高校生です。 辛いことが続き、どうしても悲観的になってしまいます。 悲観的になる自分が嫌です。 中学生の時にいじめが原因で自殺未遂をして、そのときの先生に被害妄想で周りに迷惑ばかりかけるのはやめろ、と言われそれから辛いということを口にするのが怖くなりました。 自分の内に秘めていたいという気持ちが、どうしても誰かに気づいて欲しいという気持ちと鬩ぎ合って、頭をよぎるのは自分で命を絶つということばかりです。 親からもらった命が、大切なのはわかっています。 「高校生の悩みごときで、自殺を考えるなんて。」と、たくさん言われました。 わかっています。 でも、笑って、平気なふりをしていると誰も気づかないので、それを続けてしまうのですが、独りになると死にたくてたまらなくなります。 生きている意味がわかりません。 死にたくて死にたくて、どうしようもないです。 忘れようと、楽しいことがない訳ではないですが、色々気を紛らわせようとはしていても、辛い気持ちが何をしていてもぼんやりと浮かび、また悲観的になります。 生きているのがつらいです。 生きなければいけない理由を教えてください。
はじめまして。 この頃たて続けに大切な方たちが死んで行きます 身内が2人どちらも癌で 親友 愛していたペット… 皆まだ若く元気盛りで 身内以外は何の前触れもなく突然いなくなったのです 私はもう誰かの死に遭遇するのが嫌です 心が張り裂けそうなぐらい辛いです 天へ昇られた人達に会いたい 私もいっそ__と考えることも多々あります でも今生きている大切な家族や友人と離れたくない その二つの気持ちがぶつかり合って何も手につきません この気持ちはどう整理したらいいでしょうか… 私たちが生きている意味って何でしょう こんなことは家族は勿論 先生や友人にも相談できませんでした そんな時にこちらのサイトを知り お坊さんになら相談してみようと思いました どうぞ よろしくお願いします
初めまして。 僕は中学生です。 両親の中は最悪と言っていいほどで、僕が10歳の時に離婚しました。 離婚はしたものの、僕のことを思ってか今も同居はしていますが、先程言った通り毎日喧嘩しています。 内容はいつもお金のことで、借金の話をしています。親にお金のことを聞いてもいつも誤魔化されます。 その喧嘩を聞くのがとても怖いし、辛いです。 そんな僕の話をいつも真剣に聞いてくれて、気にかけてくれていた、僕の唯一の心のよりどころだった担任の先生が先日亡くなりました。 自分の中ではもう死んでしまったんだと受け入れてるつもりでも、その先生のことを思い出す度に「もしかしたら」なんてことを考えてしまう僕自身がとても嫌です。 僕はこのまま1人で全て抱え込んで行かなければならないことや、先生と同じように僕の大切な人が亡くなることがこの先もあると考えると、 とても辛くて怖くて悲しくてどうしようもなくなって生きることが嫌になります。 誰に僕の心を預ければいいのかもう分からないです。 僕はどうすれば生きたいと思えるようになるのでしょうか 誰に心を預ければいいのでしょうか どうすれば先生の死を受け入れられるのでしょうか
いつもお世話になっています。 長文失礼致します。ただ今介護の資格を取得するため勉強中です。そしてグループホームで職場実習をうけているのですがそこで疑問を感じました。 認知症で段々とわけがわからなくなってしまうならば「その人が望むのならば」その人がまだ頭クリアなうちに、その人がその人らしくいられる内に亡くなった方が幸せな場合もあるんじゃないかと感じました。 生きることが必ずしもいいのか、死ぬことで保たれる尊厳や救われる心もあるのではないかということです。特に介護の環境がよくない場合は尚更です。 そう感じた理由は 実習中に入居者様から殺してくれない?と頼まれたことがあります。どんどん馬鹿になっていくと仰っていました。その時の不安そうというか悲しそうな顔はとても印象にあります。 認知症だからそういう不安等の思いも忘れてしまうのかもしれませんが忘れてしまうからいいのだろうか?と思います。 そして介護の環境です。自分の実習先では残念ながら不適切ケアと思われることも一部ですが見受けられます。不適切ケアの背景もあるのだろうけどいかがなものかと思います。そしてそんな不適切ケアが行われている中では尊厳は守られないのではないかと思います。 生きていてそういう環境におかれるならば頭がクリアなうちにできることなら慣れ親しんだ我が家、自分の部屋などで死ねるほうが幸せな場合もあるんじゃないかと思いました。
