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hasunoha 問答検索結果 : 「私 死 」
検索結果: 5453件

私は物事を考えすぎているのでしょうか?

はじめまして。 私は長い間、それこそ中学生の頃から、生きる事について自分なりに考えて参りました。 幼い頃は、生きるとは正しく(簡単にいうと道徳で習うような基本的なこと)在るよう努め、幸せになる事と思っておりました。 しかし、今までを振り返ると、正しさは私の人生において、幸せになる事とは異なる存在でした。 なぜ嘘をつくのか、なぜ陰口をいうのか、なぜ優しくしないのか、なぜ相手の立場に立って話をしないのか、なぜ傷付け傷つけられるのか… これらのある種意味のない疑問を持ち考え続けたことで、大切な人達にも息苦しい思いや悲しい思いをさせてきことがあると思います。実際に、そこまで正しく生きれない、お前を見てると辛いと言われてしまったことがあります… また、私自身も、正しさに執着し過ぎている為か、怒り悲しみを抑え込み、何よりも叶えたい強い望みも、他者の悲しみの上でしか成立しないと思うと何もできず、消化出来ない感情や気持ちとの矛盾で頭と心が度々悲鳴をあげます。 (勿論、抑えきれないない時もあります。その時は自己嫌悪で悲鳴をあげております…) そんな時にであったのが「人は苦しむためにこの世を生きる。現世で苦しみカルマをかることで、生まれ変わりの輪から抜け出すために人は生きている。」という一文でした。 おかしな話ですが、とても救われたきがしました。幸せにならなくて良い、正しさを求め苦しむことは、間違いではない、と言われた気が致しました。 ただ(だいぶ長い前説となってしまいましたが…)本当に根本的な事なのですが、正直、ここまで考えて生きる必要があるのか、疑問に思う自身もおります。 身近な人たちにこの様な話をすると、そこ迄考えなくて良いと言われてしまいます。 私は…考えすぎなのでしょうか? もう少し気楽に、幸せを求める方が健全なのでしょうか… (ただ、私は現在も決して不幸ではなく、むしろ感謝がつきない日々を送っておりますので、幸せと言う言葉には少し語弊があるかもしれませんが…) 長文の割りにあまり意図が伝わりにくい内容となってしまい申し訳ありません。なるべく素直に頭の中の言葉を書き出させて頂きました。 ご意見をお聞かせ頂けましたら幸いです。 どうぞよろしくお願い致します。

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生より死が近く感じてしまう

生きてしまいました。 まずは、私の質問や悩みがどれだけ愚かであっても常に優しい言葉を掛けて下さること、心より感謝申し上げます。一件一件に御礼を書き込むだけの精神的余裕が得られる見込みがないため、この場にてお許し下さい。誠に申し訳ありません。 自業自得により、生よりも死の方がリアルに感じられる状況にあります。心の弱さや人間不信を理由に、しかるべき時に就職活動を行わなかったことで、自らの将来を閉ざしてしまいました。 元々の社会に対する悲観的な意識や積み重なった上手くいかない経験により、「生きる」「幸せになる」「人並みでいられる」「やるべきことができる」自分の姿よりも、「死ぬ」「失敗する」「落ちこぼれる」「救おうとするふりをして救ってくれない社会きら見離される」自分の方がリアルに見えてしまいます。 私はちょっとしたことで傷付く性質で、家族からもよく「そんなんじゃ生きていけない」と言われて来ました。 今更になって就職活動のようなものを始めてみましたが、しかるべき時にに始めていた方々でも苦労するのに、私のような人間が上手くいくとは思えません。筆記試験、業界研究、面接対策。「就活」「いつかは、なるべく早いうちに正社員に」と思うだけで呼吸が乱れます。 新卒で正社員になれなければ、その後のハードルは大きく上がります。正社員でなければ、という焦りは尽きることがありません。 私は、今の社会や世界では、全員を生かすことは出来ないと考えています。どうしても物質がなければ生きていけない以上、生きられる命には限りがあります。そして今は、その限られた以上の命を抱えてしまったのだと思います。 そして、満たされていた過去を知っていた人々は、今までのように満たされようと他から奪い、奪われた人々がまた他から奪うループであると感じています。 私はいつか、こうして私に優しくして下さった方々のように、苦しみを抱えた方々にに向き合うことをしたいと考えております。しかしそれにはまず私が生きて、しっかり労働生活をしなければなりません。自業自得により、常識のレールから外れた私が、もう一度戻れるでしょうか。そして、この世界に絶えられるでしょうか。社会が受け入れてくれるとは考え難く、自分で自分を追い込んでしまいます。 生きることがこんなに辛く難しいものだとは思っていませんでした。

有り難し有り難し 35
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25年前の母の死について詳細を知るべき?

