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検索結果: 596件

死にたい

今までずっと死にたいと思って生きていましたが、最近本当に限界が近くてもう駄目かもしれないと思っています。 大学に入って一人暮らしを始めたり、アルバイトを経験したことで、自分が如何に社会不適合者のダメ人間かということを思い知りました。しかし、自分で言うのも嫌ですがなまじ良い高校に入り、良い大学に入ってしまったせいで、両親は私が将来立派な社会人になるだろうと期待しています。 でも私には、社会にとっての立派な人間には到底なれそうにありません。私は昔から抱えている自分の容姿へのコンプレックスから、自分の中のファッションへの拘りを捨てることに強い抵抗があるのですが、社会人として企業で働くとなると殆どの場合、髪型や服装は制限されてしまいます。社会の規範に合わせて自分を削るくらいなら、私は社会からドロップアウトしてとっとと自殺したいです。そういった拘りを捨てずに済む、なおかつ両親から「立派な仕事だ」と認めてもらえるであろう職業はほんの一握りしかありません。その一握りの職業に就けるよう努力してみようかなという思いもあるにはあるのですが、気力も体力も消耗し尽くしている私には、その職業に就くためのアクションを起こすことすら未だに出来ていません。 というか本当にクズなので正直そもそも働きたくないです。生きるために週5日朝から晩まで、あるいはそれ以上の時間を労働に捧げるくらいなら、死んだ方がマシだと本気で思ってしまいます。みんなそれでも我慢して働いているんだということは勿論分かっています。でも私は最低のダメ人間なので、我慢してまで生きたいと思えないです。 他にも死にたい理由はいっぱいありますが、これ以上は割愛します。 最近は生きていても、まるで常に夢の中にいるような感覚を覚えるようになってきて、現実感というか、生きている実感みたいなものが持てなくなってきました。「もし私が自殺しても、この世界は私の夢なので、悲しむ人たちなんて本当は実在しないんじゃないか。だから遺される人のことなんか考える必要もないんじゃないか」というようなことを考えてしまいます。 私の親族に自殺した人がいるので、遺された側の苦しみもある程度は知っているつもりですが、それでも死にたいと思う程、生きているのが辛いです。 質問ですらない長文になってしまい申し訳ないです。今思ってることをできるだけ率直に書きました。

有り難し有り難し 12
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2022/10/04

亡くなった親にまた会いたいのですが

既に両親を亡くしています このサイトでも多くの人が質問していますが 亡くなった親に会いたい。身近な人に会いたいと言う思いが強いです 不動産賃貸収入などがあるため経済的に困窮しているわけではありませんが 仕事も失いました。 勤めていた会社は、家族の介護を理由に休暇休職がほとんど取れないため辞めざるを得ませんでした。再就職できる年齢ではありません。 一人っ子でしたので兄弟もいませんし、もし今私が死んだ場合の法定相続人も現在はいません。 両親がこれまでやってきたことを無にしたくないために親戚から養子をとらないといけないと思っていますが 私自身はこれからの人生に何の目標もなく、ただ「両親に会いたい」と言う思いだけです(自殺するという意味ではないですよ) 昔もてはやされた霊能者番組ではあの世や霊魂が存在して、亡くなった人の声が聞けると言う話もありますが、私自身は目に見たわけではないので本当にそうなのか懐疑的です。 なお 私は大学では理工系を専門にして、学んだ分野としては かの 大槻義彦教授(超常現象や超能力などを否定することで有名)に近いです つまり、霊やあの世があって欲しい 親と会いたい と思う一方で 存在の証明がされていないものに対して俄に信じられない人間です 仏教でも 他の宗教(神道、キリスト教、イスラム教など)でも はっきり 霊魂やあの世の存在を証明した人はいないはずなのに なぜ 「あの世から最愛の人が見ています」と言える宗教家が多いのでしょうか? 私は慰めや気休めを聞いて自己満足をする気もないですし この先の人生相談をするつもりもありません 私にとって関心事は「何が真実なのか?」ということと 亡くなった親にもう会えないなら辛くてたまらない(それも願望を持ち続けるだけで終わりにしたくない) と言う思いだけです 亡くなった人が自分を見守っている と答える宗教関係者が多いですが なぜ自信を持って言えるのでしょうか?

