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検索結果: 1244件
2021/08/07

先祖供養はどのような意味を持つのですか?

仏教について調べていると、葬式とその後の供養が最重要トピックの用に扱われているのが不思議です。 親や先祖の供養ってそこまで大事なのですか? 血縁ってそこまで重要なのかしら? 先祖供養は儒教ではないのかしら? いえ、私も木の股から生まれたわけではないので、縁なり因果なり何かしらあるのだろうとは理解はしていますが。 この世に産み落としてくれたことは有り難いのですが。 血のつながりばかり大事にしなくてもそこかしこに縁はあると思うのです。 個人的に家族の縁が薄いこともあり、 親や先祖のことはよく知らず供養もしていません。 私の死後供養してくれるものもおりません。 しかしそんな私が死んだ時も 仏さまなら何とかお慈悲をくださるのではなかろうか というのが信仰を持ちたいと思った動機なのです。 「私と仏さま」の話ならわかる気もするのですが「私と先祖と仏さま」の話がよくわかりません。 先祖供養が必須なら、親のない人間は仏さまに救っていただけないのでしょうか。 そもそも私の理解が間違ってるのかもしれませんが、 苦しみの多い輪廻の輪から解脱するため修行をしよう、また大乗仏教においてはいろいろな仏さまの力を借りたりおすがりして解脱にいたろう、 というように仏教的な死生観を解釈しています。 修行が足りず仏さまとの縁も結べなければ輪廻の次の段階に進むでしょうし、 宗派によっては生前から成仏しているわけですし 浄土系の宗派では阿弥陀さまのお慈悲によって極楽往生できるでしょうし…。 死後、死者の行く末に関して、生者はどれだけの干渉ができるのだろうか、というのが疑問です。 それは死者本人と仏さまの間の話ではないのかと思います。 そうすると供養とは何のためにするのでしょうか。 お教えをいただければ幸いです。

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これからの生き方

現在勤めている職場では 道端で倒れ脳障害を患い健在の頃の一切を忘れ、名前さえも行政がつけた仮の名前。家族から見放され亡くなった後もお迎えもない方、まだ50、60代と若い年齢にもかかわらず回復が見込めず寝たきりでただ死を待つ方など そういった境遇の方々を日々お世話させて頂いています。 私は無宗教で霊感やスピリチュアル的な事には無頓着ですが 10年程前から夢枕?で不思議な事が度々あり(例えば仏壇の前に4人のお婆さんがいて物凄く怒られて゛妙゛の文字を見せてくる。横綱がつける化粧回しをした寿老人みたいな方が私の手に石を積むなど)最近では 「洞穴光明」といった言葉が眼前をチラチラ。後で調べると何かと仏教へと繋がっていきます。 今まで挫折の連続の人生でしたので自分自身に叱咤激励されてる感覚で捉えていました。しかしながら、今後 中長期的な目標や計画がなく 職業柄 将来の自分の姿が目に浮かび早めに゛他界゛したいと考えいて自制する日々です。 家庭を持てば 心境の変化があるかもしれませんが、悲観した未来を持ったまま 恋愛、婚活などをしようともおもいません。 ただ、まだやり残してる事があるような感覚、それがあるのは事実。 生き続ける上で普段からの心構え、意識の持ちようなどアドバイス頂けたら幸いです。よろしくお願いいたします。

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生きるのが死ぬのが、何もかもが不安

 元々心身共に良好とは言いがたい状況でした。家庭に問題があり、暗く、人付き合いが苦手でした。  なんとか明るく前向きに生きようと思って行動もしてきたのですが、なかなか上手くいかず、どんどん病んでいき引きこもり勝ちになりました。  そして魔が差してしまい、脱法ドラッグというものを一錠だけ服用してしまいました。正に地獄でした。そこから完全に精神がおかしくなってしまいました。  服用したのは一錠のみで、物質的には完全に抜けていますし、依存もないです。 しかし、フラッシュバックというのでしょうか、苦しい感覚は戻ってきますし、電車も外出も苦しくなってしまいました。なんども後悔しました。  心の底から落ち着いているという感覚がないです。常に何かに怯え、脅迫的に思考し、苦しんでいます。  ドラッグを飲む前は苦しかったけど、漠然と救いというようなものをどこかで信じていたのだと思います。  しかし、ドラッグで死に掛けてから全てが変わった。 あるの絶望感、虚無感です。 精神科にも行きましたが、色々調べると向精神薬も怖くて飲めません。 仏教セラピーというのも少し調べたのですが、全てはエゴが引き起こしているだの、苦しみは受け入れなさいと言われても、正直苦しい。本当に苦しい。 輪廻のお話を聞いても、正直信じられませんし、ただただ怖いです。 記憶も遺伝子も違う自分は自分と言えるのでしょうか。 この先、周りは人間も老いて死んでゆく。 自分も老いて病か天災か人災か様々な苦しみを味わい死んでゆく。 こんなとりとめもない不安が言葉を変えてやってくる。 言葉以前にただただ不安があるのでしょうか、もう分からない こんな自分は一生苦しんで死んでいくだけなのかと思うと本当に嫌になります。 何を考えてみてもどうしようもない 言葉や観念的な解決法ではあまり意味が無いのだと思います。 救い、安心感を実感しないと。 でもどうしたらいいのか。希望が見えない。自分勝手で醜くどうしようもないとは思いますが、残念ながらこれが素直な自分なのです。 グチャグチャですがお願いします。 どうしたらいいでしょう。どうすれば救われるでしょう。 神仏や救いを信じたい、でも中々信じられないのです。 上辺だけ信じてみても結局意味が無い。心の底から安心できるようになるのはどうすればいいでしょう。 よかったら返答ください