25年前に母親を亡くしました。 母は半年ほどうつ病を患っており、自殺を図ったのだと後から知りました。 当時、私は10歳であったためか、 「母の病状はどうだったのか?」「母は死因はなんだったのか?」 など詳しいことは父や祖父母から聞かされておらず、 母の死について詳細を知らぬまま月日が流れました。 母の死から15年後、 私は社会人になり会社員として働いておったのですが、 親しかった後輩社員が「うつ病」を患って、 その後、彼は23歳という若さで亡くなりました。 後輩の葬儀に出席するため、実家へ礼服を取りに訪れた際、 祖母との会話の中で自分の母の死因が「うつ病による自殺」であると 初めて聞かされました。 もちろん当時も、10歳とは言え、 自分の母親が苦しんでいる様子をそばで見ていたわけですから、 なんとなく「母は病死などではなく、自殺なのだろう」とは思っていましたが、 家族から直接的に母の死因を教えられていなかったため、 祖母の口から出てきた言葉にショックをうけましたし、 その場では、それ以上踏み込んだ話ができませんでした。 それからまた10年経った今、 母の死因を詳細に知る家族も 祖父→他界(病死) 祖母→認知症のため施設にて生活 となり、 残すところ父のみとなりました。 父とは母の死後、「母の死」について話す機会はありませんでした。 父も還暦を過ぎ、男性の平均寿命をみても、 あと30年、40年、と健康でいるとは考えにくいです。 昨年子供が生まれ、私も「母親」になった今、 改めて「母の死」について父と話したいと思う一方、 より詳しい内容を聞くことで、 私自身苦しむことになるのではないか?と思う自分もいます。 長くなりましたが、 「母の死」の詳細を父と話しをするべきでしょうか? 助言をいただけましたら幸いです。

有り難し有り難し 13
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2022/10/04

両祖母の介護、死を間近にして

こんにちは。わたしの両祖母のことを相談させてください。 父方の祖母は、わたしの実家で在宅で介護中です。96才です。もう足の裏に斑点が出てきて、尿量も少なくなってきているため、いつ亡くなってもおかしくない状況なので、今朝、実家の祖母のことろへ行ってまいりました。 祖母の意識は朦朧としていますが、 わたしがやっと大学に受かった時に1番に合格通知を持ってお祝いしてくれたことや、わたしが前夫と離婚して実家に出戻った際に「ばあちゃんがそばにいるから大丈夫!」と励ましてくれた事、その後に年の差もありバツイチ同士で「きっと断れるだろう」と覚悟して今の夫と挨拶に行った時に開口一番「おめでとう」と言ってくれたことなどを感謝して話したら、 今までうとうとしていた祖母がカッと目を見開いてわたしの手を取り、深くうなづいてくれました。 近くに住んでいるので、急変したら私を呼ぶように家族に伝えましたが、祖母が死にむかっているのが受け入れ難く辛いです。 あと、母方の祖母です。遠方で90歳です。施設に入ってます。月一で私が面会に行ってます。しかし、母とその祖母は絶縁してます。母の弟さん家族が主に何かしらの物資援助をしています。 先程、母方の祖母と話をしました。親しかった隣のお部屋の入所さんが亡くなり、また、祖母は西日が強いお部屋が居心地が悪いらしく、電話で話す時に鬱のような雰囲気を感じます。祖母も自分の家で看取られたかったのが本音と、入所さんとはあまり話をしたくないと聞きました。 私は、施設の部屋が空いたら、日当たりのいいところへ移ったらと言いましたが、母の弟さん夫婦に頼みにくいと言ってました(まだお二人とも非常勤で働いている上、祖母の息子さんが気難しいのでこれ以上迷惑をかけたくないとのこと) 私は、母方の祖母にも快適な老後を過ごしてもらいたいのですが、主に近くにいるのが息子夫婦なので、言い出しづらいのです。 私が直接仲に入って、日当たりの良いお部屋が空いたら移ったらと提案したいのですが、それは逆にお節介になって、祖母にダメージがないか、迷います。 実家の祖母との最期の向き合い方にも戸惑いがあります。 どうか、アドバイスをお願い致します。