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生き霊について

私は、兄弟差別され育った為に兄が嫌いでした。16才の時に数回イタズラされそうになり、両親に打ち明けましたが「知らない!」と言われ家に寄り付かなくなりました。 兄は、ニートで母の年金で生活して来ました。(父が亡くなってから) 母が認知症になり、同居を望んだ為に「兄の面倒をみる為の同居はしない!」と言った所、「兄の事は関係ない。自分が不安になり、○○ちゃんと一緒に生活したい。」と言われ同居する為に引っ越しをしている最中に転倒し亡くなってしまいました。 言い残した事がないか、霊能者に相談に伺うと、母は謝っている。死んだ事も理解している。と言われ、兄に凄い霊が憑いていて、一人にすると自殺する。と言われ、兄を連れて行くと憑いているのは、私の生き霊と蛇との話しでした。 兄と同居していると、昔の事が蘇り入浴、就寝もゆっくり出来ず、仕事を決めた事で別居する事にしました。 霊能者に、兄を追い出した後、「あなたに沢山の厄がある。人を許す事も必要だけど、あなたは無理だから、もうどうでもよい!母親が泣いている。」と言われました。 兄と別居し、今現在は、歩み寄る為に週末は兄が新居に来る生活です。離れて暮らす事で穏やかに話したり、心配する事もあります。 生き霊を憑かないようにするには、どうしたら良いでしょうか? 両親が安心し天国へ行ける為には、どうしたら良いでしょうか?

有り難し有り難し 140
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生の強制を信奉できない

以前自殺願望について何度も相談させて頂いたものです。何度もお手数をお掛けして申し訳ありませんが、またご相談の程宜しくお願いいたします。 私は、皆さんとの対話の末に何とか生きる目的を導き、少しずつ自らの存在と自身が存在する世界を祝福できるようになりました。ですが、自身の中で解決していない問題があります。 生の強制と自殺についてです。 私が知る限りでは、仏教は生と死という対立概念について中立の立場を取っています。生きようが死のうが問題ないような心構えを説かれているように思えるのです。私はこの考え方に大いに賛同しているのですが、その立場故に生存を無条件に強制する人たちに対して今でも強い忌避感を覚えてしまうことに悩んでいます。 私は、ハスノハ以外でも両親や友人、教授に自殺願望の悩みを打ち明けたのですが、その誰もに私に対して「死ぬな」という事を前提に説得されました。 私が、生活に不満はないがやることがなくなり、これ以上生命に執着したくないという事を打ち明けたとしても、その発想自体を幻想と一蹴され頑なに生を強制されました。 説得者の言葉からは、現実の私ではなく、説得者のイメージとしての私や、先程述べた死生観を見ているような見当違いを感じ、それ以来人を信頼できなくなっています。 断っておきますが、この方々が悪い人間とは思っていません。むしろ、自己の想像の範疇で私を助けようとしてくれる善人だと思います。しかし、それ故に彼らが生きるという事を無自覚に狂信している事実に深い断絶を感じます。この世のどんな渓谷よりも深い絶望的な断絶の向こう側に、ひとりぼっちで取り残されたような感じです。 私は、彼らのように生を肯定すること自体は問題ないと思っているのですが、生に取り憑かれ、挙句他者にそれを強制する傲慢さを拒絶せずにはいられません。 生きたいと決心した人が快く生き、死にたいと決心した人が悔いなく死ねる。そんな世のあり方を私は望んでいますが、この考え方に取り憑かれた私もまた傲慢なのでしょうか。 そもそも、仏教の教えを信じる時点で私は傲慢だったのでしょうか。

