感じられる機会が極端に少ないのです。 大学で勉強した心理学が好きで、解決法は既に知っているのです。 他者からお力を借りる必要のあるものは、私の頼み方が下手なので、助けの求め方を学んでいます。 「生きていていいのだ」 と、思える瞬間はどんなものがありますか? 実行できるものは試してみたいと思います。 ご多忙の中、お時間頂きありがとうございます。どうか宜しくお願い致します。 都会の喧騒の中でもお寺の空間は別世界のようで落ち着きます。この世に存在して下さることが有り難いです。

有り難し有り難し 41
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