有り難し有り難し 29
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死が怖いと感じてしまいます

長文で失礼いたします。はじめまして。 去年の8月頃から、死ぬということに対して過敏に恐怖を感じるようになりました。 ふと、母親がいなくなったら恐ろしいと感じ、そこから、いつか誰もが死を迎えるということに気がつき、自分もいつかそうなるのだと強く感じて、「死んだら自分はどうなってしまうの?」といった恐怖で常にいっぱいになるような状態になっていました。 怖がるだけではどうしようもないと感じ、友人や母に打ち明けて相談に乗ってもらい、一時的に恐怖から離れられることもありましたが、安心できる状態がしばらく続いた後、ふっと思い出し、どうにもならないという思考になってまた怖くなるような状態の繰り返しになってしまいました。 忙しくすれば忘れられるという親の意見を元にアルバイトを始めてみたりもしましたが、バイト中に恐怖心が押し寄せてくることもあります。 不安のあまり、SNSで同じような悩みを持つ人たちの投稿を見た時に、そこで「産まれなければよかった」など不安を掻き立てるような言葉ばかりの人を見てしまい、恐怖が押し寄せてくるような事もありました。 産まれることは自分の意思で選べないことであり、この世へ産まれた以上は死を迎えるまでは懸命に、楽しく生きたいと思っています。就職も迫っているので尚更この考え方が大事だと思います。それなのに、まだ死が恐ろしいと感じてしまう自分がいることが不甲斐ないです。 こんな状態が続いて苦しいです。私はどうすればいいのでしょうか?

有り難し有り難し 106
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集団心理と対立し続ける自分

今まで経験してきた集団心理の恐ろしさと、それに気が付く人がほとんど見受けられないことに絶望して、人を信じることも心を開くこともできない状態にあります。 私は読書や歴史的資料を見るのが好きなのですが、それらによって表面的には分からない個々人のことを深く知って、他者に対する理解力や様々な視点を学び、また共感することも多いのですが、集団になるとその場の雰囲気に流されて個人として考えることを途端にやめてしまうあの集団心理だけは納得できません。というのも、私は集団の中には入れないタイプの人間だからです。人間社会に対して、正しく疑いを持たなければ危ないと感じることが多いのです。 けれど、集団と私の差はますます広がり、恨みや憎しみも生まれました。今は、この気持ちが強すぎて他者に対して強い恐怖心と憎悪に苛まれています。その根本は、過去の瞬間瞬間に「自分が上手く対応できなかった後悔の念や自己嫌悪」が正体のようですが、それも含めて人間を憎まない日はありません。どうすれば、この気持ちから自由になれるのでしょうか。お坊さんが心から納得している方法や考え方、経験などあれば教えてください。

有り難し有り難し 36
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宗派の違い

何度も質問させていただいております。 毎回丁寧な回答をいただいて感謝しております。 さて、私は今までキリスト教の学校を卒業し、イスラム教の国に住み、特に宗教は持たずに全ての宗教は知識として学んできた程度でした。 元々追求すること、考えること、科学的にものを見る質なので現実的にに世の中を見てきました。 そして最近行き着いた答えは、科学と神秘、宇宙と人間は皆同じなのだということです。 バレエに人生のほとんどを費やしていますが、これはほぼ稽古、修行、メディテーションです。これを通していろいろなことを学んでいます。 そこでたまたま仏教について読んだところ、正に宗教という概念もなく実践してきたことそのものだったのです。 どんな贈り物よりも嬉しい発見でした。 それから毎日、宗派や教えを調べましたが、困ったことに『そう言われればそうかもしれない』という教えの違いばかりなのです。結局のところ、一つの目的をもって正しく生きることを遂行すれば宗派など問題ないのでは?と思うのですが、現実問題いかがなものでしょうか。 今後真剣に仏教を学びたいと思ったときに、どのようにして適切な宗派を選ぶべきなのでしょうか。

有り難し有り難し 36
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考えの合わない目上の人と付き合う方法