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自死遺族の気持ちをわかってもらえない

三度めの相談になります。 姉が亡くなって、一年八ヶ月が経ちました。 こちらで、二度、話を聞いて頂き、その都度、涙し、励まされ、前向きに頑張ろうという気持ちになりました。 今は、泣き崩れることはなくなり、日常生活も普通に送っていますが、やはり毎日、姉のことが頭からはなれず、姉に会いたい、姉と話したい、姉と笑いあいたい、早く姉の所に行きたい、そんなことばかり考えてしまいます。 もう、いつもの私に戻ってる、まわりにそう思われていることが、私には辛いです。 家族が自死で亡くなり、それからずっと自分の心に壁ができてしまい、心の底から笑うこともできず、楽しめず、そんな苦しみすら家族以外に理解されず、忘れ去られて。。 家族を自死で亡くしたことことがないまわりの人には私の気持ちなんかわからない。 ただ亡くしただけではない、姪っ子も両親と暮らせず、祖父母との生活。 姪っ子なりに、今の生活に慣れ、頑張っていますが、彼女の将来のことなど考えてしまいます。 家族の一人を自死で亡くしたことによって、まわりの人には理解できないくらいの苦しさ寂しさがあるのに。。 好きで同棲した彼とも結婚を考えていたのに、彼よりも亡くなった姉、自分の家族のことしか考えられず、自分のエンディングノートにも、家族中心に書いてしまい、彼に何かを残したい、彼に委ねたい、ということが一つもありません。 姉のせいというわけではありません。 姉がいなくなってしまったことで、ここまで自分の心が変わってしまったのです。 とにかく、辛いです。

有り難し有り難し 95
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2022/03/22

全世界同時安楽死ガスがあったとして

 これは過激な提案であり、思考実験であり、私の望みです。  私の望みは、ありとあらゆる生命が、一瞬で、同時に、何の苦しみもなく死に絶えることです。私はこの世界に心底失望しており、肉体という物質からの脱脚を強く望んでいます。五感と意識を手放し、何も感じなくなりたくて仕方ありません。  自殺してもこの世界がある限り、また生まれてしまう可能性から逃れられません。それに絶望して、「何もないこと」を希求するようになりました。  人間は「全世界同時安楽死ガス」を開発するためだけにここまで進化したと思っている部分があります。  全生命の生殺与奪権を一部の人間が握ることになる点、自然に続いている生命を人為的な手段で終わらせる点、今まで誰もそんなことを言わなかった点を除けば、私の提案は遠い未来に訪れる太陽の消滅や阿弥陀様のもたらす救いと同質ではないでしょうか? 「存在しない」以外の希望がどこにも見当たりません。  生命の本能は他を侵害することにあります。人間だってその本能から逃れられていないばかりか、「自分を大切にしたい」という欲望のままに他者を排除する時代です。  今まで見て見ぬふりをすることでうまいことやっているように見せかけてきた沢山の苦しみが「多様性」や「人権」という言葉のもとに噴出し、その結果は今まで以上の苦しみの再生産です。  善意なんてものは、もともと神話の遺物でしかありません。  何かを犠牲にしなければ社会は成り立ちません。  ならば、全て消し去ってしまった方が良いとしか思えません。 「全生命同時安楽死ガス」が間違っているのだとしたら、私はどうすれば 良いのでしょうか?

有り難し有り難し 123
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2022/02/07

父の死とそれに伴う苦悩とのつきあい方

こんにちは、見てくださってありがとうございます。 初めての質問、長文ですが失礼いたします。 昨年食道がんで父を亡くしてから、思い悩むことが多くなりとても辛いです。そういった負の感情とのつきあい方、折り合いの付け方をご助言いただけたら嬉しく思います。 「思い悩む」の内容は、自分では3種類くらいあると思っています。①父の死自体に対する悲しみ、②今後周りを含め迎える死に対する悲しみ、③周りと比較してしまう思考、です。 ①に関しては、死別までのトラウマです。コロナ禍ということもあり、父は臨終近くまで家で過ごすことが多く、父の咳で眠れなくなったり、血痰が出て夜中に看護婦さんを呼んだり、かん腸で泣き叫ぶ父を励ましたり、とても悲しい記憶が色濃く残っています。当時リモートワークで、仕事先の人にもあまり事情を分かってもらえる人がいなくて、完全に孤立してしまったことから、少し捻くれているのかもしれません。 ②は、これは私も意外だったのですが、今後私が経験したような果てしない悲しみを、ほとんど誰もが同じように経験をするという事実が、悲しいということです。その事実を直視すると、人生には救いがないな、と、思ってしまいます。例えば、私の周りの大切な友達やいまは幸せそうな家庭や生まれたばかりの赤ちゃんだって、いつか大切な人の死を経験するのは同じですよね。親の死に対して「みんな経験することだよ」という励ましワードは良く見ますが、私にとっては、それが、そういう出来事が増えていくことを確信しているからこそ、これから生きていくのが苦しいな、という感情になってしまいます。 ③は、他者との比較を辞めたくても辞められないということです。周りは20代。両親健在な方が多く、羨ましさが拭えません。両親が元気な友達の家庭の話を聞いたり、死と関係のない悩みを聞いては、一人になってから羨ましさで泣いてしまいます。「両親どちらも幼くして亡くしてる人もいる。私は幸せだ。」とか、考えてみるのですが、また人と比較することでしか、自分を慰められていないことに気付いて嫌になります。他ならぬ自分自身が苦しいのだということを認めたいです。 hasunohaやグリーフについての本などを読んで、死別といっても、それに伴う感情は多様で複雑だなと思っています。お時間ありましたら、お言葉いただけたら嬉しく思います。