有り難し有り難し 22
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生きることが嫌になってしまった

こんにちは。初めて投稿します。拙い文章ですが、お許し下さい。 私は今、自殺を考えています。 生きる気力がもうありません。 小さな頃は優しい両親や兄に囲まれて、幸せでした。 しかし、祖父母の介護が始まってから家庭が荒れていきました。 父は仕事に逃げるようになり、兄は非行にはしりました。 母は自己中心的な性格になり「優しさ」を強要するようになりました。気づいたときには、家庭に見えない壁が出来ていました。 私は元のような家族に戻ってほしいと思いました。 揉め事が起こっても、間を取り持とうとし、出来るだけ「良い子」であろうとしました。 数年後、介護は落ち着き、兄は自立しましたが、見えない壁は今でも感じます。 今、私は自身の将来を考え、進路を決めなければならない年齢です。 自分のやりたい事の為に、それが学べる学校に進学したい旨を両親に伝えましたが、否定されてしまいました。酷い暴言も吐かれました。 両親はある職業になる以外、許してくれません。 彼らは私が自分たちの思い通りになる「良い子」でなければ認めてくれない、ということに気づいてしまいました。 私が今まで「良い子」であったのは、両親に喜んで欲しかっただけなのです。 決していいなりになりたかった訳ではありません。 もう、家族を愛することが出来ません。彼らの苦労を知っているため、憎むことすら出来ません。 夢も失い、これまでの経験から誰かと家庭を築きたいとも思いません。 ずっとあの時死んでおけば良かったという思いが消えません。 これから先も、きっとそうです。 死ぬことが最後の希望のように思えます。 死ぬことを想像すると、これ以上苦しまなくていいという幸せな気持ちが沸き上がります。 ひとつだけ心残りがあるとすれば、自分の自殺によって、親友の人生に影が差すのではないかということです。 彼女は私が出会った人の中で、一番素晴らしい人です。 自殺したことが彼女に知られないように誰もいない所で死ぬつもりです。 万が一知られても、私の事など忘れて幸せになって欲しいと思っています。

有り難し有り難し 42
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2023/10/15

親が死ぬ時、どう受け入れればいいのか

私25歳、妹23歳、両親64歳です。 社会人で一人暮らしを初めて両親の有難さに気づきました。 長年の不妊治療の後産まれた私は何の取り柄もなく、今までの迷惑と心配をかけてきた申し訳なさもいっぱいで、日々両親の健康と幸せを願うばかりです。 実家に帰るたびに、両親の白髪の多さや縮んだ背丈など、老いに気づく場面が多くなりました。ぱっと思い浮かぶ両親の姿は、背が高くて見た目も声も若い昔の姿です。ランニングが趣味だった父も「すぐ疲れる」と外出が少なくなりました。「私が死んだら食器あげるわ」「次元号変わるときはもう生きてないわ」と笑顔で話す両親の会話でも泣きそうになります。そうやって老いて死に近づいていく状態をみるのが辛いです。 昨年祖母が亡くなりました。身内の死は初めてです。 今でも祖母に会いたいと一人で泣くこともあり、祖母も祖母の家もなくなって悲しく寂しいです。 恥ずかしながら、祖母の死で改めて家族の大切さや感謝を感じました。 祖母が亡くなってこんなに悲しいなら両親が亡くなる時、受け止められる覚悟はできるのか?もし結婚して自分の家庭を持っても両親のいない長い人生を生きないといけないのか?と思ってしまいます。 「誰も死んでほしくない。健康のままずっと生きてほしい」と子供みたいに、大切な人が死ぬという現実から逃げたい気持ちでいっぱいです。 命に終わりがあるのはわかってますが、家族の死にどう向き合って立ち直ればいいかわかりませんし、受け止められる覚悟ができません。 両親が死んだらきっと悲しみで気が狂うだろうから自殺したい。でも大好きな妹のことを思うと自殺もできません。 また、介護施設で認知症の方の対応をしていたのを思い出し、両親が認知症になって私や妹ものことを忘れたら…という怖い気持ちもあります。 どうやって大切な人の死を受け入れて乗り越えたらいいのでしょうか。

