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hasunoha 問答検索結果 : 「 生きる意味 」
検索結果: 6315件

いろんなことを心配しすぎてしまいます

私は寝る前などに、大切な人が急に亡くなったらどうしよう、などの不安で胸がいっぱいになることがよくあります。 父親(両親が離婚して父に引き取られてます)や、恋人が、交通事故にあったり急病になったらどうしよう、という感じです。 そしたら私も生きていける自信がない…などとそこまで考えたりもします。自分自身のことも、病気になったらどうしよう、とか色々なことを心配してしまいます。 そんなことを考えていても仕方ないとは分かってるのですが、どうしても不安になってしまうときがあるのです。こんなこと考える人はなかなかいないのかな、とかも思います。(結構な頻度では、という意味で) 今を楽しく生きているのだから、そういうのを気にしないようにしたいですし、寝る前に考えるときは眠りが浅くなったり寝不足になったりするのが本当に嫌です。 心配性なので、将来のこと(例えば結婚など)も、考え始めると楽しい未来を描くことより こうなってしまったらどうしよう と悪い方向に考え、心配事でいっぱいになってしまいます。 どうすれば心配性を治せるのでしょう。 いろいろ不安に思う自分がつらいです。 ぜひアドバイスいただければと思います。 宜しくお願い致します。

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こんな私でも供養できるでしょうか

以前質問させていただいた者です。 こどもを死産してもうすぐ一年になります。 その子のお墓や仏壇ができ、一周忌の法要もお願いしています。その際にお墓への納骨もさせていただく予定です。 ですが、私自身、未だに気持ちの整理がつけられず、お墓や御仏壇のことを考えると気が遠くなり、辛くなってしまいます。辛さというのは、こどもが亡くなった悲しさ、あの時私がもっと早く病院に行っていたら亡くなることはなかったのではないかという後悔、生きて産んであげられなかった私自身を責める気持ちです。 夫は、私の気持ちを聞いてくれ、お墓も仏壇も作らない方がいいのではと気遣ってもくれましたが、夫自身は、お墓や御仏壇をそろえて手を合わせることが供養になるとの想いがあり、準備をすすめてくれました。 これまで、仮の御仏壇に毎日手を合わせてきましたが、想うのは「ごめんね」と「また会いたい、また抱っこしたい」ばかりです。悔やんでも自分を責めても、亡くなった命はもどらないし、供養にならないと思いながらも、一年経ってもそんな自分を変えられないでいます。 一周忌は来週ですが、法要の間もお墓や御仏壇から目をそらしてしまいそうで、涙が出て動けなくなりそうで、きちんとして居られる自信がありません。 供養の仕方がわかりません。私はどうしたら供養をしてあげられるでしょうか。

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就活することが虚しいです。

家庭環境からか生来のものか、やりたい事がありません。年頃の娘が気にする容姿も服も恋愛もスポーツも興味なし寧ろ苦の部類(親にこの事は度々批難され、母はこれを矯正しようとしています)、人付き合いも苦しく、結婚も老後にも望むことは無い。 収入の事情から就活に進路を進めることになったのですが、始めてから暫くし、働く事含めて全てが虚しくなりました。 追われるように「志望動機」を探し、会社や社会に貢献する事を目指して口上を捲し立てる。 何ヶ月これをやったとしても、親に連られて見てきた「所謂1握りの世界の人達の世界」に触れることすら100年身を粉にして働いたとしても不可能な領域であると察してしまいました。 私に技術とセンスはありませんでした。ただ、受験で大失敗する程度の頭が、それでも嘗ては自慢に思っていたはずの頭脳があるだけです。これは其処では役に立ちそうに無いです。 自分の器を受け入れて身分相応の会社で働けば良いのかもしれませんが、親兄弟への劣等感と、もうその世界を見ることは出来ない事(社会人の大人が関係もないのに親の職場に付いていくのは不自然でしょう)、そして働いた先には私の求めるものは無い事が虚しさを増大させます。 家庭を作る幸せも、自分磨きも、老後の幸せも私の中ではどうでもいいのです。何よりもゆったりとした時間と時間と少しの楽しい贅沢が欲しい。 金を積み上げても時間がなければ何も出来ません。時間を削って仕事に没頭して、エリートになって、それを道具にするなりその事自体で幸せを得られるなら良いのですが、私の価値観では得られるようには思えません。 (どうしても親は「やりがいある仕事」に「身を捧げ」て欲しい様ですが) 就活は続けてはいますが、働く事に対し、余暇を楽しむための単なる金稼ぎ以上の価値が見いだせず、志望動機は嘘八百。現在の経済、社会を考えるときっと予想より劣悪な環境も多い。楽しむ余暇が無く、永遠と時間に追われるくらいならば仕事も何もかもやめて死んでしまおうかとも思う程です。 社会不適合者。自己分析をして出た結論はこれに終着しました。 こんな社会不適合者は何処で何を指針にすれば生きていけるのでしょう。生きる意味もないかもしれませんが。 空っぽな頭のまま、「就職活動」を走り続けています。

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