有り難し有り難し 9
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育てて貰った兄の死を受け入れられません。

私は親が小さい頃他界し歳の離れた兄姉に何不自由なく育ててもらいました。20歳の頃、遊びすぎで言うことを聞かない私と厳しい姉から猛烈な叱りを受け怖くて帰れないまま20年もの時間が過ぎてしまいました。怖くて連絡が取れなかっただけで、仲の良かった兄弟から冷たくされるのも怖くて謝りにいけませんでした。ただそれでも母のお墓参りには行っていたのですが、先日恐れていた事が起きました。 母の日のお墓参り行った際、新しいお塔婆で兄の死を知りました。 家出した身分ですが、私は小さい頃から兄姉が大好きで5歳くらいから末っ子なので自分がみんなを看取るかもしれないと未来を恐れていました。本当は心の底から許してほしくて仕方がありませんでした。でも怖くて会いに行けなかった。謝ることもできずに私は私の暮らしをして勝手に生きていたのです。  でも20年の日々の中どうしたら謝りに行けるかをずっと考えていました。それでも行動に移せず、こんな現実を迎えさせてしまった自分は生きる資格なんてない、なぜ生きているのかと毎日苦しくて仕方がありません。兄は私達を育てるのに10代から昼夜働き苦労ばかりさせてしまいました。私は何一つ孝行できずに私は幸せに生きています。そんな自分が許せません。こんな未来は本望ではなかった、謝りたかったし身代わりになれるならなってあげたかったです。こんなふざけた自分をこの先どう生きていけばいいかわかりません。大切な人を傷つけた最低な自分です。死ぬ事もいけないこと精神を病む事もいけない事とわかっていますが毎日毎日苦しいです。最後まで逃げていた自分を許す事ができません。厳しいお言葉をお願いします。

有り難し有り難し 12
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高齢の愛犬の死を考えると怖い

こんにちは。 私は今年15歳になるラブラドール・レトリバーの女の子と暮らしています。 実は私は母が病気でほとんど歩けず認知症も少し出始めていたので長年介護を続けていました。母も愛犬をとても可愛がりいつも3人家族だね、クーちゃん(愛犬の名前です)私より先に亡くならないでね、と話していました。しかしその母が先日2017年4月18日肺炎のため入院9日目に突然亡くなりました。 毎日母の事を思うと後悔ばかりでお経をあげる事しか出来ない毎日ですが、泣くばかりも出来ずいずれ近いうちに私は(鬱病でかなり以前から無職でした)仕事を探して働かなければいけない状況になりました。 しかしどうしたら良いのか悩むばかりしているのが高齢でもうよぼよぼと歩いている愛犬クーの事です。 もうそんなに寿命も長くはないと獣医さんにも言われている愛犬に、できるだけのことをしてあげたいのです。出来れば今までの様にずっと側にいてあげたいけれどそう言う訳にはいかないことはわかってはいるのですが、ひとりにしていたときに何かあったらと思うと不安でたまりません。 独身で、父は早くに亡くなり兄弟姉妹もいない私には今はこのクーがただひとりのかけがえのない家族なのです。 私が甘え過ぎなのでしょうか? 私はどのように気持ちを持てば良いのでしょうか? このままではクーの事が気になって仕事探しも難しいです。 なかなか他人に相談しづらくて、母の死によって突然変わってしまった状況についていけません。 愛犬にとって一番良いのはどうすれば良いのでしょうか? 愛犬がいなくなったら母もいない今となってはもう自分はどうなってもかまわないとさえ思ってしまいます。 どのように気持ちをもてば良いのかお教えください。 よろしくお願いします。