私は部活動の部長をやっています。私が入部した頃は楽しむことがメインの同好会のような緩い部活でした。 ですが、私が2年になって、今後の部のあり方について部員で話し合った時、コンクールに本気で取り組みたいという意見が多く、その旨を先生にも伝えました。 部活では今までより練習を増やし、先生にもアドバイスを色々と求めましたが、「楽しくやっていれば結果がついてくる」と仰ってあまり細かいアドバイスを下さりません。 先生はどうやら、コンクール目指してガツガツするのが好きではないようで、あくまでも「楽しんでやって、それが良い評価になればいいですね」という考えだそうです。 私にはそれが理解できず、楽しんでゴールドなんて取れるわけがないと思っています。 コンクールに対する部員と先生の温度差があり、私は先生を尊敬できません。部活で「今なぜその練習をするのか?もっと他に直すべきところがあるのに…」と思ってしまいます。 私から先生に「今日はここの部分を見てもらいたいのですが…」と提案すると、「練習メニューを考えてきてるから口出ししないで」と言われてしまい、モヤモヤが無くなりません。 もちろん先生はその道のプロなのですが、無理な編曲をしたり、レベルに合わない曲を与えてきたりします。部員がこの曲をやりたいと言っても、雰囲気が合わないとか、他の曲と似ているなどと言われ、演奏会でも自分達がやりたいようにできません。 コンクールでは非協力的なのに、演奏会になると選曲から演出まで全て決めてしまい、先生が部活をどうしていきたいのかよく分かりません。 部活に携わる他の先生に相談しましたが、まともに取り合ってもらえませんでした。後輩の為にも、部の印象が悪くならないよう、先生と上手くやっていきたいと思っています。 どうすれば考えが合わない目上の人と上手く付き合っていけるでしょうか? 長文失礼致しました。

有り難し有り難し 40
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2024/01/04

人生の劣等感を少なくする対処策

こんにちは。 初めて質問させて頂きます。   劣等感の質問です。   自分なりに一生懸命やってきた、けれど生きていけるほどの収入が得られない。 現在そのような状態にあります。 (現在までにアルバイトを3つさせて頂き、 パワハラ•人間関係で退職したことがあります) (仕事をしたいのですが、劣等感や過去のパワハラ•人間関係を思い出し、 現在は自分なりに出来る仕事を一生懸命やっております) パニック発作や予期不安が強く出る時があるため抗不安薬を時々飲んでいます。   劣等感が強く出て、自他•この世に怒りが出る事があります。 カップルに出会う、レジで粗雑な対応をされる、同業の方に会う時、 最近はそのような時劣等感を感じます。 (けれど、ある時自分が敵を作っている時もある、 そう感じた出来事もありました。自分の敵意•殺気が敵を作っていると)   検索して少しヒントがあり、劣等感は自分を愛する事で少なくなっていくとあり、 それを仕事の合間、自分なりに行なっています。 休みを少しずつ増やしてみる、好きな事をする、好きな所に行ってみる、 色々な事に感謝をする。 少しだけ心が軽くなるので、少しずつ増やしています。   今、友人•恋人と呼べる人はいませんが、 友人•恋人•家族と生きていける道を探しています。 劣等感を少なくし、自分なりの道を歩むにはどうしたらいいのか、 アドバイス頂けたら幸いです。 よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 8
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2022/09/25

宗教と危険物は似ている。宗教よ、どこへ?

 いつもお世話になっております。先日、こちらで、「お寺で、私に だけあれこれ言ってくる怖い奥様」のご相談をしました。それの続きの ようになるのですが、近頃、思った事があります。 「宗教と危険物は、似ている」  適切な管理と用法用量を守れば人の助けになるけれど、盲信… つまり、管理方法や使い方を間違えれば、プシュー、ドカン。  その奥様は、博識で、元から教えたがりの性格のようです。 他の事を話すときは和やかに見えるのですが、仏事の事になると豹変、 「私の知っている事が正しい。私の知っている事を聞け」 といった感じの態度や表情になります。後からお坊様に尋ねると、 「ああいった作法やしきたりは、定めていないよ。そこまで、 こだわらなくてもいい」 と笑っています。もしかしたら、カルトなのかもしれませんが… 家に誘われたこともあるので。  宗教映画を手掛けた、カルト問題にも詳しいある映画監督さんが、 「宗教は、必要ではあるが、危険を伴う」 とおっしゃっていました。なるほどと思いました。  「いい」「悪い」の二極で言うと、宗教は、「いい」事を説いて いるものでしょう。ですが、先述の奥様のように、「私たちが一番 正しい、一番いい」と盲信し、儀式行為等に執着する、つまり、 用法用量や管理方法を間違えると、宗教は、たちまち、「薬」から 「毒」…はたまた、「化学兵器」にもなりえると思います。  この奥様の延長線上が、新興宗教や、海外のテロ組織でしょう。  こちらの問答でも、しばしば、先生方が質問者様に、 「独学は危険なので、お寺のお坊さんに教わってください」 とご助言なさっているのをお見掛けします。  私は、独学の結果か、親鸞上人のお歌にあるような、誤った認識を 持っているご信徒様が多いように感じており、憂慮しております。 「かなしきかなや道俗の 良時吉日えらばしめ 天神地祇をあがめ つつ 卜占祭祀つとめとす」 拝む事だけ熱心で、何かが起きれば、全部「霊」や「神様、仏様」 のせい。祈りというより、たたり信仰。拝んでさえすればいい…  「薬」だったはずの宗教が、「毒」や「化学兵器」になりかけて しまっている印象です。  半分、私の愚痴でした。どうにかしたい、でも、できない。 先生方のご高見、賜りたく存じます。

有り難し有り難し 62
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