有り難し有り難し 5
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2022/05/16

死ぬ準備をしてしまいます

貯金が尽きたら死のうと考えています。もう少しで無くなります。 過去のいじめや嫌なことを忘れることができません。 プロフィールに過去の出来事を書きました。 怖かった両親は今は少し丸くなって、穏やかに笑うようになりました。同級生とは顔も合わせなくなりました。 周りの人達はどんどんいい方向に向かうのに、私はずっと落ち込んでて、皆忘れていくのに私だけ全て覚えています。 プロフィールにはとても書くこともできないことも何度かありました。最期まで誰にも言わないと決めた秘密もあります。 もう生きていたくないと思いました。死ぬ準備を進めています。 貰い物以外の私物はほとんど処分して、持っているいろんなアカウントも削除しました。 後はカード類の解約だけです。 死ぬと決心した日から、心が軽くなりました。昔は同級生や両親に嫌な感情を持っていたのですが、今は何もありません。 この人たちが幸せになろうが不幸になろうがどうでもいいと思います。 少し願うとするなら、同級生たちにもし子供ができた時は、いじめをしない優しい人に育てて欲しいと思います。 私物の片付けをしている時に、少し考えることがありました。 もしかしたら私は自殺を考えるほど悲しんでいると両親に知って欲しくて、こうやって準備をする姿を見せているのではないかと。 現在私は実家暮らしなので、こういうことをするとかなり目立ちます。 結局両親はなにも気づくことはありませんでした。 死ぬことは怖くありません。今の自分の思考が正常では無いことは感じています。 死んで人生から逃げるのはずるいでしょうか。自殺はどれくらい恐ろしいことなのでしょうか。

有り難し有り難し 35
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2023/01/18

母親が憎い。家族が憎い。

母親が壊れてしまいました。 今年の年末年始に実家に帰ったところ、母は別人のようになってしまいました。 根拠のないニュースで愚痴を吐く、すぐ他人の悪口を言う、些細なことでヒステリックになり泣きながら家を飛び出す…といったことです。 挙句に、耐えきれず私が予定より早く自分の家に帰ろうとした間際、母は今度引っ越しをするから私の子供の頃の思い出の品(自由研究の成果や賞状など)を処分して良いかと突然言い出し、私が怒って「勝手に処分したらいい」と言うと、母は半狂乱になって私の目の前でそれらを破り捨てゴミ袋に入れていきました。 これを見て私はもうこの女は私の母親ではないし、人間ではなくモンスターのようだと感じ、悲しさと怒りがこみ上げてきました。 同居する父から話を聞いたところ、母と母方の親族との間で相続に関する調停を行っていること、12月に急に引越しが決まったことの2つが原因でより母は情緒が不安定になっていて、父としてもかなり困っているとのことでした。 正直、なんでこいつら両親のために期待に応えようと人生頑張ってきたのかと呆れました。 少し前までは理想と現実のギャップに耐えきれず自殺したいと考えていましたが、今は母よりは長く生きたい、もし私が自殺すらならば、それよりも先に母を殺したいと考えるようになりました。 母が憎く、母と父両方から離れられない自分が憎く、こちらまで気が変になりそうです。 何のために生きてきたか、まるで分かりません。それならいっそ、家族全員を殺して全てを終わらせたいです。