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母親と同じような存在だった祖母の死

孫である私はもちろんのこと、ひ孫である私の娘をどこまでも暖かく深く可愛がってくれました。 優しく、ちょっぴりお茶目で可愛らしい祖母が旅立ちました。 まだ49日を迎えていません。 持病が悪さをして突然逝ってしまいました。 私にとっては実母よりも無条件で甘えられた唯一の存在だったと思います。 一時期、祖父母と気難しい思春期の私と3人でたまに喧嘩しながらも和気藹々と楽しく生活してたこともあります。 お前さんはいっぱいいる孫の中でも、じゃじゃ馬で一番手のかかる世界一可愛い孫!そんな孫から生まれたひ孫ちゃんも世界一可愛いひ孫!とニッコリ笑って言ってくれる素敵な祖母でした。 晩年はできる限り会える時間を作ったり、2日に1回はテレビ電話、月に1回の娘の写真入りの工作をプレゼント訪問したりなど後悔のないように!と思ってやってきたつもりでしたが… こんなに愛してくれて、大切にしてくれて頭が上がらないほど感謝しているので、 もっとなにかできなかったのだろうか、もっとこうしてあげたかった、もう少し一緒に居たかった、など言ったら キリがないのは重々承知ですが そういった気持ちになり、仕事や家事、子育てをして紛らわせつつも、 夜一人になったときに思い出をひとつひとつ思い返しては涙が止まらないのです。 納骨するまでにできるだけ一緒に居たくて 実家に頻繁に帰っては、祖母のお骨の入った箱を抱き締めて話しかけ、一人で泣きじゃくってしまい… どうにか気持ちに整理をつけよう、と思っても難しいようです。 私のようにあまりにも想いすぎると故人が心配して旅立てないから、マイナスのイメージで想わない方がいいと、なにかの本で書いてあるのを見て、 さらに申し訳なく思い、少しでも前向きに…!と奮い立たせますが、その反動でまたしくしく泣いてしまったり… いずれはしなければいけないお別れ、と覚悟はしていたつもりですが… 気になることは、 私のせいで祖母の旅立ちの邪魔になっていないでしょうか? どうしてもまだ祖母の死を受け入れられず毎日泣いてしまっていて、それが祖母の迷惑になっていないでしょうか? またこの気持ちは持ち続けていいのでしょうか? よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 5
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2023/05/15

希死念慮との付き合い方を教えてください

お坊さん方こんばんわ。 最近希死念慮に襲われています。普通に暮らしているのに急に死にたくなったり、急に不安になったりします。でも何が不安なのか自分でも分かりません…自分でも頭の中で何を考えてるか分からない… 家族や職場では明るく振る舞ったらしてるけど、今家族、職場の人と喋ってるのは本当の自分ではなく偽りの自分のような気がします。 家族にはそんな事を言ったらまた、迷惑をかけてしまいます(過去の悩み等で両親に多大な迷惑をかけています。私の過去の相談を是非みてほしいです) 以前ここで相談したお坊さんから「生者必滅」と言われました。確かにその通り。分かってます。 しかし、ふとした瞬間希死念慮が襲ってきます… なにかアドバイスをください… ちなみに今は希死念慮に襲われた時は、長生きしようとせず、少し先に楽しみ、目標を 達成してから死のうと思うようにしてます。 ◯◯をするまで生きてみようかな〜と言う感じで… 死ぬまでやる事リスト ・もう一回1人旅行をする ・スカイダイビングをする ・親孝行をする ・ワンポインの刺青をいれる(親に死ぬほど怒られそうですがこれが今1番やりたい事) ・永平寺に行く ・5万円以上の募金をする ・遺書を書く ・遺影は決めておく これが私の死ぬまでにやりたい事です。