10年近く前に詐欺で300万円という大金を失って以来 「常に犯した罪に対して罰を背負うべき」という考えが片時も抜けません。 それが原因で「死にたい」という「希死念慮」が常に頭の中にあります。 10年近く苦しんだせいなのか、そう思うことが自転車に乗るのと同じくらい自然にできるようになっていて、当時散々迷惑をかけた親がいくら「許す」と言ってもそれを受け入れることができません。 100回許してくれても101回目は許してくれない、10000回許してくれても10001回目は許してくれない。と自動的に思考するようになってます。 親は許してくれているのですが心の中の自分自身がどう頑張っても許してくれずに10年間ひたすら「死」という「罰」を受けろと言い続けています。 自分の中では「終わったこと」と認識できずに現在進行形で「起こり続けている」ことになっているんでしょう。「死ぬまで十字架を背負え」という心の中の自分がいるのでしょう。 心療内科に通ってますが根本的な解決には至らず、ずるずると投薬治療を続けています。 今日も12時から5時間近く悩み苦しみ続けていますが罪の意識は消えないどころか「死にたくなるほど苦しい自分の悩みを「カルーク」受け流す親や心療内科 の先生」に殺意にも似た憎悪を抱いています。 何でわかってくれないんだ! なんで苦しまないんだ! そんな怒りを感じています。 ひどいときは休日でもこうで(今日とか)、仕事中は常に「死にたい」が頭の中にぴったりと寄り添って離れず「死にたい死にたい」と言い続けて「これ以上言い続けると本当に死んでしまう!」と思わせて精神をマヒさせないと到底仕事になりません。 ひどいときはマヒする前に圧倒的な「死にたいの洪水や津波」が襲ってきてそれでおう吐して早退。なんてこともあります。 何が一番つらいのかというと「真剣に向き合ってくれる人が周りには誰もいない」それこそ「話を聞いて泣きだすほど感情移入してくれる」人を探しているんですが誰もいなくて常に孤立していることです。 しょせん人の人生は自分自身で何とかするしかないのでしょうか? 子供の頃は勉強だけはできたから「自分は特別な人間だ」と思ってそれが「300万円詐欺で否定」されたからこんなにも苦しいのでしょうか? 回答お願いします。
離婚後、実家に戻り、認知症の母の在宅介護をしました。父親も高齢なので2年間は二人の介護と仕事しながらも恋愛もし、私の婚約を機に実家を売却し、他県に引越し、二人とも施設に入ってもらいました。なのに、婚約破棄になり、帰る家も無くそのまま施設にいたが、長男である兄の居る県に両親の施設を移すことになり、私も一緒の街に引越したが、三週間経たない内に母が誤嚥性の窒息死で事故死を遂げました。 認知症が発覚した最初の頃は、怒ったりひどい事を言ったりイライラしてあたったり、急かしたり。私のせいで余計悪化したかもしれません。 病気を受け入れてからは精一杯介護しました。母には大切に育ててもらったのに、いつも素直になれず。病気になってから会話もできなくなってからやっと、ごめんねやありがとうが言えるようになりました。 私の都合で在宅から施設に入り、今回また別の施設に移り、思いのほかかなり高額になったので、私はお金の心配をし、また別の施設を考えたりしてしまいました。 亡くなる二日前に、施設の方針で大きな病院で健診を受けることになり、その際先生から、健診結果を聞かされた時、癌など含めすぐに検査しなければならない状態ではない、と言われ、ホッとした反面、癌などの疑いはないってことですね?実は、癌などの病気だと手当てが変わるので…と言ってしまいました。癌を望んでいた訳ではありませんが、私の心の中は、癌だと今の施設でもお金を貯金から回さなくても払える、と思ったのです。 ひどい娘です。 そんな浅ましい私のせいで、これ以上迷惑掛けれないと思って亡くなったんじゃないか、と自分を責めてしまいます。
私は5年ほど前に躁鬱病と診断され、今年の夏には乳ガンと告知をされました。 早期の発見だったため、抗がん剤治療と手術で完治する予定です。しかし、私は完治したくなかった。出来れば転移してくれれば自死を選ばなくても若くで死ぬことが出来たのに、と思うのです。 乳ガンを、見つけた時にはまずお医者さんと思いましたが、これが人間の生への執着なのだなと思いました。 でも、親に心配をかけ、辛い抗がん剤治療をうけながら働き、高額な医療費を払い、こんな事転移してたらやっていられません。 治療拒否も自死と同じ扱いになるのでしょうか?