有り難し有り難し 13
回答数回答 1
2021/06/08

死ぬこともできないです。

希死念慮に苛まれています。 私は恵まれていると思います。 両親、兄弟は健在で仲も良く 友人にも恵まれており 楽しいと思える日も過ごせています。 ですが、数年前から双極性障害と言われました。 元々、根暗だったのを「こんな考え方良くない」とポジティブに振る舞ってきましたが最近では、ネガティブに襲われます。 親友に裏切られたこと 職場でいじめられたこと そこから人間不信になったこと お金もなくやりたいこともできず 生きてる意味ってあるのだろうか と考えても無駄なことを延々と悩んでしまいます。 そう過ごしているうちに 「死にたい」 と思う日が増えてきました。 ですが 「こんなに恵まれてるのに死ぬの?」 「死んで解決するの?」 「周りの人に迷惑かけるし、何より悲しむよ?」 「自分より辛い人はたくさんいるんだよ」 「自意識過剰、悲劇のヒロイン気取り」 と自責する思いと 「ツラい、消えてしまいたい」 「このまま引きこもって誰とも関わらずに朽ち果てたい」 「何も考えたくない、死んでしまいたい」 と自殺願望が 頭で渦巻いて、おかしくなってしまいそうです。 両親・兄弟には言えていませんが 友人は私の精神のことをある程度理解してくれています。 本当に恵まれてると思います。 みんな「大丈夫だよ」と笑ってくれます。 ここでお坊様の皆さまに相談しても、きっと「生きなさい」と言ってくださるのでしょう。 (仮に「死になさい」と言われたとて、動機がなければ死ぬ勇気はありません。) その言葉はとても嬉しい、温かいのですが 生きるのは苦しい、死ぬのは怖い。 その事実はいつも変わらず脳内を蝕むのです。どんな言葉を頂いても、このとても苦しくて怖い、生きながら死んでいるような感覚が消えないのです。 私はどうすればいいか分からない。 死ぬ決定打がないので死ぬことはできないままに、日々希死念慮に苛まれます。 生きることは楽しいこともありますが 基本、私にとって生きるとは苦しいことなのです。 私はどうすれば救われますか。 生きるか、死ぬか どちらを選べば幸せなのですか。 死ぬことに理由があれば死んでしまうことも許されるのですか。

有り難し有り難し 42
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家族という呪い

自殺願望で多々ハスノハの皆様にお世話になったものです。これまでさまざまなお言葉を頂いた身で申し訳ないのですが、今一度お力添えを頂きたく存じます。 私はこれまで、「やることが思いつかない」「死ぬという恐怖にかまけることが嫌い」「社会貢献を盾に社会の一部分である個人を殺しうる今の日本の労動環境で生きたくない」といった言い訳をしながら、どうやって死の痛みや人情による自殺の意志のブレに立ち向かうか、ということばかり考えてきました。 希死観念が薄れてきた今、その理由を自分なりに分析したのですが、その結果「家族の不甲斐ない面に執着してきた」という結論に至り、その執着をどう払拭すべきか迷っています。 私の両親は自分が希死観念の悩みを打ち明けた時に「生きててよかった」と言ってくれる人情の持ち主ではあるのですが、父母ともに看過できない欠点があります。 まず、母は祖父母から戦争経験を言い聞かせられたことで過保護で心配性な面があり、食事を作りすぎる悪癖があります。私はそのせいで幼少期から肥満に悩まされたこともあって食事制限と運動を一年ほど続けて体重を10キロ落としたのですが、母はそのことを今も良く思っておらず、帰省時に私が食事を減らして欲しいという度に不機嫌になります。 父は、母よりは精神的に落ち着いてますが、山奥の集落育ちで地域の外との交流が浅かったためか度が過ぎる不器用を見せることがあり、父方の祖母の嫁いびりを咎められず母にトラウマを植え付けてしまったり、効率の悪い仕事ばかりして母を怒らせてしまったりすることがあります。 ただ、私が一番気に食わないのが、こうした問題点を咎める度に「仕事が忙しくてできない」「年のせいで上手くいかない」「人間はお前みたいに強くない」などと言い訳をして逃げ腰になる両親の姿勢でした。私の希死観念は、どうもそうした元来の人の弱さを克服したい、という克己心が暴走するあまり、死の恐怖すら克服しようとしたものではないか、と思っています。 私は、人の内発性を出来るだけ尊重したいと思ってるので、最近は両親に苦言を呈する事は無くなったのですが、こうした両親に対する諦観を野放しにすると、自身の反骨精神がまた暴走しかねないという不安も抱えています。 人道で悩むべきか。修羅道で戦い続けるか。今、選択支の瀬戸際で悩んでいます。

有り難し有り難し 5
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