有り難し有り難し 12
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2024/01/30

祖父の死を受け入れて前に進みたい。

祖父の死を受け入れられません。 最近、祖父が亡くなりました。 祖父とは小さい頃からずっと面倒を見てもらっていて、孫の中でいちばん可愛い。ほかの人たちは可愛くない。(冗談ですが。笑)と言うほどの仲でした。 お正月にまた2月の連休に帰るね。 またね!と声をかけて別れました。 それが最後でした。 祖父宅には離婚し、戻ってきた父、祖父、祖父母で住んでいました。父が職場でインフルエンザになり、それが祖父母にうつってしまい、誰も動けずに病院にも行けませんでした。 父は同居していますが、1階、2階で別れています。 父もしんどいようで祖父母が住んでいたところに行けずに… 祖父もオムツを履かせましたがそれを誰かが変えることも出来なかったと聞きました。 そうすると、最後は知らぬ間に亡くなっていたようです。 ずっと足が悪く、手術し、長いリハビリ入院生活をして、やっと退院した矢先だったので疲れていたのだと思います。 インフルエンザになったときに電話をしていたのに、電話をしていたのは祖母とですが、大丈夫?なんかいるものとかない?って聞いたりしたけど私にも家庭があり、遠慮したのか何も言いませんでした。 でもやっぱり行けばよかった。 おじいちゃん苦しかったかな。 私が動けばよかった。 父もちゃんと自分の親のこと見てよ。 最期に会えなかった。 もういろんな複雑な思いが溢れてきて私も祖父に会いたい、もう死にたいと思ってしまいます。 通夜や葬儀で父も父ちゃんごめん。と何度も言っていましま。 私もこんなに急な別れになると思わずに、苦しいです。 もっと話したかった、もっと一緒にいたかった。会いたい。 子育ても家のこともあるのに手がつかずに毎日泣いています。会いたいです。 どうやって乗り越えたらいいですか? まだいないことが信じられません。 喪主である父に最後に火葬場でスイッチ押させてもらいました。 またね、ありがとう、ごめんね、大好き。という思いを込めることができましたがやっぱりどう考えても後悔と悲しみに苛まれ、辛いです。

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愛犬の死 愛犬と家族に申し訳ない

2日前に愛犬のそらを11才7カ月で亡くしました。 癌が進行し抗がん剤治療を始めたばかりでした。 2ヶ月前、子供がシコリを見つけた時すぐに病院に連れて行ってあげずに後悔してもしきれない気持ちだったのに、同じ過ちを犯し死を早めてしまいました。 抗がん剤治療で、病院の先生に食欲が無くなったらすぐに病院に連れてくるように言われたにもかかわらず、御飯を食べなかったのにお肉を少し食べたから大丈夫かなと思いすぐに病院に連れて行ってあげませんでした。 翌日私が仕事中に、調子が凄く悪くなったからと病院に家族が連れて行ってくれました。 仕事から帰ると注射をしてもらって帰ってきたそらはとてもつらそうでしたが2~3時間すれば調子が良くなるかもということだったので安心してしまいました。 少しして先生から電話があり、入院して点滴をした方が良いけど先生も夜中は病院に居ないので最悪そらが独りで亡くなる可能性もあるとのお話しでした。 そらを独りで死なせるのはつらかったのもありますがまだ大丈夫だという思いと、毎日どんどん衰弱してつらそうにしているそらの為には、もし今日家で亡くなってもそらの為に良いのではないかという思いで入院はしない判断をしました。 しかしそれから調子が良くなる事はなく3時間半後に天国に旅立ちました。 居なくなってもう取り返しのつかない自分の馬鹿な判断に後悔しかありません。 ずっと一緒に過ごしてきた3人の子供達も、とても悲しんでいるのを見て、先生から電話を頂いた時に子供達にも入院させるか相談するべきだったと後悔しています。 あんなに大好きだったそらの寿命を全て私の判断で短くしてしまいました。 そらにも子供達にも申し訳ない気持ちでどうしたら良いかわかりません。 また居なくなって、今更もう二度と会えないんだと実感が湧いてきて悲しくてたまりません。 いつでも私のことを大好きでいてくれた、最後までお利口さんだったそらに申し訳ないです。 早く私もそらに会いに行きたいです。 これからどういう心持ちで生きていけば良いのでしょうか? 子供達の為にできることはあるでしょうか?