最近、亡くなった人とお話してみませんか?、、、や、命日占いなど、、 そういう本に目がいくようになりました。実際買いました。 主人が亡くなり、やはり毎日考える事はあの世の世界の事。 亡くなったら、まず人はどうなるのか、どなたが導いてくださるのか、亡くなった人に会えるのか、などなど、さまざまな疑問が頭によぎるんです、 主人も阿弥陀様に会えたりしてるのか…とか、きれいな川見れたかなとか… 話ができない分、月日が経つにつれ、たまらなく主人と話したい、主人に聞きたいことがありすぎて心配になる事があります。 死を受け入れていかなければならないですが、何かしらの気を落ち着かせれる事があれば、、と、何か本を買っていきたいと思っています。 オススメの本を教えて下さい
祖母が入院していてもう長くないみたいです。 長くて5年だそうです。 今も危ないと先生は仰ってます。 心臓に水が溜まり今は常に体の中で溺れてる状態で意識も朦朧としてるみたい。 お正月に会ったけどもうそんな長くはないのかな?ってなんとなく思ってました。 でもまだ実感わきません。 自分の身近な人が余命宣告されるとは。 お見舞い行くときちゃんと笑えるかな? 死へ向かうのって怖くないのかな? ひとりで心細くないかな? 寂しくないかな?っていう考えが頭から離れません。 当たり前かもしれないけど大人になってから死を直面するのって凄くしんどくて。 その話も聞いて1日で1kg減ってしまいました。 旦那や赤ちゃんには笑顔でいつも通りな生活をしているつもりでしたがやはり精神的にキツいのかな?と思います。 こういう身近な死はどうやって立ち向かえばいいですか?