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ペットの死と主人の対応でつらいです

2匹のみどりがめをを飼って14年。 そのうちの1匹が、5月の初めから餌を食べなくなりました。 今までにも何度か経験があり、また産卵かなと思っていると 下旬に庭先で穴を掘っていたので、産んだのだと思っていました。 でも、産卵後は戻る食欲が今回は戻らず、なんだか元気もありません。 片方の目が腫れてるようでもあり、 いつもとは違う…と心配になった私は、主人に 「動物病院に連れて行こうかな?」と相談したのですが 「カメで病院?家で様子を見たら?」と言われました。 犬や猫ではないし、そう言われたらそうするしかないと思い 数日・・・。口をあけて、肩で息をするようになり、 じっとしたまま、ほとんど動かなくなったので 主人には言わずに、カメを見てくれる病院を探し、 やっと見つけて連れて行きました。 肺炎と結膜炎で、かなり弱っているとのことで 栄養剤や抗生物質をもらい 「14年も飼っているペットがきつそうにしていたら 何とかしてやりたいと思いますよね」と、やさしく言っていただき、 もっと早く連れて行ってあげればよかったと、強く後悔しました。 4~5日したら、薬を飲ませるとき嫌がるようになり、 少し元気が出てきたかなと喜んだのもつかの間、 その後、目をつぶったままになり もう一度病院で見てもらう予定だった日の朝、 眠ったまま 亡くなってしまいました・・・。 それを知った主人は 「また、新しいのを買えば?」と言ったのです。 さみしくないように代わりに…と思ったのかもしれないけど 死んで数時間しかたっていないのに そういうことを言う神経が分からなくて・・・。 名前を呼ぶと 近づいてくるかわいい子でした。 私が動く方向に、水槽の中を移動し、 ちょっととろくて、自分でえさをとれないと 私の方をじーっと見上げて待ってるような子でした。 残っているカメを かわいがってあげないと・・・と思うのですが あの子じゃない・・・と否定してる自分がいます。 「くるしいねえ。もう、がんばらなくていいよ。 今までありがとうね」と言った翌日に死んでしまったことも 私を苦しめています・・・。 長くなってすみません。 関連してる「ペットの死」という回答・・・ いくつも読ませていただきましたが、まだ 涙が止まりません。 喪失感・・どうしたら・・・・

有り難し有り難し 32
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死の捉え方がみんなと違う自分

94歳の祖母が8月に他界、葬儀が私の旅行に被りました。 家族は私の気持ちに任せるといい、祖母は急死ではなく自分的にも心の準備をしながら接してきました。 また祖母の死を目の前にしても一般的な死の捉え方ができず悲しみはあったものの死というものが自分でもよくわからない感覚のものになっていました。 そして私は通夜.告別式に参列せず旅行に行ってしまいました。 一緒に行く彼も反対をしましたが私は自分の都合の良いように言い通して行きました。 旅行に行く前は生前祖母には自分なりに出来るだけ接してきたつもりで、自分では旅行に行くことを後悔しないと思いました。 しかし旅行中祖母のことが頭から離れず、帰ってきてからも家族や親戚には非常識人間と叱られ、 旅行に行ってしまったことを後悔しました。 でもどこかで祖母が骨になるところ、形としてなくなってしまうところを見たくなかったという想いもあります。 こんな自分を非常識であり、優しさの欠片もないと思われても仕方ないと思います。 葬儀に参列しず祖母や周りの人を傷つけてしまったことを反省しています。 でも反省している自分や看護師として働いている自分が表面上だけなんじゃないかと思えてきて、本当は偽りの自分なんじゃないかと怖くなります。こんな非常識な自分が今後また誰かを傷つけてしまうのではないかと不安でたまりません。 死に対しても常識、非常識についても何が正解なのかわからなくなっしまってます。 こんな私になにかアドバイスをいただけないでしょうか?

有り難し有り難し 37
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ペットの死について色々考えてしまいます

先日、自分の息子のように可愛がっていた猫を亡くしました。 元々地域猫のように暮らしていた子のようですが、2年半前に突然の出会いがありうちの子になりました。 あの日の朝、あの子の顔を見たとき、今日でお別れのような気持ちをはっきり感じ、あの子も手を握り返してくれたことが忘れられません。 今日で終わりかもしれないといった気持ちがあったのに、病院で預かりますと言われそのまま預けてしまいました。あの時のあの子の、私を見つめる目が忘れられません。 バカげた話かもしれませんが、その日は驚くほど天気が良く、病院の中もいつもより明るく違う病院へ来たような気がしました。その日病院に来ていたほかの飼い主さんも初めて見る人ばかりで…本当に大げさに言えば、違う世界の同じ場所に来たといった感覚です。 結局最期の時にも間に合わずあの子は死んでしまいました。 でも本当はあの子はどこかで生きていて、私が違う世界へ迷い込んでしまっただけなのでは?と思うときもあります。 それに気になることがあります。亡くなる前日の二日間、とても調子が良かったんです。 排便もあり平熱になり顔つきもだいぶ良くなりました。 ところが身近にとてもネガティブな人がおり、生きているうちから死んだていで会話をされ少し敬遠しておりましたが、心配してくれているんだろうと思い、電話で猫が持ち直したことを伝えました。それでももうダメだ、死ぬに決まっているといった内容のことを言われとても嫌な気持ちになりました。 今までもその人と関わると必ず厄介なことや嫌なことが起きていたため、回復しかけていたのに連絡を取ったせいで亡くなったんじゃないかと思ってしまいます。 今は、葬儀と火葬を済ませ骨を持ち帰り四十九日が過ぎるのを待っています。 生まれ変わりなど半信半疑で生きてきましたが、同じような猫種の猫を探してしまいます。しかし似ている子がいてもあの子ではないと思えてくるのです。 ペットの死について検索していると転生するやら何やら書かれていますが、どれもこれもただの気休めで飼い主側から見た勝手な希望のような気がします。 本当にあの子は帰ってくるんでしょうか? 生まれ変わりや、また同じ魂に出会えるなんてことが、本当にあるのでしょうか? それに、やはり私があの人のマイナスのオーラを吸い込んだのでしょうか? 今やあの子がいたことのほうが夢のようです。

有り難し有り難し 24
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老苦、死苦は未来人にも通用するか?

こんにちは。こちらは私の知的好奇心からの質問になります。少しSFチックになってしまうのですが、このような疑問を他にどこでぶつけていいかわからず、ここに投稿させて頂きました。 近代、人類は科学技術を大幅に発展させています。近未来の人類には、「不老不死」の可能性があると考えられます。 ある研究では、若いマウスの細胞を老いたマウスのものと接続したところ、老マウスの体に一定の若返りが見られたとの結果が出たそうです。 また、AI技術の発達により、故人の人格を「再出現」させる実験も一定の成功を収めたように思います。例えば、AI手塚治虫が描く新作漫画や、AIレンブラントが描く新作油画が発表されました。 私はその道に明るくないので確かなことは言えないのですが、今後の人類の未来に「不老不死」の選択肢が出現することは大いに考えられるものだと思います。細胞技術で、老いない体を手に入れるかも知れませんし、AIに自分の人格を託して、機械の体で生き延びるかも知れません。 そこで疑問に思うのが、「お釈迦様の説かれた老苦・死苦は未来人にも通用するのか」ということです。四苦八苦というと、お釈迦様が定義された、人間誰しも被る苦しみのように思います。 しかし、「老」と「死」に大変革がもたらされつつある今、老苦・死苦の未来についてhasunohaのお坊様方は思うところはお有りでしょうか? 未来人に老苦・死苦を免れる可能性はあるのでしょうか。それとも、お釈迦様の説かれた普遍の真理の通り、いつの時代でも人間は老苦・死苦からは逃れられないのでしょうか。 (誤解などありましたら未熟な私をお許し下さい。)

有り難し有り難し 20
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2023/05/20

自分の死を受け入れて生きる事は可能か

お世話になっております。 以前より、強い死の恐怖について質問しており、その度に暖かいご回答を頂き大変感謝しております。 今回は、自分の死を受け入れて生きることが現実的に可能なのか、という質問です。 今まで頂いたご回答や仏道の自習において、「死はみんな怖い、けれどそのまま生きている」「死の恐怖を無理に消そうとしない」「禅は【今を生きる】修行で、未来のことを考えない(未来のことを考えるのは、今を生きていない)」といったお考えを学びました。 このお考えの論理そのものはとてもよく分かります。そもそも怖がってたって人間は死ぬし、時間の無駄だとも思います。それでも湧く本能的な恐怖なのですから、放っておくしか無いのが実状でしょう。 また、心理学の森田療法でも同じように書かれており、宗教の壁を超えた現実的なお考えだと思っています。 ですが、その考え方は、本当に現実的に可能なのでしょうか?このお考えを知って尚、そんなふうに生きれない私がおかしいのでしょうか。 私は恐怖感に襲われ続け、正直もう疲れてしまいました。皆さんに暖かいご回答を頂いているのにも関わらず、恐怖を受け入れられない自分が情けないです。そしてできる限りの実践や自習もしてきたつもりです。自分のできる限り死に向き合って、でも実生活が疎か疎かになるから恐怖を無理やり忘れて、また思い出してはパニックになりの繰り返し。 日常的な禅などで身体で理解するまでにも至らず、3年ほど強く悩まされて「本当は恐怖を受け入れる日なんて来ないんじゃないのか、来ないまま慄き泣き喚き絶望に塗れて死ぬしかないんじゃないのか」と絶望でパニックの日もたくさんあります。 修行が足りないだけなら今後も修行するしかないのでしょうが、会得までの長い間がもう、頑張れないです。弱音吐いてすみません。 死ぬのが怖い、でもその気持ちを抱えたまま生きているのがどうしても苦しい。皆同じだからと言われても、私が納得できないんじゃ、私は救われないままです。 わがままだと思います。自己中だと思います。ただ、辛い現実から救われたいのは、それこそ皆同じなのではないかとも、思っています。 具体的な解決策はありませんでしょうか。 どうか知恵をお貸しください。

有り難し有り難し 6
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