いつも親身に聴いて下さりありがとうございます。 私の忘れられない患者さんについて、相談させてください。長文になります、申し訳ありません。 私がまだ新人の看護師一年目の時の話です。 婦人科系のガンを患い、一通り治療をしましたが、状態が悪くもう抗がん剤は使えないといった終末期の方でした。 医師より、 これ以上の積極的な治療はかえって寿命を縮めるため勧められない。との説明がありましたが、 ・本人は状態が回復したらまた抗がん剤をやりたい。自身が終末期だとは思ってもいなかったような感じでした。 ・家族は『今後の余命については本人に知らせないでください』 とのことでした。 日々状態は悪化し、全身に回ったガンの痛みと闘う日々となっていきました。もう余命1ヶ月もつかどうかといったところでした。 最初は内服だった鎮痛剤も注射薬になり、それでも痛みが取れず医療麻薬の貼付剤から麻薬の注射に変わっていきました。 最期に使う麻薬の薬は鎮静剤もはいっているので打ち始めると眠たくなって、眠ったまま逝くような形になります。 ある日先生から本人に『痛みがだいぶ辛いところまで来ていると思うのですこし眠くして痛みを和らげる薬をしますね』と告げられる日がありました。先生の話の後部屋で足浴をしながら2人きりになった時、その方は苦しそうな表情で 『私は...もうすぐ死ぬの?』 と問いかけられました。私は答えに詰まってしまい、何も答えられませんでした。 その後鎮静が始まりそのまま起きることもなく1週間ほどでお亡くなりになりました。 『私はもうすぐ死ぬの?』 の問いにどうかえせば良かったのだろう。 本人もわかっていたと思うんです。日々重くなる体、正常に作動しない思考、象の足のように浮腫んだ足、パンパンにたまった腹水でうまく呼吸ができなくなる、おしっこが出なくなる、ごはんが食べられなくなる、本人が1番自身が死に向かっていることをわかっていた気がするのです。なら私はなんて言葉を返したら良かったんだろう。 余命も分からず、状態が良くなるのかもわからず、でも自分の体は朽ちていくのは怖かったんだろうなと色々思い馳せてはあれこれと考えてしまいます。 今でもあの方の 『私はもうすぐ死ぬの?』 の問いに答えが返せません。 僧侶の皆様はどのように返しますか?ご助言よろしくお願い致します。
尊敬する大好きな恩師が亡くなって2年。 病気と余命宣告を同時にされる3ヶ月前まで夢を語っていた恩師。半年後に亡くなりました。この現実を受け入れることは出来ません。人はいつか死ぬと分かっていたし、元々敏感な方でした。でも、病気と余命宣告を同時にされる3ヶ月前まで恩師は夢を語っていました。なのに3ヶ月後には夢を諦め死に備えて身辺整理。恩師は自ら余命を聞き、身辺整理をし弁護士に遺言の立ち上げを頼みました。そしてもし自分が死んだらあなに貰った手紙を棺に入れるよう息子に頼んでいいかと聞かれました。妊娠中の私は、促進剤を入れる前に恩師に会いに行ってから出産しました。恩師の危ない状況を聞き、2日退院を早め、その足で恩師の元へ行きました。意識が朦朧としていたけど、頷いてくれました。そしてその日に亡くなりました。産後2日目のことで、痛みを抑えながらお葬式へ行き、自分の手で手紙を入れました。それからは子育ての日々。衝撃的な事で、受け入れる時間もなく今日まできました。あんなに夢を語っていた恩師が亡くなったことで、人の死は無条件に突然訪れるものなんだと初めて強く実感しました。普段は忘れているけどいつも死と隣り合わせなんだと。それから生きるのが怖くて、家族を失うのではないかと不安です。だから後悔しないために、常に最悪の状態を考えています。今車が突っ込んできたらこの位置は危ないとか、もしあの看板が落ちてきたら危ないから走ろうとか。父の癌を早期発見したのも私で私が家族の命を守りたいという気持ちに苛まれています。もし家族の誰かが倒れたら誰に119番を頼んでAEDを誰にどこから持ってきてもらうかなど常に頭でシュミレーションしています。それでも人は死ぬのでこの行動が全て結果になるとは思いません。もっと楽しく生きれる人が生まれたらよかったのに。死の恐怖に潰されるくらいなら最初から無でよかったのにと考えてしまいます。でも、恩師とこの世で出会えた事、恩師と過ごした時間は私にとって最高の宝物です。今までもこれからもずっと私の大切なかけがえのない時間です。恩師が亡くなってから悩んだりしても、自己解決できるようになりました。恩師の教えがあるからです。でも恩師が亡くなったことや受け入れられないこと死の恐怖に関しては悩んだままです。きっと恩師の死は私に与えてくれた最後の課題なのです。どうかアドバイスいただけませんか。
私より早く死なないでよ〜と歳上の方がよくおっしゃるテンプレートな言葉がありますよね。私を大切に想ってくれている言葉だと理解してありがたく思う反面、好きにさせろ!と思ってしまう自分がいます。 長く生きることが大切なことなんでしょうか?私は全力でやりたいことをやってすぐに死にたいと思ってしまうのですが...。 人生に悲観的なわけではないんです。私はおかしいのでしょうか。
5月2日に兄が自死しました。 何年間も連絡をとってなく、特別仲が良かったというのもないのですんなり自分の中で受け入れていたつもりですが、 死後の世界や自死だとどうなるのかが気になってしまい、ずっと調べてしまいます。 ただでさえ自死してしまうほど悩んで苦しんでいたのに、自死は地獄に堕ちるだの現世にとどまるだの救いのない事ばかりでてきて悔しいです。 もちろん、良いことではないですし親不孝者だというのもわかります。 ですが『生きていればいいことがある』『生きてさえいてくれればそれでいい』なんて綺麗事だと思ってしまいます。 兄の人生を歩むのは兄自身です。 その兄が一生懸命たたかって、考えて、悩んで苦しんでだした答えが自死なのに、そんなに間違っていることなんでしょうか? 自死してしまった人にこれ以上、苦しんで欲しくないと願ってしまうのは贅沢ですか? 話は変わってしまいますが、夜や鏡が怖くなってしまい、眠るのが難しくなってしまいました。 兄がみえてしまうんじゃないか、なにか心霊現象なるものが起きるんじゃないかと思ってしまいます。 きちんと心からお祈りして成仏してほしい気持ちと、兄が怖くて怖くてたまらない気持ちが入り交じってしまいます… 火葬場が空いていないため、お経も火葬もまだですが、兄はいまどういった状況にあるのでしょうか? 何が聞きたいのか、なにが言いたいのかまとまってなくてすみません。 とにかく、兄には成仏してもらい、楽になってほしいと願っていますが実際はどうなんでしょうか? また、なぜこんなにも怖いと思ってしまうのかなにかご存知であれば教えていただきたいです。
北朝鮮情勢が緊迫し、アメリカが日本海に空母を送り込んだあたりから「自分は近いうち死んでしまうのではないか?」と思うようになってしまいました。 戦争に対する恐怖感は、ここで他の方の質問の回答を見てだいぶ無くなりましたが、(といっても北朝鮮に加え中国や韓国も怖いですが) 最近、調べ物をしてたら「死海文書によると2018年に人類滅亡」とか、今年とそれ以降の人類滅亡に関する予言とか、そういった予言の記事を偶然発見し見てしまい、最近はそっちの方に恐怖感を抱いています。 ノストラダムスの予言の後に生まれたので、ノストラダムスに関してはあまり知りませんが、2012年のマヤ文明の予言にはすごくビビっていた記憶があります。 そういった記事を見てしまったおかげで、頭の中で終末の時の感じとかを想像してしまったりして怯えたり、「今すぐ世界の終わりが来たらどうしよう」などといったことを四六時中考えてしまったりするようになって体調がさらに悪化し、この間主治医に相談して精神安定剤もまた飲み始めましたが、それでもこの胸の気持ち悪さは治りません。主治医の先生には環境が変わって気が張ってるのかな?って言われましたが、そうでもない気もします。 「まだ見たい景色や、やりたい事も沢山あるのに、若いうちに死にたくない!そういった予言怖いわ!そんな全人類が一斉に死ぬなら戦争で死んだ方がまだマシ!だけど戦争も怖い!」って思うのと、今までの人生ろくなことがなかった自分の母親の人生についに光が射し始めているというのに、こんな予言に振り回されたり恐怖感を持ち体調を思いっきり崩したりして母親を振り回している自分が恥ずかしいです。 一日でも長く生き延びるために、この負のスパイラルから抜け出したいです。 長文乱文失礼しました。
ずっとじわじわ脅迫感に襲われてしまい息が苦しいこのまま気が遠くなってどうにかなってしうどうしようもないパニック状態怖い苦しい 夢の中でも苦しい悪夢ばかりで起きているのも寝るのも怖い 親や自分が死んでしまったらどうしよう死んだらどうなってしまうのか怖くて生きているのも死ぬのも怖い死ぬことはかりいつもどうしても考えてしまって辛い 助けて下さい
死に時なのか、生かされる時なのか、試されていると思っています。 人間関係が劣悪で同僚が酷かった。家族も冷たい。職場でも家でも誰からも必要とされない。生きていて楽しくない。苦しい。死にたい。消滅したい…自殺も何度か考えました。 2年ほどそう思っていたら急に大きな腫瘍が出来ました。自分の負の念が自分自身を病気にしたと思います。同僚のマイナスの念波の影響が私には耐えがたかったから、その影響もあると思っています。 (今はジョブローテーで他部署に異動になりました) 現段階で手術すれば5年後の生存率は80%程度だそうです。放置すると腫瘍は悪性になり死に至る可能性があるから医師は手術を勧める。 切開してみないと分からないし、切開しても分からないかもしれない。手術しても死ぬ可能性はあります。 ならば、と思い 天に任せて何も治療しないという考えは、仏教的にみて自殺でしょうか? 死にたい自分、運命を委ねたい自分、手術が怖い自分…手術するか迷っています。 お坊さんの意見を聴きたいです。よろしくお願いします。
カテゴリ間違いだったら申し訳有りません。 私が高校生の頃、生徒教師共に学年全体から疎まれていた教師が突然死しました。 その教師はセクハラ発言、時間があれば自分語り、自分ルールが横行しており、校長が何度注意しても直らない と言った問題行動を連発していました。 その教師が亡くなる数日前まで学年の一人の教師が、被害届を纏め、教育委員会に提出するべく書類を作成していた程でした。 学年集会で亡くなった事が告げられると、「早く●んで笑」とまで散々悪口を言っていた生徒達が泣いていました。 私はこの事に対し「今まで散々悪口を言っていたのに手のひら返したように泣ける感受性と協調性の豊かさが羨ましい」と友人の前で呟いていました。 この発言に対し、友人から「泣いている人を批判しているのは間違ってる」と指摘されました 私は人間も食パンも変わらないと思っています。 「食パンを食べたら無くなった=胃に収容されたから 」であって「食パンは食べられるために生まれてきた 」訳です。 私は人間はこの世に生まれる理由は、死ぬ為に生まれて来ている と思っています。 いつかは死ぬのだから、人間は必死に生きなくてはならない、やりたいこともやりたい時にやらないといつかは死んでしまう と。 人間も「人が亡くなった=死ぬ為に生まれてきたから」であって、死は誰にでも平等に与えられているものですし、当然の事だと思っています。 その人に関わってきた時間や感情、思い出が加味されて、改めて 「(人が亡くなって)悲しい」という感情が生まれるのではないかと考えています。 私はこのような考え方なので、明日道端ですれ違った人が明後日亡くなっても、悲しいとは思いませんし、泣けません。 だから、セクハラ教師が亡くなったところで、何も感情は湧きませんでした。 間違っていますか?とても歪んだ考え方をしているとしたら恥ずかしいので治したいのです。
今日、卒業のことで、私と母と担任と学年主任と副校長で面談がありました。 怒りでいろいろと忘れてしまいましたが、「卒業する気はあるか」と副校長に聞かれ「半々です」と正直にこたえました。卒業したい気持ちもあるけど、行きたくないという気持ちもありどうしたらいいかわからない状態でした。 そしたら、副校長にさんざん貶されて責められました。 「そんな甘いこと言ってられない」 「今やめて親に迷惑かけるのか」 「もう人間関係がどうのこうのって言って、おまえが泣いても誰もおまえに同情なんかしないからな」 「学年主任も担任もおまえが頑張るというから、会議でおまえのことを庇ってやってるのにおまえはまったく行動を起こさない」 「社会に出たらそんなこと通用しないからな」 などと言われ、大泣きして過呼吸起こして逃亡しました。 そんなこと自分で十分わかってるし、私に同情してくれた人なんて一人もいなかった。 だいたい私が不登校になったのは、無気力症候群のように全てにおいて嫌になったからです。 その原因になったのがそもそも担任と母と副校長です。 人のせいにするな、と副校長は言いましたが人のせいじゃなきゃこんなふうになるわけないじゃない。 もう全てが嫌になりました。 「死ぬ」か「学校へ行く」の二つの選択肢しかテーブルの上にないように感じました。 死にたくなって、公園のベンチに座り、死ぬことへの償いに念仏やお経を唱えていました。 寒さが身にしみて、手が凍えていくたびに死が近づいていくことを嬉しく思いました。 そしたら学校の先生にみつかり、祖父や叔母が迎えにきて今家にいます。 明日から全ての教科出なければ留年になると言われました。 家族は「卒業頑張るぞ」と意気込んでいますが、私はもうそんな気持ちまったくありません。 学校へ行きたくない。 行くくらいなら死にたい。 今夜、山へ行って死のうと考えています。 もう何もしたくなくなってしまいました。 涙が止まりません。 どうか許してください。 もう頑張りたくないんです。
相変わらず過去の悪行に悩んでいま す。どうにか清算したいのですが方法が見つかりません。死にたい気持ちになっています。しかししかししかし死んだら償いすらも出来ないですね…私が自死を選んだら家族、親戚が悲しむわかっています。行儀良く真面目に生きてればこんな事にはならなかったのにと悔やんでいます。51才にもなってこんな事で悩んでいます。どうしてもどうしてもどうしても生きるしかありません。どうかアドバイス宜しくお願い申し上げます。
5人兄弟の末っ子です。先日兄が死にました。6歳上の兄です。俳優に憧れ、戦隊ヒーローの俳優になるからと上京したものの、所属した劇団の人に騙されて借金を背負い、返済のために企業に就職したもののギャンブルにハマりさらに借金を大量にこさえて首が回らなくなった結果、自分で首を吊りました。寒い冬の日でした。 それ以来私の中の死生観が変わってしまいました。人は突然死ぬ、居なくなる、と気づいてしまいました。私も明日また目が覚める保証なんてないと思うようになり、眠れなくなりました。 明日の約束が、友人や家族としにくくなってしまいました。だって目が覚めるかわからないのです。守れない約束をして、困らせたくありません。 将来のことも分からなくなってしまいました。行きたい大学がありました。でもそこに通うには上京しなくてはいけません。両親は、兄のこともあってか私を実家から離れさせたくはないようで家から通える大学にしなさいと言われてしまいました。もともと勉強することは好きだったのに、身に入らなくなってしまいました。事情を知らない学校の先生には出来もしないのにこの大学に行きたいなんて言わないでちょうだいと怒られてしまいました。私だって行きたくはありません。行けるかもわかりません。 自分でスクールカウンセラーに相談もしてみましたが、兄のことを話すと母が可哀想だと泣かれてしまいました。私の相談そっちのけで母の心配をされました。私を心配して欲しいわけではなかったのですが、私の話はあまりきいてもらえませんでした。 やりたいことがわからなくなりました。生きなきゃいけない理由もわからなくなりました。 上の兄は、死んだ2番目の兄の分まで生きなきゃと言っています。姉2人は一周忌までは生きてみようと思う、とよく言っているのですが、私にはよくわかりません。だって自分ではそう思っていても明日には身体が勝手に死んでるかもしれないのに。 父にも母にも相談が出来ません。相談する時にどうしても兄のことを話さなくてはいけないからです。辛い思いさせてごめんねと泣かれてしまって、それ以上話がすすまないのです。 人の生きる意味ってなんなんでしょう。どうして突然死んでしまうんでしょう。兄の場合は突然死とは少し違うのかもしれませんが…。結局死んでしまうなら、最初から産まれない方が良かったのではないかと思っています。